『春の雪』の松枝清顕、『奔馬』の飯沼勲については、その最期の様子は詳しく描かれています。
ところが『暁の寺』のジン・ジャン(月光姫)の最期の記述は、あまりに短くそっけないものです。三島はこれで十分と考えたのでしょうか。
松枝清顕は月修寺で出家した綾倉聡子との再会を果たせず亡くなる前、本多繁邦に次のように言い残しました。
「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」
それから18年後、本多は三輪山の三光の滝の下で、清顕と同じように脇腹に三つの黒子を持つ若者・飯沼勲に出会いました。
その勲は蔵原武介暗殺に向かう前、本多の前で不思議な寝言を言いました。
「ずっと南だ。ずっと暑い。南の国の薔薇の光りの中で」
勲はその前、母みねに向かってこんなことも言いました。
「そうだ、女に生れ変ったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう」
それから8年後、本多はタイのバンコクでジン・ジャンに出会ったのです。
幼いジン・ジャンが祖母スナンター妃の肖像画の前で本多に語った言葉は、彼女の最期の真相を知る手掛かりになりそうです。
「私は体だけをこのスナンター妃から受けついだの。心は日本から来たのですから、本当なら、体をここへ残してゆき、心だけ日本へ戻ればよいと思う」
それから11年後に来日したジン・ジャンは前世の記憶を失っていました。おそらく双子の姉と二人で本多を翻弄したあげく、御殿場の火事の後まもなく帰国し、バンコクの邸で花に囲まれて怠けて暮らしました。
20歳の春のある日、ジン・ジャンは一人で庭に出ていました。部屋に残っていた侍女は、彼女が澄んだ幼い声で一人で笑っているのを聴いて不審に思いましたが、それが悲鳴に変わり、侍女が駆けつけるとジン・ジャンはコブラに腿を咬まれていました。
ここから想像されるのは、このときジン・ジャンは前世の記憶を取り戻し、コブラに話しかけていたのではないかということです。サン・テグジュペリの『星の王子さま』を思い出させる場面です。
コブラに咬まれて死んだ後、ジン・ジャンの魂は孔雀となって日本へ飛んでいったのかもしれません。
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