私は最近、満60歳になりました。「還暦」とも言います。十干十二支で言う「壬寅」(みずのえとら)の年に生まれ、それから60年が経ちました。
60は10と12の最小公倍数であるため、干支は60年で一周するわけですが、60は約数が多い数です。

1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30, 60

実に12個の約数があります。1分を60秒、1時間を60分とするのは古代バビロニア以来ですが、このように便利な数であるため、古くから重視されたのでしょう。
これからどれだけ生きるかは分かりませんが、一日一日を大切に生きていきたいものです。
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時間は不思議なものです。目には見えませんが、確かに存在するように見えます。
日本の場合、天皇と元号は時間と密接に結び付いています。天皇とは日本国民統合の象徴であると憲法に書かれていますが、時間の象徴のようにも思われます。
『日本書紀』の年代の問題が面白いのは、過去に遡るほど記憶がぼやけてゆき、時間が延長されてゆくように思われるからです。
邪馬台国と卑弥呼の問題は別の問題ですが、この記憶が途切れる境界付近にあります。だから謎を秘めていて面白いのではないでしょうか。
物理学では時間と空間は幻想であるという見方があります。宇宙は時間と空間から成るというより、エネルギーと運動量から成ると見るほうが真相に近いのかもしれません。
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纏向古墳群の被葬者たちを、主に『古事記』を基に推定してみましょう。

纏向石塚古墳:師木県主波延(ハエ)
纏向矢塚古墳:河俣毘売(綏靖天皇の后)
纏向勝山古墳:阿久斗比売(安寧天皇の后)卑弥呼?
東田大塚古墳:賦登麻和訶比売(フトマワカヒメ、懿徳天皇の后)台与?
ホケノ山古墳:十市県主の祖大目
箸墓古墳:細比売(孝霊天皇の后)

大目は『日本書紀』本文では磯城県主となっています。
箸墓の被葬者は『日本書紀』では百襲姫(モモソヒメ)になっていますが「百襲」はホソとも読み「細」に通じます。細比売はクハシヒメとも読み、ハシ墓に通じます。
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