昭和の戦争を研究された半藤一利氏は、かの悪名高い「統帥権の独立」について興味深い分析をしています。昭和天皇は「天皇陛下」と「大元帥陛下」を使い分けていたと言うのです。
最初の神風特攻隊の報告を受けたとき、昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしながら、よくやった」と発言したそうです。この発言の前半部分は天皇陛下としての発言であり、後半部分は大元帥陛下としての発言と言えます。
神武天皇の実在には疑問もありますが、やはり神武天皇には軍事指導者としての面が強かったと言えるでしょう。私が考えるように神武天皇の原像が後漢に朝貢した倭国王帥升(または師升)だとすれば、「帥」も「師」も軍事色の強い漢字であり、『日本書紀』の神武天皇紀に頻出することがその裏付けになると思われます。
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