昭和の戦争を研究された半藤一利氏は、かの悪名高い「統帥権の独立」について興味深い分析をしています。昭和天皇は「天皇陛下」と「大元帥陛下」を使い分けていたと言うのです。
最初の神風特攻隊の報告を受けたとき、昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしながら、よくやった」と発言したそうです。この発言の前半部分は天皇陛下としての発言であり、後半部分は大元帥陛下としての発言と言えます。
神武天皇の実在には疑問もありますが、やはり神武天皇には軍事指導者としての面が強かったと言えるでしょう。私が考えるように神武天皇の原像が後漢に朝貢した倭国王帥升(または師升)だとすれば、「帥」も「師」も軍事色の強い漢字であり、『日本書紀』の神武天皇紀に頻出することがその裏付けになると思われます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
最初の神風特攻隊の報告を受けたとき、昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしながら、よくやった」と発言したそうです。この発言の前半部分は天皇陛下としての発言であり、後半部分は大元帥陛下としての発言と言えます。
神武天皇の実在には疑問もありますが、やはり神武天皇には軍事指導者としての面が強かったと言えるでしょう。私が考えるように神武天皇の原像が後漢に朝貢した倭国王帥升(または師升)だとすれば、「帥」も「師」も軍事色の強い漢字であり、『日本書紀』の神武天皇紀に頻出することがその裏付けになると思われます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (18)
大地の西南に傾斜したるため、北極星および北斗星は、地上より見て、その位置を変ずるに至り、地球の北端なる我が国土の真上に、北極星あり、北斗星またその真上に在りしもの、この変動に依りて稍我が国より見て、東北に偏位するに至りける。また太陽の位置も、我が国土より見て稍北方に傾き、それ以後気候に寒暑の相違を来したるなり。
ここに大国治立命はこの海月(くらげ)成す漂へる国を修理固成せしめむとし、日月界の主宰神たる伊邪那岐尊および伊邪那美尊に命じ、天の瓊矛(あまのぬほこ)を賜ひて天の浮橋に立たしめ、地上の海原を瓊矛を以って掻きなさしめ給ひぬ。
この瓊矛と云ふは、今の北斗星なり。北極星は宇宙の中空に位置を占め、月の呼吸を助け、地上の水を盛んに吸引せしめたまふ。北斗星の尖端にあたる天教山は、次第に水量を減じ、漸次世界の山々は、日を追うて其の頂点を現はしにける。
数年を経て洪水減じ、地上は復び元の陸地となり、矛の先より滴る雫凝りて、一つの島を成すといふは、この北斗星の切尖の真下に当る国土より、修理固成せられたるの謂なり。
太陽は復び晃々として、天に耀き、月は純白の光を地上に投げ、一切の草木は残らず蘇生し、而て地上総ての蒼生は、殆ど全滅せしと思ひきや、野立彦、野立姫二神の犠牲的仁慈の徳によって、草の片葉に至るまで、残らず救はれ居たりける。神諭に、
『神は餓鬼、虫族に至る迄、つつぼには落さぬぞよ。』と示し給ふは、この理由である。
唯善神は安全にこの世界の大難たる大峠を越え、邪神は大峠を越ゆるに非常の困苦あるのみなりき。
仁慈の神は吾御身を犠牲となし禽獣魚介に至る迄、これを救はせ給ひけり。(第6巻 大峠 天の瓊矛)
capelaurig
が
しました
半鐘が鳴り響く。もう見渡す限り火の渦だ。子供たちは、消すより逃げる方に気をとられた。交番巡査や村人たちが、手に手に鎌や棒ぎれを持って群がりのぼってくる。山火事は一山すっくりなめ尽くすまで、消えなかった。
黒こげの焼跡に立って、涙も乾涸びた悪童たちは、村長、校長、巡査らからさんざん油をしぼられた。だがそれは序の口。
吉松は、頭も眉も着物も無惨に焼け焦げた張本人の息子を追い立て追い立て、山を下る。家の庭に入ると、ぎりぎりと後手に背戸の柿の木に縛りつけた。おもしろげにのぞいている弟由松の顔が小癪にさわる。
吉松の顔面は、穴太寺の仁王門の仁王さまよりまだ真っ赤。根が小心なだけに、その癇癪に余裕がない。
「火、火あぶりじゃ。柴もってこい。お世祢、つけ木をはよ持ってこい。この餓鬼、灰にしちゃらな、村に顔向けでけんわい」
祖母、伯母、母の涙をもってしても、怒りは治まらなかった。誰も命令を聞かぬので、吉松は狂ったように一人で庭の枯れ葉をかき集めた。
――焼き殺される。
喜三郎は必死にもがいた。久しく見なかった物言わぬ爺さんがとんできて、縄をほどいた。それが幽霊か幻想か疑ってみるひまもない。自由になった手足を駆使して、めちゃくちゃに走った。この世の果てまで逃げたかった。(大地の母 青春の詩)
capelaurig
が
しました
大曲津日の神、八十曲津日の神は、曲津の名ありと雖も、決して悪神に非ず、悪を制御する一種の直日神(なほひのかみ)である。曲津日と曲津といふ神の区別を混同せざる様注意すべし。
つぎに伊都能売の身魂(いづのめのみたま)に就て略述すれば、一に月の霊魂ともいひ、五六七(みろく)の身魂と称せらる。五六七の身魂は、厳(いづ)の身魂に偏せず、瑞(みづ)の身魂に偏せず、厳、瑞の身魂を相調和したる完全無欠のものなり。
而して伊都能売の身魂は最も反省力の強き活動を備へて、太陽のごとく常に同じ円形を保つことなく、地球のごとく常に同形を保ちて同所に固着すること無く、日夜天地の間を公行して、明となり、暗となり、上弦、下弦の月となり、半円、満月となり、時々刻々に省みるの実証を示しいるなり。
斯くのごとく吾人の身魂の活用し得るを、伊都能売の身魂といふ。変性男子(へんじょうなんし)、変性女子(へんじょうにょし)の身魂にもあらず。完全無欠にして明暗、遠近、大小、賢愚、肖不肖、善悪等の自由自在の活動をなし得る至粋至純の神霊の活用なり。(第6巻 一霊四魂、体五霊五)
capelaurig
が
しました
遠くで幾つも提燈が動いた。風に乗って、叫びが聞こえる。
「喜三やーい」
悲しみに震える声が用水道の脇道を走って行く。母さん、母さん――出かかる叫びを、涙とともに飲みこんだ。火あぶりの刑の恐怖が、喜三郎ののどをふさいだ。
吉松は、一夜を憑かれたように息子の影を求めて探しまわった。明け方、幽霊のように小幡橋にたたずむ喜三郎をみつけた。その冷え切った小さな体を、つぶれるほど抱きしめていた。涙鼻をすすり上げ、声も出ぬ憔悴しきった親子であった。
桑の実が黒く熟れた。梅雨のあいまにとび出して、むさぼり食う。食いあきて、和一郎の真っ黒に染んだ唇をみて思いついた。
「お前、与市兵衛になれや」
「それ、なんじぇい」
「秋祭りにみたやんけ。仮名手本忠臣蔵五段目や。わし、仇役の定九郎になる」
手とり足とり、喜三郎は和一郎に芝居の振りつけを始めた。舞台は目前に浮かんでくるし、台詞はとうとうと湧き上がってくる。和一郎の顔をつかまえて、ぐいぐい桑の実で隈取った。和一郎には観客集めに走らせ、喜三郎は小道具集めに走り廻る。
桑畑の中で、莚の緞帳が上がる。見物の子供らから、拍手と歓声がおこる。
capelaurig
が
しました
エルサレムには、昔の俤は無けれども、美しき神殿を造り、黄金の国魂を奉安し、聖地の守神となし玉うたのである。ウラル彦は、この様子を窺い知り、数多の探女醜女を聖地の参拝者に仕立てて、この国魂を奪取せしめむと計る。玉守彦天使は霊夢に感じ、玉を安全に保護すべく、夜窃かに玉の宮に入り、恭しく是を持ち出し、人々の目を避くるため、釜の中に秘め隠し置きけり。
数年を経て、釜は非常なる音響を立てて唸りはじめたり。その唸り声は遠近に響き渡りければ、玉守彦は何事ならむと、宝庫の戸を押し開き見れば、鉄の釜は黄金の玉の威徳に感じてや、いつの間にか純金の釜となり、美しき光輝を放ちて、宝庫の内部を眩ゆきばかりに照らしていたり。釜の中の玉はと見れば、これまた玉の表面に多くの竜体が現はれ居たり。玉は光ますます強く唸り立てたり。玉より出づる声か、釜より出づる声か、たうてい区別がつかぬため、釜の中よりその玉を取り出し、離して据えてみたりしに、玉より出づる声は、大なれども遠く響かず、釜より出づる声はやや小なれども、遠方に響き渡ること判明したり。
何時ウラル彦が、この玉を奪りに来るやも知れぬとの暗示を与へられたれば、遠く東の国に持ち行く事となり、粗末なる唐桶を造り、黄金の玉と、釜を納め、侍者に担がしめ、夜を日に継で、磯輪垣(しわがき)の秀妻(ほづま)の国の於能碁呂島(おのころじま)の中心地なる桶伏山、一名円山(まるやま)の麓に隠し納め、円山姫をして、この神宝の守護を窃かに命じ置きたるなり。(第6巻 黄金の玉、桶伏山)
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
失敗た。本物の出刃やった。
喜三郎は蒼ざめた。血のついた出刃を投げ出すと、反対の方向へ走り出した。
つい先日、一山焼いたばかりの焼跡に立って、喜三郎は罪の意識に恐れおののいた。
――なんでわしはこんなやろ。
おいおい泣いた。泣いても泣いても泣ききれぬ。日の落ちた山は、風が吠えて凄まじい。雨がまじってきた。
雨に追われて闇の山道をころげころげ里へ下り、家の軒端にたたずむと、和一郎の父上田幸三郎の高声がわんわん響いてくる。その前に、父と家族全員が平たくなっている気配である。
――あかん。今度こそ父はんに八つ裂きにされる。
あてもなく夜道を走った。一里の先に亀岡があった。街の東端西竪町の伯母を思い出し、助けを求めた。母のすぐ上の姉ふさは麹屋をしている岩崎庄助に嫁いで、一男二女を産んでいた。従兄の庄太郎は喜三郎より一つ上で、話が合う。喜三郎は、芯まで泥と雨にまみれ、隈取りのはげた顔で芝居の一件を泣き泣き語る。庄太郎は同情してくれたが、伯父は苦い顔をし、伯母は吐息した。
capelaurig
が
しました
放射能 笑って押しつけ 再稼働 (雅)
原発を やめぬ計画 鬼笑う (ふ64)
笑えるね 明かりが見えると 一人だけ (乾草)
無能ぶり 鬼も笑えぬ 菅政権 (青空)
誕生日 みんな笑顔の 九十三歳 (柚っ子)
特選
混沌の 中の笑いに 力あり (落葉)
「十」の部 秀句
十年目 異国の空で 月を見る (原子力ガリレオ)
自由人 十人集まり 小倉アイス (雅)
やせ雀 共に10年 反核の道 (青空)
十周年 テントに集う 廃炉まで (柚っ子)
事故十年 決める政治は いつ実現 (ふ64)
特選
座り込み 十年続け まだ続く (乾草)
capelaurig
が
しました
肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣欲益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつてしまう。虎や狼や、獅子なぞの獰猛なるは常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりと雖も、極めて温順なるは、生物を食はず、草食または穀食の影響である。故に肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死なうが、倒れやうが、凍て居らうが、そんな事には毫末も介意せない。只々自分のみの都合をはかり、食色の欲の外天理も、人道も、忠孝の大義も弁知せない様に成つて了ふのである。斯う云ふ人間が、日に月に殖ゑれば殖ゑる程、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、終には種々の喧しき問題が一度に湧いて来るのである。為政者たるものは、宜しく下情に通ずるを以て、急務とし、百般の施設は、之を骨子として具体化して進まねばならぬのである。素盞嗚尊は止むを得ずして、天下の為に大気津姫命を殺し玉ひ、食制の改良を以て第一義と為し玉うたのである。西郷南洲翁は、政とは、情の一字に帰すると断じ又孟子は、人に忍びざる心あれば茲に人の忍びざる政ありと云つて居る。然るに為政者は、果してこの心を以て、之に立脚して社会改良を企画しつつあるであらう乎。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました