日本の「戦後」は76年にわたって続いています。戦前の日本は戦争ばかりしていた国ですが、それは全くなくなりました。戦後は日本に代わってアメリカが戦争ばかりする国になりました。同時多発テロでアフガニスタンに攻め込んだアメリカ軍も結局、撤退を余儀なくされました。
日本の自衛隊はアメリカ軍の現地人部隊です。これはたとえ話ではなく、実際に戦争が起きた時には自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るという説があります。そのときは日本が完全なアメリカの属国であることが誰の目にも明らかになります。
戦後の日本人を呪縛する歴史的条件は、第二次世界大戦の敗戦国であるということです。戦後日本がどのような形で終わるのか、軽々しく予想は出来ませんが、やはり歴史を学んで考えることが必要なことは確かです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
日本の自衛隊はアメリカ軍の現地人部隊です。これはたとえ話ではなく、実際に戦争が起きた時には自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るという説があります。そのときは日本が完全なアメリカの属国であることが誰の目にも明らかになります。
戦後の日本人を呪縛する歴史的条件は、第二次世界大戦の敗戦国であるということです。戦後日本がどのような形で終わるのか、軽々しく予想は出来ませんが、やはり歴史を学んで考えることが必要なことは確かです。
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「それがわしにもわからん。どっちやと思う、伯母はん」
「阿呆かいな」と、伯母は嘆く。
「やっぱり阿呆か」と、喜三郎。
「馬鹿者。自分の阿呆さかげんも分らんか」と、伯父はどなり出す。
「そやから聞いとるのや。いったい、どっちやらほんま、分らへん」
喜三郎はまだこだわっている。伯父は思わず苦笑して、
「本人が分らんもんが、わしに分るけえ。おふさ、しゃあないさけ、この馬鹿、穴太まで連れて帰んで一緒に詫びちゃれ」と、吐きすてるように言った。
伯母に連れられて帰ると、父の機嫌は直っていた。医者が、和一郎の傷の浅いことを証明してくれたからである。
だがその傷は和一郎が老いて死ぬまで、横一文字にうっすらと残った。喜三郎は、後年まで親交のあった和一郎と向きあう度に、少年の日のとんだあやまちに心がうずいた。
綾部近辺の草深い地の家で、不意の客人にもてなす馳走がなかった。「せめて蜂の子飯なりと……」と主人は思いつき、火をつけた麦わらを軒の巣に近づけた。親蜂を追うためである。夢中になるうち、その火が藁ぶき屋根に燃え移り、家が全焼した。(山下良枝著「虫と民族」)
信州では有名だが、貧しい丹波地方でも、蜂の子をよく食った。蜂の子飯はえび飯に似た風味があった。蛹のひげが出かかり、広げる力のないやわ羽の頃がうまい。採る時期に念が入った。
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もっと幼い頃、甲虫を採ろうとして櫟林をあさって蜂に刺されたり、川のそばの茨の室の蜂の巣を知らずに踏んで、顔を刺された。歯くそが効くというので、友達が各自の歯くそをほじくって、泣きわめく喜三郎の顔にぬりつけてくれたものだ。
この頃では、喜三郎の方から蜂を襲った。金剛寺の門の雀蜂の子を採ろうとして、親蜂に刺され、一度は退却した。だが執念深くつけ狙い、夜襲をしかけ、作った袋で親蜂もろとも捕獲に成功。採った蜂の子は黒砂糖と醤油をつけてあぶり焼きした。かんばしい珍味に一巣を平らげ満足したまではよかったが、翌日から全身に腫れ物ができ、身動きならぬ。昼夜苦しみ、全快までに一か月かかった。
治ると、庭の山椒の木の下に巣くう穴蜂を狙った。また刺される。何しろ性懲りがない。ますます戦意を燃やし、穴蜂の穴の三分ばかりの入口に夜火をたいた。親蜂を窒死させ、土中の巣を掘り出す作戦だ。喜三郎の目は輝き、頃はよしと次の行動に移る矢先であった。夜火の照り返しに目ざめた父が立っていた。
「この餓鬼め、山火事出しても懲りくさらんと、今度は家まで焼く気か。出て行け、二度と帰るな」
父は手に鍬を持っていた。喜三郎はすっとんで逃げ、その夜は穴太寺の観音堂の床下にもぐって寝た。早朝、体中を薮蚊に刺され、蜘蛛の巣だらけで這い出すと、朝詣でに来たコブ安が驚き、
「こ、このド狸め、また人をだまくらかす気やな」と、思うさま杖でぶんなぐった。観音堂の床下は昔から豆狸の巣といわれているのを、喜三郎は忘れていた。(大地の母 青春の詩)
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(大正11年2月27日 綾部 竜宮館に於いて)
(聖師が初心者向けには、この章から読むのが良いと推薦されているのがこの総説歌です。 ぜひとも味わって下さい。)
(文中の竜樹菩薩とは、龍樹の空理論で有名になった、2世紀にインドに生まれた大乗仏教の祖です。 聖師の見識の広さが偲ばれます。)
世は常闇となり果てて 再び天の岩屋戸を 開く由なき今の世は
心も天の手力男 神の御出まし松虫の 鳴く音も細き秋の空
世の憂事を菊月の 十まり八つの朝より 述べ始めたる霊界の
奇しき神代の物語 三つの御魂に因みたる 三筋の糸に曳かれつつ
二度目の岩戸を開き行く 一度に開く木の花の 色香目出度き神嘉言
常世の国の自在天 高く輝く城頭の 三ツ葉葵の紋所
科戸の風に吹きなびき 思想の洪水氾濫し ヒマラヤ山頂浸せども
明の鳥はまだ啼かず 長鳴鳥も現はれず 橄欖山の嫩葉をば
啣みし鳩の影もなし 天地曇りて混沌と 妖邪の空気充ち充ちて
人の心は腐りはて 高天原に現はれし ノアの方舟尋ね侘び
百の神人泣き叫ぶ 阿鼻叫喚の惨状を 救い助くる手力男の
神は何れにましますぞ 天の宇受女の俳優の 歌舞音曲は開けども
五つ伴男はいつの日か 現はれ給ふことぞかし つらつら思いめぐらせば
天の手力男座しませど 手を下すべき余地もなく 鈿女舞曲を奏しつつ
独り狂へる悲惨さよ 三五教の御諭しは 最後の光明とどめなり
ナザレの聖者キリストは 神を楯としパンを説き マルクス麺麭(パン)もて神を説く
月照彦の霊の裔 印度の釈迦の方便は 其侭真如実相か
般若心経を宗とする 竜樹菩薩の空々は これまた真理か実相か
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絶対真理の究明か 宗教学者の主張せる 死神死仏を葬りて
最後の光は墓を蹴り 蘇へらすは五六七神 胎蔵されし天地の
根本改造の大光明 尽十方無碍光如来なり 菩提樹の下聖者をば
起たしめたるは暁の 天明閃く太白星 東の方の博士をば
馬槽に導く怪星も 否定の闇を打破る 大統一の太陽も
舎身供養の炎まで 残らず五六七の顕現ぞ 精神上の迷信に
根ざす宗教は云ふも更 物質的の迷信に 根ざせる科学を焼き尽し
迷へる魂を神国に 復し助くる導火線と 秘かに密かに唯一人
二人の真の吾知己に 注がむ為の熱血か 自暴自爆の懺悔火か
吾は知らずに惟神 神のまにまに述べ伝ふ 心も十の物語
はつはつ爰に口車 坂の麓にとどめおく あゝ惟神々々
御霊幸はへましませよ
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頭が割れそうに痛む。手をやるとべっとり血だ。大声で泣いた。さすが生きていくのがいやになった。細かい霧の粒が流れる。眼下の犬飼川も小幡神社の森も、深い霧の中でけむっている。穴太寺の本堂の薨と多宝塔が雲上に浮いている。ピッキュイ、ピッキュイと鋭く鳥が鳴き渡る。肌も見えぬほど深く苔むした岩のかたわらに、げんのしょうこが桃色の花をひらいている。
仙人になりたいと喜三郎は思った。七代前の応挙はんも、こんな風景を見たに違いない。九つの時に小僧にやられ、わしみたいに山に逃げて、仙人の群を夢みたかも知れない。が、いかに密度の濃い霞を吸っても、喜三郎の腹は減るばかり。風流心もここまでで、再び涙が出てきた。
陽がのぼり霧が薄れてきた頃、小幡神社の脇道から登ってくる人影があった。あわてて薮にもぐり込むと、
「飯やでよう、喜三やーん」と、伯母賀るの声だ。
めしの言霊に引き戻されて出る鼻先に、かおり高い青紫蘇で巻いた握り飯が二箇。物も言わずにむさぼった。
「喜三やん、父さん好きか」と、賀るが聞いた。
う、うんと、飯をのどに詰まらせた。
「父さん恐いか」
う、うんとうなづきかけ、賀るを見上げた。
「そうやろなあ……ほんまはお前は……」と、言いかけて、賀るは目頭をおさえた。それから声をひそめ、
「伯母さんとよそへ行かへんか」
喜三郎は眼を丸くした。
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<第6章 浮島の怪猫>
【大正13年12月27日 綾部祥雲閣にて口述筆記】
(文中 アケハルの岩とは、明治の天皇制国家権力が想定されており、また虎猫夫婦とは明治天皇のすり替え 大室寅之祐と皇后 一条美子とされる。)
波切丸は万波洋々たる湖面を、西南を指して、船舷に鼓を打ち乍ら、いともゆるやかに進んでいる。天気晴朗にして春の陽気漂ひ、或は白く或は黒く或は赤き翼を拡げた海鳥が、或は百羽、千羽と群をなし、怪しげな声を絞って中空を翔めぐり、或は波間に悠然として、浮きつ沈みつ、魚を漁っている。アンボイナは七八尺の大翼を拡げて一文字に空中滑走をやっている。その長閑さは天国の楽園に遊ぶの思いがあった。前方につき当ったハルの湖水第一の、岩のみを以って
築かれた高山がある。国人は此の島山を称して浮島の峰と称へている。一名夜光の岩山ともいう。船は容赦もなく此の岩山の一浬許り手前迄進んで来た。船客は何れも此の岩島に向って、一斉に視線を投げ、此の島に関する古来の伝説や由緒について、口々に批評を試みている。
甲 『皆さま、御覧なさい。前方に雲を凌いで屹立している。あの岩島は、ハルの湖第一の高山で、いろいろの神秘を蔵している霊山ですよ。昔は夜光の岩山と云って、岩の頂辺に日月の如き光が輝き、月のない夜の航海には燈明台として尊重されたものです。あのスックと雲を抜出た山容の具合といひ、全山岩を以て固められた金剛不壊の容姿といひ、万古不動の霊山です。此の湖水を渡る者は此の山を見なくちゃ、湖水を渡ったといふ事が出来ないのです。』
乙 『成程、見れば見る程立派な山ですな。併し乍ら、今でも夜になると同じよに光明を放つているのですか。』
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