第2代の綏靖天皇から第9代の開化天皇までは『古事記』『日本書紀』ともに系譜記事のみで、物語的な記事がほぼありません。これを欠史八代と呼び、古代の謎とされていますが、これは日本神話と結び付けて考えることで理解出来そうに思います。
即ち、ここには神武を祖先とする崇神天皇までの10代が一豪族から天皇(大王)に上りつめるまでの過程が詳しく書かれていたが、その過程を隠し、当初から神の子孫として列島を支配していたという神話を前に置いたと考えられるのです。
神武という人物は前漢の劉邦のような、出自のよく分からない人物だったかもしれません。これは一つの考え方ですが、崇神天皇の初期の疫病大流行で語り部たちが全滅し、過去が分からなくなった可能性もあります。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
即ち、ここには神武を祖先とする崇神天皇までの10代が一豪族から天皇(大王)に上りつめるまでの過程が詳しく書かれていたが、その過程を隠し、当初から神の子孫として列島を支配していたという神話を前に置いたと考えられるのです。
神武という人物は前漢の劉邦のような、出自のよく分からない人物だったかもしれません。これは一つの考え方ですが、崇神天皇の初期の疫病大流行で語り部たちが全滅し、過去が分からなくなった可能性もあります。
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コメント一覧 (16)
「やっぱり無理やなあ。こんなこと聞かなんだことにしといてや」
思えば賀るは、四十をとうに過ぎていた。いつも陽のあたらぬ家の隅か、小作田に追われている。誰も邪険にはしない代わり、影のような存在になっていた。
「よそって、どこ行ってん」
喜三郎は改めて伯母をみつめた。
「どっこも行きとうないのやけど、うちみたいなもんでも嫁に貰てくれてん人があるさけ……」
消え入りそうに、伯母は言った。いかにも心細げであった。
――伯母はん、一緒に行っちゃる。
衝動的に出かかる言葉を、喜三郎はこらえた。祖母と母の顔が瞼に浮かんだのだ。
それから、四、五日して、賀るはひっそりと嫁入った。嫁入りとも世間にはふれない。千代川の今津まで、喜三郎は両親と共に見送った。
喜三郎は魚捕りが図抜けてうまかった。学校がひけると川に走った。はや・もろこ・もと・がんつ・しゃりかん・口ぼそ・ふな・こい・ぎぎ・ごり・うなぎ・なまず……水にもぐり浮き上がる時は、きまってどれかを握っていた。捕った魚は鰓から口へと小笹を通して、重そうに腰にぶら下げる。すんなりした股のあたりに、まだぴくぴくはねている魚もある。
通りかかった漁夫の文助熊が羨ましげに言った。
「喜三公、ようけ捕ったのう」
「お前はどうじぇ」
喜三郎が聞くと、文助熊は恥ずかしげに、自分の魚篭を背にかくした。
狭い穴太に、熊という男が二人いた。この漁夫の熊さんは、前に喜三郎が落ちた棗の木の持主文助爺さんの息子で、別の熊さんと区別するため、文助熊と呼ばれた。親子とも、未練たらしく丁髷を頭に乗せている。
「喜三公、それだけ雑魚がとれたら、雑魚とりしても食うに困らんのう。なんぞ骨があるのんけ」
喜三郎はにやっと笑った。
「おっさん、雑魚捕りで食うにゃったら、背の輪を下ろしたらええのや」
(大地の母 青春の詩)
capelaurig
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其の中心から東へ移って了ったといふ事です。万古不動の岩山も根がないと見えて浮島らしく、余り西風が烈しかったと見えて、チクチクと中心から東へ寄ったといふ事です。』
乙 『成程文化は東漸するとかいひますから、文化風が吹いたのでせう。併し日月星辰何れも皆西へ西へ移って行くのに、あの岩山に限って、東へ移るとは少し天地の道理に反しているじゃありまぬか。浮草のやうに風に従って浮動する様な島ならば、何程岩で固めてあっても、何時沈没するかしれませぬから、うっかり近寄るこた出来ますまい。』
甲 『あの山の頂きを御覧なさい。殆ど枯死せむとする様なひねくれた、ちっぽけな樹木が岩の空隙に僅かに命脈を保つているでせう。山高きが故に尊からず、樹木あるを以て尊しす・・・とかいって、何程高い山でも役に立たぬガラクタ岩で固められ、肝心の樹木がなくては、山の山たる資格はありますまい。せめて燈明台にでもなりや、山としての価値も保てるでせうが、大きな面積を占領して、何一つ芸能のない岩山ではサッパリ話しになりますまい。それも昔の様に暗夜を照し往来の船を守って安全に彼岸に達せしむる働きがあるのなれば、岩山も結構ですが、今日となっては最早無用の長物ですな。昔はあの山の頂きに特に目立って、仁王の如く直立している大岩石を、アケハルの岩と称へ、国の守り神様として、国民が尊敬していたのです。それが今日となっては、少しも光がなく、おまけに其の岩に、縦に大きなヒビが入って何時破壊するか分らないやうになり、今は大黒岩と人が呼んで居ります。世の中は之を見ても、此ままでは続くものではありますまい。
capelaurig
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手を丸くして仏の光輪を示し、喜三郎はまじめくさって言った。
「後光がさしたら、魚がびっくりして逃げよる。仏は生ぐさが嫌いやでのう。そやさけ仏心を捨てて、雑魚と同じ仲間になったらええねん。ほったら魚の方から身をまかしてきよる。これが雑魚捕りの骨や」
「ほうかあ」と、文助熊は、分ったような分らぬような顔をした。
「よう観とってみい、大川におる魚でも、小川におる魚でも、いっせいに水面に浮かんでくる時がある。この時をはずさんとパッと網を入れたら、大漁まちがいなしやで」
「ほんまやのう。ほんなら握りの時はどないするのんじぇ」
「魚が頭をもたげて来た時に、頭の方から電光石火的にチャッとつかんだらええのや。そっと狙って捕ろうとするさけ、逃げられてしまう。要するにやな、魚の逃げる時間よか、こっちのつかむ時間が早かったら、捕れるのはあたり前やろ」
「そうや、あたり前や。おおきに」
文助熊は手をうった。最後の説明は、ぐんと腹にしみて納得した。
ある日、土淵で、三尺有余の大なまずに抱きつき、格闘のすえ捕えた。友達が珍しがって、「売ってくれ」と口々にせがんだ。だが喜三郎は両親に見せて自慢したいばかりに、大なまずを抱いて、やっこらやっこら持ち帰った。皆は驚き喜三郎の腕前に感心したが、祖母宇能だけは苦い顔をした。
「喜三や、このなまずは弁天さまのお使いやで。すぐ元の場所に放してやんな」
だが喜三郎は未練が残り、一晩だけのつもりで盥に入れておいた。大なまずは頭と尻尾がつかえて、背が弓なりである。
「弁天さまの使いなら、使いらしゅうもの言えやい」と、喜三郎はなまずの背を撫でるのだった。
翌朝みると、なまずはそのままの形で、微動もしなかった。肌は鼠色に褪せ、さわるとぬれっと剥げそうで醜悪であった。さすが喜三郎も食う気がせず、後悔にうちのめされつつ土中に埋めた。
capelaurig
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乙 『あの岩山には何か猛獣でも棲んでいるのでせうか。』
甲 『妙な怪物が沢山棲息しているといふ事です。そして其の動物は足に水かきがあり、水上を自由自在に遊泳したり、山を駆け登る事の速さといったら、丸切り、風船を飛翔したやうなものだ・・・との事です。昔は日の神、月の神二柱が、天井より御降臨になり八百万神を集ひて、日月の如き光明を放ち、此の湖水は素より、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を払ひ、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人があの岩山を尊敬していたのですが、追々と世は澆季末法となり、何時しか其の光明も光を失ひ、今や全く虎とも狼とも金毛九尾とも形容し難い怪獣が棲息所となっているさうです。それだから吾々人間が、其の島に一歩でも踏み入れやうものなら、忽ち狂悪なる怪獣の爪牙にかかって、血は吸はれ、肉は喰はれ骨は焼かれて亡びると云って恐がり、誰も寄りつかないのです。風波が悪くって、もしも船があの岩島にブツかかろうものなら、それこそ寂滅為楽、再び生きて還る事はできないので、此頃では、秘々とあの島を悪魔島と云っています。併し大きな声でそんな事言はうものなら、怪物が其の声を聞付けて、どんなわざをするか分らぬといふ事ですから、誰も彼も憚って、大黒岩に関する話を口を閉じて安全無事を祈っているのです。あの島がある為に、少し暴風の時は大変な大波を起し、小さい舟は何時も覆没の難に会うのですからなア。何とかして、天の大きな工匠がやって来て大鉄槌を振ひ、打砕いて、吾々の安全を守ってくれる、大神将が現はれ相なものですな。』
<第67巻 浮島の怪猫>
capelaurig
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「弁天さまのお使いの祟りやで。喜三は魚を食べることより、捕る面白さで夢中になっとってやろ。それを殺生というのや。もう殺生はやめにせなあかん」と説教すると、急いで氏神さまにお詫びに出かけた。その留守中、文助熊が縁先から不景気な顔を出した。
「喜三公、どえらい大なまず捕ったんやてのう。いっぺん拝ましてくれんこ」
「あかん、もう死んでもた。それがごつい仇ンしくさってのう」と言い、顔をしかめて寝返ると、
「どうや、雑魚捕り、うもうなったけ」
「なかなか。つかむよか雑魚の逃げ足の方がやっぱり早いでのう」と、照れたようにつるんと顔をなでる。
「そうけ、まあ練習せいや。ところでおっさん、なまず持っとってやないけ」
「ちっこいのがあるで」
文助熊の桶には、小さななまずが数匹泳いでいた。
「弁天の使いもくそもあるけえ」
値切って、五厘で数匹の小なまずを買った。喜三郎は半ばなまずに復讐し、半ば祖母の迷信に抗する気で、病む身を起こし、こっそり醤油で煮て食った。その夜から二昼夜、激痛のために呻き通し、ようやく腫れ物が破れて痛みは去った。以来、なまずと聞くさえ身震いする。
泥鰌は死ぬまで好きだった。生きたまま呑みこみ、胃の中でくるくる回転しもがく感触も再三知っている。ただし泥鰌の生食は人を驚かしたい茶目気からで、嗜好のためなら、泥鰌汁か柳川に限る。
じょうれん(竹の箕)を持って、しばしば泥鰌捕りをした。溝をあさり、泥の中を手さぐりもした。
ある日、ぬるっと長い物をつかんだ。今夜は鰻飯やと胸を踊らせながら、鰓と胴を持ち上げてキャッと叫んだ。青蛇だった。投げ出すひょうしに後の泥田に尻から落ちた。顔も尻も泥まみれの気味わるさに、そばの古池に着物のまま跳びこんだ。(大地の母 青春の詩)
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甲 『あの岩山は時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を暗に包んで了う事があるのですよ。其の噴煙には一種の毒瓦斯が含有していますから、其の煙に襲はれた者は忽ち禿頭病になり、或は眼病を煩い、耳は聞こえなくなり,舌は動かなくなるといふ事です。そして腹のすく事、咽喉の渇く事、一通りじゃないさうです。そんな魔風に、折あしく出会いした者は可い災難ですよ。』
乙 『丸っ切り蛆蜒か、蛇蠍の様な恐ろしい厭らしい岩山ですな。なぜ天地の神さまは人民を愛する心より、湖上の大害物を除けて下さらぬのでせうか。あって益なく、なければ大変、自由自在の航海が出来て便利だのに、世の中は、神様と雖、或程度迄は自由にならないと見えますな。』
甲 『何事も時節の力ですよ。金輪奈落の地底から突き出てをったといふ、あの大高の岩山が、僅かの風位に動揺して、東へ東へと流れ移る様になったのですから、最早其の根底はグラついているのでせう。一つレコ-ド破りの大地震で勃発したら、手もなく、湖底に沈んで了ふでせう。オ、アレアレ御覧なさい。頂上の夫婦岩が、何だか怪しく動き出したじゃありまぬか。』
乙 『風も吹かないのに、千引の岩が自動するといふ道理もありますまい。舟が動くので岩が動くやうに見えるのでせう。』
甲 『ナニ、さうではありますまい。舟が動いて岩が動くやうに見えるのなれば、浮島全部が動かねばなりますまい。他に散在している大小無数の島々も、同じ様に動かねばなりますまい。岩山の頂上に限って動き出すのは、ヤツパリ船の動揺の作用でもなければ、変視幻視の作用でもありますまい。キッと之は何かの前兆でせうよ。』
乙 『さう承はれば、いかにも動いて居ります。
<第67巻 浮島の怪猫>
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喜三郎の御難を語ればきりがない。今までの悪戯や失敗談すら、わずか十歳から十三歳までの三、四年の出来事だ。これからもよく転び、怪我をし、懲りずに悪戯を繰り返す。これを作者の虚構と疑わないでほしい。すべて喜三郎本人が歌集〈故山の夢〉等で告白したり、穴太の古老達の語り伝えることであるから。
しかし失敗や悪戯の絶え間ない中にも、喜三郎の心をとらえるのは言霊学である。祖母宇能によって蒔かれた言霊学の芽が、ほどよい土壌を得たように伸びていた。一つ一つの言葉は難解であっても、その大意は理解することができた。絶えず模索していた。
――この宇宙に満つる天地進展の不断の轟き、森羅万象一切を生成化育する微妙の音声。
鳴り鳴りて鳴り止まざるその言霊を聞こうとして、一人山へ上がった。穴太の山野は、それを聞くに恰好の地であった。
――いつの日か真の言霊を我が物として風雨雷霆を叱咤し、天地をも動かす力を得よう。
宇宙大旋回の発する生言霊の轟音に合わせて、「アーオーウーエーイー」と思うさま声を上げる。清しく力強く山上から発する少年の五大父音が互いに響き合い、山々にこだまし合って、さらに天に向かって広がりながら吸われていく。
――火と水を舫い、天と地を与み、男と女と舫い、神と人と与み、万物固成する……。
一人となえつつ、喜三郎は天地剖判の太古を想って胸ふるわせた。
「喜三公が山のてっぺんで、一人ぶつぶつ言うとったぞ」
「俺がみた時は、ごつい声でわめいとった」
「いや、口をぽかんとあけて、いつまでも空を見とった。声をかけても気がつかへん」
「ありゃ、たしかどっか足らんのやないか。普通やないでよ」(大地の母 青春の詩)
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甲 『成程妙だ。段々下って来るじゃありませぬか。岩かと思へば虎が這うている様に見え出して来たじゃありませぬか』
乙 『いかにも大虎ですわい。アレアレ全山が動揺し出しました。此奴ア沈没でもせうものなら、それ丈水量がまさり、大波が起って、吾々の船も大変な影響をうけるでせう。危ない事になって来たものですワイ。』
かく話す内、波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下って来た。よくよくみれば牛の様な虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして、睨み乍ら、逃げる如く湖面を渡って夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。俄に浮島は鳴動を始め、前後左右に、全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時許りの内に水面に其の影を没して了った。余り沈没の仕方が漸進的であったので、恐ろしき荒波も立たず、波切丸を前後左右に動揺する位ですんだ。一同の船客は此の光景を眺めて、何れも顔色青ざめ、不思議々々々と連呼するのみであった。此の時船底に横臥していた梅公宣伝使は船の少しく動揺せしに目を醒ましヒョロリヒョロリと甲板に上がって来た。さしもに有名な大高の岩山は跡形もなく水泡と消えていた。
梅公は船客の一人に向って、『風もないのに、大変な波ですな。どっかの島が沈没したのぢゃありませぬか。』
甲 『ハイ、貴方、あの大変事を御覧にならなかったのですか。随分見物でしたよ。昔から日月の如く光っていた頂上の夫婦岩は俄に揺るぎ出し、終いの果には大きな虎となり、磯端へ下って来た時分には猫となり、波の間を浮きつ沈みつ、西の方へ逃げて行ったと思へば、チクリチクリと島が沈み出し、とうとう無くなって了ひました。』
<第67巻 浮島の怪猫>
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