歴史は難しいものです。歴史は進歩するものであり、世界は良くなっていくと信じたいですが、どうも世界の実相はそうではないように思われます。
歴史は絶え間ない変化の連続であり、そこに一貫した流れを見出だすことは出来ないという方が真実に近いと思われるのです。私の個人的な人生を振り返ってみても、常に行き当たりばったりの繰り返しであり、今後もそうであろうと思います。
実相が捕らえ難いものであるからこそ、進歩にせよ退歩にせよ、何らかの物語が求められるのではないでしょうか。そうしないと人間は時間を認識することができないからです。しかし一つの物語で世界を理解することは本来は不可能なことであり、必ず破綻します。そうすると新たな物語が必要となります。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
歴史は絶え間ない変化の連続であり、そこに一貫した流れを見出だすことは出来ないという方が真実に近いと思われるのです。私の個人的な人生を振り返ってみても、常に行き当たりばったりの繰り返しであり、今後もそうであろうと思います。
実相が捕らえ難いものであるからこそ、進歩にせよ退歩にせよ、何らかの物語が求められるのではないでしょうか。そうしないと人間は時間を認識することができないからです。しかし一つの物語で世界を理解することは本来は不可能なことであり、必ず破綻します。そうすると新たな物語が必要となります。
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コメント一覧 (17)
仁孝天皇(1800~1846)の猶子であり、皇統を継続させる世襲親王家の制度として孝明天皇(1831~1867)より4歳年下で、大正天皇が生まれる(1879)まで皇位継承権第一位にあった。
1867年孝明天皇、睦仁親王(明治天皇)が相次いで、岩倉具視・伊藤博文に暗殺され、大室寅之祐(1850~1912)が明治天皇にすり替わる。
丹波は京の女官供給源であった。熾仁親王の母・佐伯祐子は京都亀岡佐伯の出身である。亀岡穴太出身の出口王仁三郎(1870~1948)母上田よねは和宮にも会っていたという。よねの叔父が営む伏見の船宿で二人は結ばれる。男の子なら殺されると出生は極秘にされ、よねはご落胤を隠す為、養子を迎える。第2次大本事件2審公判でご落胤問題が遡上に上がる。王仁三郎が熾仁親王の遺児だというのは不敬罪になると、国家権力はすごんだが、あまり深く追求できなかった。元はと言えば、西園寺公望・昭和天皇(公望の養子西園寺八郎が実父)の画策で皇位継承権のあった王仁三郎を追い落とす弾圧だった。
王仁三郎には男の子はいない。事実上皇統は絶えた。天皇制の継続は税金の無駄使いでしかない。
capelaurig
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<夫婦連れの虎猫は波切丸を目をいからして、西方指して浮つ沈みつ逃げていく。>西方とは西方浄土を指す。波切丸は救いの船である。夫婦連れの虎猫は溺れ死ぬとは書かれていない。逃げていくとの表現は救いの船に助けられることを示唆している。目を生からしては、救いの船に救済を求める目でもある。
アケハル(明治)の岩が大黒岩となり、大黒岩は水中に没してしまうという大預言が示されている。大室寅之祐からすり替わった明治天皇と、維新の陰謀を承知して一味同心した皇后、一条美子の二人が亡くなり、偽りの天皇像を演じて国民を欺いた明治時代は終焉する。天皇制が崩壊するキシミが聞こえ始め、短い大正時代は好況と不況の狭間の中で、狂い咲きの文化が束の間の享楽に国民を酔わせ、やがて来る昭和初期の破滅的で暗い閉塞時代の到来を予感させる。
出口王仁三郎は神と人について、明確に教示し、大本の神観の基本が宇宙の根源は活動力にありと説き、吾々が崇拝黙祈すべき神は主なる神であり、創造神でなければならない。霊体一致の権威は万世の基本を樹立すと結んでいる。
capelaurig
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生来の差別愛より
神的なる 平等愛に進む径路は
実に 惨憺たる血涙の道を行かねばならぬ
これが不断煩悩得涅槃の
有難い消息が秘められてあるのだ。
王仁三郎の「信仰」という詩は、あまりに深すぎて。私のような凡人の解釈すべきものではありませんね。
ただせっかくだから一部のみ試みます。真の神。造物主の目指すものは 「宇宙の統一平和」です。
そして神とは「絶対愛」です。人間のような依怙贔屓のない絶対愛なのですね。
そうすると人間の愛は「差別愛」となります。
ということは、惨憺たる血涙の涙を超えて、私たちは神的なる平等愛にすすまなければならないと語っているのです。
ともすれば日本は神国だとか雛型だからとか日本は世界の天国だとか、私も含めて語りがちです。それが真実でもあるしね。
これがナショナリズムをもたらします。しかし神の意図はそれらをはるかに凌駕したものなのです。
王仁三郎は大神は天国においては太陽として現れ、霊国においては月として現れると語っています。
その太陽も月も霊体であり、神の実証なのですが、太陽は地上の万物に24時間365日間光と熱を休むことなく与え続けています。そこにエコひいてはありません。絶対愛なのです。
しかし人間の世界は差別愛の世界です。あの人を愛しているから沢山のお金を与え 嫌いになったから与えないというような。しょせん人間の愛とは愛の悪なのですね。それに対して神の世界では太陽と月の働きをみてわかるように
愛の善の世界・平等愛の世界なのですね。そこには利害打算などは一切ない。
capelaurig
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キリスト教は、欧米各国5億5千万人の精神を支配する宗教である。過去2千年来の惰力で、人心の根底に深く浸透し、牢乎として抜くべからざる慨がある。今の西洋文明にはギリシャ、ロ-マの思想が加味されているが、キリスト教の影響は更に有力で、更に深遠である。法律、政治、風俗、習慣、文芸芸術、その他社会万般の事物、1つとして之と没交渉なる事は出来ない。近世に於ける国家と教会の関係は、薄らいだように見受けられるが、それでも帝王の即位式には、その王冠を誰が捧げるかと言えば、キリスト教の僧侶が行うではないか。
ラファエルの絵画、ダンテの神曲、ミルトンの失楽園などは、世界を動かすに足る美術文芸であるが、キリスト教の精神を会得せざる者には、充分理解、翫味する事が出来ない。また
何のための安息日か、クリスマスか、復活祭か、キリスト教を知らぬ者には、到底欧米の風俗習慣を理解する事は出来ない。やれ赤十字、宗教戦争、新旧2派の争い、キリスト教を知らぬ者には、欧米の歴史は何の事やら分らない。このキリスト教の本源は他でもないユダヤ教である。
イスラエル民族は、由来憐れむべき民族で、団結力の強固ならざる12士族より成り、分裂瓦解し、軍隊、法律は国の独立を保てず、その結果、神に縋って保護を求め、救済を願った。その惨状は実に目もあてられざるもので、随って宗教意識も非常に強烈を極めた。これがユダヤ教の出来た根本理由である。当時ユダヤ民族は、多神教のバビロン、エジプト、ギリシャ等に取り囲まれて居た。多神教徒は種々雑多の神々に奉事する結果、その信仰は動揺不安定に流れ、一心不乱の堅固なる信仰に入る事が出来ない。
capelaurig
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capelaurig
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4党と 市民が協力 総選挙 (柚っ子)
裁判も 原発村に 協力し (原子力ガリレオ)
協力金 金出す方は 非協力 (金狼と月)
総選挙 怒りのぶどう 皆で獲る (ふ64)
協力し 原発ゼロの 道開く (乾草)
特選
国こえた 霊よ集まれ 基地こわせ (小貧民)
「実り」の秀句
総選挙 実(じつ)の無いこと この上ナシ (金狼と月)
こわすなよ 太古の海の 豊穣を (小貧民)
話し合い 野党統一 実る秋 (柚っ子)
脱原発 実る日思い 座り込む (乾草)
事故前は 実りゆたかな 里でした。 (原子力ガリレオ)
特選
実りなき 総裁選の 猿芝居 (海の民)
capelaurig
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明治天皇は、伊藤博文が血のつながりのない大室寅之祐という男を山口から連れてきて明治天皇に据えたという説があります。
大室寅之祐は長州田布施の出身です。吉田松陰の南朝革命論で、大室の養育係だった伊藤博文は、南朝(後醍醐天皇)の忠臣菊池家の子孫、西郷隆盛が上洛の際、度々,大室家に案内している。
1866年12月25日、孝明天皇(北朝)そして1867年7月10日、明治天皇(睦人親王)は岩倉、伊藤により暗殺される。
御前会議と言っても伊藤の意に沿わないことを明治天皇が言うと、伊藤は持っている杖で机の下で明治天皇の足を軽く蹴飛ばすなどということがあったという。退位されるにしろ、新天皇即位にしろ、その儀式は、やはり「神事」そのものです。「人間天皇」を宣言されたはずですが、こういう儀式をしないといけないのはどういう理由なのでしょうか。それでいて平成天皇自身が「憲法に規定された象徴」とはどういう存在であるかを日々考え続けてきたと「告白」されているのですが。授業で京都御所を参観し、教授からいろいろな説明を聞いています。天皇の寝室には櫛形の窓が付いており、隣室では僧侶が「天皇に悪霊がつかないように」と夜通し念仏を唱えているというような説明でした。いやはや、こういう夜伽をしなければならなかった僧侶やされる天皇もたいへんだなあと思ったものでした。
capelaurig
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「約五百の企業を育て、約六百の社会公共事業に関わった『日本資本主義の父』。青天を衝(つ)くかのように高い志を持って未来を切り開き…『緻密な計算』と『人への誠意』を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた」(ネット:2021年大河ドラマ「青天を衝け」出演者発表!〈第1弾〉)とNHKは、世間で言われているのと同様に渋沢栄一を高く持ち上げている。しかし、渋沢栄一をモデルにしたと思われる霊界物語の慾野深蔵は「地獄道の大門口へ放り込」まれ、「トボトボと慾界地獄を指して進み行」っているのである。
霊界物語第五十巻(第一章「至善至悪」)に次のように示してある。
肉体人は如何なる偽善者も虚飾も判別するの力なければ、賢者と看做(みな)し、聖人と看做して、大いに賞揚することは沢山な例がある。
現界人は人を見る目がないということである。はたして、慾野深蔵のモデルが渋沢栄一であるのか、また、渋沢栄一も、偽善者を賢者・聖人と賞揚した例の一人ということになるのか。
capelaurig
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岩崎弥太郎から屋形船の宴席で、栄一は協同で造船所を経営する儲け話しを庶民の為にならぬと断ります。
また、養育院を維持する為、大きなカバンを持って寄付を募ります。
そして徳川慶喜の名誉回復の為、侯爵の位を用意しました。
確かに金儲けは上手でしたが、今の孫正義などとはちがうのでは。。
capelaurig
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まず、名前と叙位叙勲の履歴である。
①名前
〔霊界物語〕『其方は慾野深蔵と云つたな、幼名は渋柿(しぶがき)泥(どろ)右(う)衛門(ゑもん)と申さうがな』
霊界物語に出て来る名前は「渋柿泥右衛門」で、岩波新書に出て来るのは父親の名で「渋沢市郎右衛門」である。しかし、市郎右衛門は渋沢家で代々継ぐ名であり、渋沢栄一の名でもある。
〔岩波新書〕父は渋沢美雅といい、同時に当主として代々市郎右衛門を称していた。しかしながら栄一の父はこの家に生まれたわけではなく、村内随一の土地や財を保有している「東の家」と呼ばれた渋沢宗助の三男であり、婿養子に入って宗家を継いだのであった。
②叙位叙勲
〔霊界物語〕『俺をどなたと心得て居る。傷死位(しやうしゐ) 窘(くん)死(し)等(とう) 死爵(ししやく) 鬼族婬(きぞくいん)偽員(ぎゐん) 慾野深蔵といふ紳士だ』
慾野深蔵は自分を「傷死位 窘死等 死爵 鬼族婬偽員 慾野深蔵」と誇っている。これを実際に渋沢栄一が受けた叙位叙勲に当てはめてみる。
明治三十三年に受けた「正四位」が傷死位に、また、明治二十五年の「勲四等瑞宝章」が窘死等に、大正九年の「子爵」が死爵に、さらに明治二十三年の「貴族院議員」が鬼族婬偽員にそれぞれぴったり当てはまる。しかも、当ててある漢字が傷や死、窘(苦しむ)、鬼、婬(みだら)、偽などの悪い意味のものばかりである。これは渋沢栄一のことだろうか、あるいは叙位叙勲制度のことを言っているのであろうか。
capelaurig
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