私は宮沢賢治が特に好きなわけではありませんが、彼が書いた「私という現象」という言葉は好きです。
「私」は永久に固定された実体などではなく、一つの現象に過ぎません。人間の場合、一応は思う通りに三次元の空間内を移動できるので、そのように錯覚しやすいですが、時間内を移動することは出来ません。そもそも、宇宙や時空を離れた「私」というものは考えられません。
「私」に限らず、人間の言葉は主語と述語から成り、主語は固定された実体として扱われますが、そのような実体は何処にもありません。言葉は便利なものですが、あまり言葉に捕らわれ過ぎると、宇宙の実相を見誤ります。
これは主に自分に向けて書いている文章です。言葉の限界を自覚しながら、言葉を発信してゆきたいものです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
「私」は永久に固定された実体などではなく、一つの現象に過ぎません。人間の場合、一応は思う通りに三次元の空間内を移動できるので、そのように錯覚しやすいですが、時間内を移動することは出来ません。そもそも、宇宙や時空を離れた「私」というものは考えられません。
「私」に限らず、人間の言葉は主語と述語から成り、主語は固定された実体として扱われますが、そのような実体は何処にもありません。言葉は便利なものですが、あまり言葉に捕らわれ過ぎると、宇宙の実相を見誤ります。
これは主に自分に向けて書いている文章です。言葉の限界を自覚しながら、言葉を発信してゆきたいものです。
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コメント一覧 (16)
昭和六十三年に発覚したリクルート事件では、政治家九十人に賄賂として未公開株が譲渡されているが、渋沢も優先株を金を出さずに自分のものにしていると霊界物語は言っている。
優先株は、配当利益を優先的に受けることができる株である。明治時代は高配当政策により資本家の資産形成がなされており、当然優先株がその手段となる。渋沢も収入の六十パーセントを株式配当により得ているが、渋沢には他の財閥とは違い、株を買う資産は元々ない。優先株をただでもらったという霊界物語の説明は筋が通っている。
では、どのように優先株を渋沢は得たのか。明治時代の株主総会は経営側と株主との利害調整が大変であったという。そうした中、企業の創立総会で渋沢の名が力を発揮し、経営側を後押ししている。
「総会屋」と言えば響きが悪いが、助けた経営者から謝礼として優先株をもらっていたのか、あるいは要求していたのか、いずれにせよ、優先株を企業からただでもらえる立場に渋沢はあったということである。
〔岩波新書〕◇明治時代には会社の高配当政策によって資本家の資産形成がなされた。渋沢においては家計に占める保有株式からの配当収入が大きく、渋沢の収入は、その六〇%強を保有する会社の株式配当などから得て。財閥や大商家、大地主のような富の源泉を持たない渋沢。
◇明治期の株主総会は、株主の利害の相違の表明があり。経営者と出資者の利害が著しく対立して紛糾する局面ともなった。特に創立総会において役員の決定を後押しすることが渋沢に期待された大きな役割であった。私欲の渦巻く中で発起メンバーの意思を通すために「渋沢栄一」の名が果たした役割は小さくなかった。
capelaurig
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霊界物語にあるように、個人への多額の貸金を積極的に行っているのも渋沢の資産形成の特徴である。また、「十円札の印刷」という語句が霊界物語にあるのを見ると、今度、一万円札に渋沢の肖像が用いられることが皮肉のように聞こえる。
〔岩波新書〕個人への融資に消極的な金融機関に代わって個人に対する多額の貸付を積極的におこなう渋沢。「匿名組合」への出資が株式会社への出資を上回っていて、個人への貸付が出資に迫るほどの多さであった。
〔霊界物語〕『慾にかけたら親子の間でも公事(くじ)を致したり、又人の悪口を針小棒大に吹聴致し、自己の名利栄達を計り、身上を拵(こしら)へた真極道だらう』
家の資産管理のために親子及びその配偶者という身内で定めた約束事により、長男を廃嫡している。廃嫡とは嫡子の相続権を廃することであるが、我が子の幸せよりも家の財産が大事ということである。その欲深さを霊界物語は指摘している。
「極道」とはヤクザである。霊界物語は渋沢を「人の悪口を針小棒大に吹聴し、自己の名利栄達を計って身上を拵(こしら)へた真極道」と酷評している。「青天を衝(つ)くかのように高い志を持ち、人への誠意を武器にする」という世間の評価とは真反対の人物だということである。まさに「肉体人は如何なる偽善者も虚飾も判別するの力なければ」と霊界物語第五十巻にあるとおりである。
〔岩波新書〕渋沢同族会は、「同族の財産及年々の出入を監督せしむる」目的で、正式な渋沢の家族の資産管理をおこなっていた。同族会は課された役割を果たせないメンバーは嫡男といえども排除するという厳格な運用が課せられ。明治四十五年一月、栄一の長男・篤二の廃嫡方針を同族会で決定した。
capelaurig
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渋沢は、韓国の京釜鉄道株式会社などの取締役に就いている。文春文庫では、渋沢は前経営者の人夫虐待に憤慨したとあるが、「殺人鉄道」とあるように渋沢も人夫を虐待しながら敷設工事を行ったのかもしれない。鉄道が軍事目的であったことを指して「殺人鉄道」と言っているのかもしれない。
〔文春文庫〕渋沢社長は韓国に渡りて親しくモールスの工事を視察したるに、就中韓人夫を虐使するの弊甚だしく。渋沢はモールスの工事に憤慨し、人夫たちの待遇改善を要求した。京仁鉄道合資会社と組織を変更し、渋沢がその取締役社長に就任した。明治三十二年五月のこと。渋沢は、軍事目的で鉄道を敷設したがっている山県・桂の政策に乗る形で、政府の補助と援助を引き出す。三十四年六月には、京釜鉄道株式会社を設立し、自ら取締役会長に収まった。
このように欲深い極道となったことを、慾野深蔵は「娑婆の規則に依つて止むを得ず優勝劣敗的行動を致し」とか、「社会の組織制度が、さうせなくちやならない様に」など、娑婆世界のせいにしている。また、法律の内容や精神が「法文の裏をくぐるべく仕組まれて」あり、「之をうまく切抜ける者が、娑婆の有力者と云ふ者」だと開き直っている。
慾野深蔵は慾界地獄に進むが、出口王仁三郎聖師が霊界に行かれた時、古今の英雄豪傑などと言われた人々が、実は現界で自愛と世間愛に惑溺し神を認めなかったため、霊界で哀れな姿でいるのを見ておられる。
霊界を見聞したる時、わが記憶に残れる古人又は現代に肉体を有せる英雄豪傑、智者賢者といはるる人々の精霊に会ひ…彼等の総ては自愛と世間愛に在世中惑溺し、自尊心強く且(かつ)神の存在を認めざりし者のみなれば、霊界に在りては実に弱き者、貧しき者、賤しき者として遇せられつつあつた…
〔第五十巻第一章「至善至悪」〕
capelaurig
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治国別、竜公両人は伊吹戸主の神の関所に於て優待され茶果を饗応せられ、少時休息してゐると、其前をスタスタと勢よく通りかかつたデツプリ肥えた六十男がある。赤顔の守衛はあわてて、其男を引きとめ、『コラ待てツ』
と一喝した。男は後振返り、不機嫌な顔をして、
『何だ天下の大道を往来するのに、待てと云つて妨げる不道理な事があるか、エー、俺をどなたと心得て居る。傷死位 窘(くん)死等 死爵 鬼族婬偽員 慾野深蔵といふ紳士だ。邪魔を致すと、交番へ引渡さうか』
『オイ、其方はここをどこと心得て居る』
『言はいでもきまつた事だ。野蛮未開の北海道ぢやないか』
『其方は何うして此処へ来たのだ』
『空中視察の為、飛行機に乗つて居つた所、プロペラの加減が悪くて、風波でこんな方へやつて来たのだ。何(ど)うだ俺を本国へ案内してくれないか、さうすりや腐つた酒の一杯も呑ましてやらぬこともないワイ』
『コリヤコリヤ慾野深蔵、ここは冥途(めいど)だぞ、天(あめ)の八衢(やちまた)を知らぬか』
『鳴動も爆発もあつたものかい、そんなメードウな事を云ふない、俺こそはフサの国に於て遠近に名を知られた紳士だ……否紳士兼紳商だ。男のボーイに酒をつがす時には男酌閣下で、自分一人ついで呑む時には私酌閣下だ。エヽーン、そんなおどし文句を並べて、鳴動だの、破裂だのと云はずに、俺の案内でもしたらどうだ、貴様もこんな所で二銭銅貨の様な顔をして、しやちこ張つて居つても、気が利かぬぢやないか。銅銭ロクな奴ぢやあろまいが、俺も大度量をオツ放り出して、椀給で門番にでも救うてやらう』
capelaurig
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『さうすると、此処はヤツパリ冥途でげすかなア』
『気がついたか、貴様は積悪の酬(むくい)に仍(よ)りて、地震の為に震死した震死代物だらう』
『成程、さう承はれば朧げに記憶に浮かむで来ますワイ。飛行機に乗つたと思つたのは……さうすると魂が宙に飛んだのかな』
赤面(あかづら)の守衛は帳面をくりながら、
『其方は慾野深蔵と云つたな、幼名は渋柿泥右衛門と申さうがな』
『ハイ、ヨク、深い所まで御存じで厶(ござ)いますなア、それに間違ひは厶いませぬ』
『其方は娑婆に於て、殺人鉄道 嵐脈(らんみゃく)会社の社長兼取締役を致して居つたであらう』
『ハイ其通りで厶います』
『優先株だとか、幽霊株だとか申して、沢山な蕪(かぶら)や大根を、金も出さずに吾物に致しただらう』
『ハイそんな事もあつたでせう、併(しか)しそれを致さねば現界に於ては、鬼族院偽員になる事も出来ず、紳士紳商といはれる事も出来ませぬから、娑婆の規則に依つて止むを得ず優勝劣敗的行動を致しました、コリヤ決して私の罪ではありませぬ、社会の罪で厶います、何分社会の組織制度が、さうせなくちやならない様になつてゐるのですからなア』
『馬鹿申せ、そんな法律が何時発布されたか』
capelaurig
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と云ひながら、大股にふん張つて、関所を突破せむとする。
此騒ぎに伊吹戸主の神は関所の窓をあけて、一寸覗かせ給うた。慾野深蔵は判神(はんしん)の霊光に打たれて、アツと其場に悶絶し、蟹の様な泡を吹いて苦み出した。忽(たちま)ち館の一方より数人の番卒現はれ来り、慾野深蔵の体を荷車に乗せ、ガラガラガラガラと厭らしき音をさせながら、何処ともなく運び去つた。之は地獄道の大門口内へ放り込みに行つたのである。
capelaurig
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わたし個人が「おまえこそ13歳だろ」と人から言われたら、自分は否定しない、恥ずかしいとも思わない。還暦も近い年齢に達したわたしだが、世の中は知らないことばかり、知らないことがほとんど。自分は無知だ。
なんで?どうしてそうなるんだ?つねに答えを探ろうとするのはまさに13歳にふさわしい自然な態度だと思う。
学校では「正しいと思うことはキチンと主張しなさい」家庭では「ウソをついてはいけません」と言われるのが、その年頃ではないだろうか。
「世のなかは理不尽にできてるもんだ。ウソとホントが判然としないところでウソをつける人間が世のなかをうまく渡ってゆけるんだよ、青いなぁキミは」などと、悟り顔でいう老人に自分がなるのは御免こうむる。
さて置いて、日本人は13歳、となると、個人に向けられたものとはまったく意味合いがちがってくる。
「皇国2600年の俺たちが、建国わずか200年のお前らからそんなこと言われて黙っていられるか!!マッカーサーよ、俺はお前のその偉そうな態度に腹立てる。しかし感謝もする。なぜって、もし俺みたいな青二才がおなじことを言ったところで誰も聞く耳を貸す者はないからだよ。あんたの口からでた言葉だからこそ、快・不快はあるにせよ、みんな耳を傾ける、そういう国民だ日本人は」
capelaurig
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砂川事件とはどのようなものであったのか、ザッとおさらいしてみるとつぎのような次第。
米軍立川基地の拡張に反対する一部住民らが、柵を破壊して基地に侵入し、逮捕されたというもので、事件それ自体は平凡で些細なことなのだが、裁判が、駐留米軍は憲法9条に違反しているか否か、という論争に発展したことで、世間からにわかに注目を集めることとなった。
最高裁大法廷は、砂川事件の伊達判決を破棄した1959年12月の判決で、憲法9条は戦争を放棄し、戦力保持を禁じているが、「主権国として持つ【自衛権】は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して【無防備、無抵抗】を定めたものではない」との解釈を示しました。
また9条2項の戦力不保持は、永久に放棄した【侵略戦争】を引き起こせないようにするためであり、保持が禁止された戦力とは、日本が【指揮権、管理権を行使できる戦力】と定義しました。
そうすると、日本に指揮権も管理権もない【駐留米軍は戦力に当たらない】として、戦力と認めて憲法違反とした伊達判決を退けました。
一方、伊達判決では、米国の戦略で駐留米軍が他国に出動し、日本が直接関係のない武力紛争に巻き込まれる危険があるなどとして、米軍駐留自体が憲法の平和主義に反すると判断されました。
これに対し最高裁は、米軍駐留の根拠となる日米安保条約には、日本の存立の基礎に重大な関係を持つ【高度の政治性】があり、一見して明らかに憲法違反で無効と認められない限りは裁判所による【司法審査権の範囲外】という考え方を明らかにしました。
こうした考え方は【統治行為論】と呼ばれます。
capelaurig
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