帰郷と総選挙が、たまたま同じ日になりました。ハロウィーンなる西洋の祭りとも同じだったようですが、特に興味はありません。
住所を変えるのは6回目になります。平成2年には東京から帰郷しましたが、あの頃は精神的には良くない状態でした。今でも良くなったわけではありませんが。
両親は施設と病院にいるので当分は一人で住むことになります。仕事もそのまま続けられる見通しです。
選挙は期日前投票をしました。現在の日本はグローバリズムがあまりに優勢なので、反グローバリズムの勢力がもう少し伸びるべきだと思っています。結果は良くないですが、未来に希望を持って生きていきたいものです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
住所を変えるのは6回目になります。平成2年には東京から帰郷しましたが、あの頃は精神的には良くない状態でした。今でも良くなったわけではありませんが。
両親は施設と病院にいるので当分は一人で住むことになります。仕事もそのまま続けられる見通しです。
選挙は期日前投票をしました。現在の日本はグローバリズムがあまりに優勢なので、反グローバリズムの勢力がもう少し伸びるべきだと思っています。結果は良くないですが、未来に希望を持って生きていきたいものです。
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コメント
コメント一覧 (14)
自民党やら公明党支持のおばさん達が、期日前投票に出かける姿が変わりませんね。政策やら経済など興味は無く、もっぱら世間話を好み、現世謳歌する事が生き甲斐のようです。彼女達に立憲民主党という難しい漢字を書かせるのは不可能です。自民党、公明党、簡単な表記に流れますね。
日本の衆愚政治は当分続きますが、同時にレベルダウンが進行し、このまま300年後には少子化により日本人が居なくなるようです。末法の世を縮めて、大本の教えにより、弥勒の世が来るはずです。諦めてはおりません。
capelaurig
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近代の科学に用うる名称とて、外形こそ異なれ、その真相に於ては敢て変りはない。エネルギー、引力、潜在意識など偶像ではないが、気の利いた偶像の代理である。かかるものは人間の作ったもので、一つの心理作用に外ならぬから、到底信仰につなぐ力はない。
吾々はどうあっても、この国民信仰の堕落を救わねばならぬ。健全なる信仰を復活せしめ、やがて世界の宗教統一を実現すべき使命は、どうあっても、我日本に在らねばならぬ。世の有識者の奮起を望む。(信仰の堕落 了)
capelaurig
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(大正9年9月 みろく殿 王仁三郎講話より 著作集第一巻)
お筆先にミロクの世が出て来ると云う事が載って居ります。仏教の法滅尽経にも出て居ります。阿弥陀浄土の教が亡ぶる時に、弥勒菩薩が現れて来ると云う事が出て居ります。基督教でも、天国が来ると云う事が聖書に出て居ります。神道では、松の世、即ち神の世が出て来る。ところが弥勒の世は何時出て来るかと尋ねて来る人があります。それで御筆先の上から弥勒の世が何時から始って居るか御話したいと思います。
弥勒という中には、法身、応身、報身と三つに分れて現れて居る。明治25年正月元旦に、国常立尊(くにとこたちのみこと)が愈々ミロクの世が来ると云う事を御知らせになった。教祖は神様の御道の中に御這入りになって、愈々、法身弥勒の御働を遊ばしたのが、明治30年からの事で至善、至美一筋の遣り方をなされる所の神様であります。弥勒の出現と云う事は、霊体を以て現われられたのを、時節到来して、茲に或る形体を持って、此の世に現われたのでありますから、明治30年から弥勒の世になって居るのであります。それから又30年で世の立替えをすると云う事は御筆先が出ましてから30年後と云う事になる。此の御筆先はどちらにもとれる。丁度古事記を講釈致しますと、其の時代に応じて活生命を具備せる予言が書いてあります。大正の世には、大正の世の様になって活て居り、明治初年には、初年の如くに活きた教訓であり、徳川時代にはその時代の活きたる解釈が出来る様になって居ります。是が古事記の名文たる所以であります。御筆先もそうであります。其人の身魂相応にとれる。時代によって、活きた解釈が出来る。実に伸縮自在な教である。此の法身弥勒の御代身たる教祖様が本当の法身になられたのである。
capelaurig
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盗人に向って頭から叱っても中々直らぬ。自分も盗人の群に這入って、一遍位は自分も盗人をやって見る。此の行はいかぬと言って、本当に改心させる。之に応じて改心をさせる、是が応身と云う事であります。法身の弥勒即ち善人から見ますと、応身の弥勒は非常な悪にも見える事がある。正邪善悪を超越して、社会の毀誉褒貶抔は眼中に置かないで、天下国家の為に一身を捧げる。是が応身弥勒である。唯天下国家の為、飽く迄も自分の力のあらん限り、霊力の続かん限り、天下万民の為に一身を犠牲にする所の働であります。お筆先に大本は悪く云われて良くなる仕組であるぞよと仕組まれて居る。真直な人、天下国家を思って、大本と一緒になって尽くしたい人を誤らせる事がある。斯う云う工合に悪く云われるからには、大本には何か必ずあるに違いないとやって来る。是は先ず上等な人である。此処へ来て見たならば、新聞や雑誌に書いてある事が嘘である事は一遍で分るけれども、世の人は総て迷信して誤解して居る。(大正9年 弥勒の世に就いて)
capelaurig
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何時ミロクの世が来るか、何時立替えがあるのかと、それ斗りを待って居る人があります。
既に明治30年と云う時期が来て了って居るのであるから、何時何ん時でも立替は出来るのである。今でも出来るのである。此処まで開けた此世の中であるから、一人でも助けたい、餓鬼虫族までも助けたいのが神様の大御心でありますから、之を助けなければ申訳がない。天地の神様にお詫をして、延ばして頂いて居るのであります。全く神の心と人民の心とは反対であります。(大正9年 弥勒の世に就いて)
capelaurig
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capelaurig
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capelaurig
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