新しい生活が始まりました。実家に帰ったわけですが、両親は実家にいません。
仕事もどうにか続けています。日曜日には施設と病院を訪ねて父母に会いました。施設にいる母は元気な頃、切手を集めるのが好きでした。先週に切手帳を持っていきましたが、貴重品を管理するのは難しいので引き取ってくれと言われ、やむなく引き取りました。代わりに私と昔の飼い犬の写真を渡しました。
父は病院で入れ歯が取れてしまったので、病院の許可を取って歯医者に連れていきました。リハビリの方や歯医者の奥さんに助けられて、どうにか車の乗り降りも出来ました。週末には転倒前に白内障の手術を受けた病院の眼科に連れていく予定です。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
仕事もどうにか続けています。日曜日には施設と病院を訪ねて父母に会いました。施設にいる母は元気な頃、切手を集めるのが好きでした。先週に切手帳を持っていきましたが、貴重品を管理するのは難しいので引き取ってくれと言われ、やむなく引き取りました。代わりに私と昔の飼い犬の写真を渡しました。
父は病院で入れ歯が取れてしまったので、病院の許可を取って歯医者に連れていきました。リハビリの方や歯医者の奥さんに助けられて、どうにか車の乗り降りも出来ました。週末には転倒前に白内障の手術を受けた病院の眼科に連れていく予定です。
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コメント
コメント一覧 (13)
これは物に触れ事に接して、千変万化の働をする。この世の中を安けく平らけく治まるようにする。応身弥勒は米の種のようなもの、此籾を苗代に蒔いて、草を取り、田に植えつけて草を取り、水を注ぎ、稔った稲を刈り稲木にかけ、臼で引く、俵に詰める。此処迄にするのが応身の働であります。
次に報身の弥勒の世になれば皆喜ぶ世になる。之を天国とも謂える、或は極楽の世とも謂える。じつに鼓腹撃壌の世の中となって来るでしょうが、それまでになるには一つの大峠があります。大峠を越さなければならない。御筆先に大難を少難にまつり代えてやると出て居ります。この大難と云うことには、三つの大なる災いがあります。風、水、火であり、少難は饑、病、戦ということである。不作が続いて饑饉になる、或はコレラ、ペスト、流行性感冒などが起こって来る。之が少難である。戦争も人事を尽したならば免れる事が出来るのである。総べて人間の力に依って幾分でも防ぎ得ることが出来る。けれども風、水、火は人力の奈何ともする事が出来ませぬ。少区域の風害、大洪水なぞは奈何とも為がたい。火山が爆発する、大地震が起る。桜島の噴火というような事でも、どれ程偉い地震学者が出ても、唯破裂の兆候があると言って知らせる丈であって、防止する事は出来ない。破裂した跡を研究する位な事しか出来ませぬ。(大正9年 弥勒の世に就いて)
capelaurig
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『竜宮館には変性男子の神系と変性女子の神系との、二大系統が歴然として区別されている。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもって身魂の洗礼をほどこし、救世主の再生、再臨を待っておられた。』(物語1巻発端)厳霊の肉宮であった開祖は1892年から筆先によって、三千世界の立替え立直しの予言警告を発し、1918年にご昇天をむかえたのである。瑞霊の肉宮である王仁三郎は、開祖昇天の後にあっては、開祖の神業をもうけつぐとともに、瑞霊の神業を完成するため、厳瑞二霊の神業をあわせて統一的に遂行する伊都能売の神の神業をくりひろげるのである。開祖在世中の王仁三郎のつとめについては、筆先に次のように示される。『出口は三千世界のこと、世界一さいを知らす役なり』(明治34年)とか『出口は将来のことを知らす役、海潮(王仁三郎)は、それを説いて聞かせて世界を改心させる役じゃぞよ』(明治33年)、つまり開祖は神・幽・顕三界、すなわち三千世界の立替え立直しを知らせる役であって、王仁三郎はその由縁を詳細に解説し、人民に理解させて改心させるのが、その使命とされていた。大本にあっては、他の者が勝手な解釈をする事は、許されなかった。
capelaurig
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これはしも人にやあるとよく見れば あらぬ獣が人の皮着る
と詠って居ります。是こそほんとうの人間かと思ってよく調べて見ると、豈計らんや、人間に非ずして、獣である。獣が化けて人の皮を着て居るのだと嘆かれた。その当時でも斯くの如き有様であるから、まして数十年も経った今日では、推して知ることが出来るのであります。弥勒の世に住む人は、総て報身の働きをしなければならぬ。報身の働きとなって、国家天下の為に尽す。そうせぬことには報身の世は現れて来ない。報身の世になると、すべての人は聖人君子計りになる。此世を指して神世と謂い、弥勒の世と謂い、或は天国浄土と謂うのであります。(大正9年 弥勒の世に就いて 了)
capelaurig
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宗教家と作家の二つの道を見事に貫かれた。
日本文学の歴史を振り返ると、元々宗教と文学は切り離せないものだった。源氏物語も平家物語も、後世に残り我々を感動させる物語は、宗教と文学の入り組んだ関係を描き続けてきた。寂聴さんはそうした伝統の中にすっぽりと入る。日本文学の最も正統な流れを引き受けて表現してきた。だからこそ生々しいところもあり、大衆的な魅力もあった。その意味で、源氏物語の現代語訳をする最も適した人物だったと言える。寂聴さんとしては、言いたいことを言い、やりたいことをやり、書きたいことを書いてきた。それがそのまま日本文学の伝統につながっていたというまれな人物だった。
明治以降の文学は宗教的な要素をはぎ取ってしまった。現代人は「あの人はお坊さんなのか小説家なのか」という疑問をすぐに発する。それが現実の文壇であり論壇でありジャーナリズムなのかもしれない。そういう意味では孤独な仕事だったとも言える。
晩年のエッセーでは、高齢になれば人間は変わると書いておられた。信念や信仰や確信を貫くのが立派な人生とみんな思っているが、そんなことはなく、人間は刻々変わる。それは高齢者の宿命だと。僕も90歳になって同じことを感じる。宗教や哲学や文学を超えた境地におられたのではないか。そういう状況の中ですーっと息を引き取られたのだとすれば、きっと自然に帰っていかれたのだろう。
capelaurig
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大本神諭 天の巻では『変性男子と女子との身魂の昔からの誠の因縁さえ解りて来たら、外の事は何も解らいでも、今度の御用は勤め上がるのであるから。。。。』、霊界物語でも国祖神の御隠退再現について度々述べられている。聖師(出口王仁三郎)の人類への遺言、1945年吉岡発言では『官国弊社の祭神は神でなく、唯の人間を祀っている。。。』
大本第二次弾圧事件の原因をじんわりと誰にでも理解し易く述べられた。
つまり人類愛善の精神と万教同根の精神を強調された。
神社の境内は広く、沢山の神々を祀り、記紀神話の神も出てくる。
事件中、聖師は『わたしの教えに幾人ついて来てくれるか』と大本神観を如何に正しく理解するかが基本になります。
侵略戦争を聖戦とし。国家神道を主張した元凶といわれる筧克彦氏は『天照大御神様が根元として、主たる神様で在らせられ、天之御中主神は是だけを御祀りしようがない、大宇宙の根元というものを直ちに捉まえてお祀りするという事は出来ない』と宇宙創造神を否定している。
神社本庁の座田司氏は『天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神を造化三神と仰いだが、これら三神は観念神であって、氏神制度の祖先神つまり人格神として祭るのが日本の神々』と規定している。
これでは、主神信仰に至らないわけで、聖師の『神社は人を祭る墓所の様なものだ』という至言になる。
capelaurig
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物質文明に心酔した人民は、弱肉強食を天理の如く思考し、無慈悲で、殺伐で利己主義である。悪魔同様である。現社会は黄金国でなく地獄である。文明ではない。野蛮であり生物を殺して喰う猛獣国である。この肉食のために、偽文明の人民が気が強く、活気はあるが慈悲心は断滅し、生存競争は狂烈になり無神論なる馬鹿知識が、人民を小利口、小理屈で、神国たることを忘却し、異邦の道を尊重し、奇怪千万なる倫理に迷う。宗教なり道徳を疑い、大地震が揺らずとも、大戦争が無くとも、この社会は自然に破滅するようになる。今のうちに不都合なる社会の風潮を一掃し、精神的文明、惟神の徳性を拡充し、世界人類のため心身を尽くして、神教のまにまに円満美麗なる天国に至り、心魂を清めて宇内の為に奉ぜんとす。
capelaurig
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