両親を見ていると、老いの難しさが痛感されます。若いうちに死なない限り、老いは誰にでも来ますが、三島由紀夫が老いを恐れたのも分かるような気がします。
現代は医学の進歩により、平均寿命が著しく伸びています。日本書紀によると初期の天皇たちはみな長寿ですが、これは数字通りには信じられないとして、上皇が譲位を決断したのも時代の要請と言えるでしょう。
『天人五衰』では本多繁邦の老醜に対して綾倉聡子の美しい老いが描かれていますが、聡子といえども更に長生きすれば老醜を晒さざるを得なかったと思われます。人は老いと死を知ることは可能ですが、信じることは不可能なのかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
現代は医学の進歩により、平均寿命が著しく伸びています。日本書紀によると初期の天皇たちはみな長寿ですが、これは数字通りには信じられないとして、上皇が譲位を決断したのも時代の要請と言えるでしょう。
『天人五衰』では本多繁邦の老醜に対して綾倉聡子の美しい老いが描かれていますが、聡子といえども更に長生きすれば老醜を晒さざるを得なかったと思われます。人は老いと死を知ることは可能ですが、信じることは不可能なのかもしれません。
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コメント
コメント一覧 (16)
capelaurig
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だが、ひとたび欧化の流れが奔流のごとく押し寄せると、「文明開化」の圧力は社会も人心も押し流していくだろう。その先にあるのは何かといえば、知識であれ、制度であれ、生活様式であれ、西洋流を先進文明とみなしてひたすら模倣している。福沢が文明の礎石と考え「一身独立、一国独立」など消えている。政治にせよ言論にせよ、明治の指導者たちは、武士であり、強い倫理観と武士的精神の持ち主であったが、憲法が制定され、議会が開設され、富国強兵もそれなりに功を奏して、日本が西洋列強に追いかけ、日本人の内面生活の方が何とも希薄化し、夏目漱石は、それを、うわすべりの「外発的開化」と呼んで批判した。
capelaurig
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戦後の第二の近代化は、西洋化というよりアメリカ化であった。今日、アメリカ型の文明がグローバリズムという名で世界を覆いつつある。私には、明治の近代化において日本が直面した矛盾が解決されたとは思えない。だが残念なことに、福沢を後継する「新・文明論之概略」はでてこず、彼の危惧した「独立の気風」の喪失も問題とされない。
capelaurig
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capelaurig
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capelaurig
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経済学者ピケティ氏らが公表している「世界不平等報告」によれば、中国では上位1割の高所得層が所得全体の41%を占める。北米ほどではないが、欧州より富の偏りが大きい。
財政による所得の再分配機能が相当に弱い。税制では相続税がなく、年金・医療など社会保障の仕組みは手薄だ。大都市部で不動産価格が高騰し、北京や上海では過去数年で3~4倍になった物件が珍しくない。社会主義を標榜し、「西側と異なる中国式発展の道」を習政権が強調してみたところで、経済の実態は米国流の新自由主義に近い。共産党大会で習氏は、貧困を撲滅し、一人ひとりの生活の質を高めると宣言してはいるが。
capelaurig
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「我々は考えすぎて、感じることがあまりにも少ない。我々が必要としているのは機械よりも人間愛であり、利口さよりも思いやりと優しさである」
強欲に対しては少欲知足ですが、マハトマ・ガンジーは「地球は各人の生存のために必要とするものは満たし得るが、各人の貪欲は満たし得ない」と述べています。これはグローバリゼーションが逢着する諸問題の背景を説明するものです。 「少欲知足」は、欲望を減らすことにより幸福を極大化することを可能にするもので、現在見られる消費の極大化の追求と 対照的と言えます。
これは幸福=富÷欲望であるとする釈迦牟尼の教えと軌を一にするものです。この数式では欲望は分母であり、富は分子です。
権力に対しては哲学ですが世界が直面する危機を前にして、古代ギリシャのプラトンが「王様は哲学者になるべきである。さもなければ人類の不幸は無くならない」と述べています。今日、哲学の欠如により世界は理想を失い、民主主義の究極の目標たるべき「最大多数の最大幸福」は忘れられている。
capelaurig
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capelaurig
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