第1回の遣隋使は西暦600年に送られましたが、何故か隋書にだけ記録され、日本書紀には記録がありません。しかし隋書を読むと、日本書紀がこれを載せなかった理由が分かります。
使者言う、「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。・・」高祖曰く、「此れはなはだ義理なし」と。是に於ておしえて之を改めしむ。
使者の説明からは三角縁神獣鏡によく刻まれる「天王日月」の文句が思い出されます。正しくは「天王」(天帝、天皇)ですが、この時代の日本では「天」と「王」に分けて考えていたようです。皇帝から教えられて分かったものの、仏教の「天王(四天王)」と紛らわしいので「天皇」としたのではないでしょうか。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
使者言う、「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。・・」高祖曰く、「此れはなはだ義理なし」と。是に於ておしえて之を改めしむ。
使者の説明からは三角縁神獣鏡によく刻まれる「天王日月」の文句が思い出されます。正しくは「天王」(天帝、天皇)ですが、この時代の日本では「天」と「王」に分けて考えていたようです。皇帝から教えられて分かったものの、仏教の「天王(四天王)」と紛らわしいので「天皇」としたのではないでしょうか。
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コメント一覧 (16)
巨且大王とは艮の金神とされ、五つに分断し五節句に配当し鬼王調伏の儀式として後の世に伝えよと、牛頭天王は北天竺へ帰る。
八坂神社周辺では節分の頃、家々の戸口に蘇民将来と書いたお札を貼り、疫病を避ける風習があるという。
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大本では艮の金神が再び此の世に現れて、末法の世を立替え立直すと宣言したことから始まる。悪神とされていた艮の金神が、本当は元の国の親神であると説かれ、金鳥玉兎集と趣が違っている。ただし調伏の儀式の節句の意味は大本でも説かれ、正月に紅白の鑑餅はお供えしない、門松も一切立てない。
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