第1回の遣隋使は西暦600年に送られましたが、何故か隋書にだけ記録され、日本書紀には記録がありません。しかし隋書を読むと、日本書紀がこれを載せなかった理由が分かります。

使者言う、「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。・・」高祖曰く、「此れはなはだ義理なし」と。是に於ておしえて之を改めしむ。

使者の説明からは三角縁神獣鏡によく刻まれる「天王日月」の文句が思い出されます。正しくは「天王」(天帝、天皇)ですが、この時代の日本では「天」と「王」に分けて考えていたようです。皇帝から教えられて分かったものの、仏教の「天王(四天王)」と紛らわしいので「天皇」としたのではないでしょうか。
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