記紀の「神世七代」はイザナギ・イザナミが生まれるまでの過程を示しており、系図型の神話とも言われます。ウヒジニ・スヒジニは泥や砂を表し、オオトノジ・オオトノべは下半身を、オモダル・アヤカシコネは顔や声を表します。
『古事記』では国産みに続く神産みの初めに大事忍男神が生まれ、続いて家宅六神が生まれます。この神々も神世七代に似た系図型の神話になっています。
石土毘古・石巣比売は岩や土砂を表し、大戸日別は戸口を、天之吹男は屋根を表し、最後に家を表す大屋毘古が生まれます。次の風木津別之忍男神はよく分かりません。風や木の神は後で生まれているので重複しているように見えます。今後の課題です。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
『古事記』では国産みに続く神産みの初めに大事忍男神が生まれ、続いて家宅六神が生まれます。この神々も神世七代に似た系図型の神話になっています。
石土毘古・石巣比売は岩や土砂を表し、大戸日別は戸口を、天之吹男は屋根を表し、最後に家を表す大屋毘古が生まれます。次の風木津別之忍男神はよく分かりません。風や木の神は後で生まれているので重複しているように見えます。今後の課題です。
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コメント
コメント一覧 (17)
故に現今行はれゐる所の本元は何なりと詰問すれば、敢て一言も答ふる者無し。況や其の本元が寄りて来る極元の事は、夢にも思ひ居らざる浅ましき餓鬼僧のみ也。
ササ有りと知る人あらば、道統の本元寄而来るの極元は是也と一句たりとも説明して見よ。釈迦も達磨もその道統の本元因て来るの極元を不知故に、直接明言に道法を説明する事不能也。
大本三代の御用が余りにも重すぎたかも知れない。生まれながらに木花姫の精霊の下った肉宮とされ、水晶の種と崇められ、最初の結婚も本人の意志とは関係なく、弾圧で父母は未決に収監され、2度目の夫・日出麿は厳しい拷問で正気を失った。1943年 日向良広との間に生まれた楯彦ちゃんが5才で病死。木庭氏の新月の光、聖師様の餞別に詳しい。
3次事件の背景には1963年頃の平和運動の停止があり、200名にも及ぶ出口家などの人員が整理され教団一つに詰め込まれ、役職が限られた事が大きい。京太郞などは梅松教会なる宗教法人を設立し今日に至る。1936年生まれの京太郎は日向良広に教育され、教団の乗っ取りを謀り、出口虎雄、杭迫軍二、山本荻江、宇佐美龍堂らと三代を追い詰め、1982年、道統を変更させる。
大本信徒連合会にとっても正念場である。地道に宣教するのも良いが、本部側の思う壺である。
一旗揚げて、質量ともに圧倒する必要がある。
capelaurig
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印度に出た釈迦如来は三十二相八十種好*の紫磨金色の仏であってその其荘厳端正なること比較すべきものがない。これはいかに如之其説法には大乗あり、俗諦*あり、真諦*あり、真に至れり尽せりの教義である。細を穿ち微に入り、一代の説教は無量*、無限であるとい 謂うても好い。然るに釈迦の出たる印度は、とつ疾くの古に滅亡して他の属国となり、次で仏教国たりし所の東洋の諸国に、仏教の最高理想とする所の沙婆帰〔即〕寂光*の真意義が現われた事もなく、即身成仏*の人として数うべき人が、古往今来幾人在ったであらうか 乎。地獄におち陷るものは大地の砂の数よりも多く、仏になるものは瓜上の土よりも稀である*と云う、実に仏教は難信*難解の宗門である。
capelaurig
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寒くば火鉢に暖まれという、火鉢で足らねば暖炉にせよという、暖炉を設けて重ね着して尚寒むくば何とする、酒でも飮んで 炬達に暖まれと云う御教示である。私には炭火も有り、重ね衣する衣服もあれど、貧困者は何としよう。大家の旦那は酒を呑んでストーブに暖まって居るが、私には暖炉の設備が出来ませぬ。酒も嫌いです。そんな事は世の中に何程もある。
大風呂を沸して向い三軒両隣の人々を招いて、素裸にしてその大風呂ヘブッ込んで見給え、十人でも二十人でも一時に暖まって、誰彼の差別なしに同様に暖いから着物を重ねる世話もなく、炭火を購う要もない、裸ほど一視平等なものはない。一様に温かい湯は誰にでも温かいに相違ない。吾人は炭火を用意せよ、着物を重ねよと云うを、小乗とい謂い、風呂へ入れる教を比較的大乗だというて見たい。
修養だとか、修行だとか、道徳だとか、宗教だとか謂って、種々の事柄をしい強らるゝのが我々の全体を通じ、出来得る人もあらう、出来得ない人も沢山あろう。彼の桃源にすき鋤梨を 採って働らいて居たという人々が、毫も悪事をせなかったと云のは、かれ渠等が幾多の修養を為し、幾多の修行を為した結果であろうか。
周囲の空気が悉く花の香を含んで、春の光があまね普く人の上に輝く場合に、誰が悪念を抱くものがあろうか。無意識に善人が集団して、自然の天国が茲に開らけるのだ。社会が混濁した時に個人の修養が叫ばれ、世の中が乱れてくると、個人の修徳が重んぜらるゝものである。
世を悲観する際に宗教が起ったのである。現界の不満に対して幽界幽事の願求が現われるのである。真実の生活には顕幽の別隔がない。顕幽の別れめが人間の堕落の第一歩である。(宗 教 と 政 治 大正7年)
capelaurig
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平天下が修身斎家に始るとは、大学の謂う所である。修身斎家が出来ずして、平天下が望めないのが当然かも知れぬが。本が乱れて未治まるものは非ずと、言語も深く味って見ねばならない。
無上の政事。理想の政道が世に施かるゝとなったら、どんなものであろうか、その時にも矢張り八釜敷、修身斉家を謂わねば成らぬものであろうか、大道廃有仁義、ないし乃至絶聖〔棄〕智、民利百倍、絶仁棄義、民復孝慈、絶巧棄利、盗賊無有ではなかろうか。
上に政道が乱れて、下に修徳を強らるゝより悲惨な世の中はないのである。政道が正に復して、万民修徳の必要を感ぜないより結構な世の中は無いのである。
宗教即政道、政道即宗教であって、現土にはじ創めて天国に来り、浄土が実現するのである。然らざれば幾千万載待った所で、仙台萩の千松のやうに、天国も浄土も実現するものでない。
政道即宗教の本義を称して、祭政一致と謂うのである。現代の宗教家に、一人も此様な意義に心付くものは在るまい。
大本の教は畏くも祭政一致の御本義を説せ給うこと最も詳細を究めさせ給うのであって、 宇内実典の第一の神随に渡らせ給うのである。
宗教家は直ちに反抗して謂わん、政事なるものは、現在一応の事であって、永遠の未来に渉って效果があるものでない。現在は実に刹那の幻影にして、未来は永却の実在であると。
仏者仏教をしらずとは、善く謂ったものである。現在とか末来とかいうものが、切り離して別々にする事の出来得るものと為して居る真言の即事而真(現象即実在)天台の娑婆即寂光なぞは、皇典の真義を傍系的に伝えた確論である。
capelaurig
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光格天皇の御製に 神様の国に生れて神様の 道がいやなら外国へ行け
と仰せられて在ります、飽く迄も神様の御道を遵奉いたさねば、日本神国に安住さして頂く資格の無きものと堅く信ずるので在りまして、敬神、尊皇、愛国の為に至誠を日本国家に尽すは、日本神民の天賦の職責である。
日本古来の神の称呼には左の四大別がありますから、日本の神様を具体的に略解すれば、
一、 幽 の 幽 神 ・・ 霊 力 体
二、 幽 の 顕 神 ・・ 世 出 燃
三、 顕 の 幽 神 ・・ 地成 彌 凝
四、 顕 の 顕 神 ・・ 足諸地夜出
の四種に区別があります。
幽の幽神と申しますのは、無限絶対、無始無終の宇宙の大元霊、大妙体の事でありまして。皇典古事記には天之御中主神と奉称し、並びて高み 皇産霊、神み 皇産霊の二霊を合一し、三神即一神の幽神であります。古典にすになりまして独神而 隠身也とあります。即ち独一真神、宇宙の大本元であります。易の所謂太極、仏の所謂真如、基督の所謂ゴッド叉はゼウス、漢人の所謂天帝、或は上帝等は皆この天之御中主神の事であります。故に此大神は至真、至善、至美、円満ぐそく具足の神の意義であります。世界一般に通じて、神と申すのは無声無形の幽の幽にます神様をさすのであります。
capelaurig
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幽の顕神と申し奉るは、天之御中主大神の御精霊体の完備し、茲に(いざなぎ霊系祖神)(いざなみ体系祖神)二神を顕現され、天上の主神となりいで産出給いし、光華明彩六合に照徹*し給う御皇祖 天照大御神、並に素盞嗚神様の御事でありまして、天上の主権は皇祖天照大御神様に帰し、地上の主権は皇祖素盞嗚神に帰したので在ります。茲に初めて神界成就の端緒が開けたので在ります。故に吾人は万世一系、天壊無窮の我天津日嗣天皇の御祖先たる 天照大御神様を第一に尊敬する事を忘れては成ませぬ。吾人が神人合一の妙境に入り、天地の真象を極めんとして幽斎を研究するにも、第一番にこの天照大御神の幽許を受けねば、如何に一心不乱に修行致しましても成效は出来ぬのであります。
◆ 照徹《日本書紀によると、お生まれになった時、天照大御神が、「光華明彩しくして、六合の内に照り徹る」と称えられた》
◆ 妙境《はなはだ快い心境》 ◆ 成效《中国語:物事がもたらす効果》
(三)顕の幽
顕の幽神と申しますのは、大地球成就の為に顕現され、国土を修理固成し、神人安住の基礎を定めて、地上の幽界を守り玉う神霊でありまして、国祖国常立尊、豊雲野尊、叉は一度現世に其肉体を表現された神様であります。要するに幽の顕神は天上の霊界を主宰し給い。顕の幽神は地上の幽界を主宰し給う神々の事であります。
(大正7年 帰神に就いて)
capelaurig
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