俳優の宝田明氏が亡くなられたようです。数日前に舞台挨拶をしたというニュースもあったので驚きました。
反戦の思いが強かったようで、やはり旧ソ連の満州・朝鮮進攻の悲劇を直に体験したことが大きいのでしょう。主演作の『ゴジラ』は戦争の記憶が生々しい頃に作られた映画で、今後も名作として伝えられてゆくでしょう。
メディアの扱いを見ると、ミス・ユニバース日本大会の司会を長く務めたことや、日本人初のミス・ユニバースであった児島明子と結婚していたことはあまり取り上げられていないようで、これも時代の流れかもしれません。ご冥福をお祈りします。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
反戦の思いが強かったようで、やはり旧ソ連の満州・朝鮮進攻の悲劇を直に体験したことが大きいのでしょう。主演作の『ゴジラ』は戦争の記憶が生々しい頃に作られた映画で、今後も名作として伝えられてゆくでしょう。
メディアの扱いを見ると、ミス・ユニバース日本大会の司会を長く務めたことや、日本人初のミス・ユニバースであった児島明子と結婚していたことはあまり取り上げられていないようで、これも時代の流れかもしれません。ご冥福をお祈りします。
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コメント一覧 (36)
容器の底の金属さらには床のコンクリートが融けて、熔融物となった高温の燃料の塊が地面に潜り込んでゆくことが「チャイナシンドローム」と言われています。
もっと恐ろしいのは、そこまで行く前に、たとえば、ドロドロに熔けた燃料棒が原子炉圧力容器の底の水に落ち込んで、水蒸気爆発を起こし原子炉が圧力容器の蓋を吹き飛ばすことです。格納容器といって更に圧力容器の周りにもう一つ覆いがあるんですけども、その格納容器の天井をも吹き飛ばすということが考えられています。そのようなケースは、事故が始まってから数時間の間に起こると考えられています。
capelaurig
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火力発電所でしたら、事故が起きたとして、重油や天然ガスの燃料供給を直ちに止めてしまえば、それですべてが終わりです。しかし、原子力発電所は死の灰の猛烈な発熱が続いていますから、これを冷却しなければならない。この冷却に失敗すれば、直ちに炉心溶融を引き起こします。そのために原子炉に必ず備え付けられている非常用炉心冷却装置を動かします。これを動かす電源は外部電源です。原子力発電所というのは非常に停電に弱いということは大変皮肉です。発電所が停電に弱いというのはおかしな話なのですが、非常に弱いわけです。外部の電源が断たれると、原子力発電所はものすごいことになっていくわけです。
capelaurig
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1986年のチェルノブイリ原発事故にたいする通産省資源エネルギー庁、梅沢原子力発電課長の次の発言があります。
日本の原発ではまったく考えられない事故です。即ち日本の原発では、非常用冷却装置で水を送り込みますので、燃料棒の過熱や水素ガスの発生は考えられません(1986年5月30日東京放送)。
東京電力もまた、2002年と2004年の福島第一原発などについてまとめた評価報告書で、水素爆発を「考慮する必要がない」と判断していたのです。(『東京新聞』2011.4.17)。
チェルノブイリ原発は、全4基でそのうちひとつが1986年に大事故を起こし現在は「石棺」と呼ばれるコンクリートで固められ、その上をさらに鋼鉄製シェルターで覆われていますが、『毎日新聞』によると、残りの3基は2000年までに稼働を停止し、使用済み燃料は貯蔵施設で冷却されていた。死の灰を含む使用済み燃料は、20年以上も冷却が必要とされることを意味しています。この施設が停電でどのような状態になるのか、IAEA(国際原子力機関)は、「重大影響なし」と表明していますが、額面どおり受け取ることは困難です。決して楽観できるものではないでしょう。
capelaurig
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安倍元首相による「核の共有」つまり米国の核兵器の日本国内への持ち込みと配備の主張です。率直にいってそれは、日本がアメリカの軍事戦略により一層強く組み込まれることであり、東アジアの緊張をより高め、日本により深い危機をもたらすことにしかならないでしょう。岸田現首相はさすがにそれを否定したものの、しかし自身では「敵基地攻撃能力の保持」などと、憲法9条の厳密な解釈に反するばかりか、これまでの自民党自身の解釈にさえ抵触することを口にしています。通常の法律は一般の国民を縛るものであるが、しかし憲法は権力者を縛るものであるという原則を、この際あらためて確認しなければなりません。
capelaurig
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米国主導の軍事同盟であるNATOへのウクライナの加盟問題が、プーチンの過剰反応の引き金になったことは事実です。プーチンの反応があまりにも過剰であり、到底許されないものであるにせよ、ウクライナのNATOへの接近、あるいはNATOのウクライナへの拡大の背後に米国の軍事戦略を見ているプーチン・ロシアの危機感を高めたことは、否めないでしょう。
国家間の軋轢という問題を考えるときには、自国側からだけではなく、相手国側から見る、さらにはその他の周辺の国から第三者的に見るということが重要なのです。その点では、少なくともかつて東アジアを軍事侵略した日本が、戦後の東アジアでそれなりに存在してくることができたのは、「国際紛争解決の手段として武力を用いない」と謳った戦後のいわゆる平和憲法があったからなのだということを、忘れてはならないでしょう。為政者がみだりに軍事力のエスカレートを口にすることに対しては、民衆の側から厳しい目を向けなければなりません。権力の座にある者は、憲法を順守しなければならないのであり、みだりに憲法に反することを口にしてはならないのです。その点では、岸田首相の発言に対するマスコミの報道はきわめて甘いと言わなければなりません。
capelaurig
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capelaurig
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capelaurig
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この社会主義圏(社会主義共同体)とソ連邦の崩壊、一言でいえば社会主義国家の解体と崩壊はその統治権力の矛盾としてあった。冷戦に負けた結果ではない。社会主義権力の矛盾が権力解体になったのである。これについてはいろいろの説があるが、プーチンはその後の国家をどう構築するかという中で登場したのであるが、スターリンニズムの再生、あるいは継続を目指したのではなかった。
capelaurig
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ウクライナの国歌(ウクライナは滅びず)をYOU TUBEで聞くと、彼らはコサックの子孫だと信じてます。大本信者は神の子だと思ってます。プーチンは悪党です。第3次世界大戦の予兆があります。時間は掛かります、プーチンは反面教師かもしれません。三種の邪神として、物語第4巻天地開明で六面八臂の邪鬼、金毛九尾白面の悪狐、八頭八尾の大蛇が定義されている。金毛九尾とは、狐として黄金色の硬き針毛を有し、化現すると美しき女人の体を現し高貴なる服装を纏い、神人を驚かしめ、威厳に打たらしめ、完全無欠にして九尾を振るという。われよし、強いもの勝ちの世を金毛九尾、大蛇などの動物の概念で表し、立替え立直し改心を行う国祖の出現、天の弥勒様の下生という、物語では高姫に代表される。高姫はよく改心するが、口が上手い、嘘をつく、男を騙す、騙されて気が付くので、失くす事は難しい。物語第14巻丸木橋では二十世紀は悪魔横行の時代、八頭八尾や金毛九尾の悪霊が発動し、常世姫や木常姫の霊魂の遷り易い肉体を使う。善の仮面を被って教え子を食い殺す。物語第48巻至愛では我が子にはつまらぬ御用がさしてある。信者はそれを見て改心せよと説かれる。物語第47巻天界の花:「こんな穢い人間に触ろうものなら、忽ち地獄の団体に落ちます。」「天国は愛善の国だ。地獄に落ちるのを恐れて現在目の前に苦しんでいる憐れな人々を救わないのは、自愛の心だ。自愛の心は天国にない。自愛を捨て善と愛との光明にひたれば、地獄は忽ち化して天国となるであろう。」物語では反面教師として高姫は最後まで登場します。改心させようとする言霊別を、諫言する高姫が慕う場面がある。臨死体験から生還した時の世の中が、その時大変美しく見えたりする。
capelaurig
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プーチンには戦後の社会主義圏が冷戦によって分割・解体されたという認識があり、違う形のロシア帝国の回復という野望がある。旧ロシア帝国では小ロシア(ウクライナ)に国家的な執着が強いとされる。社会主義圏とソ連邦の解体をNATOに帰し、ロシア帝国の復活を志向している。プーチンに社会主義圏の自壊の認識があるのか疑問が残る。国家主義者としてのプーチンは生き残り、ロシア国家を統治支配できるのだろうか。
capelaurig
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capelaurig
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霊界物語の「物語」の意味は物怪《もののけ》が語るという意味ですね。物とは「霊・神」なのでしょう。物語とは『物』を語るのではなく、神が(コト)を語るのです。ちょうどヒストリー・HISTORYとはHIS STORY「神が語る」、「神の物語」と同じだと思います。
capelaurig
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政敵の暗殺や投獄、報道の威嚇と抑圧、選挙の不正など伝えられることは、その政治的手法も含めて専制的である。ソ連邦崩壊後のエリツィン政権がロシアの国家を安定させなかったことがある。ソ連崩壊後のロシア国家の名目を変え、独裁的方法で安定させてきたということがある。
プーチンの政治戦略の特徴は、内政以上に外政にある。彼はソ連圏の崩壊とソ連邦の崩壊後に追い詰められた状況の中で大国(強国)としてのロシア国家の再建を目指した。それには、ロシア国家が力(軍事力)で、それを保持するということであり、戦争(力の支配)を国家戦略に置くということである。これは、国家が安全保障として軍事力を持つということではない。それは、他国の支配力として軍事力を保持するということであり、戦争が国際法的に違法といわれる状況の中で、軍事による他国支配を秘した形で保持していることである。
capelaurig
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1、ソ連は20世紀の戦争で最終的に敗戦体験が希薄であった。
2、独裁権力が名目を変えつつ存在し続け、その個性が国家性格になった。
3、ロシアの国民、共和国の国民、同盟国の国民、衛星国の国民を暴力的に支配した。
保坂のこの要約は的確であるが、1の指摘を日本との比較で考えた。戦後の体制(米ソ支配体制)が解体した要因には米ソが戦争を繰り返したことにあるが、それには敗戦体験の希薄さがあった。アメリカはベトナムで、ソ連はアフガニスタンで、敗戦を体験するが、それは戦争体質とでもいうべき国家構造の反省にはならなかった。その点が、憲法との関連で考えさせられたことだ。
ロシアのウクライナ侵攻から1カ月が過ぎた。いろいろの議論が飛び交い伝わってきた。プーチンの批判とプーチンを一方的に悪者にするなという意見に大別できると思うが、プーチンの考えというか、思想をよく分からないできたということがあった。彼の意思(支持する人々の意思も含めて、それは現在のロシア国家の意思でもある)の発現が、ウクライナ侵攻であるとすれば、その意思をよく分からないできたということだ。プーチンの専制的な政治観、強国的思考、ロシア帝国の復権などの知見は得ていたし、それは間違いのないところだった。プーチンのことには、それ以上の関心を持たなかったし、それはやむえないことでもあった。
capelaurig
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濃縮ウラン 21トン 10トントラックで2.1台分
天然ガス 97万トン 20万トンタンカーで4.9隻分
石油 131万トン 20万トンタンカーで6.6隻分
石炭 236万トン 20万トン貨物船で11.8隻分
出力100万キロワットの原発では、1日稼働させるためには約1キログラウのウラン235が直接必要。実際には、熱効率が30数%ゆえ、その3倍の3キログラムが必要で、年間稼働日330日として、年間約1トン。
実際のウラン燃料は、ウラン235を3~5%含む「濃縮ウラン」よりなるので、「濃縮ウラン」の必要量は、
3%のもので 1トン×(100÷3)=33トン
5%のもので 1トン×(100÷5)=20トン
自然界のウランでは、ウラン235は0.7%で、残りの99.3%は核分裂をしないウラン238。したがってこれだけの「濃縮ウラン」を作り出すために必要な自然界のウランは、
3%のもので 33トン×(3÷0.7)=約140トン
5%のもので 20トン×(5÷0.7)=約140トン
ウラン鉱石は1キログラムあたり1グラム以上ウランを含んでいれば採算が合うとされている。だから最低品質より少し良くて平均で1キログラムあたり1.5グラムのウランを含む鉱石の場合とすれば、150トンのウランを取り出すためには必要な鉱石は10万トン。
実際に鉱山から鉱石を掘り出すためには、その20倍の岩石や土砂を取り出す必要があるとされているので、実に200万トン程度の岩石や土砂を掘り出さなければならない。
ポンプで原油を汲み出すだけの石油や天然ガスにくらべれば、燃料を獲得するためだけで、どれほど多くのエネルギーを必要とし炭酸ガスを生み出しているかが想像できるであろう。
capelaurig
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プーチンは1990年代のエリチエン政権に参加し、2000年の初めに首相になった。あれから長きにわたって、権力の座にあるのだが、その秘密はチエチエン戦争の解決にあったように思う。チエチエン戦争は1990年代(エリチエン政権下)で第一次戦争としてあった、これはアフガン戦争の敗北と重なり敗北としてあった。プーチン政権下で第二次戦争があり、これはロシアが勝利した。プーチンは巧妙な政治技術を駆使したといわれる。モスクワの地下鉄テロなどを自国に機関にやらせながら、これをチエチエンのテロとし、ロシア国民の愛国感情を高め、チエチエンを制圧したというものだ。このテロのことはロシアの機関の責任者が自白した。彼は、後に亡命先イギリスで暗殺された。プーチンがこの戦争で、ロシア国家の統治者として力を得たということだ。力の政治(戦争)によって統治力を強めるということを得たのであり、その延長線上にウクライナ侵略は考えられる。
capelaurig
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すごいえらい テレビは現代(いま)の 紙芝居 (ふ64)
マスコミに 真実言えと 怒る民 (原子力ガリレオ)
マスメディア 民も構成 する一部 (金狼と月)
報われぬ でも辞められぬ 記者家業(かぎょう) (ふ64)
真実の 情報歪(ゆが)める マスコミが (柚っ子)
「マスコミ」の特選
マスコミを 信じていいか この乱世 (原子力ガリレオ)
「真実」の秀句
真実を 口にチャックの 広告費 (原子力ガリレオ)
真実は プーチン大王 胸の内 (柚っ子)
公文書 日付を改ざん 41(よんいち)と (ふ64)
真実は 審美眼を みがくこと (金狼と月)
真実が 永(なが)きに霞(かす)む この界隈(ふ64)
「真実」の特選
稼働阻止 真実一路 座り込み (柚っ子)
capelaurig
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その意味で、この戦争を仕掛けたプーチンや彼を取り巻くロシアの権力者たちに言いようのない怒りを感じる。どのような理由であれ、戦争(侵略)を現実的に行為した人に怒りは向けられるし、それをとがめられるのは、何よりも前提的なことだ。そのうえで、僕らは「この戦争をどうして止められるか」を考えるのだが、そこで僕は、傍観者というか、そういう位置にあることを知らされる。これは世界の構造から、やってくることなのだが、そこで僕らは、ある種の疚しさを感じる。この戦争への批判、あるいは肯定としての自分の行為に疚しさ(やましさ)や無力感を持たされる。これは善意や悪意といったことの無意味さを教えるのだけれど、ここから細い道を通ってしか、戦争にはかかわれないことを知らされる。かつての反戦闘争な中でも、このことを学んだ。自分が何をなせるのか、何をできるのかを考えた。この戦争を止められるのは、ウクライナの人たちの抵抗というか、反撃が一つだし、ロシアの内部から戦争をやめさせる動きである。これは侵攻を一カ月以上経た今、進行している現実だと推察しうる。ウクライナの首都を制圧し、傀儡政権を樹立するというのが、プーチンのシナリオだったのだろうが、これは頓挫したように見える。核兵器をちらつかせており、希望的観測であることを免れないにしても。戦術的転換かもしれないからである。
capelaurig
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