講談社(学術文庫)版『日本の歴史』02「王権誕生」で寺沢薫氏は次のように述べています。

列島での権力中心地の移動という意味では、新生倭国の王都は結果的にイト国から東遷したという言い方もできるかもしれない。しかし、それはイト倭国の権力中枢がそのまま東遷したのでもないし、まして東征などはありえない。

氏は「神武」という名前を注意深く避けていますが、明らかに神武東征伝説を念頭に置いています。私は本ブログで歴代天皇の漢風諡号の考察から、神武東征を1世紀後半と見てきましたが、あれはあくまで淡海三船の考証であり、史実は2世紀末と考えるようになりました。倭国大乱後の纏向遺跡の出現は神武伝説と直結しているように思われます。今後も考察する予定です。
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