私は最近、満60歳になりました。「還暦」とも言います。十干十二支で言う「壬寅」(みずのえとら)の年に生まれ、それから60年が経ちました。
60は10と12の最小公倍数であるため、干支は60年で一周するわけですが、60は約数が多い数です。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30, 60
実に12個の約数があります。1分を60秒、1時間を60分とするのは古代バビロニア以来ですが、このように便利な数であるため、古くから重視されたのでしょう。
これからどれだけ生きるかは分かりませんが、一日一日を大切に生きていきたいものです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
60は10と12の最小公倍数であるため、干支は60年で一周するわけですが、60は約数が多い数です。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30, 60
実に12個の約数があります。1分を60秒、1時間を60分とするのは古代バビロニア以来ですが、このように便利な数であるため、古くから重視されたのでしょう。
これからどれだけ生きるかは分かりませんが、一日一日を大切に生きていきたいものです。
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中国、ロシア、インドは第二地域であり、専制政治しかできない運命なのか。
一方、地球温暖化の速度は日本でも40度近い真夏の気温となり、あと20年もしたら住むのが困難になるであろう。日本の少子化は300年後には、日本人が居なくなる予測となる。アイヌと同じ運命になる。
capelaurig
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これは外的条件で安全性が脅かされるというよりは、内的に時間を経ることで安全性が危惧される状態になることへの対応である。この稼働期間によって安全性が劣化していくのは原発が初めて経験していることであり、それにどう対応するかは難しい。けれども、経年劣化が対象になり、安全神話で対していく事態が崩壊となり、さしあたり、40年で稼働をとめるという判断が出た。これを今のところ変更する判断の根拠は示されていない。政府はその勝手な政策という意向において、電力独占体や官僚は利害によって、規制の変更を進めようとしているだけである。老朽原発稼働には多くのリスクがあるという科学的な推論としてあることだが、疑わしき罰せずではなく、疑わしければ避けることをやらなければいけない。結果として予測できるリスクを考えれば当然のことである。湯川秀樹が原発に反対したことを想起すべきでしょう。
capelaurig
が
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そして敗戦を渋る日本に対し、1945年のヤルタ会談では北海道・東北のソ連分割も考慮され、アメリカはやむなく原爆を投下し、日本全体の占領を容易にしたという。北方領土占領で済んだのは幸運かもしれない。
ペリー来航(1853)で、公武合体の犠牲となった和宮(1846-1877)はやむなく降嫁し、婚約者の熾仁親王(1835-1895)と別れ、
落ちて行く身を知りながら紅葉ばの 人なつかしくこがれこそすれ
と詠み、涙を流した。実は皇女和宮は明治二年一月二十日頃に岩倉具視らに暗殺され(その後は替え玉)、熾仁親王の東京行拒否、有栖川宮家の侍医であった中村孝道の縁を通しての、伏見での上田よねとの出逢い、出口王仁三郎聖師の誕生につながった。
丹波は京の女官供給源であった。熾仁親王の母・佐伯祐子は京都亀岡佐伯の出身。亀岡穴太出身の出口王仁三郎の母上田よねは和宮にも会っていたという。男の子なら殺されると出生は極秘にされ、よねはご落胤を隠す為、養子を迎える。
capelaurig
が
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この先語られる神代史はまさに記紀神話を裏返し、問い直す対抗神話といえる。
『古事記』では、素盞鳴尊は、父伊邪那岐尊に命じられた大海原を治めきれず、ただ手もなく長い年月を泣きわめく。あげくに父神にとがめられ、地上を捨てて荒々しく高天原に上り、姉である司神天照大神に抵抗し、乱暴狼籍(らんぼうろうぜき)を働く。たまりかねて姉神は岩戸にこもり常暗の世を招くに至って、万神は智恵をかたむけ岩戸を聞き、素盞嗚尊を弾劾の上、追放する。何ともあきれはてた悪神なのである
しかし高天原を追われて出雲国に降った素盞嗚尊は、どうしたことか突如、詩的で英雄的な神に変神する。粗暴で無能で女々しくて何ひとつ取柄のなかった神が、ここでは恐ろしい八岐の大蛇を退治して悪の根を断ち、櫛名田(くしなだ)姫を救け、大蛇の尾から出た名刀を天照大神に献上する。勇気凍々、優れた智謀、果断な処置、自分を疑い追放した姉神へさらりと向ける崇敬の志。
出雲の地に須賀宮を建て、妻を得た喜ぴを
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と美しい歌に託す詩情。いったいどちらの素盞鳴尊が実像なのか
素盞鳴の 神世にいでてはたらかば がぜんこの世は浦安の国
capelaurig
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弾圧下の10年、日本の運命は一変し、悪魔の力は除かれて、大本は自由を回復し、神の示した立替え立直しの世になる事を信じ、権力や不法に屈せぬ反骨の精神が光り輝いた。
日本の敗戦により大本は再建を迎えたが、邪教大本の印象は長く拭われない。治安維持法が無罪、不敬罪が敗戦で解消した事を知る人は少ない。王仁三郎は昭和20年10月、事件解決後、初めて綾部の聖地に足を踏み入れ、本宮山の木々を眺めながら<全部叩き潰されたが、木だけが大きくなったなあ、木だけが残った>としみじみ語った。<桜の木は全部切ってしまえ、梅と松の木を植えるよう>軍国主義を象徴した桜の時代は終わり、綾部の神苑を梅松苑と命名した。<信者は教義を信じ続けたので、既に再建せずに再建されている>と語っている。奉告祭の式場は彰徳殿があてられた。弾圧後、綾部町が無断で建てた武徳殿で、綾部町から寄付され王仁三郎が命名した。参拝者は1,500人、遠来の信者に席を譲り、殿外を埋めた。祭員は国民服のまま質素な祭典で王仁三郎と澄子の先達により祝詞を斉唱、高木鉄男ら不幸にも殉教者となられた慰霊祭も行われた。
capelaurig
が
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人類の生み出した邪気を清めるために大天災大地災はあるかもしれないし、第三次世界大戦がないともいえない。それが人類の越えねばならない大峠だとすれば、すでに峠越えは始まっている。しかし王仁三郎は、その峠の先に人類の明るい未来を見る。立替え立直しとは、世界全体のことばかりではなく、実は自分自身の問題でもある。
立替えを 他人のことと勿(な)思ひそ 立替するは己が身魂ぞ
ゆめの世に 夢を見るちょう人の世も 神の御声に醒めざるはなし
「三千世界一どに開く梅の花」と、艮の金神は初発に宣言した。一八九二年旧正月のことである。これについて、王仁三郎は解釈する。
「今日の物質文明と大本の精神文明との準備がととのったということであり、三千世界一どに開くというのは、縦からも横からも全部天にあるものいっさいを指して、それがいっさい、地にあるもの、一度に開くということだ。今までにためてあったすべての経綸が、まず形の上から現われてくる」
確かに艮の金神が宣言した当時からみれば、加速度的に発展した物質文明、地球上の華やかな変化は目をみはるに十分だ。だが精神文明の方はどうか。むしろ後退し、蹴行的状態である。王仁三郎は、梅の花は神の教えだと示す。神の教えが一気に人類の目をきます時がくるということであろう。その時期はいつか、どんな方法でか、私たちには分らぬ。
capelaurig
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「大本がこれだけ神さまのお道を伝えるのに便宜を得たのも、物質文明のおかげである。これがなければ、台湾や北海道、海外諸国などへは、一代かかっても、行けるか行けないかわからない。昔のようなら、どんなに神さまが三千世界を統一するといわれでも、百年河清を待つよりむずかしい。今日のアメリカの出来事を今日聞けるようになったのも、高御産巣日(たかみむすび)系統の神の活動だ。また神御産巣日(かんみむすび)系統の活動は、これは女性的の活動だから、はっきり表に現われてないが、並行して現われている。思想の洪水が氾濫するのも、神の道が発展した証拠だ。一方には思想の洪水があって国を危うくする者がないと、真剣に国を守る者が出ない。皆、神の方から見れば、すぺてが経論であって、一潟千里の勢いで進展している」
この頃に比べると、宇宙中継のおかげで、世界の人が一度に梅の花の聞くのを見ることも夢ではなくなった。今後の社会は物質から情報へ、情報から霊的なものへと質的変化をめざし、両方併存しつつ、霊的側面が優勢になることが望ましい。
いま目まぐるしく進むこの情報社会でこそ、梅の花、教えがパッと一度に咲きにおう時期がくる。その霊的変革によってのみ、三千世界は破滅から救われる。ある時期は速度を早めながら、破滅か光明かの選択を人類にきびしく迫りつつ、最後の百匹目へと確実に進みつつある。
みな人の 眠りにつける真夜中に 醒めよと来なく山ほととぎす
梅の花 一度に開く時来ぬと 叫ぴ給いし御祖畏(みおやかしこ)し
神の経綸は難しいです。物質や情報が進むと霊的には退化しやすく、併存は難しいように思われます。
capelaurig
が
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尚、出口栄二先生は有栖川宮熾仁親王のもう一人の落胤、田中たまの娘、家口いくの子です。聖師が孫の4代教主出口直美の夫に選びました。
第81巻 総説より
故に現今行はれゐる所の本元は何なりと詰問すれば、敢て一言も答ふる者無し。況や其の本元が寄りて来る極元の事は、夢にも思ひ居らざる浅ましき餓鬼僧のみ也。
ササ有りと知る人あらば、道統の本元寄而来るの極元は是也と一句たりとも説明して見よ。釈迦も達磨もその道統の本元因て来るの極元を不知故に、直接明言に道法を説明する事不能也。
大本三代の御用が余りにも重すぎたかも知れない。生まれながらに木花姫の精霊の下った肉宮とされ、水晶の種と崇められ、最初の結婚も本人の意志とは関係なく、弾圧で父母は未決に収監され、2度目の夫・日出麿は厳しい拷問で正気を失った。1943年 日向良広との間に生まれた楯彦ちゃんが5才で病死。木庭氏の新月の光、聖師様の餞別に詳しい。
3次事件の背景には1963年頃の平和運動の停止があり、200名にも及ぶ出口家などの人員が整理され教団一つに詰め込まれ、役職が限られた事が大きい。京太郞などは梅松教会なる宗教法人を設立し今日に至る。1936年生まれの京太郎は日向良広に教育され、教団の乗っ取りを謀り、出口虎雄、杭迫軍二、山本荻江、宇佐美龍堂らと三代を追い詰め、1982年、道統を変更させる。
capelaurig
が
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一つは原発回帰という原発政策の転換である。もう一つは防衛政策の転換である。防衛政策の転換とは「敵基地攻撃能力の保有」であり、防衛予算の泥縄的な増額である。具体的に言えば安保3文書の改訂である。これに対して朝日新聞は「戦後日本の安保政策の転換」と論じている。また、東京新聞は「専守防衛の形骸化」と指摘している。この原発政策と防衛政策の転換は政府の独断で進められようとしている。これも朝日新聞では「熟議・説明なし 将来の悔恨」と評しているが間違いのないところだ。一体、国防とは何かということが提起され、論じられないで、軍備を含めた軍の拡大が進められている。それも政府の独断と先走で。これに対抗する論理も思想も不足している。このままだと議論ひとつ作れないでことを進めさせてしまいかねない状態である。
capelaurig
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防衛問題のみならず有事(広い意味で危機、例えば福島原発事故やコロナ感染も含め)における政府の対応力(国家の対応力)の問題を論じているのがこの本だが、著者の安全保障概念はいわゆる軍事的なものからの安全保障だけでなく、原発事故やコロナ感染といったものから安全保障ということまで含む幅広いものだ。安倍元首相は国防的な意味での安全保障については積極的だったが、原発問題やコロナ問題では対応できずにあったからだ。安倍は病気で政権から退いたことになっているが、コロナ感染の問題に対応できずに政権から逃げた。危機管理、そこでの政府(国家)の役割を論じているのが、『国民安全保障国家論』だが、岸田が防衛政策の転換の前にせめてこの程度の安全保障論を提示したらと思えた。この本はウクライナ事件以前から、とりわけ福島原発事故やコロナ感染の発生時から国民安全保障ということを論じているが、ウクライナ戦争の影響は大きい。当然ながら、国防論的意味での安全保障諭においてである。
capelaurig
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素盞鳴尊は大国主命を蛇の室、翌夜はムカデと蜂の室に寝かせた上、野火を放ってあやうく焼き殺そうとする。そのやり方はまことに乱暴で意地が悪い。大国主命は姫や野鼠の助けを得て、これらの難問を無事に切り抜ける。素盞鳴尊は頭のシラミをとらしているうち、寝てしまう。大国主命は姫と共謀して、寝入った素盞鳴尊の髪を垂木(たるぎ)に結びつけ、巨岩で戸をふさぎ、生太万(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)と天(あめ)の詔琴(のりごと)(政治的、宗教的支配力の象徴)を盗み出し、須勢理姫を背おって逃げ出す。
天の詔琴が木にあたって鳴り響く。目ざめた尊は室を引き倒し、結びつけられた髪をとかして黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いつめ、遠く逃げゆく二人に叫ぶ。
「そのお前が持って出た生太万、生弓矢で八十神どもを追い放ち、国の支配者となって、わが娘須勢理姫を正妻となし、宇迦(うか)の山に立派な宮殿を造って住めよ、こやつめが」
髪の中に無数のムカデを飼っておくような、見るも恐ろしい素盞鳴尊。その婿を試す方法はいかにも荒っぽい。しかし最後のせりふにこもる深い情愛はどうであろう。可愛い娘と生命ともいうべき宝を盗んで逃げる男に向って、「こやつめが」と投げる一言に、無限のいとおしみがあふれでいるではないか。
数々の試練をくぐり抜けて自分をあざむいた男に対して、その資質を審神し、娘との愛をもたしかめ、盗んだ宝を与えて、その未来を指示し祝福してやる。なんと行き届いた舅であろうか。
capelaurig
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我々が漠然と思っていたより、はるかに系統的に宗教を研究している。キリスト教、仏教にしても予想外な位にきちんと取り組んでいる。年代によってかなり思想的な発展がある事が非常にはっきりしてきた。大本信仰の上で、瑞の御霊である代表作の霊界物語は王仁三郎の全思想で、それ以前は本来の思想ではないとされたが、著作集はあえて年代順に復元した異例な捉え方をした。1901年の聖教本義から1926年の愛善信真に至る、霊界物語の生まれたいきさつが分かる。不敬罪による1次弾圧(1921年)の神殿破壊の音を聞きながら、口述を始めたのではなく、直前に書かれた神霊界の内容が冒頭部になっている。大正維新で運動が盛り上がった時期に、霊界体験や状況を述べることによって、森羅万象についての王仁三郎の思想の体系化が始まっている。最初は素朴であっても、大正期に習合的になった宗教思想としての特色でもある。
capelaurig
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防衛論という意味での安全保障論は戦後、延々と論じられてきたことであり、それが戦争にどう対応するかの議論であったことは論を待たない。ウクライナ戦争がその検討を深める契機になったことは確かだ。
capelaurig
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レアルポリティークとは、イデオロギー、理想、倫理ではなく、利害に従って権力を行使して行う政治のありかたである。国際関係おいてパワーを重視し、あくまでも国益を追求する現実主義に基づいた外交・安全保障政策を志向する。
帝国主義的な大国主義であり、さらにいえば国家主義であり、国益を力で実現しようとするものである。力の政治における安全保障概念が彼を支配しているということだが、これは歴史的に克服された政治のありかたとされてきたが、生き延びたことを示したのがプーチン戦争である。これは古典的な侵略戦争の実態である。そうであれば、戦後の安全保障ということの検討を迫る。戦後の戦争は主権国家間の戦争は超国家的に上昇し、他方で地域間戦争下降し、主権国家間の力の政治(戦争)も変わったといわれてきたからだ。プーチンの政治はパワーポリテクスの存在を明るみに出したのなら、戦後の戦争が変わりつつあることであり、安全保障観もかわる。
capelaurig
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当時の時代や世相の流れに抗して異議を提起し活動する人達に焦点を当て、無農薬野菜を販売する長本商会や水俣病患者を支援する<甘夏広場>の若い人達、ヘルプ・バングラデッシュ・コミッティーなどを取材して原稿を書くうち、ますます<反時代的な生き方>に共感を持ち、単身、東京を離れて縁多い綾部に移りました。
その綾部で出口栄二先生に出会いました。先生は実は周恩来と因縁浅からぬ人物なのです。有栖川宮熾仁親王のもう一人の落胤、家口いくの子である栄二先生は王仁三郎に乞われ、大本4代教主になる直美さんの夫になります。代々教主は女であるぞよという開祖、出口なおの言葉に従い、大本教団の教主は、長女が継承することになっています。4代目教主の夫になることは、教主を補佐する重要な役割を担います。王仁三郎が有栖川宮の血統を大切にした現れです。名古屋の田中たまはいくの母で、宮内庁も認めています。上田世祢(よね)<王仁三郎の母>を認めたら天皇家は解散になります。
capelaurig
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1962年、栄二先生はモスクワの世界宗教者会議に出席され、中国仏教協会の趙樸初氏に出会います。趙樸初氏は1936年より抗日救亡運動に参加、中国仏教協会の発足に貢献され、会長に就任し周恩来総理から信頼を得ていた人物でした。
<北京に来ませんか、御招待します>と言われ、当時40歳の若い栄二先生は国交が回復していない北京にモスクワから入国しました。北京に到着後、どのような方とお会いしたいかと訊ねられ、<毛沢東主席か周恩来総理にお会いしたい>と答えたところ、ある日<周恩来総理がお会いします>と回答がありました。7月26日対談が行われ、大本について、特に戦前2度も、天皇制国家権力から徹底的に弾圧を受けた歴史を周恩来総理に話すと、総理は傍に居た記者達に<もっと大本を中国に紹介しなさい>と語りました。
この対談の模様は人民日報に写真入りで掲載され、月刊の人民中国(日本語版、エスペラント判など)にも写真入りで記事になりました。周恩来総理が日本の宗教界の動きに敏感だったわけです。
公明党が結党された創価学会にも注目しており、有𠮷佐和子は少なからぬ役割を果たしていました。
capelaurig
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新興宗教とも呼ばれる民衆宗教が、明治維新以降いくつか生まれました。長い間の幕藩体制が崩壊し、新たな時代の変わり目、激しい変革期、未来を見通せない庶民達がどう対応するか、無意識のうちにも新たな指針を求めていました。そして庶民達の声を己の身体で聞き取る能力を持つ、教祖的な人物を多く輩出しました。シャーマンのような存在、それが天理教の中山ミキであり、大本の出口なおらの女性でした。出口なおは無学文盲ながら、たくさんの子供を育て家族を切り盛りしました。たびたび予言めいた事を口走り、牢屋へ入れられ、ある日、神がかり(憑依現象)があります。
どこからともなく筆を持てという声に驚きながら、出口なおは筆を持ち、筆先と呼ばれる書き付けを始めました。フロイトがいう自動書記現象です。書き付けたものを判読できず、後年出口王仁三郎が明らかにします。日本の近代化への疑問、富国強兵に対する批判、西欧文明に追随する日本に対する強烈なアンチテーゼの内容でした。ちなみに出口王仁三郎は、後年エスペラントの意義を認めて大本教団にエスペラントを導入しました。2016年4月に亡くなった一橋大学の安丸良夫氏著の<出口なお>では魅力ある預言者の面のみならず、日本の底辺に生きる勤勉で実直な庶民の女の生涯を明らかにしてます。
capelaurig
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capelaurig
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自ら助くということを、国を守る、社会を守るということに結びつける。そして、それを安全保障の概念と結びつけていく。
ロシアのウクライナ侵攻はいろいろのことを示している。一番大きなことはウクライナの人々の抵抗とその強さである。そこを自ら助くものを助く、というメッセージとして受け取っている。隷属を強いる軍事的な侵略に対して、自から闘うことでしか、そこから解放(助けられる)ことはないということは明瞭である。ただ、このことは国を守るということに結びつくのか。侵略という軍事行為に対して、軍事的抵抗を持ってしか、それに対応できないことをウクライナの人々は示しているというのはその通りある。それはウクライナの人が望んだ戦争ではなく、強いる隷属に抗し、自由のために戦っているというのは文字通りそのように理解していいと思う。独立自尊の闘いであると言っていい。しかし、これは国家のために戦っていると簡単には結びつけてはいけないように思う。ウクライナの人たちの抵抗は現在の形では国家を守る闘いと一体化してある。ロシアがウクライナの国家的支配を目指しているのだから、ウクライナ国家の防衛ということになるのは必然である。国家を指導体制として、それに統制を受けて闘っていることは確かである。それの方が戦闘などで合理的であるためと思われる。だが、ウクライナの人々の自発的な抵抗の論理と、彼らにとって指導位置を占めている国家論理とは同じではない。抵抗の論理と国家的な戦争の論理とは同じではない。
capelaurig
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capelaurig
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人々の安全と生命を守るという安全保障の概念はある。これが国家を守るという概念と結びついてときにどうなるかの歴史的経験を顧みれば、この安全保障の概念がどこに現実の着地点は持つかは未知の世界である。力の行使という政治論理(戦争論)に力で対抗する政治論理は力(軍事力)を持つことが重要であり、それが安全保障でという考えを生む。これは力の論理に対して力の論理で対抗するということであり、力の論理が国家主義で支えられるのなら、対応の論理も国家主義になる。岸田が防衛政策を転換したことには、力の論理が現実化したときに、無意識もふくめて自己を国家主義の論理に転換させたことを意味する。戦後の戦争放棄を含む憲法は国家主義からの転換を宣言した。
国家主義は国家意思を相手に押し付けるという力の論理を超えられるのか。ウクライナの人々はやむなくやらされている戦争をやっているのであり、国家が主体として選んだ戦争をやっているのではない。自発的な抵抗としてやっているのだ。国家意思を主体とした国家主義の戦争ではない。抵抗の論理が国家論理に回収されないで、抵抗の論理が国家論理を部分的なものにするか、この抵抗の論理と国家論理の関係は簡単にいかないところだ。国家論理に結び付けるのは歴史的に難破した道である。近代国家は国民の安全と生命を守ることと国家を守ることを結び付け、力の政治に対抗するため、力(軍事力を備える)道を取った。
capelaurig
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特選
去年(こぞ)今年 つらぬく棒は 反原発 (原子力ガリレオ)
秀句
始まった 戦争暗殺 再稼働 (芒野)
草の根が 数の力を 押し返し (ふ64)
悪政に ふりまわされて 暮れて行く (乾草)
きっと来る ウクライナこそ 明日がある (海の民)
福島は 忘れましたと 再稼働
明日の部
特選
右翼にも 負けずに明日も 座り込み (ふ64)
秀句
明日ありと 思うな原発 俺が止め (原子力ガリレオ)
反撃は 報復戦となる 明日 (芒野)
明日又 続く反原発の 座り込み (乾草)
年老いた 原発に明日は 託せない (ふ64)
明日こそは 原発止めるぞ 裁判で (原子力ガリレオ)
capelaurig
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迎春
昨年の猛暑を忘れさせる、最近の寒さですが、お元気でお過ごしのことと思います。
ロシアのウクライナ侵攻により、世界経済はイギリスのトリプル安を招き、1200兆円を超える日本の赤字国債はいつ破綻してもおかしくない状況下にあります。
ロシア人の8割はウクライナ戦争を支持しており、みろくの世は遠い先まで追いやられています。
国家はもともと国民を守るものではないようで、国民は国家をあてにしてはいけないようですね。確かに国民国家の後に来るのはグローバリズム、国際資本家達の支配かもしれませんね。
理想を言えば、大本を弾圧した天皇制をやめさせて、日本がアメリカに独立戦争でも起こすべきでしょうが、300年後にはアイヌと同じ運命で、日本人は少子化で居なくなるようです。
大本第3次事件が長引いて、出口が見えない状況が続いてますが、皆さまのご奮闘を期待してやみません。
capelaurig
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美しい言葉である。国民安全保障国家というのは国民から自由を奪い隷属をしいる戦争に対する保障である。自衛の保障である。それは国民の自らの抵抗であり行動であり、その保障である。そこには国家主義的な戦争の論理を排していけるかという課題を抱えている。それは対抗的論理の側でどう内包できるか、ということで重要事としてある。その意味で戦争の放棄を戦略的営為とするほかない。ウクライナ戦争の中でもその考えを手放せない。
capelaurig
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『「南京事件」を調査せよ』は戦後70周年企画としてあった77年前の事件の報道ドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」(2015年)を基にした作品だ。この制作を担当した記者が著作としてまとめ上げたものである。この番組について、産経新聞が<虐殺批判の写真に裏付けなし>と批判し、日本テレビがこの写真を虐殺写真として扱ってはいないと反論している。同時にこうした報道番組の一部をとりあげて全体の批判をやる手口を批判している。こういう手口についてはこの本の中でも「一点突破全面展開」方式として批判している。些細な事実の誤認や曖昧さを持って、全体を否定するやり方であり、「南京事件」や「従軍慰安婦」などについて批判的な面々の常套手段といえる。
capelaurig
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「経営環境の変化が速いなかで会社の成長を考えれば、人材の可能性を引き出すことに集中すべきだ。そのためには処遇格差をなくしたほうがいい」。「人はモノやカネとは違う。最大限の配慮が必要だ。経済活動は人に奉仕するために存在する」「次の時代は、より分配に力を入れた社会をめざすべきだ」過剰な楽観に踊ったツケは、いつか回ってくる。だが、萎縮を続けても展望は開けない。「安く、速く、便利に」という効率化は大切だが、働き手が疲弊すれば社会がきしむ。「何事もバランス」といえばありきたりではある。しかし、その凡庸さに耐え、成長と分配の両立を意識しながら修正を続ける意思こそが試されている。デフレ脱却を果たし、「バブル後」が終わったとしても、そこには高齢化と人口減が急速に進む未踏の領域が広がる。世界経済の中での存在感は薄れ、財政・金融政策の余力は減っている。新しい技術や産業の芽を伸ばし、苦闘の経験を大事にしながら、着実に前に進んでいくしかない。
capelaurig
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『先に貴師は九箇の大資格を羅列して説明下さいましたが、其大資格者に私は朝夕接従して居りましたから、大略申し上げて見ませう。虚構も誇張も方便も有りませぬから、そのおつもりでお聞きを願ひます』
バハーウラーは襟を正し、さも謹厳な態度で、ブラバーサの談話を耳を傾けて聞き初めた。
汽車は早くもユデヤの高丘を足重たげに刻みて上り行く。
『私のメシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に諸種の準備を整へて居られます。そして其名はウヅンバラ・チヤンダーと謂つて、実に慈悲博愛の権化とも称すべき神格者です。世界人類に対して、必須の教育を最も平易に懇切に、施し玉ひつつあるのです。故に宗教家も教育家も、政治家も、経済学者も、天地文学者も軍人も職工も農夫も皆訪ね来つてそれ相応の教を受け、歓んでその机下に蝟集して居ます。如何なる難問にも当意即妙な答を与へられ、何れも満足して居ります。是が只今貴師の仰せられた第一の資格たる
「大聖主は世界人類の教育者たるべきこと」の条項に匹敵するやうに思ひます』
『成程御尤もです』
と頭を三ツ四ツ振つてうつむく。
capelaurig
が
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「盧占魁は更に日出雄の掌中に現はれたるキリストが十字架上に於ける釘の聖痕や、背に印せるオリオン星座の形をなせる黒子等を見て非常に驚喜した」
「オリオン星座の形」とあるので、三つ星だけでなく、2個の1等星ベテルギウスとリゲルを含む四辺形が囲んでいたのかもしれません。
王仁三郎と盛平たちはこの後、張作霖の部下に捕まり、盧占魁は殺されてしまいましたが、危ういところで助かって帰国しました。同じ年、外蒙古ではロシア革命の影響を受け、モンゴル人民共和国が成立しました。王仁三郎たちの行動は後の満州国につながったとも見られます。
1924年、奉天に到着した王仁三郎らは、第一次事件の責付出獄中であり、日本の特務機関からも隠れる為、支那服を身に着ける。この時、観相学者が王仁三郎の身体を調べている。
33相を具備する天来の救世主であると、身辺を警備する盧占魁(ろせんかい)に報告している。手相は5天紋という線が顕われ、背中にはオリオン星座の形をした3つの黒子(ほくろ)が、指紋は皆流紋(かいりゅうもん)と言われる渦がない。掌中にはキリストが十字架にかけら、打ち抜かれた聖痕の跡があったという。入蒙記によれば、釈迦が断食の修行を終え、山から降りて来た時、若い女性から牛乳を貰って飲んだ故事により、喇嘛(らま)から牛乳の煎餅(せんべい)を貰う。この時、王仁三郎の掌(てのひら)の聖痕からかなりの出血があったが、少しの痛痒(つうよう)もなかったという。盧占魁は自分の守護神が天から降臨されたと驚喜し、神の如くに尊敬し指示を仰いだようだ。
capelaurig
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「戦後の戦争放棄を含む憲法は国家主義からの転換を宣言した。それならば国家主義を放棄した国家論理は何か」国家主義から脱した国家は可能かというのは、模索してきたところです。その一つは非戦、つまり、国家の暴力の独占ということからくることですが戦争を排除できるかどうかがあります。戦争能力が国家の根幹にある事(これは安全保障という概念)からの脱却でもあるのです。民主主義は国家主義からの脱却の一つですが、過渡的なものにすぎずに、脱却しきれていません。尾を引きずっています。それは民主主義が戦争を内包したままであるということです。そうすると非戦を内包した民主主義は可能かということになるのですが、それを永続的なものと考えるというのが、今、到達している考えです。国家の死滅を国家権力の死滅と考えてそこへの道ということでこんなことを考えています。
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1) 鶴殿親子(つるどのちかこ)
大正6年に明治天皇妃の一条美子の姪にあたる鶴殿親子が、出口王仁三郎が有栖川熾仁親王のご落胤なのか確かめる為、大本に入信する。
聖師の入浴時、有栖川宮に酷似している表現は大地の母(出口和明著)に詳しい。鶴殿親子が宮中に連絡している。
鶴殿親子がモデルとされる紫姫の活躍は、物語16巻大江山、17巻花と花、189ページ上に、<妾は紫姫と申す不束な女で御座います>で登場いたします。
高松宮に出口八重野さんが嫁ぐ話も、山縣有朋が潰したようですね。
2) 出口栄二先生/周恩来会談
1962年、モスクワの宗教会議が終わって、中国仏教協会、会長の趙樸初氏の仲介で、北京で周恩来との会談が実現した。
大本について、特に戦前2度も、天皇制国家権力から徹底的に弾圧を受けた歴史を周恩来総理に話すと、総理は傍に居た記者達に<もっと大本を中国に紹介しなさい>と語りました。
この対談の模様は人民日報に写真入りで掲載され、月刊の人民中国(日本語版、エスペラント判など)にも写真入りで記事になりました。周恩来総理が日本の宗教界の動きに敏感だったわけです。
3) 大本第3次事件について
大本信徒連合会が存在する背景でもあります。当事者である出口三平様にも語って頂きたいと思います。
capelaurig
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Total Productive Maintenance(全員参加の生産保全)の略で、運転部門を主体に小集団活動をベースにした自主保全活動です。7ステップのレベルアップを図り、①初期清掃点検、➁発生源・困難個所対策、③清掃・給油・増締め仮基準作成、④総点検、⑤自主点検、⑥標準化・目で見る管理、⑦自主目標管理となります。その他にワンポイントレッスン、5S、集中管理、故障ゼロなどが付随します。最終的には数値目標の達成値として、時間稼働率 X 性能稼働率 X 良品率 = 設備総合効率を求めることになり、80%以上になれば、優秀な職場といえます。
サンタクロースがいなければ……人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの……だけになってしまうでしょう。
サンタクロースってほんとにいるの? 1897年、「ニューヨーク・サン」新聞に寄せられたある少女の質問に、記者はこう社説で答えた。見えないものはみな、人間が頭の中で拵(こしら)え上げたものだなどとは言えないと。ほんとうに大事なものは見えないものからなっている。『サンタクロースっているんでしょうか?』
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60年運転という現在の規制のもとでは東海第二原発は2038年までしか動かせないので残り15年だが、普通に考えれば110万kw級の原発で採算をとるためには15年では短すぎる。その上3900億円もの莫大な費用をかけて安全対策工事をやってしまったのでどう考えても15年動かしただけでは赤字だ。日本原電も東京電力もべらぼうな値段の電気を買わなければならないはずだったが、それを12年延長することによって黒字転換させようというむちゃくちゃな考え方だ。日本原電は他に敦賀原発2号機を持っているが、これは足元に断層があるので動かせない。そこですでに地面の造成が終わっている敦賀原発3・4号機APWRの原発を2基建てれば、それでさらに60年以上運転できるので日本原電は会社として存続できることになる。
電気が欲しければ太陽光でも風力でも火力でも何ででも作れる。それなのに何で今さらこんな危険な原子力発電を進めなければならないのか。福島県の面積の7%位が人の住めない土地になっている、そういうリスクのあるものをなぜ使わなければいけないのか。
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勝俣元会長は、あれは異常な天災事件だから賠償など必要ないとまで言った。電力会社は政府が所管する原子力損害賠償保険はかけているが、通常の地震保険や火災保険には入っていない。原子力災害が発生したときには原賠法によって1200億円まで保険会社が補填をしさらにそれを超えてしまったら福島事故のように国が税金で補填しているが、その程度まで行かない事故だと地震保険にも火災保険にも入っていないから賠償できない。
普通に原発に地震保険や火災保険をかけようとしたら、莫大な保険料になって電力会社には払えないからだ。原子力損害賠償法に基づかない事故の範囲であるならばその保険料は年間数百億円、へたをすると1千億円を超えるような金額になる可能性が高い。それを60年かけ続けるとなれば、6兆円とか10兆円とかいう金額になってしまうのだから誰も払えない。だから原発は火災保険にも地震保険にも入らない。株主代表訴訟では13兆円弁償せよという判決が出た。当然ながら原発事故が起きれば経営責任を問われるが、今の電力会社の幹部たちは今後はそういう判決は出ないだろうと高をくくっており、自分たちで賠償する責任を負うことを想定すらしていない。もしも今度原発事故を起こしたならば責任者は徹底追及する。
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日本の近代化は、同時に日本の西洋化であるほかなかった。成功すればするほど、「日本」は溶解しかねない。福沢のいう「独立の気風」や「士道の精神」などというものは蒸発しかねない。近代化や西洋化から取り残されるものの不満は、ことさら「日本」を持ち出す方向へと向かうのである。西郷隆盛はその不満を一身に引き受けたが、それでことは片付いたわけではなかった。戦後の第二の近代化は、西洋化というよりアメリカ化であった。アメリカ型の文明がグローバリズムという名で世界を覆いつつある。明治の近代化において日本が直面した矛盾が解決されたとは思えない。福沢を後継する「新・文明論之概略」はでてこず、彼の危惧した「独立の気風」の喪失も問題とされない。
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ウクライナ戦争で原発が攻撃される事態になっているが、日本各地に原発や核施設などがすでに60カ所を超えている。これを防衛するために5年間で43兆円もお金をかけて、敵基地攻撃を定めて防衛力を飛躍的に拡大して守れるのか?守れるはずはない。原発は動いていなくても使用済み燃料を冷やす電源が切れてしまえば過酷事故になる。列島各地の60近くの施設をどうやっても守れるはずがない、自民党は防衛力強化で原発を守ろうなどということで敵基地攻撃能力を含めた安保3文書をまとめた。
マスコミはなぜこんなことをきちんと報道し国民の前に明らかにしないのか。今日の「朝日新聞」に「不安が国民の右傾化を助長している」という記事があった。まさに自民党勢力こそが、国民に情報を明らかにせず、不安を煽り、そして軍拡と原発政策を進めていくという構造が、明らかになっている。今年全国各地で春に統一地方選がある。ぜひ地域の中から、こうした自民党政治、あるいは日本の権力構造、社会構造の問題点をいぶり出しながら、原発NO、軍拡NOの声を上げていくことが必要だ。
福島の除染土再利用を実証事業として所沢、新宿御苑、つくばで開始するという動きがある。昨年12月所沢では市民の皆さんが反対運動に立ち上がった。環境省はとんでもないことを今行おうとしている。説明会では夜中の10時まで延々と追及したそうだ。新宿御苑にはこの前70名以上の方が集まった。多くの市民が集まって、こんなことを環境省にやらせてはいけないということで立ち上がっている。汚染水の問題と同時に私たちの闘いの中で環境省・国の思惑をつぶしていきたい。
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