5世紀に中国の南朝・宋に朝貢した「倭の五王」ですが、その名前の由来を調べてみました。
一般的に知られているのは武(雄略天皇)が「ワカタケル」の「タケル」に由来すること。少しマニアックになると讃(応神、仁徳、履中の各説あり)が応神天皇の「ホムタワケ」の「ホム」に由来するという説もあります。
興(安康天皇)については考古学者の森浩一氏が調べ、安康天皇(アナホ)の名代「穴穂部」が「孔王部」とも書かれ、穴→孔→興の関連が考えられています。
後は私の独自調査です。済(允恭天皇)という漢字は救済を意味し、「救う」「済う」の読み方から、允恭天皇の名前の末尾「宿禰(すくね)」の漢訳でしょう。
一番分からないのは珍(仁徳、反正の各説あり)ですが、私は珍=仁徳で、仁徳天皇は大阪に縁が深く、古くから大阪湾を「茅渟(ちぬ)」の海と呼び、珍(ちぬ)とも表記されたことから名乗ったのではないかと考えています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
一般的に知られているのは武(雄略天皇)が「ワカタケル」の「タケル」に由来すること。少しマニアックになると讃(応神、仁徳、履中の各説あり)が応神天皇の「ホムタワケ」の「ホム」に由来するという説もあります。
興(安康天皇)については考古学者の森浩一氏が調べ、安康天皇(アナホ)の名代「穴穂部」が「孔王部」とも書かれ、穴→孔→興の関連が考えられています。
後は私の独自調査です。済(允恭天皇)という漢字は救済を意味し、「救う」「済う」の読み方から、允恭天皇の名前の末尾「宿禰(すくね)」の漢訳でしょう。
一番分からないのは珍(仁徳、反正の各説あり)ですが、私は珍=仁徳で、仁徳天皇は大阪に縁が深く、古くから大阪湾を「茅渟(ちぬ)」の海と呼び、珍(ちぬ)とも表記されたことから名乗ったのではないかと考えています。
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コメント一覧 (44)
経済学者ピケティ氏らが公表している「世界不平等報告」によれば、中国では上位1割の高所得層が所得全体の41%を占める。北米ほどではないが、欧州より富の偏りが大きい。
財政による所得の再分配機能が相当に弱い。税制では相続税がなく、年金・医療など社会保障の仕組みは手薄だ。大都市部で不動産価格が高騰し、北京や上海では過去数年で3~4倍になった物件が珍しくない。社会主義を標榜し、「西側と異なる中国式発展の道」を習政権が強調してみたところで、経済の実態は米国流の新自由主義に近い。共産党大会で習氏は、貧困を撲滅し、一人ひとりの生活の質を高めると宣言してはいるが。
capelaurig
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新宿御苑の方は28人入ったが、賛成が10人程いて、反対が18人だった。所沢の人たちは、環境省は34万人の市民全員に説明すべきだと言っている。市議会も、資料をもらったがこれでは全然わからないということで、環境省が市議会で説明を行えということを全会一致で決めて今迫っている。説明会では、市長は環境問題をしっかりやると言って当選したのにこんなことをやっているのは何事か、リコールだという声が上がり、怒号が飛び交っていた。所沢市民は27年前にダイオキシンの問題で酷い目にあっているから、環境問題に対しては非常に関心が高い。こんなことは許せない、何で所沢なのだという声が上がっている。横田基地からは有機フッ素化合物を含む汚染土が米軍所沢基地に運びこまれており、騒音も酷い。それに加えてこの汚染土の再利用問題が起き、所沢市民は本当に怒っている。
capelaurig
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(聖師が初心者向けには、この章から読むのが良いと推薦されているのがこの総説歌です。)
(文中の竜樹菩薩とは、龍樹の空理論で有名になった、2世紀にインドに生まれた大乗仏教の祖です。)
啣みし鳩の影もなし 天地曇りて混沌と 妖邪の空気充ち充ちて
人の心は腐りはて 高天原に現はれし ノアの方舟尋ね侘び
百の神人泣き叫ぶ 阿鼻叫喚の惨状を 救い助くる手力男の
神は何れにましますぞ 天の宇受女の俳優の 歌舞音曲は開けども
五つ伴男はいつの日か 現はれ給ふことぞかし つらつら思いめぐらせば
天の手力男座しませど 手を下すべき余地もなく 鈿女舞曲を奏しつつ
独り狂へる悲惨さよ 三五教の御諭しは 最後の光明とどめなり
ナザレの聖者キリストは 神を楯としパンを説き マルクス麺麭(パン)もて神を説く
月照彦の霊の裔 印度の釈迦の方便は 其侭真如実相か
般若心経を宗とする 竜樹菩薩の空々は これまた真理か実相か
物理に根ざせる哲学者 アインスタインの唱へたる 相対性の原理説は
絶対真理の究明か 宗教学者の主張せる 死神死仏を葬りて
最後の光は墓を蹴り 蘇へらすは五六七神 胎蔵されし天地の
根本改造の大光明 尽十方無碍光如来なり 菩提樹の下聖者をば
起たしめたるは暁の 天明閃く太白星 東の方の博士をば
馬槽に導く怪星も 否定の闇を打破る 大統一の太陽も
舎身供養の炎まで 残らず五六七の顕現ぞ 精神上の迷信に
根ざす宗教は云ふも更 物質的の迷信に 根ざせる科学を焼き尽し
迷へる魂を神国に 復し助くる導火線と 秘かに密かに唯一人
二人の真の吾知己に 注がむ為の熱血か 自暴自爆の懺悔火か
capelaurig
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チャップリンが映画「独裁者」で示した感性の重要性につき 啓蒙されます。
「我々は考えすぎて、感じることがあまりにも少ない。我々が必要としているのは機械よりも人間愛であり、利口さよりも思いやりと優しさである」
強欲に対しては少欲知足ですが、マハトマ・ガンジーは「地球は各人の生存のために必要とするものは満たし得るが、各人の貪欲は満たし得ない」と述べています。これはグローバリゼーションが逢着する諸問題の背景を説明するものです。 「少欲知足」は、欲望を減らすことにより幸福を極大化することを可能にするもので、現在見られる消費の極大化の追求と 対照的と言えます。
これは幸福=富÷欲望であるとする釈迦牟尼の教えと軌を一にするものです。この数式では欲望は分母であり、富は分子です。
権力に対しては哲学ですが世界が直面する危機を前にして、古代ギリシャのプラトンが「王様は哲学者になるべきである。さもなければ人類の不幸は無くならない」と述べています。今日、哲学の欠如により世界は理想を失い、民主主義の究極の目標たるべき「最大多数の最大幸福」は忘れられている。
capelaurig
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ラファエルの絵画、ダンテの神曲、ミルトンの失楽園などは、世界を動かすに足る美術文芸であるが、キリスト教の精神を会得せざる者には、充分理解、翫味する事が出来ない。何のための安息日か、クリスマスか、復活祭か、キリスト教を知らぬ者には、到底欧米の風俗習慣を理解する事は出来ない。このキリスト教の本源は他でもないユダヤ教である。
イスラエル民族は、由来憐れむべき民族で、団結力の強固ならざる12士族より成り、分裂瓦解し、軍隊、法律は国の独立を保てず、その結果、神に縋って保護を求め、救済を願った。その惨状は実に目もあてられざるもので、随って宗教意識も非常に強烈を極めた。これがユダヤ教の出来た根本理由である。当時ユダヤ民族は、多神教のバビロン、エジプト、ギリシャ等に取り囲まれて居た。多神教徒は種々雑多の神々に奉事する結果、その信仰は動揺不安定に流れ、一心不乱の堅固なる信仰に入る事が出来ない。かかる周囲の状態の下、モ-ゼがシナイ山頂でエホバの神から1神教的の訓戒を受け、之をその同族に伝えたのは、民族自衛の点から極めて必要な事であったに相違ない。この信仰は周囲の圧迫が激烈なるにつれて、益々強烈に赴いた。神の降した戒律が峻刻を極めたもので、他面に於て信仰を強烈ならしめ大に力となった。その戒律中には、「汝我面前に、我の他何物をも神とすべからず」
capelaurig
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一寸考えれば、中々面白い。真の神は宇宙に只一柱より他にないという一面の真理だけは、よく表われて居る。モ-ゼは、独りこの戒めをその同族に示したばかりでなく、世界人類一般に示したものの様である。しかし茲に出た「神諭」は全宇宙主宰の神示としては、偏狭に傾いて居るように見受けられる。
エホバと唱える名称は、いかなる神を指すのか。外国の神のように思って、よそ事に聞き流すもあろうが、根本の神、宇宙の本体という意義である。日本民族が、太古に於いて天御中主神とたたえた神を指すに外ならぬので、極めて大切な国祖である事が判る。ただこの神徳の説き方が、甚だ人為的で不備偏狭を免れぬという欠点があるのである。
我が天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)のことを、アブラハムも、モーゼも、其他すべてのイスラエル人も、エホバと崇め唱えたらしいが、天御中主神は全霊界統治の神であると同時に、全現界統治の神である。独りイスラエル民族が専有すべき神でなく、実に又、我日本統治の神であり、各個人の保護の神である。かの神の降したと称する戒律は、よしや人為的、偏狭不備の臭味を脱せぬにしても、其裡には、幾分神意の伏在するものが無いではない。吾々とても、単に異邦の事、シナイ山嶺の事と聞き流す訳には行かない。神の誠の声の一部が、幾分吾々の耳底にも響く感がするのである。
capelaurig
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天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為に、第二位の神となって顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て此にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次に天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神(かみむすびのかみ)である。創世記には、神を称するに単にエホバとのみ言わず、エロヒムの語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。
天御中主神は、三種の顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限の神徳は、無論このような簡単な事で顕わし切れるものでない。そこでこの大天地鎔造の神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備の域に進ましめられたが、天照大御神の時に至って理想世界は完成した。
capelaurig
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国学者などは、此日本ばかりが神国のように考えて居た。これはイスラエル民族が、自分ばかりが神の選民であると思惟し、エホバの神はイスラエルばかりを守護するように考えたのと同じような僻見である。古事記には『神皇産霊神(かみむすびのかみ)が少彦名命(すくなひこのみこと)を遣わして、常世の国を経営せしめた』と記載されて居る。常世国は外国である。神の眼からは、日本もない、外国もない。只各国をして、其天賦の職責性能を発揮せしめんとせらるるのみである。此の世界経営の神業は今日とても依然として継続されて居る。天御中主神の神徳を知ろうと思えば、日本神代史の研究は勿論、ギリシャ、ローマの神話も、キリスト教、回教、バラモン教、道教、儒教も、西洋の諸学術も、悉く調べて見て、造化の宝蔵を敲いて見ねばならぬ。一宗派、一専門の士では不足だ。霊智霊能あるもの、誠心誠意あるものの全部が、総懸りで取懸らねばならぬ問題である。それ丈努力討究しても、尚お僅に神の大業の百千万億分の一を想見する事しか出来ぬのである。
現代の日本国民の神霊についての知識及び信仰の程度は如何。神代史の知識は欠如し、天御中主神の神徳を知らぬ者の多きは勿論、第2流、第3流の神様さえさしおきて、種々雑多の低級な神々ばかり拝んで居るものが多い。これでは、日本は浅ましい迷信教国と言われても仕方がない。
ギリシャの信仰なども、随分堕落して居た。ギリシャの神々は、森の中、山の上、谷や野原で、よく血を流して闘ったり、鎬を削って争ったりした様だが、敵を殺したり、欺いたりするという事は、神の尊厳を汚すもの、戦いに敗北して、敵に降参するに至っては言語道断である。
capelaurig
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1)講談社・出口栄二選集(第4巻)の出口和明対談223ページ上に、有栖川宮熾仁親王日記のところで、家口いくさんが生まれたしるしとして、熾仁親王は短冊とルビーの指輪、産着をおたまさんに与えています。
玉矛の道ある世をぞ仰ぐらん万の民もひとつこころに、というお歌を、聖師は、これはみろくの世のお祈りの歌じゃといわれた。
ルビーの指輪は、田中たまさんから、いくさんにわたり、出口直美さんに贈られたとあります。
2)山本昌司著、大本に生きる、86ページ上に、聖師はたるひとの4文字を歌いこんだ、おびただしい短歌を詠まれる。
からたまも霊魂も空より降りたるひとの出ずば闇は晴れまじ
五十鈴川澄みわたりたるひと筋の清き流れぞ世を洗うなり
聖師の出生時に、母上田よねに親王が贈ったという守り刀
親王が贈った短冊には、熾仁親王の御名と印と花押がちゃんとあった。
わが恋は深山の奥の草なれや茂さまれど知る人ぞなき
産着の白い綸子の小袖
以上の記述がありますね。あとは証拠写真なのですが。
capelaurig
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p。s。
大本第3次事件については、本来の大本信仰を確立する事にあり、昭和57年(1982年)5月26日 大阪都ホテルにて教継を出口直美様より聖子に変更してから41年が経過してますが、これからが正念場ですね。
ウクライナ侵攻、コロナ汚染など悪い型になっており、我々信者の結束が正常化の為に必要かと思って居ります。
capelaurig
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稲荷の神は「飯成の神」という事で、宇迦之御魂神である。つまり豊受神で五穀の生育を司り、万民の食物の源を養う神であるから、「御膳津神」でもある。豊受神は造化第三位の神から遣わされた物質世界の神であり、天照大神は造化第二位の神から遣わされた理想世界の統治の神である。豊受神は物質世界の住民に食物を恵み、天照大神の神業を助ける。だからこの二柱の神は内外両宮に祭られ、万民の信仰の中心になって居る。
天御中主神はエホバであるが、その神徳は隠れて見えない。樹木ならば、地中に隠れた根の如きものである。この根はやがて地上に顕現し、第二位、第三位の神となる。第二位の神は即ち幹であり枝であるから、高皇産霊神の事を「高木の神」と云う。第三位の神は花であり実であるから、神皇産霊神の事を「ムスブ」と云う。第二位の神は理想を結んで之を天照大神に委ね、第三位の神は物質を結んで、之を豊受大神に託したのである。
汎神教というのは、物質的有形庶物を祭る宗教である。動物、植物、鉱物、山川、森林等をそのまま神として祭る宗教である。かく「自然の個物」を崇拝すると、勢い肉世的、物質的に堕落する。かの偶像崇拝は「抽象的概念」を神として拝む。抽象的概念には形が無いから、之を現すに偶像を用いる。仁王、帝釈天、毘沙門天など皆抽象的概念の具象的表現である。
capelaurig
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capelaurig
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を記憶として温存するという知恵が勝って働くからだろう。官僚や電気独占体、あるいは政治家たちのご都合主義的にことは動かない。国民というか、市民や地域住民の原発事故から受けた衝動と「原発はいらない」という意識は記憶として保存されているし、政治的に変わらない。原発事故はかつてある首相が収拾宣言をしたことがあるが、依然として続いている。このこともあるが、原発に対す人々の意識は変わらず続いている。これを現在的な意識としてだけではなく未来に続く意識として持続させることが大事なだけである。事故から受けた衝撃とそこから得た原発について意識をより自覚的な意識として進化させ意識的に持続させることが肝要なのである。それは脱原発や原発廃止という意思を持続させていくことであり、再稼働や原発存続(推進)に抗する運動を継続することだ。この体制との闘いは立花隆が言っていたが、ほとんどが負け戦としてある。その負け戦にまた抗っていくしかない。この細い道を経てしかことは成就しない。こういうことを考えると原発についての認識はどのように深まってきたか、反省としてでてきもする。国分功一郎さんという哲学者が書いた『原子力時代の哲学』を想起する。
capelaurig
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孝明天皇と将軍家茂による平和の改革を破り、戊辰戦争を起こしたのは、岩倉/桂/西郷/大久保の仕業である。倒幕派の政治的野心が岩倉を中心にまとまり、頑強な攘夷論者の孝明天皇と会津/弱体化する幕府との間で天皇の奪い合いが生じた。戊辰戦争の錦の御旗はそれを象徴している。
明治維新前の人々は国家観/天皇観より藩の殿様が全てであった。甲州人とか上州人が最近の官吏とか平民のようなもので、障壁がありました。天皇家は当時3万石の小大名にすぎず、暗殺やら偽の世継ぎは、充分考えられる状況にありました。
睦人親王は1852年11月3日(翌年ぺリ-が来航)孝明天皇の第2皇子として誕生、母は中山忠能の娘、慶子である。
病弱な幼少で12歳の年、禁門の変で御所は被弾し、卒倒失神される。1866年12月孝明天皇が崩御、翌年14歳で122代天皇の座に就く。中山忠能は長州に尽力した為、謹慎中で睦人親王は複雑な心境であったとされる。徳川安泰の時代ではなく、天皇の役割は国政を左右し、政治の主導権争いになる。宮中は無秩序になり猿(周防の猿回し)が出没して警固が充分ではなかった。1867年7月睦仁親王は猿に手を引っかかれ負傷し、膏薬に毒が仕込まれたという。一説によると、慶子の子供ではなく、慶子は毒殺に同意したという。中山忠能日記に奇兵隊の天皇として、大室寅之祐が登場する。
capelaurig
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京太郎のコメントには腹が立ちますが、第3次事件の4年前、1978年の記事ですね。
直接、出口家から出てきた刀剣ではありませんが、信者が良く保管してましたね。
皇室批判の不敬罪という文面も今いちですね。正しくは皇室否定が良いと思います。
capelaurig
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後醍醐天皇(南朝)は鎌倉幕府を倒しますが、天皇親政(建武の中興)がままならず、 足利尊氏に追放され、1339年失意の内に崩御し、その怨念と悔根は、後の世に 南北朝の争いを残します。天皇親政の革命は建武の中興と明治維新だけで、 明治天皇による南朝正統の勅裁はご自身の崩御前年に出されます。
禁門の変(1864年)から2年の間に、2度の長州征伐失敗後、薩長による倒幕の流れは、家茂/孝明天皇の不可解な死去と共に、海外の新聞で報道される。
孝明天皇は毒または手槍りで刺された説であり、長州ファイブで英国で化学を学んだ伊藤博文が止めを刺した暗殺者として有力である。 岩倉具視は公武合体で孝明天皇の信頼を得たが、和宮を家茂へ 降嫁の画策で蟄居させられ、倒幕へ転向した。岩倉には動機があった。
睦仁親王は禁門の変で、銃弾が飛来した際に、失神される程脆弱で、坂本龍馬の斡旋で有栖川宮(北朝)が教育係となり、元服を迎える。
伊藤博文は上京する西郷(南朝の家臣、菊池氏の子孫)を、山口県田布施町の大室家に紹介し、南朝伝承を確認させる。薩長同盟には公武合体の孝明天皇/睦仁親王を廃し、南朝の天皇を立てる約定があった。
二人を始末して、薩摩屋敷に待機していた大室を宮中に入れ、有栖川宮は倒幕を命じる。 南朝にした西郷は目的を達し、江戸開城で勝海舟と妥協する。
capelaurig
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郵送しました。上田さんはすぐさま本部側にその資料を送ってしまい、その旨、丁重なお葉書を貰いました。その後、連合会無くして、大本100年史はできないとのクレ-ムが付いたようで、未だに本部側は出版に踏み切れないようです。当方はいつでも参画しますが、本部側はけちょんけちょんになるしかありませんね。
capelaurig
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capelaurig
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王仁三郎は筆先の真解ということばかりでなく、開祖の期待していた<みろく>の教説についても、まだ発表していなかった。それらが発表される時節が、いよいよ近づいてきたとする認識は霊界物語第1巻の発端にある。 『天地剖判の始めより56億7千万年の星霜を経て、いよいよみろく出現のあかつきとなり、みろくの神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱を建て、苦重滅道を説き、道法礼節を開示し、善をすすめ、悪をこらしめ至仁至愛の教えをしき、至治太平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したもう時期に近づいて来たのである。』と記されている。
capelaurig
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特選
・事故避難寒さにふるえた日を忘れ - 原子力ガリレオ
秀句
・原発の無理筋ツケは国民へ - ふ64
・一番の経済対策脱自民 - ふ64
・寒さ越え脱原発の座り込み - 芒野
「知恵」
特選
・福島を元に戻せる知恵欲しい - 芒野
秀句
・ふしぎだな専門家ほど知恵がない - 原子力ガリレオ
・議員官僚集まるほどに文殊消え - ふ64
・知恵がなく事故をおこすぞ再稼働 - 原子力ガリレオ
capelaurig
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預言的中 火の雨が降るぞよ 新しき神道を説く出口王仁三郎翁 鳥取発
自分は支那事変前から第2次世界大戦の終るまで囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国4千にのぼった教会を全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会はどこにもたてない考えだ。治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、
御光は昔も今も変らぬが、大内山にかかる黒雲
という浜口内閣時代の暴政をうたったものを持出し、これはお前が天皇になるつもりで信者を煽動した不敬の歌だと言い出し、黒雲とは浜口内閣のことだと言ったが、どうしても通らなかった。自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も預言したが弾圧を受けた。火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよのお告げも実際となって負けた。これからは神道の考え方が変ってくるだろう、国教としての神道がやかましく言われているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変りがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた、殊に日本の官国弊社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和25年までは駄目だ、いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃した時にはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。
capelaurig
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