前回で倭の五王の珍=済説を書きましたが、要点を纏めておきます。
王朝交代説は、『宋書』倭国伝で珍と済の続柄の記載が無いことを根拠としますが、続柄だけではなく、珍の死と済の即位を表す言葉もありません。
続柄が無いことだけを取り上げ、死と即位が無いことを取り上げない王朝交代説は論理的におかしいのではないか。
死と即位が無いということは、王朝交代どころか王の交代もなく、珍が改名して済になったということ。
珍が百済の軍事権を宋から認められなかったため、百済の一字を名前にして宋にアピールしたのではないか。
以上です。また続きを書くかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
王朝交代説は、『宋書』倭国伝で珍と済の続柄の記載が無いことを根拠としますが、続柄だけではなく、珍の死と済の即位を表す言葉もありません。
続柄が無いことだけを取り上げ、死と即位が無いことを取り上げない王朝交代説は論理的におかしいのではないか。
死と即位が無いということは、王朝交代どころか王の交代もなく、珍が改名して済になったということ。
珍が百済の軍事権を宋から認められなかったため、百済の一字を名前にして宋にアピールしたのではないか。
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コメント一覧 (65)
習近平って何者なのだ、という思いから免れぬところがあるのだが、そういう思いに留まっていられない。彼は今や中国を支配する権力者であり、強権(極権)者であり、その言動は僕らにも深く影響する。僕らの前で君臨するこの権力者は、中国の統治権力者の二期(10年)という不文律を破り、三期目の統率者として存在する。中国の最高権力者は共産党の総書記である。かつてのソ連邦の最高権力者がソ連共産党の書記のスターリンであったように。この総書記の任期は党規約(憲法よりも重い法的位置を持つ)にはないが、アメリカ大統領が「二期8年」であるように、「二期10年」というのが一応の決まりだった。不文律ではあった。
capelaurig
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長く権力の座にとどまると腐敗するのは確かでしょう。これは一般的に言えると思います。
capelaurig
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万教同根はその通りでしょう。仏教とかキリスト教というのは宗派の名前と見れば良いと思います。
capelaurig
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★ 汚染水汚染土やがて列島総汚染
★ 戦争原発地球の怒り聞こえぬか
★ もう12年まだ12年福島は
★ 再鼓動災禍動としかよめず
★ 原発のごたくは聞き飽きる
★ いいかげんにしろ戦争も原発も
★ 戦争原発地球壊れる音を聞く
★ 戦争原発こんな時代を終わらせよ
★ 軍拡原発異次元のおそろしさ
★ 原発で滅ぶ日本にしてならぬ
★ 原発のうそ八百はもう聞かぬ
★ 軍拡で亡び原発でも亡ぶ
★ 大軍拡やがて悲願の核武装
capelaurig
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世論調査でも徹底抗戦の支持率がとても高い。もちろん、いつ死ぬか分からない恐怖を抱え、みんなどこかで無理をしています。一方で、ロシアの侵略に対する怒りは厭戦感情を上回るので、「そろそろ諦めましょう」「領土を譲って終わりにしましょう」と言う人には、これまで1人も会っていません。
ロシア側にとっては、ウクライナ側が攻撃を受ければ受けるほど、諦めるどころか激しく反撃してくるというこの点が、一番理解できていなかった部分なのだと思います。
一方で、こんなに強い人たちであっても、やはりどこかで折れてしまわないか、ということがとても心配です。心ならずも、という結果になってしまったときの絶望感と復讐心が、どんなものになってしまうのか。残念ながら、ウクライナにとって有利な状況で終わる保証はどこにもないのです。
ウクライナ人の多くが言うような、「ロシア軍を完全に追い出して」戦争が終わることは、はっきりいって非現実的だと思っています。どこかで諦めないといけない。一方で、これだけの犠牲を払わされたうえ、とても不本意な終わり方をしてしまったときに、今と比べものにならないくらいの復讐心が生まれてしまうでしょう。
それが避けられないからこそ、ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています。
capelaurig
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筆先が近代天皇制による神国ナショナリズムとの軋轢による社会的革命性、立替えの為、戦争を辞さない終末論的ラディカリズムを内包している。大本が組織化を進めた大正期はデモクラシーが実現され、裏面では世界戦争を準備していた。60年代を生きる高橋は王仁三郎が持っていた力を拡大し、暴力の帰結で崩壊まで描き尽くす。救霊会という組織が宗教団体という名の政治運動体へのプロセスで、出口なおの世直し思想、王仁三郎の言動と行為を重視し作家としての文学的創造力を発揮する。いかなる信仰集団が描き出されるのか宗教文化のダイナミズムが浮かび上がる。
capelaurig
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生来の差別愛より
神的なる 平等愛に進む径路は
実に 惨憺たる血涙の道を行かねばならぬ
これが不断煩悩得涅槃の
有難い消息が秘められている。
真の神。造物主の目指すものは 「宇宙の統一平和」です。
そして神とは「絶対愛」です。人間のような依怙贔屓のない絶対愛なのですね。
そうすると人間の愛は「差別愛」となります。
ともすれば日本は神国だとか雛型だからとか日本は世界の天国だとか、私も含めて語りがちです。それが真実でもあるしね。
これがナショナリズムをもたらします。しかし神の意図はそれらをはるかに凌駕したものなのです。
王仁三郎は大神は天国においては太陽として現れ、霊国においては月として現れると語っています。
その太陽も月も霊体であり、神の実証なのですが、太陽は地上の万物に24時間365日間光と熱を休むことなく与え続けています。そこにエコひいきではありません。絶対愛なのです。
しかし人間の世界は差別愛の世界です。あの人を愛しているから沢山のお金を与え 嫌いになったから与えないというような。しょせん人間の愛とは愛の悪なのですね。それに対して神の世界では太陽と月の働きをみてわかるように愛の善の世界・平等愛の世界なのですね。
寒気、熱気をも輸送するもので、寒帯の寒気は熱帯に運ばれ、熱帯の熱気は寒帯に運ばれて世界中の温度が段々平均して来るのである。平均すると云ふても、比較的の事であつて、熱帯は矢張り暑く、寒帯は冷たいが、寒暑の度が今迄のやうに激烈でないやうに調節されるのである。温帯は余り変化は無い。「北がよくなるぞよ」との神諭も亦這般の消息を伝へて居るのである。又大本祝詞の「暑さ寒さも柔かに云々」とあるも此事である。
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「同じ天人でも、東の団体に住む者と西の団体に住む者とは大変な幸不幸あるじゃありませぬか、西の方の団体が甲団体を羨望して移住して行く様な事はありますかな。」
「決して左様な案じはありませぬ。すべて神格よりする愛其ものの情動如何に依って、各自の運命が定まるのですから、西の団体が東の団体の光明を羨望して行った所で、自分の徳が足らないので、苦しくて居られないのです、それ故個々団体の天人は決して他へ自由に移るといふような事はありませぬ、すべて高天原には順序が第一重んぜられて居ります。此順序を誤る者は、到底天国の生活は望まれないのです。大神様の神格は順序が第一に位しているのですから、地上の世界の如く、決して秩序紊乱などの虞は夢にもありませぬ。これ故に天国は永遠に平和が保たれてゆくのです。」(第47巻 天国巡覧 天界行)
capelaurig
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「成程、実に結構な御経綸がしてあるものですなア。」
「現界の如く、労使の衝突だとか、労働問題だとか、地主対小作争議だとか、思想・政治・経済問題などは夢にも起りませぬ、実に平和な幸福な生涯ですよ。現界人が一度天国の情況を見たならば、再び現界へ帰るのは厭になって了ひますよ。」
「治国別さま、あの南の方に小さき丘陵が見えませう、あれは智慧と証覚とに充ちたる天人共の住居する団体です。そうして此真北に当る所に又一つの丘陵があって一部落が見えましょう、あれは愛善と信真の徳よりする智慧証覚に充ちたる天人共の住居する一個の団体でありまして、南の団体よりは少しく劣っている天人が群居して居ります。少し此から見ても朧気に見えるでしょう。」
「愛の善といふものは凡て吸引力の強いもので、又無限の生命を保有しているものです。天人であろうと、現界人や地獄界の人間であろうと、それ相応の愛によって生命が保たれている。其愛なるものは凡て厳と瑞の御霊の御神格より内分的に流れて来る。実に無始無終の生命ですよ。」(第47巻 天国巡覧 天界行)
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インドに生まれた仏教は、北伝仏教により中国に入る。インド思想の深玄幽境に瞑想して悟得する仏教が、中国人の現世中心的な生活原理を尊ぶ思想に入ります。仏教の現世否定的な出家解脱、輪廻転生の空獏幽溟な思想と中国の現実主義的立場が論争しました。
中国の弥勒信仰は死後における彼岸の救済よりも、現実的弥勒下生信仰へと発展し、中国古来の易姓革命の思想と交わり、此岸の浄土を願う思想となり、政治経済・文化全般に及び、現状打破変革の思想を醸成していきます。
聖師は弥勒とは<至仁至愛で意であり、仁愛と信真によって、宇宙改造に直接当らせたまうゆえに、弥勒と書いて弥々革むる力とあるのをみても、この神の御神業のいかなるかを知る事を得らるる>(霊界物語第48巻西王母)と述べ、端的に弥勒の精神をあらわしている。
立替え立直しが大本の精神であり、その現幽神三界を立替え立直しする主体神が出現したところに、大本の出現の根本義があり、大本信仰の要点があります。
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弥勒信仰は上生信仰と下生信仰に大別され、下生信仰とは釈迦の死後56億7千万年後、弥勒菩薩が下生して釈迦の救いに漏れた人々を救う信仰です。平安時代に弥勒下生まで自分の肉体をミイラにして待つ死を、入定、即身仏といって、尊い死の姿でした。
日本においては、経塚(教典を経筒に入れ土中深く埋める)や、修験道の役行者が金峯山で感得した蔵王権現の像などで、吉野の金峯山は弥勒浄土の地とされ長く信仰されてます。綾部近郊の弥仙山頂上に金峯山神社があり、開祖出口なおが弥仙山で修業され、日本海の孤島沓島に三千年忍び給うた国祖神が綾部に御帰還のおり、しばらく弥仙山に御神霊をおとどめになります。
中世になると、弥勒の化身とされる布袋信仰や、庶民に福を与える日本独特な七福神信仰があります。みろくの神の化神として種々の姿を変じ庶民の願望をかなえ、悪魔から守り平和を与えるみろくの神の愛の精神が現れた姿です。聖師は七福神の姿で自己の神格を芸術的、ドラマチックに自ら演出表現されます。
近世になると、おかげ参り、ええじゃないかと呼ばれる世直しを願う、民衆のみろく社会への熱気に満ちた行動が起こり、根底にひそむみろく信仰の生きた鼓動が感じられる。
大本は尊い東洋の宗教思想の根幹であるみろく信仰の生命を承継し、平和なみろくの御代を創造し、万物を更生し、新しい生命を賦与して、立替え立直しの中心的神であるみろくの神を主体として生きた真実の信仰を信奉する。
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治国「実に天国と云う所は、吾々の想像意外に秩序のたった立派な国土ですな。到底吾々如き罪悪に充ちた人間は将来此国土に上る見込はない様ですな。」
言依別「決して左様な道理はありませぬ、御安心なさいませ。此処は最下の天国で、まだ此上に中間天国もあり。最高天国もあるのです。猶其他に霊国と云ふのがあって、それ相応の天人が生活を続けて居ます。」
「其最高天国へ上り得る天人は、非常な善徳を積み、智慧証覚の勝れたものでなければ参る事は出来ますまいな。」
「厳の御霊の聖言にもある通り、生れ赤子の純粋無垢の心に帰りさへすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によって案外容易に上り得るものです。」
「成程、然し天国にも矢張り自然界の如き太陽がおでましになるのでせうな。」
「アレ、あの通り東の天に輝いて居られます。貴方には拝めませんかな。」
「ハイ、遺憾乍ら未だ高天原の太陽を拝する丈けの視力が備はって居ないと見えます。」
「さうでせう。貴方には未だ現実界に対するお役目が残って居ますから、現界から見る太陽の様に拝む事は出来ますまい。天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、ここに太陽と現れ給ふのです。現界の太陽とは非常に趣が違って居ります。霊国にては瑞の御霊の大神月と現れ給ひ、天国にては又太陽と給ふのであります。霊国の月は現界から見る太陽の光の如く輝き給ひ、又天国の太陽は現界で見る太陽の光に七倍した位な輝き方であります。日は真愛を現し月は真信を現し、星は善と真との知識を現し給ふのであります。」(第47巻 天国巡覧 下層天国)
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一方、体素、または水素というものもある。火素と水素が相抱擁帰一して、精気なるものが宇宙に発生する。火素と水素がもっとも完全に活用を開始して発生するのが精気である。
この精気から電子が生まれる。電子は発達して宇宙間に電気を発生し、万物の活動の原動力となるのである。
神界では、霊素(火素)を高御産巣日神といい、体素(水素)を神御産巣日神という。霊体二素の神霊から、電気が発生し、宇宙に八大神力が完成し、そして大宇宙と小宇宙が完成したのである。
今日の世界は電気の応用が多少でき、便利になったが、電気の濫用は宇宙の霊妙な精気を減少させる。精気が減少すれば、それだけ邪気が発生するのである。邪気によって空気が濁り、病気や害虫が発生する。
しかしながら、五六七神政出現までの過渡時代である現代においては、これ以上の発明がまだなされていないため、電気の応用も便利にして必要なものなのである。
さらに一歩文明が進めば、不増・不減の霊気を電気に代えることができる。邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気によって世界が完全に治まる。このレベルに達すると、浅薄なものを捨てて神霊に目覚めざるを得なくなるのである。
宇宙間には無限の精気が存在するため、電気もまた無尽蔵に存在する。また、電気の濫用から生じた邪気も、水火の活動による新陳代謝で常に浄化が行われているのである。
人間は宇宙の縮図であるから、人体一切の組織と活用がわかれば、宇宙の真相も明瞭になるのである。人体にも、天の御柱たる五大父音と、国の御柱である九大母音が声音を発して、生理作用を営んでいる。
霊界物語 第4巻 霊主体従 卯の巻
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特選
・信じるな不安をあおる国カルト - ふ64
秀句
・信じてるゲンは不屈の名作だ - 金狼と月
・信じます原発事故れば世の終わり - 原子力ガリレオ
・だまされた人に罪あり大戦後 - 芒野
・汚染水信ずる漁民一人も無し - 海の民
・自民党信じるあなたが悪いのよ - 水蓮仏
「気付く」
特選
・ウソだらけ情報選ぶ手間が増え - 芒野
秀句
・気付いたら原発回帰を言う政府 - 原子力ガリレオ
・処理水と言い換えしても汚染水 - 芒野
・あらためてゲンが脅威と気付かされ - 金狼と月
・気が付けば日本は再エネ後進国 - ふ64
・気付かせず戦争準備そっとやる - 水蓮仏
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治国別「いや、そうではない。天国は愛善の国だ。神は愛と信とを以て御神格と遊ばすのだ。吾々も神様の愛と信とを受けなくては生命を保つ事は出来ない。神より頂いた此愛と信とを遍く地上に分配せねばなるまい。地獄におつるのを恐れて現在目の前に苦しんでいる此憐れな人々を救はないと云ふのは、所謂自愛の心だ。自愛の心には天国はない。仮令此場所が地獄のドン底であろうとも、自愛を捨て善と愛との光明にひたる事を得るならば、地獄は忽ち化して天国となるであろう。」
「然し乍ら斯様な天国へ来て居ながら、あの様な穢い人間に触れて、折角磨きかけた精霊を穢す様な事があっては、多勢の人間を娑婆へ帰って救ふ事が出来ますまい。只の一人を助けて精霊を穢すよりも、此場は見逃して多勢の為に愛と信との光を輝かす方が、何程神界の為になるか知れませぬぞ。此処は一つ考え物ですな。」
「いや決してさうではない。目の前に提供された、いはば吾々の試験物だ。此憐れな人間を見逃して行過ぐる位ならば、到底吾々の愛は神の神格より来る真の愛ではない。矢張り自然界と同様に自愛だ、地獄の愛だ。斯様な偽善的愛は吾々の採るべき道ではない。」
「ここは最下層の天国、これより中間の天国団体へ案内致しませう。中間天国の天人の証覚や智慧及び愛と信は、下層の天国に住む天人に比ぶれば、万倍の光明が備はって居ります。此天国より一万倍の愛の善と信の真、
智慧証覚を備へなくては、仮令天国へ無理に上るとも、眼くらみ、頭痛甚だしく、力衰へ、殆ど自分の生死の程も分らない様になるものですよ。竜公は被面布を頂かれて、第二天国の探検もできませう。治国別様も被面布を上げませう。」(第47巻 天国巡覧 天開の花)
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治国別「嗚呼どうなり行くも神の御心、吾々人間の如何ともすべき限りでない。神様、御心の儘に遊ばして下さい。罪悪を重ねたる治国別、過分も此清き尊き天国に上り来り、相当の御処分を願います。」もはや絶対絶命となって来た。此時俄に天の戸開けて天上より金色の衣を纏ひたる、目も眩きばかりの神人、二人の脇立を従へ、雲に乗って二人に前に悠々と下らせ給ひ、懐より霊丹(れいたん)と云ふ天国の薬を取り出し、二人の口に含ませたまへば、不思議なるかな二人は正気に返り、痩衰へた体は元の如く肥太り、顔色は鮮花色と変じ、爽快の気分に充されて来た。
「貴神は木花姫命様でございましたか、誠に御仁慈の段感謝の至りに堪へませぬ。」
「神様、能くまあお助け下さいました。竜公は既に天国に於て野垂れ死をする所でございますなあ。」
「総て天国には善と真とに相応する順序が儼然として立って居りますから、此順序に逆らへば大変に苦しいものですよ。身霊相応の生涯をさへ送れば、世の中は実に安楽なものです。水に棲む魚は、陸へ上れば直に生命がなくなるようなものでござります。」(第47巻 天国巡覧 霊丹)
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「ハイ、吾々が命の親の木花姫様、この御恩は決して忘れはいたしません。」
「妾は貴方の命の親ではありませぬ。貴方の命の親は月の大神様ですよ。唯お取次をさして頂いたのみですよ。宇宙一切は月の大神様の御神格に包まれて居るのでございます。決して礼を云うて貰っては迷惑に存じます。何卒神様に直接にお礼を仰有って下さい。」
竜公「もし先生、霊界の如意宝珠と云ふのは善言美詞の言霊ですよ。中間天国へ上る途中に於て天津祝詞や神言の奏上を忘れたので、姫命様がお気をつけて下さったのですよ。」
「成程、ヤ、ウッカリして居った。木花姫様、有難うございます。ほんに竜公さま、お前は私の先生だ、ヤア実に感心。」
「先生、そんな事云って貰ふと大に迷惑を致します。決して竜公の智慧で言ったのではありませぬ。御神格の内流によって、斯様に思ひ浮べて頂かせられたのです。」
「現界に於きましては、竜公さまは治国別さまのお弟子でありませう。併しこの天国に於ては愛善と信真より来る智慧証覚の勝れたものが、最も高き位置につくのでございます。神を信ずる事が厚ければ厚い程、神格の内流が厚いのでございますから。」
「天国に参りましても、やはり現界の虚偽的階級を固持して居ったのが、重々の誤りでございます。月の大神様、日の大神様、木花姫様の肉の御宮を通し、又竜公さまの肉の宮を通して、愚鈍なる治国別に尊き智慧を与へて下さった事を感謝致します。」(第47巻 天国巡覧 霊丹)
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体素、または水素というものもある。火素と水素が相抱擁帰一して、精気なるものが宇宙に発生する。火素と水素がもっとも完全に活用を開始して発生するのが精気である。
この精気から電子が生まれる。電子は発達して宇宙間に電気を発生し、万物の活動の原動力となるのである。
神界では、霊素(火素)を高御産巣日神といい、体素(水素)を神御産巣日神という。霊体二素の神霊から、電気が発生し、宇宙に八大神力が完成し、そして大宇宙と小宇宙が完成したのである。
今日の世界は電気の応用が多少でき、便利になったが、電気の濫用は宇宙の霊妙な精気を減少させる。精気が減少すれば、それだけ邪気が発生するのである。邪気によって空気が濁り、病気や害虫が発生する。
五六七神政出現までの過渡時代である現代においては、これ以上の発明がまだなされていないため、電気の応用も便利にして必要なものなのである。
さらに一歩文明が進めば、不増・不減の霊気を電気に代えることができる。邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気によって世界が完全に治まる。このレベルに達すると、浅薄なものを捨てて神霊に目覚めざるを得なくなるのである。
宇宙間には無限の精気が存在するため、電気もまた無尽蔵に存在する。また、電気の濫用から生じた邪気も、水火の活動による新陳代謝で常に浄化が行われているのである。
人間は宇宙の縮図であるから、人体一切の組織と活用がわかれば、宇宙の真相も明瞭になるのである。人体にも、天の御柱たる五大父音と、国の御柱である九大母音が声音を発して、生理作用を営んでいる。
霊界物語 第4巻 霊主体従 卯の巻
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電気は害虫を発生させるなど電気の乱用は邪気を発生させるが、気象を枡懸け引ならすなど、気候の平準化など、人類にとって正しい作用をしているのです。邪気などは新陳代謝の左右により払いのけ、これを神典では祓戸四柱の大神というのですが、大宇宙は破壊と創造を繰り返し生成化育の神業を行っているのです。そしてそれは文明の進歩発展のみちでもあります。スサノオ」という言霊は 「スサ」は「進展」{ノ」は水「オ」は「心」を意味します。スサノオとは「進展する心」「新陳代謝」のことです。王仁三郎は自分のことを「太古の素盞嗚命」と語っているのですが。。
たえまなく続く破壊と創造、新陳代謝、その破壊を行うのがいわば悪魔の仕事、創造立直しを行うのが神の仕事。しかしながら大きな枠組みの中では正しい神の仕事なのです。生成化育・宇宙の進化発展のための神の経綸の一環です。
その破壊の一環、悪魔の仕事の一環としていわゆるフリーメーソンなどが使われることがある。
しかし宇宙の完成が近づきつつある現在、いかなる悪魔の存在を神は許すわけはいかないのですね。
大本は尊い東洋の宗教思想の根幹であるみろく信仰の生命を承継し、平和なみろくの御代を創造し、万物を更生し、新しい生命を賦与して、立替え立直しの中心的神であるみろくの神を主体として生きた真実の信仰を信奉する。
大本信仰に対する動的神観にめざめ、三大学則の精神(宇宙の本源は活動力にしてすなわち神なり)を体認し、みろく神業に奉仕の誠を捧げる覚悟が必要です。
いわゆる宇宙の完成・弥勒の世到来の前にどうしても世界の大掃除が必要なのでしょう。
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「大本教=出口王仁三郎のことについてやや細かくこだわっている理由は、何か。出口王仁三郎と三島由紀夫とのあいだには、友清歓真の帰神法が介在しているばかりでなく、有栖川宮熾仁親王の血統という伝説である」
三島は長男を「威一郎」と命名するほど威仁親王の「威」が気に入っていたようです。松本氏はこの章で『豊饒の海』第一巻『春の雪』について詳しく解説されていますが、そこに威仁親王の死が書かれていることには言及されていません。
友清歓真は大本教の信者でしたが、後に離れて新宗教「神道天行居」を創設し、大正10年(1921年)に「霊学筌蹄」を著しました。この著書が三島由紀夫の『英霊の聲』に参考文献として挙げられています。三島は明らかに大本教と接点がありました。最後の演説と檄文にも「大本」の語が現れ、『春の雪』三十八には松枝清顕が「国の大本がゆらぐような出来事が起ればいいのだ」と発言する場面があります。
松本氏のこの本には書かれていませんが、「オリオン座の黒子」も注目されます。『春の雪』五では清顕の黒子が次のように描写されています。
「わけても、月が丁度深くさし入っているその左の脇腹のあたりは、胸の鼓動をつたえる肉の隠微な動きが、そこのまばゆいほどの肌の白さを際立たせている。そこに目立たぬ小さな黒子がある。しかもきわめて小さな三つの黒子が、あたかも唐鋤星のように、月を浴びて、影を失っているのである」
唐鋤星(からすきぼし)はオリオン座の和名です。
一方、出口王仁三郎の『霊界物語』特別編『入蒙記』第九章「司令公館」には次のような記述があります。王仁三郎は大正13年(1924年)宗教国家の建設を目指し、植芝盛平(合気道の開祖)らを率いて満州・内蒙古を旅しました。現地では「源日出雄」と名乗り、馬賊の盧占魁と出会いました。
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後醍醐天皇(南朝)は鎌倉幕府を倒しますが、天皇親政(建武の中興)がままならず、足利尊氏に追放され、1339年失意の内に崩御し、その怨念と悔根は、後の世に 南北朝の争いを残します。天皇親政の革命は建武の中興と明治維新だけで、明治天皇による南朝正統の勅裁はご自身の崩御前年に出されます。1861年岩倉具視は和宮を将軍家茂へ降嫁させたが、幕府へ売ったと裏目に出て1862年孝明天皇(北朝)から蟄居を命じられ、保身の為、倒幕派に身を置き、孝明天皇の排除を画策した。岩倉には動機があった。 宮中には岩倉の命を受けて忠実に動く女官(堀川紀子、中御門良子)がいた。当時の人々が薩長と手を結んだ岩倉による暗殺とみたのは当然である。
孝明天皇と将軍家茂による平和の改革を破り、戊辰戦争を起こしたのは、岩倉/桂/西郷/大久保の仕業である。倒幕派の政治的野心が岩倉を中心にまとまり、頑強な攘夷論者の孝明天皇と会津/弱体化する幕府との間で天皇の奪い合いが生じた。戊辰戦争の錦の御旗はそれを象徴している。
明治維新前の人々は国家観/天皇観より藩の殿様が全てであった。天皇家は当時3万石の小大名にすぎず、暗殺やら偽の世継ぎは、充分考えられる状況にありました。
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二人を始末して、薩摩屋敷に待機していた大室を宮中に入れ、有栖川宮は倒幕を命じる。 南朝にした西郷は目的を達し、江戸開城で勝海舟と妥協する。 睦仁親王は1853年11月3日(翌年ぺリ-が来航)孝明天皇の第2皇子として誕生、母は中山忠能の娘、慶子である。
病弱な幼少で13歳の年、禁門の変で御所は被弾し、卒倒失神される。坂本龍馬の斡旋で有栖川宮(北朝)が教育係となり、元服を迎える。1866年12月孝明天皇が崩御、翌年15歳で122代天皇の座に就く。中山忠能は長州に尽力した為、謹慎中で睦仁親王は複雑な心境であったとされる。徳川安泰の時代ではなく、天皇の役割は国政を左右し、政治の主導権争いになる。宮中は無秩序になり猿が出没して警固が充分ではなかった。1867年7月睦仁親王は猿に手を引っかかれ負傷し、膏薬に毒が仕込まれたという。一説によると、慶子の子供ではなく、慶子は毒殺に同意したという。中山忠能日記に奇兵隊の天皇として、大室寅之祐が登場する。
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明治天皇は肖像画ばかりで写真がない、明治44年南朝正統の勅裁、明治神宮の昭憲皇太后の石碑、そして大正天皇に子種がない、そして西園寺公望が昭和天皇に上奏し、昭和10年6月の御前会議、12月8日昭和天皇の命令による大本弾圧で信者30余名の殉教者を出す、秀吉による26聖人殉教のカトリック処刑と並ぶ。天皇としての自信をつけ、翌昭和11年2.26で<朕が先頭に立ち、鎮圧する>と豪語、北一輝は<若殿に兜とられて負けいくさ>の辞世を残す。司馬遼太郎は中国に勝てない戦力で米国に宣戦と批判、東条との親密さは異常だった事は良く知られる。
霊界物語67巻浮島の怪猫で、アケハル(明治)の岩が浮島となり、われよし・つよいものがちの天皇制ファシズムの崩壊を予言している寓話であり、主神信仰への要諦が説かれる。偽天皇とは、大室寅之祐とか昭和天皇が西園寺八郎の子であるなど、戦前不敬罪として日本人にタブー視された盲点です。出口王仁三郎は有栖川宮熾仁親王のご落胤で正当な北朝の天皇でした。
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1935年6月御前会議で大本弾圧が決定された。弾圧のやり方は叩き潰す。日本宗教史上稀にみる醜いやり方である。細部にわたって公望は指示したとされ、1940年死去する。
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