『宋書』倭国伝は不可解です。なぜ小学生でも不思議に思うような誤った読み方がされているのでしょうか。
珍と済の間には王位継承が無いのです。「珍死して済立つ」という文章は無いのに、専門家と称する皆さんは超能力で透視するかのように、この文章が本文に書かれているものとして議論をされています。
私の知らない深い闇があるのかもしれません。近現代に限らず、いつの時代も闇はあったと考えられます。古代の闇は時間が経ってしまっているだけにいっそう厄介です。
私が邪馬台国問題に深入りしないのは闇が深過ぎるからです。倭の五王(実は四王だと私は思っていますが)の時代ならどうにか分かりそうなものですが、かなり難しいです。王仁三郎が「王仁」を名前に取り入れたのも謎の一つです。
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