『宋書』倭国伝は不可解です。なぜ小学生でも不思議に思うような誤った読み方がされているのでしょうか。
珍と済の間には王位継承が無いのです。「珍死して済立つ」という文章は無いのに、専門家と称する皆さんは超能力で透視するかのように、この文章が本文に書かれているものとして議論をされています。
私の知らない深い闇があるのかもしれません。近現代に限らず、いつの時代も闇はあったと考えられます。古代の闇は時間が経ってしまっているだけにいっそう厄介です。
私が邪馬台国問題に深入りしないのは闇が深過ぎるからです。倭の五王(実は四王だと私は思っていますが)の時代ならどうにか分かりそうなものですが、かなり難しいです。王仁三郎が「王仁」を名前に取り入れたのも謎の一つです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
珍と済の間には王位継承が無いのです。「珍死して済立つ」という文章は無いのに、専門家と称する皆さんは超能力で透視するかのように、この文章が本文に書かれているものとして議論をされています。
私の知らない深い闇があるのかもしれません。近現代に限らず、いつの時代も闇はあったと考えられます。古代の闇は時間が経ってしまっているだけにいっそう厄介です。
私が邪馬台国問題に深入りしないのは闇が深過ぎるからです。倭の五王(実は四王だと私は思っていますが)の時代ならどうにか分かりそうなものですが、かなり難しいです。王仁三郎が「王仁」を名前に取り入れたのも謎の一つです。
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日本人の想念(魂の活動)の思いが清まらず、主神の思い、肝心の所がわからない。信仰的想念とは、人の悲しみ苦しみを受け止め、主神・経典に根ざす事が急務である。
皇統を廃して王仁三郎を天皇にするという自白を強要した大本弾圧で教団は破壊され、御自身も6年8ヶ月独房での拘禁、この時点で天皇制は潰えた。平成上皇の生前退位で御厨貴は<中身はともかく、イベント化して興味を引くことで、天皇制を維持している>と述べている。ポツダム宣言前後の国体維持の暗躍、対ソ戦略での天皇利用したアメリカは、反動国家主義を復活させた。国祖国常立尊の大本神話(主神信仰)と天岩戸開きの天皇制神話(現人神信仰)とは異質のものである。
capelaurig
が
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弥勒の化身される布袋信仰や、七福神があり、おかげ参り、ええじゃないかの世直しを願うみろく信仰の生きた鼓動が感じられる。
国祖、天照大神と対峙する瑞の大神、素戔嗚尊(聖師)は、言魂としての霊界物語12巻で、3女神が登場し、市杵島、秋月、深雪姫による天の岩戸開きを行う。
みろく下生された昭和3年3月3日(56歳7ケ月)の前後に、聖師は台湾から樺太まで巡教され、月宮殿を造営し、歌、合気道を実践され、身をもって霊五体五を強調された。
大本は尊い東洋の宗教思想の根幹であるみろく信仰の生命を承継し、平和なみろくの御代を創造し、万物を更生し、新しい生命を賦与して、立替え立直しの中心的神であるみろくの神を主体として生きた真実の信仰を信奉する。
大本信仰に対する動的神観にめざめ、三大学則の精神(宇宙の本源は活動力にしてすなわち神なり)を体認し、みろく神業に奉仕の誠を捧げる覚悟が必要です。
capelaurig
が
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北光の神(聖師)は竹野姫、テームス、リーダー等を引き連れ、気を利かして一間に引き上げて了った。後にセーラン王(熾仁親王)、ヤスダラ姫(和宮)は暫し沈黙の幕をつづけていた。ヤスダラ姫は心臓の鼓動を金剛力を出して鎮静しながら、顔にパッと紅葉を散らし、覚束な口調にて、
『セーラン王様、お久しう御座いました。御壮健なお顔を拝し嬉しう存じます。』
と僅に言ったきり、恥しさうに俯むいて顔をかくす。セーラン王は目をしばたきながら、
『貴女も随分辛い思ひをしたでせうなア。私もテルマン(江戸)の国の空を眺めて、渡り行く雁に思ひを送ったことは幾度か知れませぬ。私の真心は貴女の精霊に通じたでせうなア。』
『ハイ、一夜さへ王様の御夢を見ないことはありませぬ。今日ここで貴方にお目にかかるのは夢の様に御座います。夢を両人が見て居るのではありますまいか。夢なら夢で、どこまでも醒めない様にあって欲しいものですワ。』
『霊界物語』四十一巻には「入那の国」が出てきますが、日本の京都を中心とした地域とみています。韓国語では、日本の「日」を「イル」と発音します。ハルナの国が「ハル・東」、ナ・「地」を示し、東京を示すように、那とは出口王仁三郎聖師の記述では、国や地を示してますから、当時の日本の中心、京都を示しても不思議ではありません。そして『霊界物語』の発表された当時、韓国は日本に併合されていましたから、「イル」という発音が「日」を示すことは、知られていたと思います。
テルマン国は、関東・江戸ではないかと。テルマンの「言霊《ことだま》返し」は「トルマン」と同様「ツマ」であり、「ホツマ・秀妻」の国、優れた国、日本の東部なのでしょう。テルモン国も「照る紋」という意味で、三葉葵《あおい》の紋などが翻《ひるがえ》る江戸と考えています。
capelaurig
が
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「これが最後の講演になると思う」と言いつつ、繰り返し、繰り返し、憲法の大切さと、平和の大切さを、分かりやすい言葉で語り続けた。
「戦後100年経って、明治憲法と同じように天皇を『神』に戻して国を統一していこうと、日本人がするのではないか。その心配は今のところないけれど、いつぶり返すかわからない」と大江さんは言った。
そして議論が自由にできなくなる時代にしてはならない、と力を込めた。
「私たちがいなくなった後も、子どもたちが担っていく問題。一つの家庭で、親子が、夫婦が、兄弟が語り合えるようにしておかなければいけない」と。
大江さんは、きっと自身の話しぶりに不安があるのは分かっていた。あの手紙にあった「不安」は、文字どおり思うようにしゃべれないもどかしさを言っていたのだと思う。
それでも、大江さんは公の場に立った。訴えるべき言葉を、聴衆に語りかけた。
最後の講演は少しも難解ではなかった。分かりやすい言葉で、二度と戦争が起きないようにするための希望を聴衆に託そうとしていた。何でも語り合える自由の大切さを、繰り返し、繰り返し。
予定の時間を超えて、講演を終えた大江さんは、心の底からほっとした表情を浮かべて「終わった」とつぶやいたように聞こえた。自分の仕事はここまで、あとは君らが平和をつないでほしいと言われているような気がした。
capelaurig
が
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立替えを 他人のことと勿(な)思ひそ 立替するは己が身魂ぞ
ゆめの世に 夢を見るちょう人の世も 神の御声に醒めざるはなし
「三千世界一どに開く梅の花」と、艮の金神は初発に宣言した。一八九二年旧正月のことである。
「今日の物質文明と大本の精神文明との準備がととのったということであり、三千世界一どに開くというのは、縦からも横からも全部天にあるものいっさいを指して、それがいっさい、地にあるもの、一度に開くということだ。今までにためてあったすべての経綸が、まず形の上から現われてくる」
確かに艮の金神が宣言した当時からみれば、加速度的に発展した物質文明、地球上の華やかな変化は目をみはるに十分だ。だが精神文明の方はどうか。むしろ後退し、蹴行的状態である。王仁三郎は、梅の花は神の教えだと示す。神の教えが一気に人類の目をきます時がくるということであろう。
碁の名人が打った捨て石が、進むにつれてどうなって、どう利くかということは、予測もつかなぃ。「名人ともあろうものが、ばかな石を打つものだ」ぐらいに思うこともあろう。だが振り返ってみると、その一石が決め手となることさえあるのだ。
神の経論は近視眼的な我々には理解できなくてあたり前、完全な理想世界を築くには、政治も、経済も、宗教も、芸術も、形あるものないものすべてが必要であり、わけでも科学は大きな役割をになうであろう。
capelaurig
が
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奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
益田勝実は長州の国家老一族である。田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
capelaurig
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皇祖神天照大神との万世一系の下に、君主制を巧みに成文化した明治憲法は、岩倉/伊藤/井上により、国民に義務を強制させた。国家神道にては、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神と天照大神の四神となり、体制を確立していく。祭政一致、一君万民の国体とする。
天皇の日本統治の根拠を、前近代的な宗教の次元に求め、現人神を中心とする国教的に創造し、臣民に天皇制ファシズムを制度化した。
capelaurig
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鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。
capelaurig
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こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
capelaurig
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四一巻のセーラン王は、孝明天皇であり、かつその次の天皇として予定されていただろう有栖川宮熾仁《たるひと》親王を指すと考えています。とすれば、セーラン王の、当初は寵愛《ちょうあい》を受けた妻、カールチンの娘、サマリー姫は、堀河紀子を示すのでしょうか。王仁三郎はカールチンを「変わった朕」と謎をかけています。孝明天皇の後に有栖川宮熾仁を追い落とし朕になり替わろうとする朕なのかなと。朕とは天皇の自称です。王仁三郎は語りました。、マッカーサーはへそだ。朕の上にある。
中世のヨーロッパ史では、叙任権闘争に始まり、強権的な王を嫌うドイツ諸侯はこれに喜び、破門赦免が得られなければ国王を廃位すると決議した。王は窮地に陥り、政治的支持を失っていることに気づかされた、そして1077年、北イタリアのカノッサで教皇に赦免を乞う屈辱を強いられた(カノッサの屈辱)。神聖ローマ帝国に及ぶ教皇と皇帝の争いは、いわば霊界と現界の確執ではないか。王仁三郎が大神の神格と天皇の権威の両方を持っていた事に注目したい。霊界優位は当然だが、現界の立替え立直しも必要になる。
capelaurig
が
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伏見より老の坂を踏み越えて山陰道を西へと故郷に近づきながら、娘の足どりは重い。亀岡の城下町も過ぎ、歩みを止めたのは丹波国曽我部村穴太の古びた小幡橋の上であった。犬飼川が両岸を薄氷にせばめられ、音もなく流れる。指が凍てつく欄干の上をなでる。国訛の人声が近づく。びくっとして、娘は橋を渡り、石段を三つ四つ、続いてまた四つ五つ降って石の鳥居をくぐり、小幡神社の境内に走りこむ。おおいかぶさる森を背に、小さな社殿があった。その正面には向かわず、右手の大桜の幹にかくれてうずくまる。
誰にも言えぬ、娘の身で妊娠などと。死ぬほど恥ずかしい。
伏見の叔父の舟宿に養女に望まれて行ったのは十九の年、まだ都の風にもなじまぬ世祢であった。叔父は伏見一帯の顔役であり、勤皇方の志士たちとのつながりが深かった。
早朝あるいは深夜ひそかに舟宿に集う人々の中に、あの方はおられた。僧衣をまとい、深く頭巾をかぶったお姿だった。叔父は心得たようにすぐ奥座敷へ招じ入れ、接待には世祢一人を申しつけ、他の女たちを寄せつけなかった。叔父も、同志たちも、敬慕と親しみをこめて、あの方を「若宮」とお呼びしていた。若宮が何さまであるかなど、まだ世祢は知らない。けれど二度三度おいでのうちに、あの方はなぜか世祢に目を止められ、名を問われた。
そんなある夜、驚きと恐れにおののきながら、世祢は引き寄せられるまま、固く眼をつぶった。抵抗できる相手ではなかったのだ。
幕末から明治へと激動する歴史の流れが、世祢を押しつぶした。
capelaurig
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capelaurig
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渡辺は戦争体験について次のようにいう。「それはね、軍の横暴、独裁政治の愚かさ、身に染みて分かったわけで」「あれだけ人を殺して、何百万人を殺して、日本中を廃墟にした連中の責任を問わなくていい政治ができるわけがない」(敗戦、原点となった戦争体験)。独裁政治の愚かさということが、敗戦に導く戦争の中でわかるということは相当なことだったと思う。これは軍の政治(軍政)ということを、身を持って知ったことである。軍隊の横暴や戦争の悲惨さと同時に軍の政治(独裁制政治)の愚かさ知るということは簡単なことのようでなかなか難しかったのである。
彼は敗戦後に復員し大学に戻るが、そこで共産党に入り、東大共産党で活動する。多くの学生が共産党に加わり、政治活動(学生運動)に加わるという走りのようなことを始める。1970年代前半頃まで日本の学生は学生運動に参加し、共産党も含めて左派の活動に多く参加した。これは戦後の日本の政治的風景でもあった。
capelaurig
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特選
・戦争につながる予算子につなげ - ふ64
秀句
・脱原発世界とつながる合言葉 - 原子力ガリレオ
・フランスの年金抗議日本でも - 芒野
・米国の声より民の声つなげ - ふ64
「気力」
特選
・原発を止める気力は一万年 - 芒野
秀句
・国力と気力落ち込む日本国 - 芒野
・知識より気力が勝負原発は - 原子力ガリレオ
・干支周り気力は負けじと座り込み - ふ64
capelaurig
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虚しい日々が過ぎて一年、若宮凱旋の湧き立つ噂さえ、よそごとに聞かねばならぬ世祢であった。明治二年の正月も過ぎ桜にはまだ早いある朝、何の前触れもなく、あの方は小雨の中を馬を馳せていらした。あわただしい逢瀬であった。言葉もなくただ世祢はむせび泣いた。ここにあの方のお胸があるのが信じられない。
待つだけの世祢のもとに、たび重ねてあの方は京から来られる。帝は京を捨てても、あの方は京に残られた。夏が過ぎ、そして秋――最後の日は忘れもせぬ十月二十七日の晴れた午後。深く思い悩んでおられる御様子が、世祢にも分かった。
「これぎりでこれぬ。帝がお呼びになるのじゃ。これ以上逆らうことはできない。東京に住居をもてば妻を迎えねばならぬ。達者で暮らしてくれ、世祢」
あの方は、いくども世祢を抱きしめ、抱きしめて申された。何も知らなかった田舎娘の世祢にも、あの方のお苦しみがおぼろに分かりかけていた。
京の人々の口さがない噂では、あの方は、帝のおおせで、水戸の徳川の姫と御婚約なさったとか。けれどあの方は、仁孝天皇の皇女、先の帝のお妹にあたる和宮さまが六歳の時からの婚約者であられた。同じ御所うちに育ち、その上父宮幟仁親王さまの元に書道を習いに通われる幼い和宮をいつくしまれつつ御成人を待たれて十年、やっと挙式の日取りも決まる時になって、和宮は公武合体の政略に抗しきれず、贄となられて関東に御降嫁。しかしあの方は、未だに深く宮さまを慕っておられる。二十一歳にして前将軍家茂未亡人静寛院宮と変わられ、江戸におられる薄幸の人を。
capelaurig
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東京遷都の美々しい鳳輦御東行のお供も辞し、官名を返上されて、あの方は京に残られた。しかし勅命でお呼び寄せになられれば、どうして逆らうことができよう。――うちは、あの方のなんやったんやろ、と世祢は思う。思うそばから、考えまいとふり切った。お淋しいあの方のために、一時の慰めのよすがとなれたら……。
――ただそれだけで、うちは幸せなんや。
capelaurig
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聖師は一人の人に複数の人を当てはめられることがあります。トローレンスという名前は、トロッキー、レーニン、スターリンの三者を一緒にまとめたものです。セーラン王の中に、孝明天皇と有栖川宮熾仁親王の二人を投影しています。孝明天皇と熾仁親王が重なるということは、孝明天皇の正統な継承者は熾仁親王だと暗示したことになる。
『霊界物語』の本文より、「セーラン王」は、和宮(ヤスダラ姫)との関係で兄を示す時は、孝明天皇、または陛下、許嫁《いいなずけ》を示す時は、熾仁《たるひと》親王である。
カールチンは岩倉具視、またサマリー姫は、孝明天皇の内侍、岩倉具視の実妹、堀河紀子《もとこ》が相応。しかし熾仁親王との関係では、皇女和宮降嫁後も、和宮の存在が脳裏《のうり》を離れず、親王が婚約を遅らせた徳川貞子かもしれません。
鬼雲彦は、婆羅門《ばらもん》教の大棟梁《だいとうりょう》、大教主として大黒主《おおくろぬし》と名乗り、鬼雲姫を妻としますが、鬼雲姫は「昭憲皇太后《しょうけんこうたいごう》」の可能性がある。昭憲皇太后は病弱で実子はなかったが、夫明治天皇には寵愛《ちょうあい》を受けておらず、かつその薨去にあたっては、皇后でありながら劣位の皇太后の名を諡られています。石生能(いその)姫は、大正天皇を生んだ柳原愛子が相応。入那を京都、テルマン国を関東、また江戸と見る。テルマン国は「ホツマ」秀妻の国、日本(日本の東)です。四九巻第八章からテルマン国の西に位置すると考えられるのが入那の国、京都。「イル」は「日」(韓国語)那は「地」です。
capelaurig
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入那の国〈京都〉のセーラン王の館は東西南に広き沼を囲らし、北の一方のみ原野につづいている。この国では最も風景好くかつ要害よき地点を選み王の館が築かれてある。セーラン王は早朝より梵自在天の祀りたる神殿に昇りて祈願を凝らし、終って吾居間に帰り、ドッカと坐して双手を組み思案にくれながら独言、
『あゝ世の中は思うように行かないものだなア。忠誠無比の左守の司クーリンスの娘和宮を幼少の頃から父王の命により許嫁と定まっていたものを、大黒主の神様に媚びへつらう右守の司カールチン〈岩倉具視〉の勢力日に月に増大し、ほとんど吾をなきものの如くに扱い、和宮をテルマン〈江戸〉国の毘舎シャール〈徳川家茂の女房に追いやり、わが最も嫌う所の右守の司〈岩倉具視〉が娘サマリー〈堀河紀子〉姫を后に致したとは、実に下、上を犯すとは言ひながら無暴の極まりだ。あゝ和宮は今頃はどうしているだろう。一度姫に会って幼少からの吾心の底を打明かし、ユックリと物語って見たいものだが。
capelaurig
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capelaurig
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昭和天皇が最も嫌った人物として、北一輝、三島由紀夫そして出口王仁三郎と考えられる。
松本健一氏の<三島由紀夫の二二六事件>でも言及されてますが、当の<英霊の聲>では、二二六事件に深く関与できなかった男が、大本祭礼で亡くなった青年将校の霊魂を呼び戻すと、<天皇はなぜ人間なりしか?>という呪詛の聲が聴こえる。三島は観念の中で創り上げた<文化概念としての天皇>に対して、俗物的昭和天皇への嫌悪感を抱き、昭和天皇ご自身にも伝わったのではないか?三島が天皇に正直に向き合った作品ではなかったか?
capelaurig
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農業生産は石高で測れるけれど、工業や商業の生産はどう測るか。当時の工業は農村中心なので、工業が発展すると農村の人口密度が増える、商業が発達すると都市化が進むで、人口密度と都市化率と工業・商業生産量のデータが揃っている明治期から類推したらしい。
つねに安定して成長し続け、ひとりあたりの生産量が古代・中世は0・06%、江戸期は0・15%の年成長率との事。
成長がやや目立つのは古代前半と中世末期から江戸初期にかけて、そして注目は人口より生産の伸びのほうが著しく増えた18世紀後半です。江戸時代なかばからの成長は、いよいよ本格化し、明治維新という外圧を待たずに独力で進化されたらしい。
capelaurig
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空海(774-835)は唐で密教を学び、日本で初めて庶民に教えを広めた。正法が行われない末法思想(他力本願)が終わり、1052年平等院鳳凰堂(阿弥陀仏)が建立、浄土思想は彼岸(あの世)で成仏する。みろく思想はこの世で浄土を作る。聖師は弥勒を至仁至愛とし、弥々革むる力とした。
聖師は1871年(1870年、落胤を隠す為)生まれ、1948年昇天
明治維新は1868年、1945年終戦
聖師は明治維新を王政復古でなく神政復古にすべきだったと語っている。
1945年12月30日付朝日新聞には、民主主義でも神に変りはない、都合のよい神社を偶像化し官幣弊社に唯の人間を祀っている事が間違いの根本だ。世界平和は全世界の軍備撤廃で実現されるとした。明治維新と第二次世界大戦の断絶は日本人の深刻な問題で、容易に埋めることはできない。戦前の天皇が戦後はアメリカに代わり、ジャパン・ハンドラーと言われる。
江戸時代、キリスト教を恐れて鎖国をし、世界との門戸を閉ざして、日本は近代化に失敗した。
そして敗戦を渋る日本に対し、1945年のヤルタ会談では北海道・東北のソ連分割も考慮され、アメリカはやむなく原爆を投下し、日本全体の占領を容易にしたという。北方領土占領で済んだのは幸運かもしれない。
ペリー来航(1853)で、公武合体の犠牲となった和宮(1846-1877)はやむなく降嫁し、婚約者の熾仁親王(1835-1895)と別れ、
落ちて行く身を知りながら紅葉ばの 人なつかしくこがれこそすれ
と詠み、涙を流した。実は皇女和宮は明治二年一月二十日頃に岩倉具視らに暗殺され(その後は替え玉)、熾仁親王の東京行拒否、有栖川宮家の侍医であった中村孝道の縁を通しての、伏見での上田よねとの出逢い、出口王仁三郎聖師の誕生につながった。
capelaurig
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物質文明に心酔した人民は、弱肉強食を天理の如く思考し、無慈悲で、殺伐で利己主義である。悪魔同様である。現社会は黄金国でなく地獄である。文明ではない。野蛮であり生物を殺して喰う猛獣国である。この肉食のために、偽文明の人民が気が強く、活気はあるが慈悲心は断滅し、生存競争は狂烈になり無神論なる馬鹿知識が、人民を小利口、小理屈で、神国たることを忘却し、異邦の道を尊重し、奇怪千万なる倫理に迷う。宗教なり道徳を疑い、大地震が揺らずとも、大戦争が無くとも、この社会は自然に破滅するようになる。今のうちに不都合なる社会の風潮を一掃し、精神的文明、惟神の徳性を拡充し、世界人類のため心身を尽くして、神教のまにまに円満美麗なる天国に至り、心魂を清めて宇内の為に奉ぜんとす。
capelaurig
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神的なる 平等愛に進む径路は
実に 惨憺たる血涙の道を行かねばならぬ
これが不断煩悩得涅槃の
有難い消息が秘められてあるのだ。
王仁三郎の「信仰」という詩は、あまりに深すぎて。私のような凡人の解釈すべきものではありませんね。
真の神。造物主の目指すものは 「宇宙の統一平和」です。
そして神とは「絶対愛」です。人間のような依怙贔屓のない絶対愛なのですね。
そうすると人間の愛は「差別愛」となります。
ということは、惨憺たる血涙の涙を超えて、私たちは神的なる平等愛にすすまなければならないと語っているのです。
ともすれば日本は神国だとか雛型だからとか日本は世界の天国だとか、私も含めて語りがちです。それが真実でもあるしね。
これがナショナリズムをもたらします。しかし神の意図はそれらをはるかに凌駕したものなのです。
王仁三郎は大神は天国においては太陽として現れ、霊国においては月として現れると語っています。
その太陽も月も霊体であり、神の実証なのですが、太陽は地上の万物に24時間365日間光と熱を休むことなく与え続けています。そこにエコひいてはありません。絶対愛なのです。
しかし人間の世界は差別愛の世界です。あの人を愛しているから沢山のお金を与え 嫌いになったから与えないというような。しょせん人間の愛とは愛の悪なのですね。それに対して神の世界では太陽と月の働きをみてわかるように、
愛の善の世界・平等愛の世界なのですね。そこには利害打算などは一切ない。
capelaurig
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三種の邪神として、物語第4巻天地開明で六面八臂の邪鬼、金毛九尾白面の悪狐、八頭八尾の大蛇が定義されている。代表格である金毛九尾とは、狐として黄金色の硬き針毛を有し、化現すると美しき女人の体を現し高貴なる服装を纏い、神人を驚かしめ、威厳に打たらしめ、完全無欠にして九尾を振るという。
われよし、強いもの勝ちの世を金毛九尾、大蛇などの動物の概念で表し、立替え立直し改心を行う国祖の出現、天の弥勒様の下生という、大本の教えであり、物語では高姫に代表される。
高姫はよく改心するが、口が上手い、嘘をつく、男を騙す、大本の中枢に沢山居た。騙されて気が付くので、失くす事は難しい。神秘体験、奇跡を求める薬害もあってはならない。
神諭に我の血筋にいやな事をさせる。物語第14巻丸木橋では二十世紀は悪魔横行の時代、八頭八尾や金毛九尾の悪霊が発動し、常世姫や木常姫の霊魂の遷り易い肉体を使いやりよる。善の仮面を被って教え子を食い殺す。物語第48巻至愛では我が子にはつまらぬ御用がさしてある。
第47巻天界の花:「こんな穢い人間に触ろうものなら、忽ち地獄の団体に落ちます。」「天国は愛善の国だ。地獄に落ちるのを恐れて現在目の前に苦しんでいる憐れな人々を救わないのは、自愛の心だ。自愛の心は天国にない。自愛を捨て善と愛との光明にひたれば、地獄は忽ち化して天国となるであろう。」
みろく様が地上に天の福音を降ろされて、この世を救う御意志を大本の宣伝使は伝えるのが使命で次の世界を形造る。第6巻大洪水で地軸が傾き、第15巻50世紀で元に戻るが、地上の人間は労苦を厭い、少しも手足を使わないものだから、弱々しい人間になり、身の丈2尺ばかりの小人になる。手を繋いで歩き、鶴に持って上がる難を防いでいる。三五教の教えを信じ不言実行、労苦を楽しみとした系統に限って6尺以上の体躯を保つミロク人種として活動する。
capelaurig
が
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「…世の終わりが近づいたという事は、基督教でも、仏教でも唱えております。それを神さまが金剛力で支えて居って、其の間に改心させて、一人でも余計に助けたいと御骨折りになって居ります。それも知らずに『それは大正十年頃だ』とか、『十一年頃が本当だ』とか『嘘だ』とか言って騒ぎ廻って居って、『若し大正十一年に来なかったならば、我々が先鋒となって大本を叩き潰して了う』といって居る人等が在るとか言う事で、実に面白いことであります。是は全く悪魔に魅せられて居るので、神さまの事が分かるどころか、利己主義の骨頂であります。斯う云う事で、何うして弥勒の世が実現しましょうか。…」
『予言・確言』
昭和十九年七月十八日 東条内閣総辞職
小磯国昭内閣(小磯・米内内閣)にかわる。王仁三郎は「小磯(こいそ)がしうて米内(ようない)なあ」、「ソロモン戦からソロソロ負けて、小磯づたいに米内(べいうち)にいる、小磯米内(こいそようない)国昭(くにあけ)わたす」
昭和二十年四月五日
小磯内閣総辞職。鈴木貫太郎内閣に
「いよいよ日本は鈴木野(すすきの)や」
「これが日本のバトリオ(ムッソリーニ失脚後、イタリアの首相兼外相となり、フアシスト党を解党して連合国に降伏)や。お筆先にも長うは続かんぞよとあるように、長うは鈴木貫太郎(つすかんだろう)」
聖師、戦後すぐに、
「日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるのや。所が、その神床が非常に汚れて塵埃が溜まっている。掃除をせねばならぬのだが、日本人自身にやらせると血で血を洗う騒ぎをくりかえすばかりで出来はせん。神様はマ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。つぎに座敷じゃ。世界の座敷は朝鮮と中国である。つぎに庭先の掃除が必要となってくる。世界の庭先とはソ連や米国にあたるのや」
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古事記には、宇宙開闢の第一の神様として、天御中主神の御名を出してあるが、其広大無辺の神徳、その全智全能の神性をば、ごうも録して無いから、誰一人として此神の明瞭なる観念を有たなかった。尤も此神の神徳は余りに大きく、到底筆舌を以て言い尽し得ぬものであるから、神典にも、単に御名を称えたに止めたのであろう。
天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為に、第二位の神となって顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て此にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次に天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神である。創世記には、神を称するに単にエホバとのみ言わず、エロヒムの語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。
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二月 王仁三郎『錦の土産』。教団の中核に侵入してくる悪霊の働きを予言。戦後の第三次事件にも響く内容に満ちている。
「伊都能売の御魂霊国の天人なる大八洲彦命の精霊を充たし瑞月の体に来たりて口述発表したる霊界物語は、世界経綸上の一大神書なれば、教祖の伝達になれる神諭と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現はれ来るとも、不屈不撓の精神をもって断行すべし、例へ二代三代の言と雖も、この事のみは廃すべからず。邪神界殊に八十八派の兇徒界の妖霊は一応尤もらしき言辞を弄し、月(瑞月。王仁三郎のこと)の西山に入りたる際、得たり賢しと聖地へ侵入し来り、先ず第一に二代三代の身魂を誑惑せんと雄猛び襲ひ来るべし。然して自己の霊系の暴露するを恐れて、教祖の血統を楯に数多の信徒を魔道へ誘はんとするは、火を睹るよりも明白なる事実なり。注意すべし」
二月十三日 王仁三郎、蒙古へ。エルサレムをめざすこの蒙古入りが、聖書のヨハネ黙示録やダニエル書の一二六という数字に深く関連していた。
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昭和六年は西暦一九三一で「いくさのはじめ」、皇紀二五九一で「じごくのはじめ」と、王仁三郎は冗談のように語った。十月十八日の講演で「本年はナンセンス的に言へば西暦で一九三一であり我が紀元では二五九一であると言って置いたが、愈々その通りになって了ひました」と語っている。
春 雛と兜の絵は満州問題の予言。
「王仁は昭和六年の春ごろからお雛様と五月節句の兜の絵をしきりに描いた。兜は戦争が始まるという神様の謎のお示しであって、お雛様は満州に溥儀執政の立たれる謎の予告である。男雛さんは今までの型をやぶって袖をちょっと折って女雛様を抱擁している姿である。日満の関係を予告された神様の謎である。わたしはこれをエロ雛様と名づけたが、そこにも神様の謎がある。日満の包容帰一をエロ関係に象徴せられたのである」
九月八日 本宮山に神声碑、教碑、歌碑の三基を建立。十日後の満州事変を予言。
「…九月八日は大本にとっては不思議な日であります。本宮山は一名桶伏山と云って、大本教旨を書いた大きな天然石があって、彫刻したなりで時期が来る迄ふせて置いて蒙古入をして帰って来ても未だ起す時機が来なかったのでありますが、その石を本年の九月に入って神様から始めて早く建てゝ呉れと言はれて建てた。うっかりしてゐたが後で気がついてみると新の九月八日に建て上げてゐた。それから、十日後の九月十八日には満州問題が起ると予め言って置いたがその通りに起りました。
これから世の中は一転機を来すが詳細は既に『瑞の神歌』に発表して置いた通りでありまして、お筆先に十年或は十二年延びると神示されてある通り、いよいよ十二年延びて本舞台に入ったのであります。信者の方は緊張して神様の御心を覚って大活動をなし、これから来るべき世の大峠を越えるやうに努めて頂き度いと思ふのであります。……」
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『救世主が最早再誕されたと仰有るのですか。大聖主メシヤたる可き神格者には九箇の大資格が必要ですが、左様な神格者は容易に得られますまい。先づ第一に、
一、大聖主は世界人類の教育者たること
二、其教義は世界的にして人類に教化を齎すもの成ること
三、其智識は後天的のものに非ずして自湧的にして自在なる可きこと
四、彼は所在賢哲の疑問に明答を与へ、世界の所在問題を決定し、而して迫害と苦痛を甘受す可きものなること
五、彼は歓喜の給与者にして、幸福の王国の報導者なる可きこと
六、彼の智識は無窮にして、理解し得べきものなる可きこと
七、其言説は徹底し、其威力は最悪なる敵をも折伏するに足るの人格者なる可きこと
八、悲しみと厄難は、以て彼を悩ますに足らず、その勇気と裁断は神明の如く、而して彼は日々に堅実を加へ、熱烈の度を増可きこと
九、彼は世界共通の文明の完成者、所在宗教の統一者にして、世界平和の確定と世界人類の最も崇高卓絶したる道徳の体現をなす可き人格を有すること 以上
ではその要件を満たす者は誰かということの質問を多くの人に聞かれているのです。救世主とは世界を救うために天から地へおりてきたひとなのです。そして救世主であるからには必ず証拠を求められます。男女どちらでもいいと思いますが。
それに対して霊界物語64巻上の中で高砂島から来たブラバーザは救世主は再臨しているとし、こういうお話をするわけです。
『先に貴師は九箇の大資格を羅列して説明下さいましたが、其大資格者に私は朝夕接従して居りましたから、大略申し上げて見ませう。虚構も誇張も方便も有りませぬから、そのおつもりでお聞きを願ひます』
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戦争があるとか無いとか、また景気が好くなるとか好くならないとか、瑞の神歌によって神示されている通りじゃ。何も迷うことはない。八岐の大蛇の迫りきたってただ一つ残された国、奇稲田姫なる日本を併呑せんとする事は免れ得ぬことになっている。いろいろの宣伝や迷論に迷うては取り返しのつかぬことになる。一路神示のままに邁進することじゃ。
十二月八日の第二次大本事件にいたる王仁三郎の言動のなかには、弾圧、投獄、聖地破壊などを予見してのものが多い。列挙すればかなりの数になるので、そのいくつかを紹介する。
八月十一日 万祥殿祭典。敷地に急造の天幕を張り祭典執行。十月二十八日にも、まだ敷地だけの長生殿で、祭典を執行。第二次事件により完成を見ないことを予見されていた。
九月下旬 王仁三郎は幹部・職員に対し、長髪、髭を落とせと命じる。投獄され、拷問を受けることなどを見ていたのであろう。
十月六日 神島二十年記念参拝のおり、王仁三郎は「神島参拝は今年で最後かもしれない」ともらす。
十月三十一日 秋季大祭で、象徴的・預言的な歌祭をはじめて執行する。
十二月四日 亀岡天恩郷の月宮殿神体を他の石と取り替えるのを側近が目撃。
十二月八日 第二次弾圧事件。
予言的な型として、第二次弾圧事件と第二次世界大戦が六年でスライド相応する。
昭和九年七月二十二日昭和十四年七月二十二日
昭和神聖会発会式 第二次近衛内閣成立
昭和十年十二月八日昭和十六年十二月八日
第二次弾圧事件勃発 太平洋戦争勃発
昭和十一年四月十八日昭和十七年四月十八日
綾部・亀岡の不当譲渡 東京初空襲
昭和二十年九月八日昭和二十六年九月八日
大審院判決 サンフランシスコ講話条約提携
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汽車は早くもユデヤの高丘を足重たげに刻みて上り行く。
『私のメシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に諸種の準備を整へて居られます。そして其名はウヅンバラ・チヤンダーと謂つて、実に慈悲博愛の権化とも称すべき神格者です。世界人類に対して、必須の教育を最も平易に懇切に、施し玉ひつつあるのです。故に宗教家も教育家も、政治家も、経済学者も、天地文学者も軍人も職工も農夫も皆訪ね来つてそれ相応の教を受け、歓んでその机下に蝟集して居ます。如何なる難問にも当意即妙な答を与へられ、何れも満足して居ります。是が只今貴師の仰せられた第一の資格たる
「大聖主は世界人類の教育者たるべきこと」の条項に匹敵するやうに思ひます』
『成程御尤もです』
と頭を三ツ四ツ振つてうつむく。
『ツルク大聖主が伊都の御魂と顕はれ玉ふて、三千大千世界一度に開く梅の花の大獅子吼を遊ばしましたが、此御方は約りヨハネの再臨だと信じられて居られます。そして基督とも謂ふべき美都の御魂の神柱、ウヅンバラ・チヤンダーと云ふ聖主が現はれて、世界的の大教義を宣布し、凡ての人類に教化を与へたまひ、今や高砂島は言ふに及ばず、海外の諸国から各種の宗教団体の教主や代表者が、聖主を世界の救世主と仰いで参り、其教義の公明正大にして且つ公平無私なるに感化され、日に月に笈を負ふてその門下に集まつて来て居ります。今貴師の仰せになつた第二の大資格たる
「その教義は世界的にして人類に教化を齎す可きものなること」の条項に合致するものでは有りますまいか』
『御尤もです。第三の資格に合致した点の御説明を願ひます』
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「その智識は後天的のものに非ずして、自湧的なる可きこと」に合致するぢやありませぬか』
『ヘエー、何と不思議な方ですな。それこそ真正の大聖主メシヤですな』『それから瑞の御魂の聖主は、あらゆる賢人哲人の疑問に対し、即答を与へて徹底的に満足せしめ、且つ世界に所在種々の大問題に対し決定を与へ、種々雑多の迫害と苦痛を甘受し、常に平然として心魂にも止めず、部下の罪科を一身に負担して泰然自若、日夜感謝の生涯を送つて居られるのです。如何なる迫害も苦痛も聖主に対しては、暴威を振ふ事は出来ないと見えます。是が第四の条件に匹敵せる大聖主の資格の一ではありますまいか』
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王仁三郎が生涯を通して希求したのは、主神の宇宙、スサノオの宇宙への回帰であり、その宇宙のなかで営まれ育まれる人類社会のあり方であった。
近代天皇制というバラモン権力と、近代自然科学というウラル教的知が支配する日本近代の中で、王仁三郎は主神(スサノオ)の愛を行じ、われよし合理世界をこえた霊界観、宇宙観を。
バラモン的な近代日本の崩壊予言や、われよしの列強が大戦争を起こすことの予言は、神秘的なものというよりも、王仁三郎のなかでは当然のことであっただろう。
未来に関しての預言も多い。最近会った戦前からの信徒の人からも、次の話を聞いた。「戦時下王仁三郎聖師に面会した時、〃月に人間がゆくんや〃といわれる。そんな……とおもっていたが、後でアメリカの宇宙飛行士が月に行ったとき、改めて聖師さまのすごさを思った」と。
王仁三郎は、教旨、三大学則、四大綱領、四大主義などで、宇宙的な理から展開する人類社会の骨格を示した。本誌巻頭の「浮島の怪猫」で梅公が説く「神力と人力」も、「文明の究極の原理」であろう。
もっと物理的宇宙に深まれば、科学技術も進歩するだろう。内面豊かな宇宙に開かれてゆけば、王仁三郎が断片的に語るように、財産よりも、むしろ名の方を皆が求め、お金はある限度以上求めなくなり、あの〃皇道経済〃も実現可能となろう。安心でき健康的で豊かな生活とは何かを、内奥から自覚してくるとき、経済ブロックをどうするか、新しいエネルギーをどこに求めるか……などの模索が自然に展開され、王仁三郎が断片的に預言している未来像にリンクしてゆくだろう。
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女川原発も、まさに福島原発事故寸前の危機だったのです。地震大国日本では原発稼働は危険なので、即廃止をしないといけない。原発からの半径200キロ以内は人が住めなくなるので、国家崩壊になります。福島県は癌が異常に増えています。
チェルノブイリでは『住めない放射能レベル』なのに、その『住めない放射能レベル』で、日本政府は、帰還を勧めている。異常な経産省です。
原発予算に毎年1兆円の国費を出している。天下り官僚の美味しい予算です。日本の地熱発電は、60年前から岩手山の北に地熱発電所を作って、フィンランドなどに地熱発電技術を輸出した。
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この年 「王仁が出たのはお筆先をあはさぬ様にする為である。お筆先があたってたまるものか」(『新月の影』四六二頁)
四月五日 小磯内閣総辞職。鈴木貫太郎内閣に。
「いよいよ日本は鈴木野(すすきの)や」
「これが日本のバトリオ(ムッソリーニ失脚後、イタリアの首相兼外相となり、フアシスト党を解党して連合国に降伏)や。お筆先にも長うは続かんぞよとあるように、長うは鈴木貫太郎(つづかんだろう)」
六月末 台湾を失うことに関して、「霊界物語第五一巻第一六章暗闘を読んで下さい」と語る。
霊界物語には、大正十二年一月段階で、
「しまいには、ただ一つよりない大椀(台湾)まで逃げ出すかも知れぬぞ。なにほど琉球そうにいうても、骨のない蒟蒻腰では駄目だ。…」
と、登場人物に語らせている。
八月六日 広島に原爆。
王仁三郎は昭和十九年秋から「広島はひどいめにあう」と語っている。四月には、広島から中矢田農園に王仁三郎を訪問した信徒に「なにをぼやぼやしとるか」と叱り、「広島は危ないから、帰ったらすぐに疎開せよ」と指示している(『おほもと』昭和五十五年五月号五十一頁)。疎開指示の話は多い。
広島原爆のことは、明治三十三年旧十一月十七日の神諭(昭和四十四年『大本神諭』第二集)にも、暗示的に書かれていた。
「……この出口には、どんな夢も見せてあるぞよ。出口の屋敷に蜂が土手になりて囲みた夢みせてあろうがな。天に夜行きて、天にのぼりたちてありたことあろうがな。天につまりておろうがな。これは正真で、広島を立ちて戻りたことあろうがな。唐土の鳥がわたらん先に、やれやれ帰りたと申したことあろうがな。みな都合の夢でありたぞよ。はやく世の立替えをいたして、やまと魂にもどさんと、日本の国がなくなるぞよ。…」
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出口氏「みろくの世には飛行機よりももっと良いものが出来るからだ。今の飛行機みたいにあんな事をしないでもよいようになる」
「出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会」昭和七年
「ミロクの世になれば寝ながらにして地の中を通ることができ、空をも、また水中をも通ることができると言うてあるが、寝ながら通る地中というのは地下鉄道のことで、寝ながら通る空というのは飛行機、飛行船のこと、水の中を通るというのは潜水艦のことであって、今がその予言の出てきた時代なのである。蒙古には、黒蛇が世界中を取り巻き、牛や馬が物言うときに成吉思汗が再臨してわが国土を救う、という予言があるが、それも現代のことである。すなわち黒蛇とは鉄道のことであり、牛馬がものを言うのは、人間がひどく堕落して、狐狸牛馬などの容器になってくることをいうたものである」『月鏡』
「近来地上の気候はラヂオ使用のため大気に大変化をきたしておるのである。神諭にある『世界中を舛かけ曳きならす』ということを皆が小さい意味にとって、国土とか、経済とかの上とのみ思っておるようであるが、神様の舛かけ曳きならしはそんな狭義の意味のものではない。気候までも舛かけ曳きならされるのであって、ラヂオもその働きの一部分をつとめているのである。ラヂオは音波を輸送するごとくに、寒気、熱気をも輸送するもので、寒帯の寒気は熱帯に運ばれ、熱帯の熱気は寒帯に運ばれて世界中の温度がだんだん平均してくるのである。平均するというても、比較的のことであって、熱帯はやはり暑く、寒帯は冷たいが、寒暑の度が今までのように激烈でないように調節されるのである。『北がよくなるぞよ』との神諭もまた這般の消息を伝えているのである。また大本祝詞の『暑さ寒さもやわらかに云々』とあるもこの事である」『水鏡』
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