2017年08月

第八章で、大杉重一郎を訪ねた仙台の三人は自分たちが宇宙人であることを明かし「大杉さんは、火星からおいでになったそうですね」と言います。
「よく御存じだ。そしてあなた方は?」
「白鳥座六十一番星の未知の惑星からです」
重一郎は「白鳥座とは、さても不吉な方角からいらしった」と感想を言いますが、なぜ「不吉」なのかは説明されていません。
一つ考えられるのは、白鳥座について伝わるギリシア神話です。この白鳥は変身した大神ゼウスで、スパルタ王妃レーダーに二つの卵を生ませました。一つの卵からはカストールとポリュデウケスの兄弟が孵り、もう一つの卵からはヘレネーとクリュタイムネーストラーの姉妹が孵りました。ヘレネーはトロイア戦争の原因になった美女ですから、確かに不吉だと言えそうです。
もう一つ思い当たるのは、白鳥座が十字架の形をしており「北十字星」とも呼ばれることです。十字架は残虐な刑罰の道具でキリストの死を連想させ、まさに不吉です。北十字星は南十字星(南十字座)ほど知られていないと思われますが、『春の雪』で松枝清顕・本多繁邦・シャムの2王子が鎌倉の星空を眺める場面から、三島は知っていたことが分かります。
「本多が知っている星の名は少なかったが、それでも銀河をさしはさむ牽牛織女や、二人の媒ちをするために巨大な翼をひろげている白鳥座の北十字星はすぐ見分けられた」
日本でも白鳥座を「じゅうもんじさま」と呼ぶ地方があり、切腹の十文字を思わせます。
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『美しい星』で邪悪な宇宙人たちの故郷とされる白鳥座六十一番星について、三島は作品中で解説しています。
「この甚だぱっとしない六等星は、ドイツの天文学者ベッセルが、一八三八年に、はじめて恒星の距離測定に成功した記念すべき星で、その十一光年という距離は、われわれの肉眼で見える恒星のうちでは四番目の近さだった。羽黒の説明によると、六十一番星は二重星であって、その二重星のどちらかに見えざる惑星が随伴していることは確実であり、かれら三人はその惑星から来たのだった」
恒星の距離測定は、原理的には簡単です。地球が太陽のまわりを一年かけて公転するのに伴って、恒星の位置は動いて見える(年周視差)ので、三角測量をすればよいのです。しかし恒星は非常に遠いので、肉眼で年周視差を測定するのは不可能です。さらに「光行差」の問題もあります。雨の中を傘をさして走ると、雨がまっすぐ降っていても傘を斜めに傾けないと濡れてしまいますが、地球に降り注ぐ恒星の光でも同じ現象が起こります。これを光行差と呼びますが、光行差のほうが年周視差より遥かに大きく、これを知らないと全ての恒星が同じ距離にあるように見えてしまいます。光行差はベッセルより百年以上早く、イギリスの天文学者ブラッドリーによって発見されています。
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病室で一人で過ごしていた重一郎は夜明けが近い頃、不思議な声を聞きます。重一郎は三人の家族を呼び集め、深夜に病院を脱出する指示を与えます。息子の一雄は黒木克己の新党結成について何も知らされず、自分が捨てられたと知ったばかりでした。
脱出に成功した四人は、自家用車のフォルクスワーゲンで神奈川県に向かいます。運転手の一雄は渋谷の雑沓を見ながら「われわれが行ってしまったら、あとに残る人間たちはどうなるんでしょう」と言いますが、重一郎は「何とかやってくさ、人間は」と答えます。
東生田で車を下りた四人は南の丘を登り始めます。行く手には蠍座や天秤座が輝いています。
「重一郎は、自分が今どこを歩いているのか、ほとんど意識も定かではなく、苦痛の堺もすぎ、喘ぐ自分の息と、乱れる脈搏だけをはっきりと聴いた
『天人五衰』で本多繁邦が月修寺へ向かう場面を思わせますが、本多と違って重一郎は一雄と暁子に支えられています。暁子が叫びます。
「来ているわ! お父様、来ているわ!」
「円丘の叢林に身を隠し、やや斜めに着陸している銀灰色の円盤が、息づくように、緑いろに、又あざやかな橙いろに、かわるがわるその下辺の光りの色を変えているのが眺められた」
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最後の第十章で、大杉重一郎は末期の胃癌で余命はいくばくもないと診断されます。医者からこのことを告げられた息子の一雄はバルコニーで泣いているのを妹の暁子に見られてしまいます。その夜、暁子は病室で父に胃癌を告知します。
翌日の夜、妻の伊余子も追い出して一人になった重一郎に、不思議なことが起こります。
「彼の脳裡からは、あれほどいきいきとしていた全人類の破滅の影像が、俄かに力を失って、ほとんど消えかけていた・・あれほど確実に死に瀕していた人類は、ふたたび、しぶとい力を得て・・いやらしい繁殖と永生の広野へむかって、雪崩れ込むように思われた」
「重一郎を置きざりにして人間が生きつづけることは、もとより彼の予見に背いた事態ではあったが、疑いもなく、白鳥座六十一番星の見えざる惑星から来た、あの不吉な宇宙人たちの陰謀に対する、重一郎の勝利を示すものでもあった」
「犠牲という観念が彼の心に浮んだ。宇宙の意志は、重一郎という一個の火星人の犠牲と引きかえに、全人類の救済を約束しており、その企図は重一郎自身には、今まで隠されていたのかもしれないのだ
三島の死後にこの文章を読むと、複雑な感慨を禁じ得ないものがあります。
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三人の白鳥座61番星人との論争は、最後はもはや論争ではなく、羽黒たち三人が重一郎を長々と罵り続ける状況になります。妻の木星人・伊余子と娘の金星人・暁子が物音に驚いて駆けつけると、すでに三人は去り、重一郎は床の上に倒れていました。重一郎はすぐに起き上がりますが、傷悴しきった様子でした。
この設定には突っ込みを入れたくなるところです。向こうは三人なのに、重一郎は家族の助けもなく一人で相手をしています。息子の水星人・一雄は政治に首を突っ込み、政治家の黒木克己の部下になって忙しい状況です。しかも自分の出世を交換条件に父が火星人であることを黒木と(黒木のブレーンになった)羽黒たちにばらしたのですから、父とは確執があったわけです。それでも家に居合わせたら、どうなったか分かりません。
伊余子と暁子はどうでしょうか。暁子はお茶を運びますが、銀行員の栗田は「お嬢さんはやっぱり人間ですね。あんな人間ばなれのした美しさは、人間に決っている」と言い、重一郎は「そうです。娘は人間です。・・そこが私とちがうところです」と応じます。重一郎はあくまで家族の秘密を守り、一人で論争に挑みます。自分が末期の胃癌だと知らなくても、半ば気づいていたのかもしれません。
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