2018年08月

1985年(昭和60年)2月27日、脳梗塞で倒れた田中角栄は、ついに回復することなく、1993年(平成5年)12月16日、75歳の生涯を閉じました。その葬儀に参列した中日新聞の元「田中番」記者、大林主一氏は『最後の「田中番日記」』と題する記事を書いています。少し長いですが、今となっては貴重な史料でもあり、一部を引用しましょう。

25日午後1時から東京・青山葬儀所で営まれた田中家と自民党の合同葬には国会議員から一般国民まで約五千人が別れを惜しんだ。祭壇には写真のほか、田中の功績をたたえるものはない。
さる16日、田中が東京・慶応大学病院で死去した時、政府は葬儀と叙勲問題で困惑したという。首相経験者が亡くなれば葬儀は最高で国葬、叙勲は低くても勲一等旭日大綬章というところだ。しかし、田中はロッキード事件で公判中。首相経験者で死亡時に被告として刑事訴追を受けているという前例はない。結局、政府は葬儀にタッチせず、叙勲も見送られた。
田中自身「ボクは勲三等の勲章を持っているよ。もっとも、三軒茶屋(東京・世田谷)の骨董屋で買ったものだけどね」と冗談を言って笑っていたことがある。今、田中に残された日本の勲章といえば、一兵卒として旧満州に派遣され、病を得て除役となった時もらった「軍人傷痍(しょうい)記章」だけ。
学歴も門閥もない田中は故郷・新潟を強く愛し、首相在任中の新潟県民の集いで「内閣総理大臣に就任するのは、前線に向かう一兵卒のような気持ちだ」とあいさつしている。政治という過酷な前線で傷を受け、一兵卒として灰に帰った田中には、この「軍人傷痍記章」こそがふさわしい。

あまり知られていませんが、角栄は陸軍の二等兵として当時の満州国に派遣され、ノモンハンでソ連軍と戦いました。兵卒出身の首相は角栄だけです。
角栄に勲章を贈らなかった日本政府は、1964年(昭和39年)12月7日、とんでもない人物に勲一等旭日大綬章を贈りました。アメリカ空軍のカーチス・ルメイ大将。1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲を指揮し、10万人の日本人を焼き殺した人物です。
12月7日、わざわざ真珠湾攻撃の記念日を選んだのも意味がありそうです。日本軍は真珠湾の軍港を攻撃しただけで、ホノルルの市街地は攻めませんでした。ルメイは平気で東京の市街地を爆撃しました。
ルメイに勲章を贈った首相は佐藤栄作、安倍晋三の大叔父。防衛庁長官は小泉純也、小泉純一郎の父です。さすがに「東京大空襲で10万人を焼き殺した功績」ではなく「航空自衛隊の創設に尽力した功績」だそうです。
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これは有名な曲ですね。競作で越路吹雪さんらの歌もありますが、トワ・エ・モワの曲は1970年11月5日、三島由紀夫が市ヶ谷で切腹する20日前に発売されました。それを思うと感慨深いものがあります。
子供の頃から知っていた曲ですが、何十年も間違って信じ込んでいたことがありました。この曲を作詞した「山口洋子」さんは、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」「夜空」の作詞で有名な山口洋子さんとばかり思っていましたが、同姓同名の別人とのことです。ウィキペディアでは「山口洋子(詩人)」「山口洋子」として区別しています。
「よこはま・たそがれ」の山口洋子さんは女優志望を諦め、銀座で「姫」という店を経営していました。お客には作家も多く、三島由紀夫も客の一人でした。ホステスの中には1968年のミス・ユニバース・ジャパンだった飯野矢住代(いいの・やすよ)さんもいました。彼女はジャニーズ事務所のタレントだった時期もありましたが、1971年12月28日、風呂の空焚きと思われる火事を起こし、21歳の若さで焼死しました。後に『機動戦士ガンダム』の声優として有名になる池田秀一と同棲中だったようですが、彼は多くを語りたくないようです。飯野さんは「オリベゆり」というペンネームで、ザ・スパイダースの『なればいい』という面白い曲を作詞しています。作曲はかまやつ・ひろしです。
同姓同名と言えば、私の名前「ふぁーとぅーあんたれす」のもとになった曲『Too far away』(水越けいこ、谷村新司、堀内孝雄、やしきたかじん、安倍なつみなど。歌手によってタイトルや歌詞に多少の改変あり)を作詞・作曲した伊藤薫は、元チューリップのドラマーと間違われることがありますが、別人です。ウィキペディアでは「伊藤薫(作曲家)」「伊藤薫(ドラマー)」として区別しています。『Too far away』以外では『ラヴ・イズ・オーヴァー』が著名な作品です。
佐藤昭子さんも同姓同名の有名人がいます。本来は「佐藤昭(さとう・あき)」ですが、文藝春秋で児玉隆也の『淋しき越山会の女王』が出た後、マスコミで「佐藤昭、佐藤昭」と呼び捨てにされてお怒りになり、「レジスタンス」で改名されたとのことです。どうも不思議な理由で、今度は「佐藤昭子、佐藤昭子」と言われるだけだと思うのですが、ご本人の真意は別にあるのかもしれません。
佐藤昭さんと同じく田中角栄の秘書だった朝賀昭(あさが・あきら)氏は、読み方は違いますが佐藤さんの旧名と同名の男性で、田中角栄や佐藤さんを語った著書もあります。
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2018年8月27日 『ラヴ・イズ・オーヴァー』について追加。

橋本治という人は、大学も学部も学科も私の先輩になりますが、今まであまり読んできませんでした。大学時代の苦い失恋の想い出があるからです。相手の美人の女子大生は『桃尻娘』が面白いというので、私が読んでみると全然面白くなかった。正直にそう言ったら嫌われてしまいました。
それはともかく、『「わからない」という方法』は面白い本です。たとえば125~126頁を見ると・・

私は、自分の編んだセーターを自分で着ていたのであるが、その一番最初のセーターを見た時の、きれいなおネーさん達の反応はすごいものだった。
「誰が編んだの、それ?」
「俺」
それで納得したおネーさん達は、メチャクチャなことを言い始めた。
「道理で・・」
「メチャクチャだもんね」
「編み目が抜けてる」
「よくさー、知恵遅れの子がこういうの作るよね」という、差別的なことさえも言った。
私は、自分の中に存在する「知恵遅れ性」を理解しているからかまわないが、知的できれいなおネーさん達が平気で差別的であることに、私はいささかあきれた。私は、「へー、えらいわねー」くらいのことを言ってもらえるもんだと思っていたのである。

私も職場で面と向かって「知恵遅れ」と言われたことがあります。
橋本治はバカがつくほと丁寧な編み物の本を書いていますが、「知らない人はどこまでも知らない」ということを強調します。

「納得」に至る道は、くどい道である。なんにも知らない男がセーターを編めるようになるためには、やたらの数の「なにを→どうして」が必要になる。そのプロセスのすべてを、「こうですよ」と図解して教えなければ、身体というものは納得してくれない。(102頁)

ここで「身体」が出てきました。橋本治は脳を「哀れな中間管理職」と呼び、その中間管理職に率いられる部下が身体であるとします。この説明も愉快なものです。

私が言いたいのは、「便利な正解の時代」が終わってしまったから、「わからない」という前提に立って自分なりの方法を模索するしかないという、ただそれだけのことである。(226頁)

結論は平凡のようですが、無理に纏めるのはやめておきましょう。
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昭和天皇が嫌っていた、又は苦手にしていた人物として、評論家の松本健一氏は3人の名前を挙げました。
1人は言うまでもなく三島由紀夫。2人目は二・二六事件で刑死した思想家、北一輝(きた・いっき)。3人目は大本教の二大教祖の一人で「聖師」と呼ばれる出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう。義母の出口なおは「開祖」と呼ばれる)。
しかし私は、昭和天皇は三島由紀夫に共感する部分があったのではないかと思うようになりました。保阪正康氏の『天皇陛下「生前退位」への想い』150~151頁で、木下道雄『側近日誌』からの引用として昭和天皇の言葉が記されているからです。

元来軍人の一部には戦争癖がある。軍備は平和の為にすると口にしながら軍備が充実すると、その力を試めしてみたくなる悪い癖がある。これは隣人愛の欠如、日本武士道の頽廃である。手段を選ばず国際信義を顧みざる軍の行動は、その当然の結果として列国の信用を失うに至り、相互信頼の欠如はまたその当然の結果として彼我両国民の間に猜疑誤解の念を深からしめるに至ったのである。これが今次の戦争の根本原因である。

昭和天皇の口から「武士道」という言葉が出たとは、私は驚きました。三島由紀夫も遺言状とも言える建白書に「武士道と軍国主義」というタイトルをつけ、昭和の末期的な軍国主義を武士道の伝統と混同してはならないと訴えています。
保阪氏の本では、一昨年の8月8日に天皇の生前退位の意向を伝えたビデオメッセージを「平成の玉音放送」「平成の人間宣言」と呼び、その意義を強調しています。生前退位は実に200年ぶりのことで、第一次・第二次世界大戦はおろか、明治維新より昔のことです。共同体の繋がりも歴史との繋がりも崩壊が進んでいる現在、多くのことが根本から考え直されなければならないと思います。
さらに保阪氏は129~130頁で、田中角栄の重要さも強調します。

考えてみてほしい。私たちはなぜ、戦後71年を経た今も、太平洋戦争のことを語り続けているのか。あの戦争をこれほど熱心に語っている国は他にない。
それは、国民の間に「釈然としない空気」があるからだ。私たちの国はなぜ、特攻や玉砕をやったのか。日本は、人の命を何とも思わないような戦争をするような国家だったのか。そんな疑問が釈然としないから、今後も、私たちは語り続けることになる。(中略)
そのための補助線の役割をはたしてくれる1人が、田中角栄だ。私たちは田中角栄を通して、あの戦争を、昭和の姿を、そして戦後民主主義を問い直すことができる。田中の存在は、私たちが歴史を考えるうえでの補助線であり、田中自身が、その役目を引き受けてくれていると考えられる。

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7月28日のブログで『宇宙女子』を紹介し、宇宙タレントの黒田有彩さんが「アポロでアメリカ人が月に降り立った」ことに疑問を持っていたことを書きましたが、あの直前に手塚治虫の『火の鳥』の話が出てきます。

黒田 小学校の5~6年ぐらいだったかな。・・最初の物語は古代から始まって、次の物語は超未来、そして昔と未来の話が交互に続いて、だんだん現代に近づいていく。最後は手塚治虫さんが亡くなってしまったので完結はしていないんですけど、あれを読んだ後の気持ち悪さって、なかなか言葉にしにくいです。
加藤 ・・私も『火の鳥』は小学生のときに読んだんだけど、すごく心に残ってる章があるんですよ。宇宙船が簡単に買える時代に、地球上で恋に落ちた若者2人が、地球上では結ばれないから宇宙に逃げよう、という話。覚えてます?
黒田 ありました、ありました。
加藤 それで宇宙に行くんだけど、男性のほうがすぐに死んじゃって、女性がひとり荒野の星に降り立って、ロケットも全部壊れてしまったので、もう地球には帰れない。
黒田 そこで男ばっかり生まれるんですよね。
加藤 そうそう。それで、女性は自分の子どもとのあいだに子どもをどんどん作って、自分を冷凍して仮死状態にしたりしながら生きながらえて、自分と自分の子どもだけの一大帝国を作り上げるという。
黒田 よく覚えてます。(139~140頁)

この物語は旧約聖書のパロディのような『望郷編』です。有彩さんは大学の先輩のシルビアさんに遠慮して指摘していませんが、女主人公(ロミ)が作り上げる王国は、地球人と宇宙の不定形生物「ムーピー」との混血によるものとされています。黒田さんはもう一度「あの話は、たしかに気持ち悪いです」と繰り返し、『火の鳥』全体について「読んだ後に虚無感にとらわれるというか、なんだかすごい気持ちにさせられますよね」と言われます。『火の鳥』の最後は『未来編』で、西暦3404年に人類は核戦争で滅び、不死身になった主人公(マサト)が30億年後の人類再生を見届けますが、これは太古の『黎明編』につながるとも解釈できます。
手塚治虫は三島由紀夫とほぼ同世代です。黒田さんと加藤さんが三島の小説を読まれたかどうかは存じ上げませんが、三島と手塚の作品は反対のようで実は似ているのではないかと思います。『豊饒の海』も、黒田さんの言葉を借りれば「気持ち悪さ」「虚無感」の残る小説です。「虚無」と「救済」の果てしない闘争が、歴史にも個人史にも続くのでしょうか。
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