小田周二さんの『日航123便 乗客乗員怪死の謎 524人の命乞い』65頁では、123便の撃墜許可を要請する自衛隊幹部に対し、中曽根首相は次のように語ったとされます。
「国民に知られないようにできるなら、許可しよう」
目撃者、生存者が出たらどうするかと問われると
「何とかしろ」
小田さんは「あとがき」で次のように語ります。
災害のたびに出動し、多くの被災者の救援にあたってくれる自衛隊。その自衛隊が自国の民間機を撃墜? まさか!
(中略)
多くの方が反射的に「まさか」と思うのは、悪夢のような戦争を戦後70年にわたって忌避し、ある意味で日本が長いこと平和だったからなのかもしれない。先進国であれ発展途上国であれ、戦争が身近な国や地域では、軍隊がそのようなことをしかねない組織であることは当たり前だからだ。
今日は「終戦記念日」です。この「終戦」という言葉は欺瞞的で、実態は「敗戦」です。戦争の末期、沖縄でアメリカ軍は火炎放射器で多くの日本人を焼き殺しましたが、旧日本軍も市民に降伏を禁じて自決に追い込み、十万人もの市民が犠牲になりました。
旧日本海軍の少佐であった中曽根にとって、自衛隊の不祥事を隠蔽するために民間人の数百人を殺すことなど、何でもないことかもしれません。
青山透子さんも『日航123便墜落の新事実 目撃証言からの真相に迫る』186~187頁で、次のように述べています。
平時の訓練でいくら守るべきものは自国民だ、と思ったとしても、臨場感や緊張感を持つためや、訓練の効率性を上げるために民間航空機を仮想敵に見立ててしまう、ということの可能性がゼロとは言えまい。・・
さらに、何か失敗した場合、自分たちの都合の悪い情報は隠したいという心理も働き、その情報が開示されることの影響が多大であることへの恐怖心も強いだろう。
日航機「事故」には伏線がありました。1971年7月30日、岩手県雫石(しずくいし)町上空で自衛隊機と全日空機が衝突し、162人の犠牲者を出した「雫石事故」です。全日空機は乗客・乗員とも全員死亡し、自衛隊員はパラシュートで脱出しました。この責任をとって増原防衛庁長官は辞任しましたが、わずか三週間前まで防衛庁長官を務めていたのが中曽根でした。彼はこの事故から何を学んだのでしょうか。「今度は絶対に隠し通す」と誓ったのでしょうか。
中曽根は1970年11月25日の三島事件の時も防衛庁長官でした。3日に外人記者クラブの会合で「楯の会」をどう思うか聞かれ「宝塚少女歌劇を思い出す」と答えています。(小室直樹『三島由紀夫と「天皇」』天山文庫、196頁)日航機「事故」ではタカラジェンヌの北原遥子さんも犠牲になっており、ご冥福をお祈りします。
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