澁澤龍彦は「アンドロギュヌスについて」で、プラトンのアンドロギュヌス神話を取り上げています。
プラトンは、原初の人間は両性具有者であって、その容姿は球形であり、周りをぐるりと背中と横腹が取り巻いていた、と言っている。ところが、驕慢な人間どもは神々に逆らって、天上への登攀を企てたので、ゼウスが怒って、彼らのわがままをやめさせる目的で、すべての人間の身体を二つに切断した。それ以来、人間は本来の姿が二つに断ち切られてしまったので、みなそれぞれ己れの半身を求めて、ふたたび元の一身同体になろうと熱望するようになった。これがいわゆる「愛慕の説」であるが、このプラトンのアンドロギュヌス神話と、聖書の楽園喪失の伝説とが、同じ一本の幹から分れた二本の枝にすぎないことは、容易に想像されるだろう。二本の枝は、それぞれヘレニズムおよびヘブライズムと呼ばれる。
日本の国生み神話とギリシャ神話との関係では・・イザナミの死後にイザナギが黄泉の国を訪れる話がオルフェウスとエウリディケの話に似ているということがよく言われますが、ここでは四国と九州に注目したいと思います。この二つの島はどちらも『古事記』では「身一つにして面四つあり」と記されています。これは以前にもブログで取り上げたことがあり、『後漢書』など中国の史書に現れる「倭面土国」との関係を考察しましたが、別の見方も出来ます。
九州も筑紫の国が筑前・筑後、豊の国が豊前・豊後、肥(火)の国が肥前・肥後、熊曽(熊襲)の国が大隅・薩摩・日向に分かれる前は「四国」でした。二つの島を合わせると「身二つにして面八つ」となり、これはアンドロギュヌスが両面で手足が八本あったことの変形ではないかと疑われます。『日本書紀』の仁徳天皇紀に現れる両面宿儺(りょうめんすくな)も退治された怪物として描かれていますが、地元の飛騨では尊敬される存在で、アンドロギュヌスの名残りとも考えられます。「大八島」という日本の古名も、こちらが本来の意味かもしれません。
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