2020年10月

澁澤龍彦は『時間のパラドックス』というエッセイで、次のように自問自答しています。

・・むしろ私がここでいいたいのは、わが国でも古代においては、その呪力を認められて、あれほど深い尊崇の対象となっていた宝石や玉が、どうして奈良時代以降、その加工技術も衰微して、急速に文化の歴史の表面から消えていったのだろうか、という素朴な疑問なのである。おそらく、それは時間の腐蝕作用に抵抗しようという、形而上学的志向に欠けるところがあったためにちがいあるまい。
・・たぶん、江戸時代の中ごろにいたって、ようやく物産学や本草学が勃興しはじめるようになるまで、彫刻や作庭の材料として以外、あるいは支那趣味の愛玩物として以外、鉱物としての石や玉への独立した関心は、日本人の心の中から、ほとんどまったく跡を絶ってしまっていたのではないだろうか。

なかなか面白い指摘です。勾玉は三種の神器に入っているのに、剣や鏡とは違う道をたどったようです。それでも関心は復活し、幸田露伴のように石を愛好する作家も出てきます。
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これは1980年代前半の少年漫画です。イラスト好きなのに工場経営者である父親に半ば無理やり高校の機械科に進学させられた少年を主人公に、何気ない高校生活を描いた作品です。
ただ変わっているのは、主人公の悪友(実は異母兄)が星好きで、主人公に星座や宇宙の話をよく聞かせるところです。友の秘密を知った後、主人公は「何故兄貴はあんな話をしたんだろうか」と考え、次のような結論に至ります。

星座の神話には、人間の一番基本的な苦しみに触れたものが多い。それを叩き込んでおきたかったのだろう。

この時代は洗脳が巧妙になり、「大きな物語」を皆が軽蔑して「小さな物語」に閉じこもり始めた頃です。その先駆けのような取るに足らない作品ですが、私はよく読んだものでした。
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人間の一生を誕生から死までと見るのは普通の考え方です。しかし、よく考えてみると実に奇妙なことです。
全くの無から何かが生まれ、何かが死んで全くの無に帰するということが有り得るでしょうか。誕生や死に際しては、新しい物質が出現したり消滅したりするわけではありません。ただ原子や分子など、物質の結合状態が変化するだけです。科学的に見れば、生命とは物質の結合と分離が生み出すシステムだと考えられます。
物質の結合に過ぎないものが何故意識を持つのか。意識は幻想に過ぎないと見る考え方もあります。
世界で固定した永続的なものは何もありません。これは万物流転を唱えた哲学者ヘラクレイトスの思想です。しかし世界の背後に生まれも滅びもしない、全く変化しないものがあるかもしれません。これはパルメニデスの思想であり、永遠に対立する二つの世界観だと考えられます。
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『銀河鉄道999』のヒロイン、メーテルの名前の由来は『青い鳥』で有名なモーリス・メーテルリンクとされています。他の説明としてギリシャ語で「母」を意味する「メーテール」とも言われています。
ただ、1953年のミス・ユニバース(このとき日本の伊東絹子が3位になった)で優勝したフランスのクリスティアン・マルテルの姓もメーテルに似ています。英語の表記ではMaetel(メーテル)とMartel(マーテル)で一字違いになります。
同じ松本零士の『新竹取物語1000年女王』のヒロイン、ラー・アンドロメダ・プロメシュームはメーテルの母とされ、地球での名前は雪野弥生ですが、1960年のミス・ユニバース・ジャパンは古野弥生です。雪野弥生の名前の由来は特に説明がありません。彼女らの名前が松本零士の無意識に影響した可能性はありそうです。
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