2021年01月

ヒコホホデミ(神武天皇)が日向から大和へ東征をしたという伝説において、最初に立ち寄ったとされるのが豊後の宇佐です。ここで地元のウサツヒコ・ウサツヒメはヒコホホデミの一行を歓迎し、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造ってもてなしたと言われます。この宮について考古学者の森浩一は次のように記しています。

一柱騰宮は、現在の記紀の注釈では「建物の構造不明」とされている。だがこれについては、倭人文化とさまざまな点での共通性がいわれている、中国・雲南省のてん(さんずいに「眞」)池のほとりにある石寨山古墳郡から出土した青銅製の建物模型が注目される。(中略)壁をもたない一柱ないし二柱の建物が中国の稲作地帯にあったことは、事実とみてよかろう。こうしてみると、なお問題は残るにしても、一柱の建物が記紀の撰者たちの創作であったとはとても考えられない。何らかの伝承があったのであろう。
(朝日文庫『日本神話の考古学』より)

「騰」は「升」と同じ意味を持つ漢字であることも興味深いです。
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野尻抱影の『星の神話・伝説』では、冬の代表的な星座・ぎょしゃ座を次のように紹介しています。

星座の名は、車を走らせるぎょしゃ(馭者)ですが、図では、三びきの羊をかかえている羊飼いの姿です。もとはアルファが馭者で、のこる四辺形を車、三つの星の三角を手綱と見たと思われます。

ぎょしゃの「馭」は見慣れない漢字ですが、神武天皇の別名「始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)」の一字で「シラス(治める)」の意味です。崇神天皇も同じ読みの別名を持ちますが「御肇国天皇」と書きます。この「御」も同じ意味で、ぎょしゃは「御者」と書くこともあります。
このつながりには、私は長い間気付きませんでした。
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私は長く一人暮らしですが、実家の母が介護施設に入っています。父も一人暮らしになり、母よりも高齢で厳しい状況です。
週末には帰って母の部屋を片付けていますが、やはりこれからどうなるか不安です。父も家で暮らせなくなったら、正直どうなるか分かりません。
今の父の唯一の楽しみはクロスワードパズルです。日曜日になると新聞を買ってパズルを解いて(と言っても半分以上は私が解いていますが)応募しています。
本当は人の命は明日も分からないもので、如何にもそんな心配は無いような顔をして誰でも生きているのだと思います。父のクロスワードも私のブログも似たようなものです。状況が厳しいほど、こうした趣味的なものは必要になるように思われます。
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欠史八代のうち、5代孝昭から8代孝元まで4代続けて「孝」から始まるのは目をひきますが、あまり言及されないようです。私はやはり、この諡号は漢の皇帝を意識していると考えます。前漢・後漢ともに初代(高皇帝劉邦、光武皇帝劉秀)を除いて歴代皇帝の諡号はすべて「孝」から始まります。
第9代の開化天皇で「孝」が途切れるのは、この天皇から魏の時代に入るからでしょう。そう考えると古事記から推定される10代崇神天皇の没年(258年)にうまくつながります。
2代綏靖、3代安寧、4代懿徳の諡号は以前に考察した通り、後漢の安帝の摂政だった皇太后綏、安帝の後を継いだ少帝懿に因んだものでしょう。漢風諡号を考えた淡海三船はこうした形で歴代天皇の真の年代を暗示したと考えられます。
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明けましておめでとうございます。
昨年は大変な年でしたが、どうにか無事に新年を迎えることができました。世界的には新型コロナウィルスの猛威ということになりましょうが、私の場合は母の認知症という辛い経験をしました。
父と二人で新年を祝いましたが、やはり母のいない新年は寂しいものでした。施設では早く元気になれるようにとは言っていますが、現実的にほぼ無理なことは明らかです。
コロナもウィルスの変異により、更なる脅威が襲ってきています。自民党の菅政権は流行を抑える意志は全く無く、むしろコロナの流行を促進し、完全なる監視社会の実現を望んでいるように見えます。
今年は更に苦しい年になると思われますが、希望を失わずに進んでゆきたいと考えています。
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