2021年02月

この年齢になると、やはり自分の人生を考えます。生涯を振り返り、自分が結婚しなかったことは親不孝だったのだろうか、と思ったりします。
自分としては縁がなかっただけで、特に罪悪感を覚える必要はないように思うのですが、子供がいないと人は未来への視点を持てないのかもしれません。過去から自分に至る系図は誰でも持っていますが、自分から未来に至る系図は誰もが持つとは限りません。
子孫を残さなくても、アイザック・ニュートンは偉大な科学的業績を残しました。私はキリスト教徒ではありませんが、イエス・キリストは偉大な宗教的業績を残したのかもしれません。
キリストやニュートンには足元にも及びませんが、私もささやかな仕事で社会に貢献できていたら幸いと思います。
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戊寅元暦は中国の唐で最初に使われた暦です。西暦紀元前(BC)16万3723年(戊寅の年)を上元(暦の計算の起点)とするのでこの名前があります。
この大昔の年は計算上の起点に過ぎませんが、日本神話の天孫降臨の年代を定めた人物はこの計算を参考にしたようです。BC16万3723年はBC667年(神武東征開始の年)から16万3056年前で、この差を11倍すると179万3616年になり、前回に投稿した巨大な年数と1140年の差があります。1140年といえば大変な差のようですが、16万年に比べれば百分の一以下の差に過ぎません。
BC771年(神武天皇誕生の60年前、即ち干支一巡前)からは16万2952年前で、この差を11倍すると179万2472年となり、差はゼロになります。なぜ11倍なのかは謎ですが、日本書紀が完成した720年当時、唐は100年の歴史しかなく、日本は神武天皇から1000年以上、唐の10倍以上の歴史があると考えられ、それが根拠になったのかもしれません。
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『日本書紀』によると、神武天皇は東征に出発するとき「ニニギノミコトが降ってから179万2470余歳になる」と述べたそうです。この数字はちょっと信じられません。岩波文庫の補注には次のような解説があります。

この数の根拠について、飯島忠夫は、余歳を参天台五台山記・簾中抄などに載せた数によって六歳と定め、唐の武徳9年に造られた戊寅元暦の上元戊寅の年を天孫降臨の年とする計算であろうという。

難しい解説ですが、ウィキペディアで戊寅元暦の上元の年を調べるとこれより一桁少ない年数が書かれています。ともかく、史実を調べるには参考にならない数字であることは確かです。
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「一寸先は闇」は政界でよく言われる言葉ですが、政界に限らず、何でもそうかもしれません。逆に「一寸先は光」という場合は少ないと思われます。
実家に帰って母の部屋を掃除していたら、間違って指から血を流してしまいました。あわてて絆創膏を貼りましたが、古くて役に立たないことが判明。とりあえずティッシュと輪ゴムで縛り、コンビニで代わりの絆創膏を買って漸く事なきを得ました。
母の部屋の散らかりようは大変なもので、どうしても焦ってしまうのですが、焦っても先には進めません。やはり着実に進めていくしかないようです。
他のことも焦らずに進めていきたいと思います。
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