2021年04月

前々回の投稿で私の母の話を書きましたが、今回は妹の話をします。私には3歳下の妹がいますが、ずっと家族に連絡がなく、1992年(平成4年)から行方不明です。
その数年前から母と妹は仲が悪くなっており、ついに絶交を宣言したと後で母から聞きました。私と父にしてみれば、いつの間にかいなくなったという感じです。私も父も母には頭が上がらない状態で、ただ黙って頷くだけでした。それからは三人でよく旅行に行ったりして、妹がいないことも半ば忘れていました。
母が認知症で家にいなくなってから、母の部屋を片付けていると、ごく僅かながら妹の品物も出てきました。妹を探したい気持ちも芽生えてきました。
しかし29年は長い年月です。妹の昔の友人を当たってみましたが、もう関係が切れていて分からないと言われました。今後も厳しいとは思いますが調べていくつもりです。
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「令和」は「大化」から数えて248番目の元号になります。「元号」は少し重々しい表現で、私は「年号」という呼び方のほうが良いと思っています。
元号は煩わしさもありますが、西暦による無味乾燥な4桁の数字よりは味のある表現だと思います。江戸時代までは長く続いた元号は少なく、数年で改元するのが普通でしたが、明治以後は一世一元になって現在に至っています。これは中国も同じで、明(みん)王朝以後は一世一元になり、辛亥革命で廃止されるまで続きました。
最長の元号は「昭和」ですが、「昭和時代」と一括するにはあまりにも長い時代です。長さだけではなく、昭和20年以前と以後の断絶は日本史上最も深いと言えるでしょう。日本の歴史はそこで終わり、アメリカの属国ないし植民地としての歴史が始まりました。数年後に「独立」を与えられましたが、これは名目だけのことです。
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昨年から母の認知症が進行し、私と父の生活は激変しました。母は自分の部屋に私と父を入らせなかったため、施設に入った後に初めて実態が分かり驚きました。
実家に帰る度に母の部屋を掃除していますが、なかなか片付きません。いつになったら終わるか見当もつきませんが、気長に進めています。
時間は信用詐欺のようなもので、少しずつしか変わらないと思っていても、何十年も経つと何もかも変わってしまいます。本当は一瞬一瞬が変化の連続であり、極端に言えば一瞬ごとに世界の崩壊と再生が繰り返されているのでしょう。
晩年の三島由紀夫はこの問題を追求し、『天人五衰』の冒頭で上手く表現しています。仏教の唯識論はこの世界の実相をとらえていたようです。
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60年近くに及んだ日本の南北朝時代については、南朝と北朝のどちらが「正統」であるかという議論がありました。北朝が勝利したため当初は北朝が正統と考えられていましたが、水戸光圀の「大日本史」が南朝を正統と認め、現在の皇統譜はこれに従った形になっています。
ところが源平合戦で平氏が擁した安徳天皇と源氏が擁した後鳥羽天皇については、こうした議論はなかったようです。現在の皇統譜でも1183年から1185年まではこの二人の天皇が並立していたとされています。
都落ちした平氏は安徳天皇と共に三種の神器も保持しており、その意味では南朝に似ていますが、南朝の神器が平和裏に北朝に引き渡されたのとは異なり、平氏の神器は壇ノ浦に沈みました。このあたりが議論を難しくしたのかもしれません。神器の捜索で剣は見つかりませんでしたが、この剣は形代(かたしろ)で本物は熱田神宮にあるため、新たな形代を神器にしたようです。
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