2021年11月

最近、私は59歳になりました。私が生まれてから地球は59回公転したことになります。
私は壬寅の年の生まれで、来年は還暦を迎えます。孫がいても不思議ではない年齢ですが、何故かずっと独身です。家族がいて子育てに忙殺されていたら、年老いた両親に関わることは出来なかったかもしれません。
自分の老後を考えると(もうかなり老いていますが)不安ですが、あまり考えないようにしています。昔は一応、日本で名の通った大学にいたことを考えると不思議がる人もいますが、一方で母親から「セイハク」呼ばわりされるほど愚かだったことを思えば、よく生きてきたとも言えそうです。
今後も必死に生きてゆくと思うので応援よろしくお願いします。
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村山孚は『史記の人間学』で司馬遷の『史記』を「人間学の百科事典」と称えていますが、その中から「二面的思考法」(物だけではなく、心だけでもない)を見てみましょう。

『史記』列伝の部はいわば人物の銘々伝だが、その第一巻は、精神主義の権化ともいうべき伯夷と叔斉の伝記である。(中略)その一方で、同じく列伝の末尾にある第六十九巻は、巨万の富をきずいた素封家たちの伝記にあてられており、「人間は生活にゆとりができてこそ、礼義とか名誉とかを知るようになる」と、物質の優位を強調している。
列伝の初めと終わりでこれを対比させたところに、司馬遷の二面思考的な配慮がある。

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両親を見ていると、老いの難しさが痛感されます。若いうちに死なない限り、老いは誰にでも来ますが、三島由紀夫が老いを恐れたのも分かるような気がします。
現代は医学の進歩により、平均寿命が著しく伸びています。日本書紀によると初期の天皇たちはみな長寿ですが、これは数字通りには信じられないとして、上皇が譲位を決断したのも時代の要請と言えるでしょう。
『天人五衰』では本多繁邦の老醜に対して綾倉聡子の美しい老いが描かれていますが、聡子といえども更に長生きすれば老醜を晒さざるを得なかったと思われます。人は老いと死を知ることは可能ですが、信じることは不可能なのかもしれません。
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新しい生活が始まりました。実家に帰ったわけですが、両親は実家にいません。
仕事もどうにか続けています。日曜日には施設と病院を訪ねて父母に会いました。施設にいる母は元気な頃、切手を集めるのが好きでした。先週に切手帳を持っていきましたが、貴重品を管理するのは難しいので引き取ってくれと言われ、やむなく引き取りました。代わりに私と昔の飼い犬の写真を渡しました。
父は病院で入れ歯が取れてしまったので、病院の許可を取って歯医者に連れていきました。リハビリの方や歯医者の奥さんに助けられて、どうにか車の乗り降りも出来ました。週末には転倒前に白内障の手術を受けた病院の眼科に連れていく予定です。
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帰郷と総選挙が、たまたま同じ日になりました。ハロウィーンなる西洋の祭りとも同じだったようですが、特に興味はありません。
住所を変えるのは6回目になります。平成2年には東京から帰郷しましたが、あの頃は精神的には良くない状態でした。今でも良くなったわけではありませんが。
両親は施設と病院にいるので当分は一人で住むことになります。仕事もそのまま続けられる見通しです。
選挙は期日前投票をしました。現在の日本はグローバリズムがあまりに優勢なので、反グローバリズムの勢力がもう少し伸びるべきだと思っています。結果は良くないですが、未来に希望を持って生きていきたいものです。
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