2022年04月

『日本書紀』の歴代天皇元年には「太歳」干支が表記されています。これは百済の史書の影響のようですが、他に例が無い独特の書き方です。
神功皇后の巻には3か所にわたって書かれており、うち1か所は『魏志』から引用した卑弥呼の記事にあります。ただし「卑弥呼」の名前は注意深く避けられています。
天武天皇の巻では元年(壬申の乱の年)ではなく、翌年の2年に書かれているのも興味深いです。おそらく近江大津宮で大友皇子が天皇に即位していたのでしょう。『日本書紀』は大友皇子を天皇と認めていませんが、明治時代に「弘文天皇」として歴代に加えられました。古代には多くの謎があります。
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宝田明の遺作となった「世の中にたえて桜のなかりせば」で、彼が共演した岩本蓮加を「大女優の片鱗がある」と言っていたそうです。果たしてこれは誉め言葉なのでしょうか。
「悉有仏性」と言われ、我々は誰でも仏になれる存在だと言われていますが、実際に誰もが仏になれるわけではありません。
そもそも誰もが仏にならなければならないというわけではない。芥川龍之介の『杜子春』を思い出しますが、杜子春は結局仙人になることを諦めます。仙人と仏が同じというわけでもないのですが。
大日本帝国の例でも分かるように「大」をつけるのは自分だという説もあります。大と小は相対的なものであり、小がなければ大も無いことになります。
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