2022年05月

天皇の起源については分からないことばかりです。私も欠史八代についてかなり調べてきて、この時代は女系継承が行われていた可能性を考えてみました。
推定される崇神天皇の時代と、巻向遺跡の開始の年代は一致しないと思われるのです。それなら欠史八代が巻向遺跡に関係していたことになりますが、この時代の天皇の宮は葛城地方が主体です。ただ歴代皇后の出自を見ると「磯城県主」出身が多く、巻向遺跡との関係がありそうに思われます。
磯城県主は三輪氏の本宗と思われ、崇神天皇の前の時代に男系が絶え、娘を物部氏の遠祖が娶ったと伝えられています。その後、疫病の大流行で民が絶滅しそうになり、卑弥呼に比定されることもあるモモソヒメの神託で大物主神の子を探し出し、三輪山の祭りを復活させると疫病は収まったと言われています。磯城県主も新たに物部氏から分かれ、奈良時代までは続いたようです。
分からないことばかりですが、今後も調べていきたいと思います。
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纏向遺跡は垂仁天皇と景行天皇が都を置いたと言われる遺跡ですが、何故か邪馬台国の遺跡として宣伝されています。(纏は別の漢字のようですがご容赦願います)
報道機関の人達もこうした古代の天皇の名前は馴染みが無く、卑弥呼の方をよく知っているのだろうと思いますが、私の見るところ、この遺跡は邪馬台国ではありません。中国や韓国・朝鮮に関係する遺物が少なく、外国との繋がりが薄かったと思われるからです。邪馬台国は九州、おそらく筑後平野にあったと考えられます。
しかし卑弥呼とは関係なくても日本の建国を考える上で重要な遺跡ですから、報道機関の人達も勉強して、纏向に関する記紀の記録を紹介すべきと思われます。
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