2022年06月

第3代安寧天皇は磯城津彦玉手看(しきつひこたまてみ)天皇という名前で、その第3皇子は磯城津彦(しきつひこ)命といいます。これはとても不思議な名前です。何故ならば磯城彦(しきひこ)とは、神武天皇が東征で攻めた兄磯城(えしき)弟磯城(おとしき)を合わせた名前だからです。『日本書紀』では兄磯城だけが滅ぼされ、弟磯城は帰順して磯城県主に任命されたことになっていますが『古事記』では兄師木・弟師木ともに討たれています。
『日本書紀』では兄磯城の軍が磐余邑に満ちていたともあり、この「磐余」は神武天皇の名前「磐余彦」とも関係があります。磐余の地の旧名は片居または片立といったとも書かれており、この名前は安寧天皇が都した「片塩」を思わせます。多くの謎がありそうに思われます。
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卑弥呼については、このブログではあまり取り上げてきませんでしたが、助けて国を治めていたという「男弟」について。
「男弟」とは不思議な言葉で、弟なら男に決まっていると思うと昔はそうではなく、『古事記』でも「弟」と書いて「いろど」と読み、妹を表している例があります。しかし『三国志』で「男弟」が使われたのは他に一ヵ所しかなく、大変珍しいようです。
一方『日本書紀』全30巻で「男弟」はたった一度しか使われていません。それは第4代・懿徳天皇の皇后・天豊津媛について、ある書物では磯城県主葉江の「男弟」猪手の娘・泉媛となっていると記した箇所です。これを見ると葉江さんは女性であったと思われ、卑弥呼の可能性もあります。後継者の台与は天豊津媛か、第5代・孝昭天皇の皇后の母として出てくる「倭国の豊秋狭太媛」かもしれません。
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