漢風諡号に「神」の字がある天皇は神武、崇神、応神の三人しかいません。他に応神の母である神功皇后もいますが、『日本書紀』による応神の没年(310年)と『古事記』による崇神の没年(318年。258年説もある)が近いことに気付きました。
これから類推して、『日本書紀』による神功の摂政元年(201年)が真実の神武即位年に近いのかもしれません。それなら『日本書紀』の神功・応神の時代(201~310年)は神武~崇神の時代に近いことになります。
私は以前、綏靖・安寧・懿徳の諡号からもっと古い時代を考えていましたが、こちらの考えの方が分かりやすく、淡海三船が意識していた可能性が高いように思われます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
これから類推して、『日本書紀』による神功の摂政元年(201年)が真実の神武即位年に近いのかもしれません。それなら『日本書紀』の神功・応神の時代(201~310年)は神武~崇神の時代に近いことになります。
私は以前、綏靖・安寧・懿徳の諡号からもっと古い時代を考えていましたが、こちらの考えの方が分かりやすく、淡海三船が意識していた可能性が高いように思われます。
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