2022年09月

漢風諡号に「神」の字がある天皇は神武、崇神、応神の三人しかいません。他に応神の母である神功皇后もいますが、『日本書紀』による応神の没年(310年)と『古事記』による崇神の没年(318年。258年説もある)が近いことに気付きました。
これから類推して、『日本書紀』による神功の摂政元年(201年)が真実の神武即位年に近いのかもしれません。それなら『日本書紀』の神功・応神の時代(201~310年)は神武~崇神の時代に近いことになります。
私は以前、綏靖・安寧・懿徳の諡号からもっと古い時代を考えていましたが、こちらの考えの方が分かりやすく、淡海三船が意識していた可能性が高いように思われます。
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講談社(学術文庫)版『日本の歴史』02「王権誕生」で寺沢薫氏は次のように述べています。

列島での権力中心地の移動という意味では、新生倭国の王都は結果的にイト国から東遷したという言い方もできるかもしれない。しかし、それはイト倭国の権力中枢がそのまま東遷したのでもないし、まして東征などはありえない。

氏は「神武」という名前を注意深く避けていますが、明らかに神武東征伝説を念頭に置いています。私は本ブログで歴代天皇の漢風諡号の考察から、神武東征を1世紀後半と見てきましたが、あれはあくまで淡海三船の考証であり、史実は2世紀末と考えるようになりました。倭国大乱後の纏向遺跡の出現は神武伝説と直結しているように思われます。今後も考察する予定です。
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ブログの更新をしないまま、9月になってしまいました。仕事や介護で忙しく・・というのは言い訳にはなりませんが、なかなか更新する機会がありませんでした。
今月27日には安倍晋三の国葬が行われるようですが、今からでも中止すべきではないでしょうか。国民の反対も多く、やるなら統一教会葬でやるべきという意見もあります。
統一教会の問題は数十年にわたってマスコミではタブーになっていましたが、暗殺事件を契機に一気に解放されました。この動きがどこに向かってゆくかは注目していきたいと思います。
まだ残暑はありますが、涼しくなるにつれてさわやかな動きが出てきてほしいものです。
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