5世紀に中国の南朝・宋に朝貢した「倭の五王」ですが、その名前の由来を調べてみました。
一般的に知られているのは武(雄略天皇)が「ワカタケル」の「タケル」に由来すること。少しマニアックになると讃(応神、仁徳、履中の各説あり)が応神天皇の「ホムタワケ」の「ホム」に由来するという説もあります。
興(安康天皇)については考古学者の森浩一氏が調べ、安康天皇(アナホ)の名代「穴穂部」が「孔王部」とも書かれ、穴→孔→興の関連が考えられています。
後は私の独自調査です。済(允恭天皇)という漢字は救済を意味し、「救う」「済う」の読み方から、允恭天皇の名前の末尾「宿禰(すくね)」の漢訳でしょう。
一番分からないのは珍(仁徳、反正の各説あり)ですが、私は珍=仁徳で、仁徳天皇は大阪に縁が深く、古くから大阪湾を「茅渟(ちぬ)」の海と呼び、珍(ちぬ)とも表記されたことから名乗ったのではないかと考えています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
一般的に知られているのは武(雄略天皇)が「ワカタケル」の「タケル」に由来すること。少しマニアックになると讃(応神、仁徳、履中の各説あり)が応神天皇の「ホムタワケ」の「ホム」に由来するという説もあります。
興(安康天皇)については考古学者の森浩一氏が調べ、安康天皇(アナホ)の名代「穴穂部」が「孔王部」とも書かれ、穴→孔→興の関連が考えられています。
後は私の独自調査です。済(允恭天皇)という漢字は救済を意味し、「救う」「済う」の読み方から、允恭天皇の名前の末尾「宿禰(すくね)」の漢訳でしょう。
一番分からないのは珍(仁徳、反正の各説あり)ですが、私は珍=仁徳で、仁徳天皇は大阪に縁が深く、古くから大阪湾を「茅渟(ちぬ)」の海と呼び、珍(ちぬ)とも表記されたことから名乗ったのではないかと考えています。
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