甲骨文字は漢字の祖先と言われています。三千年以上前の古代中国の殷の遺跡から獣の肩甲骨や亀の甲羅を焼いて占った記録が残されています。
亀の甲羅を使う占いは現在の日本でも行われており、令和の大嘗祭で稲を献上する地域を定めるために行われたそうです。古代中国との深い繋がりが感じられます。
漢字は不思議な文字で、世界の古代文明で生まれた文字が忘れられてしまった中で滅びることなく使われています。東洋は文字を中心とした文明であり、発音記号のような文字しか持たない西洋の言語学では全く分かりません。
この漢字文明を滅ぼすことなく未来に伝えていきたいものです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
亀の甲羅を使う占いは現在の日本でも行われており、令和の大嘗祭で稲を献上する地域を定めるために行われたそうです。古代中国との深い繋がりが感じられます。
漢字は不思議な文字で、世界の古代文明で生まれた文字が忘れられてしまった中で滅びることなく使われています。東洋は文字を中心とした文明であり、発音記号のような文字しか持たない西洋の言語学では全く分かりません。
この漢字文明を滅ぼすことなく未来に伝えていきたいものです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (84)
トリチウムが放つベータ線が「弱い」などと言われるが、それは放射性セシウム などと比べて「弱い」だけであり、人間を含む生物の体を破壊するには十分すぎるくらいのエネルギーを持つ危険な放射性 物質である。トリチウムの環境放出が沸騰水型原 子炉に比べて 100 倍以上も多い加圧水型原子炉のある周辺地域では、白血病の増加など、トリチウム被ばく健康被害が増大。 電離放射線であり、内部被曝の際には生物・人間の 体内に活性酸素(ヒドロキシルラジカル:・OH)を生み出す。この活性酸素は生物・人間の体を破壊しガンなどの原因とな るが、人間はこのヒドロキシルラジカルを無害化する酵素を持ち合わせていない。 人間のDNAにある水素と入れ替わっているOBTのトリチウムが崩壊してヘリ ウム3に転換するとDNAが破壊され、深刻な健康被害や遺伝的障害の可能性が高まる。崩壊の際に出すベータ線の被害に ついては上記の通り(つまり、トリチウムの基本は「水」であり、放射線のエネルギーも小さく、人間の体内に入ってもすぐ に出ていくから心配ないというのは嘘八百、OBTや活性酸素のことを考慮すればトリチウムは非常に危険)
トリチウム水は海に投棄すれば終わりではない。トリチウム水は「水」だから、海に入るとまもなく 水蒸気となり、海から陸に向かって吹く風に乗って宮城県・福島県・茨城県・千葉県などの沿岸地域にブーメランのようにし て帰ってくる。
capelaurig
が
しました
天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為に、第二位の神となって顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て此にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次に天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神(かみむすびのかみ)である。創世記には、神を称するに単にエホバとのみ言わず、エロヒムの語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。
天御中主神は、三種の顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限の神徳は、無論このような簡単な事で顕わし切れるものでない。そこでこの大天地鎔造の神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備の域に進ましめられたが、天照大御神の時に至って理想世界は完成した。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
国学者などは、此日本ばかりが神国のように考えて居た。これはイスラエル民族が、自分ばかりが神の選民であると思惟し、エホバの神はイスラエルばかりを守護するように考えたのと同じような僻見である。古事記には『神皇産霊神(かみむすびのかみ)が少彦名命(すくなひこのみこと)を遣わして、常世の国を経営せしめた』と記載されて居る。常世国は外国である。神の眼からは、日本もない、外国もない。只各国をして、其天賦の職責性能を発揮せしめんとせらるるのみである。此の世界経営の神業は今日とても依然として継続されて居る。天御中主神の神徳を知ろうと思えば、日本神代史の研究は勿論、ギリシャ、ローマの神話も、キリスト教、回教、バラモン教、道教、儒教も、西洋の諸学術も、悉く調べて見て、造化の宝蔵を敲いて見ねばならぬ。一宗派、一専門の士では不足だ。霊智霊能あるもの、誠心誠意あるものの全部が、総懸りで取懸らねばならぬ問題である。それ丈努力討究しても、神の大業の百千万億分の一を想見する事しか出来ぬのである。
現代の日本国民の神霊についての知識及び信仰の程度は如何。神代史の知識は欠如し、天御中主神の神徳を知らぬ者の多きは勿論、第2流、第3流の神様さえさしおきて、種々雑多の低級な神々ばかり拝んで居るものが多い。これでは、日本は浅ましい迷信教国と言われても仕方がない。
ギリシャの信仰なども、随分堕落して居た。ギリシャの神々は、森の中、山の上、谷や野原で、よく血を流して闘ったり、鎬を削って争ったりした様だが、敵を殺したり、欺いたりするという事は、神の尊厳を汚すもの、戦いに敗北して、敵に降参するに至っては言語道断である。
capelaurig
が
しました
<ろこくばかりか、亜米利加までが、末に日本を奪る企み、金と便利に任せつつ>(明治36年)<今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、海の底にも大空も。地上地中の選み無く、やがては降らす雨利加の、数より多き迦具槌に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬を渡る国民の、行く末深く憐みて><いよいよ西伯利亜(シベリア)線を花道と、定めて攻め来る曲津神、力の限り手を尽し、工夫を凝らし神国を、ひと呑みせんと寄せ来り、天の鳥船空覆い、東の空に舞ひ狂ひ>(大正6年・瑞能神歌)などの預言があった。王仁三郎の主張は<学者の教うる惟神の道、思想家の説く皇道精神、軍人の叫ぶ日本主義など皇道を叫ぶ人々の多くが最も肝腎な、皇道は神より発する道である事をゆるがせにしている。神に一切を帰し、神の心に融けこんでこそ皇道の真諦に触れる。
capelaurig
が
しました
人間は曖昧な時代の流れ(潮流)や民族性、国民性、地域社会性などに左右されている。その曖昧なものの上で、賢そうに明確さやら、具体性、合理性を云々しているだけの事である。
「グロスの島の物語がいよいよ実現するのである。天津神が国津神になり、国津神が天津神になる。白紙で頼んだら王仁がでてやるのでその時になったら、悪い者は一番に馘にしてしまう。そうせぬと大改革はできぬ」(昭和一九年五月中旬)
七八卷で書かれたことは、今も予言としての力をもっているものだ。いづれ、国津神が天津神にとって変わって……という期待ともつかないものに、神話的なバックアップという機能を果たしているのではあるまいか。
出口王仁三郎聖師は、古事記を予言書とされ、じっさいにその言霊解(大気津姫の段等)で、その予言の解明をおこなっておられる。
その解明は、恣意的といえないこともない。しかし、恣意的なものであれ、うなずかされるものがある。妙な論理がとおっているのである。
予言とは、呪いでもありうるし、希望でもある。
警告的な予言もある。聖師は予言を外すためにこられたということもある。
昭和19年9月10日に、「九州は空襲の本場や。一ヶ月すると空襲があって軍政がしかれるかもしれぬ」と聖師は語っている。当たらなかったわけだ。
超人的な予知能力を持ち、明日や明後日のことは無論のこと、数百年、数千年先のことまで知悉する(第一卷一章)ことができたという出口聖師である。例えば広島、長崎の原爆投下を予知しては、信徒に避難を急がせるなど、日常的なエピソードでも予知予見の話は多い。
capelaurig
が
しました
2次弾圧の予審供述調書にこんな記載がある。<十六のまだうらわかき、さほひめを、神代の夢と消へやらで、三千とせならし、今の世に化けて洋服身にまとい大和島根の大空を>は若い稲田姫を呑もうとした八岐の大蛇が現皇統に化けて三千年間日本を統治する意味で、<神の稜威に照らされて、元の姿となる神はきくも邪悪の守護神>とは、鬼門の艮に遂はれて居た国常立尊が現れて、天皇陛下は元の八岐の大蛇となり、邪悪の統治者であった。現皇室は日本を統治せらるべき真正の天子様でなく、王仁三郎が真正の天子である事を主張せんが為に作った。誠に申し訳御座いませぬ。>誰が書かせたものか、現在では不明である。<天子を綾部に隠せり><今の天子偽者なり>昭和天皇が人間宣言をして象徴天皇になっても明治維新における皇室を巡る検証は、平成になってからである。王仁三郎に皇位継承権があった事、南北朝を巡る明治維新の革命理論には、横井小楠や吉田松陰らの南朝革命論があり、大本弾圧は南北朝の権力闘争でもあった。
後醍醐天皇が吉野山で京都の空をにらみ、再び皇位に還ることを念じ、子孫達に想いを託した願いは、明治天皇の崩御前年の勅裁からしばらく、南朝の名誉回復がなされたが、大室寅之祐とのすり替え説が浮上する余地となる。天皇親政を理念とした明治革命は、薩摩・長州などの勤王諸藩、尻馬に乗った一部公家達を除いて、庶民には納税・徴兵義務そして物価上昇を伴う未熟な資本主義で暮らしは悪くなった。明治天皇は操り人形で30名の側室と千代田遊郭で戯れて居た。すべての秘密を握った伊藤博文が統治者であった。
capelaurig
が
しました
昭和六年九月十八日に満州事変勃発。一九三一年、いさくはじめ、皇紀二五九一、じごくはじめ。
一九三一年の一はハジマルで、一九三はイクサであるから、いわゆる「イクサハジマル」。
開祖様御昇天のことを王仁は神様から承って二年前から知っていた。それで貴賓館の名において教組殿を造っておいた。当時金が無くて困っていたので、開祖様はたいそう御心配なされたので、八畳の間一ぱいに取っておいた金銀貨を積みあげてお目にかけたら、これで安心したと言うて大層お喜びになされた。十年事件以来みな出してしまったが、開祖様は御安心なされて御昇天になったのである。
正夢は時間、場所、事柄等、見たとおりすこしも違わず実現するものである。霊夢は比喩的に見せられるから、その判断を誤ると間違ってくる。霊眼もこれと同じであって、見せられたことが本当であっても、その判断のしかたをしらねば間違ってくる。空に五五という文字が現われたとしても、五十五日、五十五年、五月五日、五年五カ月、二十五日、と幾様にもとれる。ある人に霊眼を許してまだその判断の方法を教えないでおいた。ところがその人は自己判断でいろんなことをいうたが間違いだらけである。早くからあの大正十二年九月一日関東地方に起こった大地震の光景を見ていた。ただ、時の判断を間違えて、すぐその事が実現することと思い、時の大官連に予言警告を発した。わたしはその事を知るとともに、その誤りであることを通知し、ただちに取消すようにと電報で何度もいうてやったが、自分の霊眼を信じきっているので、なんというても聞かなかった。そのとき大本におけるあらゆる御神殿の扉が、ガタガタ、ガタガタと鳴って、大変な事であった。時を判断することを誤っているのであるから、その日が来ても何事も起こっていなかった。無論大震災など起こるわけがない。
capelaurig
が
しました
<聖者は野に隠れ、愚者は高きに上って国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるという無道の社会ですから、天地も之に感応して色々の不思議が勃発するのでしょう。今日の人間は堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生まれ来たらず、末法常暗の世となり果ているのですから。10年以内には世界的大戦争が勃発するしょう。実に戦慄すべき大禍が横たわっております。今の人間は神仏の広大無辺なる御威徳を無視し、暴力と圧制とをもって唯一の武器とする大黒主の前に拝跪渇仰し、世の中にハルナの都の大黒主より外にないものだと誤解しているのだから、天地の怒りに触れて、世の中は一旦破壊さるるは当然でしょう。>
capelaurig
が
しました
大本営の虚偽の報道の中で、王仁三郎は破局に近づいている状況や、日本の降伏についても早くから伝え、さらに「日本の敗戦後は米ソ二大陣営の対立……」「いったん日本は米国の支配下に置かれるがそれもしばらくの間や」「しばらくは平和時代がつづく」「日本はまけても世界の鑑となる」と述べた。
天皇の名において行われた悪夢のような戦争はおわり、明治から三代にわたった天皇制支配はついに崩壊した。敗戦が世界平和の糸口になると教えた。敗戦一週間「神風を吹かして日本を勝たせてください」と頼んだ信者に、「心配するな、今度はアメリカが日本に来て、ええ御用するんや」とさとした。
「日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるんや。ところが、神床が非常に汚れて塵アイがたまっている。掃除をせねばならぬのだが、血で血を洗う騒ぎをくりかえすばかりで出来はせん。神様はマッカーサー元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除させられるのや。つぎに座敷じゃ。世界の座敷は朝鮮と中国である。つぎに庭先の掃除が必要となってくる。世界の庭先とはソ連と米国にあたるのや」と。
capelaurig
が
しました
弾圧直後、当局のでっち上げ予審調書である。<太古伊邪那岐尊は高天原の主宰神とし、地上界は素戔嗚尊が統治、霊主体従の神政を行うが厳格すぎて、八百万神の反抗を受け、天照大神は千座の置戸を負い天の岩戸に隠退された。素戔嗚尊の子、出雲の大国主命は瓊々杵尊の降臨でが帰順したが、現皇統の体主霊従、弱肉強食により民衆は喘いだ。そこで済世救民の教主として王仁三郎が綾部に現れ、世の立替立直みろくの世の成就をはかり、国常立尊の隠退再現説を創作して、国体変革の思想を宣伝している。王仁三郎は国常立尊、豊雲野尊、撞の大神の霊代として現皇統を廃止し統治者になろうとしている。>大本の神は天皇制のかかげる神とは異質であり、独創的、より深い神観神話を当局は着目主張しているが、国体変革の教義はない。片言隻語を抜き出し、宗教用語に当局流の国体変革理論のでっち上げである。統帥権のかげに隠れ、武力革命を呼号する右翼・軍人と王仁三郎が結びついて、資金が流れ重大事態を予想させた。満州の紅卍字会と国内とで、国家革命・大陸進出を恐れたという。翌2・26事件にあわてふためき、幻想と恐怖にとりつかれていた。王仁三郎は神の教を、俗人がつくった法律で取締まり監督するとは出来ぬ話であるとし、政教分離の原則を混同した時代錯誤の考えがみられる。浜口首相狙撃、血盟団・515・神兵隊事件など多発していた。そして昭和9年の昭和神聖会の結成が刺激を与え、民衆的基盤の独自皇道論と現状打破が導火線となった。
capelaurig
が
しました
安保闘争を共に闘い、その後ロシア(当時はソ連)に留学していた石井紘基という男がいた。彼はロシアから美しい女性を連れて帰ったが、ロシアの官僚社会という認識をもってもきた。そしてロシアを鏡として日本の官僚制についての批判と改革運動をしていた。彼は右翼のテロで倒されたのであるが、ロシアについてのすぐれた認識者だと思っていた。時折、朝彼が学習していた三軒茶屋の茶店で話をしたが、彼の話は興味深かった。彼が生きていたらウクライナ戦争についてどんな評をするのか、と思う。ロシアについての分析や評をする人として注目しているのは佐藤優である。ウクライナ戦争についても彼の分析や評を注視してきた。彼は『ウクライナ「情報」戦争』を昨年の夏に出しているが、最近のものに『それからの帝国』がある。こちらはウクライナ戦争の分析というよりはその主体であるロシア、とりわけプーチン政権の思想と行動を分析し取り出してしいる。プーチン政権のわからなさに言及する上で、『それからの帝国』は格好の本である。
capelaurig
が
しました
明治憲法が国家至上主義にたち、臣民の義務に背かない範囲でしか信教の自由は認めない。天皇制ファシズムの下では国策が立法、司法に優先していた。治安維持法や不敬罪という国家的事件について裁判所は政治的勢力と民衆弾圧の一翼を担った。証拠の採否、法の解釈・適用は判事に委ねられ、国策を投影させる権力が付け入る重要案件で当局が使う手口である。弁護人や新聞に圧力をかけ終始公判を非公開とした。王仁三郎の生涯は神の使命と信教自由の実現への苦闘だった。
capelaurig
が
しました
分りづらいプーチンの思想を明らかにしているところがあって、興味深かった。プーチンの思想と行動には賛成ではないし、反対内なのだが、彼が何を考えているのかは幾分かはわかったと思った。『それからの帝国』はサーシャの考えに基づいてのプーチンの思想と行動の解明というとことがあるのだが、その実体を知るという意味での貴重な本だと言っていいと思う。
佐藤とサーシャのイラク戦争についての考えは正反対であり、対立している。
「ウクライナ戦争に関するサーシャと私の立場は、正面から対立している。私は今回の事態は、ロシアによるウクライナの主権と領土の一体性を毀損する侵略と考えている。サイシャは、ウクライナと連携した西側連合による侵略を防止するためには必要不可分な「特別軍事作戦」と考えている。ロシアもウクライナも武器を置いて即時停戦を考えている。サーシャは、最低限としてロシアがウクライナから併合した4州に加えドニブロべトウンク州を実効し、ロシア軍が駐留するモルドバア共和国の沿ド二エステル地方を連結してウクライナを黒海から切り離すことがロシアの安全保障上不可欠なことと考えている」。
capelaurig
が
しました
王仁三郎:禅宗の問答に<人虎孔理に墜つ>と言って、穴に落ち込んだ人がどうすべきかという問答がある。人間より虎の方が力が強いから、逃げてもじっとしても跳びかかって殺される。一つだけ生きる道がある。こちらから喰わしてやらねばならぬ。後に愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ。
裁判長:その点はもうそれで宜しいと追求を打ち切った。
大本を弾圧した権力を虎にたとえ、教団や王仁三郎自身を虎穴に落とされた人にたとえて、予審で無理矢理、署名捺印された状況・弾圧に対する自己の態度を述べた。
王仁三郎は検事や予審判事が<皇室を倒して日本を統一するのだろう?>というから、<そんな小さい事を言ってくれるな、地球を統一して大宇宙から観れば、日本に例えれば日本の一番貧乏な家位のものだ。私は全大宇宙を腹に呑んでいるのだから>と答えてやった。<日地月星のだんごも食い飽きて、いまは宇宙の天界を呑む>と歌っており、当局の必殺の攻撃も意に介さない見識と抱負が伺える。
当局はクーデターの危機感から弾圧したのに、公判では教義に焦点を絞り、治安維持法で国体変革の教義と結社の事実を証明しようと焦った。
capelaurig
が
しました
佐藤の考えは多くの左翼(旧来の左翼)が中間的であるのとは違っているように思う。停戦の提起であるが。即時停戦は市民派から提起されている。これが現実的でないということもあるが、ウクライの側からの停戦要求が優先されなければ、停戦は不可能と考えられるからだ。ここでサイシャのいう停戦条件をウクライナ側が受け入れないことは明らかだし、受け入れるとしたら軍事的敗北を承認することだからだ。これは現実的には深野なことである。一刻も早い停戦を望むが、それはウクライナの側の提案においてである。
戦争には政治的理由、利益上での理由に価値観的側面がると言われる。この転位ついては、ロシアのウクライナ侵略が西側(アメリカ含む)との戦争であるとプーチンによって語られることから、浮き出てきたことである。プーチンの侵略の意図が安全保障が脅かされるからという説明では納得がいかないということがある。安全保障上で必要という大義が、説得力がないということに起因している。これはプーチンのわからなさと関係していることでもあるが、それなりに興味を喚起させるところだ。
capelaurig
が
しました
王仁三郎:リンゴ三つですから、三リンです。仏の教えで身輪・口輪・意輪の三輪で、身体・口・心の戒律の事で、宗教家として守ろうとして。リンゴ三つ取りました。
裁判長:それでは、妻に大根をやった意味はどうかね?
王仁三郎:仏の教えに大根大機の菩薩、六度百行首榲限定を与うとある。人に二十二根あり、大本では代々女が教主で、役員信者に大根大機で利益せねばならぬという意味です。もう一つの意味は、私は入り婿で女房にあたられる亭主は嫌なもの、大根はなんぼ食べても腹が痛まぬし当たらぬもので、女房にちとあたらぬようにして呉れという事です。
法廷に笑いが漏れ、裁判長は<漫才みたいなことを言うな>と怒りっぽく注意した。
裁判長:幹部20名に親芋を一つずつやった意味はどうなのか?
王仁三郎:芋というのは、土の中で子供を殖やすものです。土の上に出ている葉は何時でも頭を下げて謙遜している。人に教えを説き模範にならねばならぬ幹部達に、芋にあやかり、人知れず徳を積み、施して行くという意味です。
裁判長:しかし芋をやる時、他の者に喰わせず一人で喰べよと言ったようだが。
王仁三郎:古語では、妻は吾妹(わがいも)と言います。自分の女房を人に喰わしたらいかんと、一寸しゃれたわけです。
ところが二審で王仁三郎は<一審で申したのはでたらめ、日本では、神様の祭りのあとの直会でお供物を分けて頂くのは昔からの習慣で、特別の意味はない。一審の裁判長はアナイでも言うてあげんと納得ゆかん人です。>と答えた。
断罪の決め手となる結社の組織が、リンゴ・大根・芋の持つ意味如何にかかるという、おかしな展開で一審では政策的にこじつけて有罪とした。権力裁判の不見識を象徴している。
capelaurig
が
しました
プーチンがウクライナ侵略に踏み切った不思議さおもいを巡らせるとき、プーチンの価値観(文化的価値観)というのは興味深いし、視線がそこに向かれるのは自然だ。
「今、人類は大転換を迎えている。英米主導の近現代が、深刻な危機にさらされていいます。私はプーチンのようにそこにサタニズム(悪魔崇拝)を感じるわけではありませんが、英米型の個人主義が一つの限界を越えてしまったという認識です」(『文藝春秋百周年記念号』
ドットは西欧近現代の個人主義が限界を越えてしまったという、プーチンはこれを西欧の悪魔崇拝という。西欧近現代の価値観が没楽しているとか、限界に達している考えは歴史上、何度もあわわれてきたものだし、いつもそれなりに興味を引くことである。西欧の没楽、西欧と東洋の対立は近代思想として繰り返しあわわれる構図である。ドットの場合は独自に人類学的思考があるのだが、プーチンのいう価値観が曖昧であり、その価値観が西欧との対立を導くものであるというのは曖昧である。価値観とういうのは曖昧なところの存在を持つものであること間違いないが、そうであるがゆえにドットの分析や認識には新鮮さがあるのだが、曖昧であり何を言っているのかわからないところがある。多様性の評価に発展して西欧の個人主義や自由はプーチン的な価値観で否定されるものではない。プーチンはロシア文化の特殊性をいう、その尊重を言う。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
やはり、プーチンの考えとしてはユーラシア主義と帝国の建設ということが注目される。プーチンはソ連崩壊後のエリチエン政権下でのロシアの再建をめざした。これは安定化が含まれているが、この『大戦略』の中で政治的強国化が志向された。社会の混乱を収めるのは政治的強国化が不可欠だが、それは国家の帝国化である。
capelaurig
が
しました
7年にわたる天皇制下での法廷闘争は不敬有罪を残して、一応の結末を告げた。昭和18年を境に、戦局は転換した。日本とドイツは総くずれとなり、王仁三郎は事態を見極め、歴史の大きな胎動を見通していた。身辺は要注意人物として監視の目が光り、側近の憂慮にお構いなく、時局から身の上相談に至るまで訪ねてくる信者を指導したり、戦争で犠牲になった人々の為に心を砕いた。<今度の戦争は生き残るのが第一のご神徳だから御守りをやる>と信者に与えた。空襲が日常化し、危険にさらされるようになってから、<東京は空襲されるから早く疎開せよ、京都・金沢は安全・空襲は受けない>と指示を与え、<広島は一番ひどい目にあう。新兵器の被害を受けて火の海と化し、戦争は終わりだ。帰ったらすぐ奥地に疎開せよ>と急がせ、信者のほとんどは原爆の難を逃れた。大本営が虚偽の報道を続ける中、破局に近づいている状況、降伏についても、<日本の敗戦後は米ソ二大陣営の対立や、米国の支配下におかれるがしばらくの間や、日本は負けても世界の鑑となる>など戦後の見通しを述べ、弾圧下で入信した有力な人々は多い。昭和20年正月<何が新年お目出とうや、新年敗けましてお目でとうございますや。なごうもっても6ヶ月やな。馬鹿な戦争をしたもんや>とつぶやいた。
capelaurig
が
しました
だから、植民地国家が国民国家的な統治を要求したときに、民族独立としてそれを認め、自己解体を余儀なくされた。西欧近代の帝国化の敗北を超えて帝国を創り出していくことは矛盾というか、難問が多い。その中で西欧近代の帝国ではなく。近代以前のプレ帝国(王権的な帝国)のところが、議論されて箇所は興味を引いた。帝国化は民族問題などの矛盾を引き起こすことは疑いないし、その意味でソ連帝国の時代でラトビアの民族独立運動の話などが興味深い。サーシャはかつてラトビアの民族独立運動の指導者だったが、彼がプーチンの帝国化の賛成者になって言ったところは検討してみたいと思った。何故なら、ロシアのウクライナ侵攻は古くて新しい民族もんだいであり、ロシアの帝国化が導いて必然とも理解できるからである。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
この発言は「数十年にわたろうとも」という形で汚染水の海洋放出が環境に悪影響をもたらすだろうということを首相も否定していない、暗にそれを認めている。政府筋は汚染水の海洋放出が「安全である」とかIAEAのいう国際基準に合致しているなどというが、本当のところではそれを信じてはいないのだろうと思う。要するにこれらは根拠を持つ事ではなく、海洋放出のための方便(政治的言葉)にすぎないことが分かっているのだと思う。
汚染水の海洋放出にあたって注目してきたのはメデイアの発言だった。
政府が無理と危険を承知で海洋放出に踏み切ってきたのは政治的理由だった。彼らが言うように汚染水の保管が大変な状態になってきているということもあるだろう。最もこの理由に対する対抗的な方法(保管の解決方法)はいろいろと提示されているし、可能性があることだと思える。政府や東電がそれを拒否して海洋放出に踏み切ったのは海洋放出が安価だということがある。けしからぬはなしだが、これがあると推察される。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
日本の敗戦により大本は再建を迎えたが、邪教大本の印象は長く拭われない。治安維持法が無罪、不敬罪が敗戦で解消した事を知る人は少ない。王仁三郎は昭和20年10月、事件解決後、初めて綾部の聖地に足を踏み入れ、本宮山の木々を眺めながら<全部叩き潰されたが、木だけが大きくなったなあ、木だけが残った>としみじみ語った。<桜の木は全部切ってしまえ、梅と松の木を植えるよう>軍国主義を象徴した桜の時代は終わり、綾部の神苑を梅松苑と命名した。<信者は教義を信じ続けたので、既に再建せずに再建されている>と語っている。奉告祭の式場は彰徳殿があてられた。弾圧後、綾部町が無断で建てた武徳殿で、綾部町から寄付され王仁三郎が命名した。参拝者は1,500人、遠来の信者に席を譲り、殿外を埋めた。祭員は国民服のまま質素な祭典で王仁三郎と澄子の先達により祝詞を斉唱、高木鉄男ら不幸にも殉教者となられた慰霊祭も行われた。
荒れ果てた本宮山は清掃され神殿の木切れや落葉を集め焼き、山のような灰が出来、事件の唯一の記念品として信者一人一人に少しずつ渡された。王仁三郎は<わしは花咲爺だ>と更生の花を咲かせよとの意味が込められた。破壊された瓦礫を寄せ集め盛土し<月山不二>が築かれた。今日もここを最高の聖所として、創造神(天の御三体の神)が祀られている。
capelaurig
が
しました
政府は福島第一原発の事故によって急性被爆の問題を起こす安全神話が壊れると同時に、内部被爆をもたらす問題に直面した。これは核のゴミの処理もんだいとしてクローズアップされたが、原発の排出する汚染水の問題としても出てきた。政府がとってきた放射線被爆に対する対応は急性被爆に対する対処であり、内部被爆の問題は軽視、あるいはないという対応だった。先のところで注目してきたメデイアはこの政府の対応の枠組みにあって、放射線の内部被爆というところには視線がいかなかった。だから権力の所業としての放射線の放出ということに対する監視、あるいは批判という点において基本的な視座を欠落させ、部分的な批判しか出来なかったのである。彼らの対応の鈍さも、いい加減さもここに原因があった。
capelaurig
が
しました
昭和15年、2度目の訪日の際、溥儀は<日満一徳一心、天照大神を満州国にお迎えして奉仕する>と誓わされ、天皇から模造品の三種の神器を渡された。神廟では天照大神に向かっても、心の中では北京の坤寧宮を拝んでいるんだと、自分に言い聞かせていた。天皇の神格否定宣言は国家神道体制が崩れ去り、不毛の原野に信教の自由が芽吹いた日本宗教史上画期的な出来事だった。王仁三郎が主張する日本民族の平和愛の精神とは<平和・文明・自由・独立・人権を破るものに向かって、あくまでも戦う精神>に貫かれたものである。未決の生活で身体をひどく痛めたが、不屈の魂は芸術へと吹き出る。作陶への意欲はのちの<耀盌>として社会から高く評価される。<森羅万象、いずれも神の力による偉大なる芸術的産物でその内面的真態に触れ、我が宗教・芸術がある>と説いた。短歌・俳句・書画・映画・演劇など幅広い創作活動も行った。絵を描く時は<岩を画く時は左手で押し上げるように、滝を画く場合は滝の落ちる速力でサッと筆を運ぶ。ゆっくりだと絵が死んでしまう。動物を画く時は死なないように鼻から描く>と述べている。
capelaurig
が
しました
この未解明は汚染水による内部被爆がいまだ実証しきれていないということであり、逆に言えば内部被爆がないということも実証はされていないということである。政府は内部被爆が実証されていないということを持って、それはない安全だと言っているだけである。ここには実証には時間がかかるというだけのことだ。政府は未解明であることをもって安全であり、内部被爆などはないと言っているだけである。そしてそれが科学的立場であるという。内部被爆のことが実証に時間がかかるということは、被爆がない、ということではないからである。それが科学的ということも何の近経もないことだ。人々は実証に時間がかかるにしても、そこに内部被爆、内部被爆に連鎖する環境の悪化があるのではという疑念を持っている。これには様々の濃度があるにしても、かなり広がりのあるもので、岸田首相が「何十年にわたって」という言葉を口にすることも疑惑があるということだ。科学的ということについて田尾陽一はこう語っている。
「処理水海洋放出に反対している福島漁民の主張は、ある意味で科学的である。「科学」は未知のものや現象への、直感的な好奇心や恐れを原動力にしている。直感的であれ、漁民が長年の経験に基づき、海やそこに生きる生物(人間を含む)への影響に懸念を持つことは正しい「科学的」判断である。」
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
汚染水放出が始まった。この汚染水放出との闘いが長期的な、あるいみでは永続的なものであり、放射線の内部被爆との戦であり、長期のものであることを自覚している。汚染水放出という政府の行為にたいして、一過性的な闘いに終わらせてはならない。ここが大事なところであり、汚染水放出変闘いには未来からの視線と一過性に終わらせない工夫と知恵が必要である。浪江での現地での闘いを含めて、昔よく使った言葉を使えば、脱原発闘争の新しい地平を開かなければならない。これはこれまでのままでいいのかという自問とそれを含めた討議から始まる。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
原発は稼働中でなくても核燃料は放射線として熱エネルギーを出し続けているので、冷却し続けていないと高温になって水素爆発や水蒸気爆発を起こすのです。それゆえ発電していない時でも、必要な知識を持ち十分に経験を積んだ何人ものオペレーターやエンジニアが監視し、絶えず冷却水を注入し続けていないと、大事故に至るのです。もちろんそのためには外部電源を必要とします。したがって結論的に言うならば、原発は、使用中ないし使用後の核燃料を内部に蔵しているかぎり、稼働中であろうがなかろうが、そしてまた直接攻撃されなくとも、知識のない軍隊によって占拠されただけでも、オペレーターがいなくなった状態になれば、あるいは原発本体ではなく周辺で外部電源が攻撃され破壊されただけでも、冷却がストップして爆発に至る可能性の高いきわめて危険な代物なのです。
capelaurig
が
しました
「侵略者として裁かれるのは連合国ではないか」「天皇の聖戦に誤りはない」という国際常識、戦争で被害を受けた無数の日本国民の立場とは、まるで正反対の判断をしていることになる。
彼の祖父・岸は、米CIAの手先になることを受け入れて敗戦後の首相の座を射止めている。しかし、孫は其れさえも許せないのだろう。戦犯で処刑された東條らは、日本を救済するために命を捨てた英雄なのだから。彼の脳裏には侵略戦争の文字などあるわけがない。
ああ、何と言うことか、どういうことか。頭がおかしくなってくる。極右が政権を担当、それを財閥と公明・創価学会・統一教会・神社神道などの宗教勢力が支援している?
安倍が自衛戦争論者である、という事実を突きつけてきた人物は、戦時中の外務大臣の孫である外務省局長(ロシア担当)である。「月刊日本」という雑誌での彼の証言だが、今回の追悼文でそれが事実であることが判明した。
安倍は侵略戦争を否定、それどころか自衛の戦争だったと開き直っている。東京裁判でも、こうした主張をした戦犯がいたのであろう。天皇主義者の言い分なのだろうが、多くの日本国民と国際社会を納得させることは出来ない。
安倍の史観は国粋主義そのものである。日本の孤立化も当然と言えるだろう。
capelaurig
が
しました
おなじ原子番号でも質量数の異なる原子核があり、それは同位体と呼ばれ、同位体には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは大きなエネルギーを持った放射線を放出して、別の原子核に変化してゆきます。それを原子核の「崩壊」と言います。放射線はα線(ヘリウムの原子核)とβ線(電子)とγ線(強いエネルギーの電磁波)があります。これらの放射線のエネルギーはそれぞれの原子核ごとに異なりますが、しかし、通常の燃焼つまり分子の化学反応のエネルギーに比べれば桁違いで、約100万倍大きく、したがって放射線が人体にあたると細胞を壊し、強ければ即死、弱くても癌の原因になります。つまり放射線はきわめて危険なものです。
capelaurig
が
しました
田布施から明治の“英雄”が続々輩出しているではないか。安倍はその後裔に違いない。鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
capelaurig
が
しました
この連鎖反応をほぼ瞬間的に行なわせる、つまり暴走させるのが原子爆弾で、それを制御しながらゆっくり行なわせるが原子炉です。原理的な違いはありません。そして原発は、その原子炉での連鎖反応のエネルギーを使って湯を沸かして、その蒸気でタービンを回して発電しているのです。通常の火力発電との違いは、湯を沸かすのに原子炉を使っているということだけで、その先のタービンを回して発電するという点では、まったくおなじです。決定的な違いは「燃料」にあります。
capelaurig
が
しました
「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
capelaurig
が
しました
広島に投下された原爆ではだいたい1キログラムのウランが有効に使われたと言われています。したがって約1キログラムの死の灰が撒き散らされたのです。現在の大型原発の標準である出力100万キロワットの原発では、約10時間の稼働でそれとほぼ同量のウランが消費されます。ということは1年間の稼働で約1トン、つまり広島原発1000個分の死の灰が作り出されることになります。
日本にある通常の原子炉は軽水炉と呼ばれています(軽水炉には加圧水型と沸騰水型がありますが、本質的な違いはないので、軽水炉で一括します)。軽水というのは普通の水のことで、これが冷却と中性子の減速に使われています(核燃料を少なくするには、中性子は低速の方がよいのです)。燃料としては濃縮ウランを使っています。ウラン原子核は質量数235のもの(ウラン235)と238のもの(ウラン238)があり、前者のみが核分裂反応をするのですが、しかし自然界のウランに含まれているのはウラン238が大部分で、核分裂性のウラン235はわずか0.7%しか含まれていません。これを数%にまで濃縮したものを濃縮ウランと呼んでいます。
capelaurig
が
しました
『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
capelaurig
が
しました
燃料棒に死の灰が溜まってゆき、その後も熱を出し続けるので、たとえ稼働時でなくとも、つまり連鎖反応を止めている時でも、たえず冷却し続けていなければなりません。そのためには電力を必要とします。止められている原発を電力会社が再稼働したがる理由なのです。原発はきわめて不経済な発電システムであり、その冷却は、この燃料棒を使い終わって炉から取り出した後も相当の長期間必要とされます。そのために原発には、炉の外に冷却用のプールがそなえてあります。冷却に失敗したらどうなるのか。
軽水炉のばあいは、冷却材である水が失われると、幸いなことに核分裂の連鎖反応は自動的に停まってしまうのですが、燃料棒内の「余熱」および燃料棒内の死の灰が出しつづける熱(「崩壊熱」)によって燃料棒被覆は10秒の間に1000℃という高温に達し、水と反応し、ここで第3の熱「反応熱」を出します。1800℃を越えれば被覆が融け、2800℃では燃料全体が融けだします。その間に、金属と水の反応によって生じる反応熱が加速度的に加わってゆきます。こうして100トンから200トン近い燃料全体が溶鉱炉の鉄のような熔融物と化して、原子炉容器の底に崩れ落ちてゆくでしょう(「炉心溶融」)。こうなってしまえば厚さ12㎝という原子炉容器も、コンクリートの格納容器ももはや安泰でなく、発生しつづける熱や、容器内の圧力の増大によって破壊され、そこから大量の死の灰が外界に放出されてゆくことになります。
capelaurig
が
しました