「武」という漢字は「戈を止める」と書きます。ここに重大な意味を見出だすことも出来そうですが、残念ながらこれは間違いです。
「止」という漢字は足を表す象形文字で、本来(殷の時代)は歩いて行進することを意味していました。そのため「武」という漢字も本来は戈を持って進む意味だったと考えられます。
「止」が周の時代になって意味が変わり、現在のように止まることを表すようになりました。この変化の理由は分かっていません。甲骨文字の発見によって漢字の理解は深まったと言えますが、新たな謎も生まれました。こうしたことが繰り返されて学問は進んでゆくのでしょう。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
「止」という漢字は足を表す象形文字で、本来(殷の時代)は歩いて行進することを意味していました。そのため「武」という漢字も本来は戈を持って進む意味だったと考えられます。
「止」が周の時代になって意味が変わり、現在のように止まることを表すようになりました。この変化の理由は分かっていません。甲骨文字の発見によって漢字の理解は深まったと言えますが、新たな謎も生まれました。こうしたことが繰り返されて学問は進んでゆくのでしょう。
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勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。
capelaurig
が
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原子炉には非常に沢山の金属があります。当然圧力容器も金属ですし、燃料棒の鞘に使われている物も金属です。金属と水が反応する時、金属‐水反応が起こります。金属が水の中の酸素を奪ってしまって水素が分離されて水素発生ということが起ります。特に現在の原子力発電の中の燃料棒の鞘に使われているジルカロイという金属は、ジルコニウムを主体とした合金ですが、そのジルコニウムは特に水とよく反応して水素を発生させる性質があるんですね。この水素爆発がもし、原子炉圧力容器のなかで起きれば、さっき言った水蒸気爆発と同じように原子炉圧力容器を吹き飛ばして、その破片によって格納容器も潰されてしまう、という事態が考えられます。
原子力発電所は死の灰の猛烈な発熱が続いていますから、これを冷却しなければならない。この冷却に失敗すれば、直ちに炉心溶融を引き起こします。そのために原子炉に必ず備え付けられている非常用炉心冷却装置を動かします。これを動かす電源は外部電源です。原子力発電所というのは非常に停電に弱いということは大変皮肉です。発電所が停電に弱いというのはおかしな話なのですが、非常に弱いわけです。外部の電源が断たれると、原子力発電所はものすごいことになっていくわけです。
capelaurig
が
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終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
capelaurig
が
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水素爆発の危険性の指摘の対極に、1986年のチェルノブイリ原発事故にたいする通産省資源エネルギー庁、梅沢原子力発電課長の次の発言があります。
日本の原発ではまったく考えられない事故です。即ち日本の原発では、非常用冷却装置で水を送り込みますので、燃料棒の過熱や水素ガスの発生は考えられません。
そして東京電力もまた、2002年と2004年の福島第一原発などについてまとめた評価報告書で、水素爆発を「考慮する必要がない」と判断していたのです。
日本で原子力発電を推進してきた中央官庁の官僚や大電力会社の経営陣が、いかに外からの批判や指摘に耳をふさぎ、自分たちに都合の良い部分のみを語ってきたのかということ、それにひきかえ、水戸さんが現実をどれほど冷静かつ批判的に、そして明確かつ深刻に見抜いていたかが、じつによくわかります。
capelaurig
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鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
capelaurig
が
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チェルノブイリ原発は、全4基でそのうちひとつが1986年に大事故を起こし現在は「石棺」と呼ばれるコンクリートで固められ、その上をさらに鋼鉄製シェルターで覆われている状態あることが知られていますが、『毎日新聞』によると、残りの3基は2000年までに稼働を停止し、使用済み燃料は貯蔵施設で冷却されていたとあります。ということは死の灰を含む使用済み燃料は、20年以上も冷却が必要とされることを意味しています。この施設が停電でどのような状態になるのか、一貫して原発推進の立場にあり、つねに原発事故を低く見る傾向にあるIAEA(国際原子力機関)は、「重大影響なし」と表明していますが、額面どおり受け取ることは困難です。決して楽観できるものではないでしょう。
『毎日新聞』には、「ザポロジエ原発 データ途絶」とあり、IAEAがザポロジエ原発で、核物質を監視するシステムのIAEA本部へのデータ送信が途絶えていると明らかにした、とあります。事態はかなり深刻なように思われます。
capelaurig
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特選
・目指してる未来がちがう民(たみ)自民 - ふ64
秀句
・12年努力の結果再稼働 - 原子力ガリレオ
・復興の努力のみ込む汚染水 - ふ64
・汚染なくす努力怠りただ流し - 芒野
・抗えよ努力の汗時代を拓く - 海の民
・ウクライナいつまでつづくロングラン - 三里塚
「どうする」
特選
・どうするのやがては来るぞガン新世 - 海の民
秀句
・ゲンパツはどうするこれからの日本は - 針谷辺ら本亭(ハリーベラフォンテ)
・トリチユムいつまでつづく流しだね - 三里塚
・日本人走り続ける倒れるまで - ふ64
・核のゴミ処理もできずにまた稼働 - 芒野
・どうするの逃げじたくして生きるのか - 原子力ガリレオ
capelaurig
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「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。自民党政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。朝鮮南北首脳会談などはそれを受けてのこととも考えられる。
capelaurig
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このような状況を前にして過剰に危機を煽り、それに乗じて問題をきわめて一面的な形で提起し、どさくさまぎれに自分たちの都合の良いように軍事力の強化を叫ぶ人たちがいる事には、注意しなければならないでしょう。その最たるものが、安倍元首相による「核の共有」つまり米国の核兵器の日本国内への持ち込みと配備の主張です。率直にいってそれは、日本がアメリカの軍事戦略により一層強く組み込まれることであり、東アジアの緊張をより高め、日本により深い危機をもたらすことにしかならないでしょう。岸田現首相はさすがにそれを否定したものの、しかし自身では「敵基地攻撃能力の保持」などと、憲法9条の厳密な解釈に反するばかりか、これまでの自民党自身の解釈にさえ抵触することを口にしています。通常の法律は一般の国民を縛るものであるが、しかし憲法は権力者を縛るものであるという原則を、この際あらためて確認しなければなりません。
capelaurig
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明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。
capelaurig
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一方の国の軍事的エスカレートが他方の国の更なる軍事的エスカレートの口実を与えて、結局危機を更に深化させたという例を、私たちは20世紀の歴史でいやというほど学んできたのです。
何もないところから起ったわけではないでしょう。米国主導の軍事同盟であるNATOへのウクライナの加盟問題が、プーチンの過剰反応の引き金になったことは事実です。プーチンの反応があまりにも過剰であり、到底許されないものであるにせよ、ウクライナのNATOへの接近、あるいはNATOのウクライナへの拡大の背後に米国の軍事戦略を見ているプーチン・ロシアの危機感を高めたことは、否めないでしょう。
国家間の軋轢という問題を考えるときには、自国側からだけではなく、相手国側から見る、さらにはその他の周辺の国から第三者的に見るということが重要なのです。少なくともかつて東アジアを軍事侵略した日本が、戦後の東アジアでそれなりに存在してくることができたのは、「国際紛争解決の手段として武力を用いない」と謳った戦後のいわゆる平和憲法があったからなのだということを、忘れてはならないでしょう。為政者がみだりに軍事力のエスカレートを口にすることに対しては、民衆の側から厳しい目を向けなければなりません。権力の座にある者は、憲法を順守しなければならないのであり、みだりに憲法に反することを口にしてはならないのです。岸田首相の発言に対するマスコミの報道はきわめて甘いと言わなければなりません。
capelaurig
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鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。
貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。
貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。
capelaurig
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そもそも原発は、熱効率、つまり加えた熱のどれだけが電気に変わるのかの割合が他の火力発電にくらべて悪いことが知られています。これは、熱力学の理論により基本的には作動温度で決まるのですが、通常の火力発電では40%を超えているのにたいして、原子力発電では30% 程度。つまり1単位の電力を生むためには、通常の火力発電でせいぜい2単位余りの熱が必要なのにたいして、原発では3単位を越える熱が必要とされます。したがって原発ではその差2単位強の熱、つまり発電量の2倍以上の熱を環境に棄てているのです。
capelaurig
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平成上皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり平成上皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や立憲民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
capelaurig
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原子力発電所は、核分裂で発生したエネルギーの約3分の1を電力に変えるだけで、残りの約3分の2は、海へ棄ててしまっている。100万キロワットの発電所は、その2倍の200万キロワットに相当する熱を海に棄て、海水の温度を上げてしまっている。これは、直接に漁業を脅かすだけでなく、地球全体の熱汚染という立場からも無視できない。
原子力発電所と呼ばれているものが、正しく表現するなら“海温め装置“である。
「決して原子力発電というのは石油の代わりにはならない。原発を作るためには大変な量の石油が必要である。コンクリートを作り、鉄を作り、濃縮ウランを作る、そのために膨大な石油を使ってしまう」。炭酸ガスの発生という点で見るならば、「原子力発電は炭酸ガスを発生しない」というのは、原子核の核分裂の局面においてのみ語り得ることで、その核分裂を起こさせるためには、自然界からのウラン鉱石の採掘から運搬、精錬、濃縮の過程、さらには原子炉と付属建造物の建設までの過程が必要で、そのためには多大なエネルギーを要し、そのすべての過程で多量の石油を消費し、多くの炭酸ガスを発生させているのです。
capelaurig
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善悪の問題には、全体と部分といった関係があるようだ。自己にとっての善がその属している集団にかかわれば悪になりうる。一集団にとっての善が、もっと大きな集団に、たとえば国にとっては悪かも知れない。ある国の善が世界全体からみて恐ろしい悪になることだってある。神の目から見ての善がそれぞれの段階で一致して善となればすばらしいが、なかなかできない。
完全な悪などは、人間の分際として、したくてもできない。万類を絶滅させかねない核兵器にしても、持っている者は核抑止力という理屈によりかかり、世界の平和を守る手段としての善だと主張する善悪が時所位によって異なるとしても、せめて最低限の善悪の基準がほしい。それは何か。
「善は天下公共のために処し、悪は一人の私有に所す。正心徳行は善なり不正無行は悪なり」(『霊界物語』一巻、一二章「顕幽一致」)
どんな善であれ、私欲を肥やすためのみに行うのは、真の善とはいえないし、たとえ多少の悪が混じっていても、天下公共のためになる行為は善といわねばならない。
「文王一度怒って天下治まる。怒るもまた可なりというべし」で、ときには怒ることも必要だ。また何もしないのは、かえって悪に通じる。竹林(ちくりん)の七賢(しちけん)などは、せっかく恵まれた天分を活用もせず、行動しないのだから、神の目からはやっぱり悪だ。
capelaurig
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中性子は電荷を持たないため、原子核に直接接する以外には、原子や分子とは反応せず、したがって簡単に物質を通過してしまいます。それゆえ原子炉から大量に発生する中性子やその他の放射線が外部に漏れないようにするためには、原子炉建屋の壁はきわめて厚くしなければならないのです。それがどれ程のものかと言うと、東京電力発行の冊子には「格納容器の外側は、2次格納容器として約1~2メートルの厚いコンクリートで造られた原子炉建屋で覆い」とあります。厚さが1ないし2メートルのコンクリート壁で出来た巨大な構築物の建造に要するセメントは膨大な量であろうと考えられますが、そのセメント(ポルトランド・セメント)は、主要に炭酸カルシウム(CaCO3)より成る石灰石を粉砕し、加熱して炭酸ガス(CO2)を放出して得られる酸化カルシウム(CaO)を主成分とするものなのです。つまりセメントは、その原料を得るために山を切り崩す過程で多くのエネルギーを要するのは勿論のこと、その製造そのものの過程で多量の炭酸ガスを直接生み出しているのです。
capelaurig
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仏の大慈悲とか神の恵み幸いといえども、凡人の欲望と本質的に変わらない。だがその働きに、無限と有限という天地の差がある。凡人は自分の妻子眷属だけを愛して満足し、他をかえりみない。神は、三千世界のいっさいをわが子とし済度しようという大欲望がある。凡人は小楽観者であり、小悲観者で、神は大楽観者であり、大悲観者だ。
天国は大楽大苦、裟婆は小楽小苦の境域である。理趣経に「大貪大痴(だんどんだいち)是三摩地(さんまぢ)。是浄菩提(じょうぼだい)。淫欲是道(いんよくぜどう)」とあるように、世間のさまざまな姿がそのまま深遠な道理をあらわすという、当相即道(とうそうそくどう)の真諦(しんてい)である。
人間の霊魂は本来、これを宇宙大に活動させることのできる天賦的性質を与えられている。だから神俗、浄穢、正邪、善悪などというのも、この素質を十分に発揮して活動するかしないかにつけられた符合にずきない。
哲学者や学者がいくら理性で善悪を分類し論じてこようとも、不完全な人間に真の判断がつくものではない。人間は知らず知らずの間に罪を重ねる。世の中には、目に見えない罪人は数限りなくある。王仁三郎は、「中でも一番罪の重いのは学者と宗教家だ。神さまからいただいた結構な霊魂を曇らせ、腐らせ、殺すのは、誤った学説を流布したり、神さまの御心を取り違えてまことしやかに宣伝したり、あるいは神きまの真似をするデモ宗教家、デモ学者がもっとも重罪を神の国に犯している」という。その学者や宗教家が尊敬され、尊重される時代だから、筆先で「今は獣の世、悪の世」と嘆く。
capelaurig
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原発についてのこのような技術的批判にとどまらない、文明史的な議論に及んでいるからです。
原子力産業、原子力発電所の中の労働者の被曝の状況、労働条件、これは人間がやる作業でないことを実際にやらされているわけです。現代の科学技術を、我々はがむしゃらに推進してきた。いままでの科学技術のあり方というのは、あまりにも自然に反している。あたかも自然から遠ざかれば遠ざかる程それが技術であるかのように錯覚してきたけれども、それは科学技術の時代史の最も原始的な時代であるのです。アトミックという意味ではなくて、最もプリミティブな時代であると思います。これからの科学技術というのは、もっと自然と調和した科学技術、それこそが科学技術の黄金時代であると思います。そういう風に考える時、現在の石油浪費の文明に対してやっぱり根底的な批判が必要だと思います。現代の工業文明に対する批判が必要だと思います。
capelaurig
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善と思うところを行なう日々にも、ふと迷いはあろう。神の目からはたして善かどうか。だからこそ、神の教えを求める必要がある。
「教えとは人の覚(さと)りのおよばざる 天地の神の言葉なりけり」
また大本の『基本宣伝歌』の中にこういう一節がある。
「神が表に現われて、善と悪とを立別ける、この世を造りし神直日、心も広き大直日、ただ何事も人の世は、直日に見直せ開直せ、身の過ちは宣り直せ」
善悪を裁くのは人ではなく、神である。我執(がしゅう)にとらわれて過ごした日々を省み、神の目を恐れるあまり縮(ちぢ)こまっていてはいけないのだ。わが心に見直し聞き直しながら最善と思ったことは勇んで実行し、知らずに犯した罪けがれは神に祈って見直し聞き直していただく。そこに信仰の喜びもわいてくる。
〔基本宣伝歌〕
朝日は照るとも曇るとも/月は盈(みち)つとも虧(か)くるとも/たとえ大地は沈むとも/曲津の神は荒ぶとも/誠の力は世を救ふ/
三千世界の梅の花/一度に開く神の教/聞いて散りて実を結ぶ/日と地の恩を知れ/この世を救ふ生神は/高天原に神集ふ
神が表に現はれて/善と悪とを立別ける/この世を造りし神直日/心も広き大直日/ただ何事も人の世は/直日に見直せ聞直せ/身過ちは宣り直せ
capelaurig
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原爆(原子爆弾)そして水爆(水素爆弾)が出来てのち、大国アメリカとソ連が核兵器競争をしていた20世紀後半には、核戦争の危険は、その2大国間の直接的な対立を背景に語られていました。しかし、世界中に多くの原子炉が建設されるようになった現在、核戦争の危険は、小国にたいする局地的な戦いの中で、原子炉を巻き込んだ形で成されるという可能性があることを、ロシア軍のウクライナ侵攻が明らかにしました。、反原発運動のより一層の広がりの必要性と緊急性を示しています。ロシアのウクライナ侵攻に対する反戦運動は語られなければならないと思われます。東京電力の『原子力発電の現状』「原発がいかに優れているか」を示すために、つぎの比較がなされている。
100万キロワットの発電所を1年間運転するために必要な燃料
濃縮ウラン 21トン 10トントラックで2.1台分
天然ガス 97万トン 20万トンタンカーで4.9隻分
石油 131万トン 20万トンタンカーで6.6隻分
石炭 236万トン 20万トン貨物船で11.8隻分
出力100万キロワットの原発では、1日稼働させるためには約1キログラムのウラン235が直接必要。実際には、熱効率が30数%ゆえ、その3倍の3キログラムが必要で、年間稼働日330日として、年間約1トン。
capelaurig
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王仁三郎は、世間で悪人といわれる人でも上手に使った。「毒にならぬものは薬にもならぬ。毒もうまく使えば、たいした働たきをするものである。毒にならぬものは、ただ自分だけのことができるぐらいのものだ。
『聖師さまのそばには悪魔ばかりがついている』とののしるものがあるそうだが、よし悪魔であってもさしっかえないではないか。毒になるものは薬になる。かのいわゆる善人なるものは、ただ自分自身を救うことができれば関の山だが、悪魔が一朝大悟徹底改心すれば、多くの人を救う働きをするものである。
鬼も大蛇も救わにゃならぬこの神業に、尻の穴の小さい、毛ぎらいばかりしていて、他人を悪魔あつかいする人たちが、信仰団体の中にもたくさんあることは嘆かわしいことである。また悪魔を料理しうる人材がいかにもすくないことも、嘆かわしいことの一つである。お人のよいばかりが能ではない、私も本当に骨が折れる。誰か私に代わって、鬼も大蛇も料理するという偉才が早く現われないものかなあ。このワニ口は、鬼や大蛇はまだおろか、どんな骨の固い、腕節(うでっぷし)の強い獣物でも、かみこなすだけの強い歯を持っておるつもりだ。御心配御無用」(『水鏡』「毒と薬」)
capelaurig
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3%のもので 1トン×(100÷3)=33トン
5%のもので 1トン×(100÷5)=20トン
東電の冊子に書かれているのは、この値である。
ところが自然界のウランでは、ウラン235は0.7%で、残りの99.3%は核分裂をしないウラン238。したがってこれだけの「濃縮ウラン」を作り出すために必要な自然界のウランは、
3%のもので 33トン×(3÷0.7)=約140トン
5%のもので 20トン×(5÷0.7)=約140トン
実際にはこれよりもう少し要るようで、文献によると190トンと書かれているものもある。工程に無駄があるのだと考えられる。だから以下では150トンで考えるが、現実はこれより多いと思われる。どちらにせよ、大体のところは変わりないであろう。
ウラン鉱石は1キログラムあたり1グラム以上ウランを含んでいれば採算が合うとされている。だから最低品質より少し良くて平均で1キログラムあたり1.5グラムのウランを含む鉱石の場合とすれば、150トンのウランを取り出すためには必要な鉱石は10万トン。
実際に鉱山から鉱石を掘り出すためには、その20倍の岩石や土砂を取り出す必要があるとされているので、実に200万トン程度の岩石や土砂を掘り出さなければならない。正確には200万トンが150万トンになるか300万トンになるかもしれないが、大体のところは変わりない。これが、上記の東電の冊子に書かれていることの背後に隠されているものである。
ポンプで原油を汲み出すだけの石油や天然ガスにくらべれば、燃料を獲得するためだけで、どれほど多くのエネルギーを必要とし炭酸ガスを生み出しているかが想像できるであろう。
capelaurig
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人間の善悪美醜は、その生きざまと死後の世界に大きくかかわる。王仁三郎の善悪美醜観は何か。「天地開闢の初めにあたり、清く軽きものは天となり、重く濁れるものは地となった。故に地上は幾万億年を経るといえども、天空の如き清明無垢なることはとうていできないのが自然の道理である」
善悪美醜は人によって価値観が異なり、それをはかる尺度のないものだが、王仁三郎は、「善というのは、透明体である霊魂だ」という。「天帝(神)から贈ったところの至粋至純なる清い清い霊魂」なのだ。そして体とは物質そのもので、これを善である霊と対照して悪と呼ぶ。美もまた、神の目からみた美が真の美で、それと対照したものが醜となろう。
「天主一物を創造す。ことごとくカ徳による。故に善悪相混じ美醜互いに交わる」(『霊界物語』六巻二六章「体五霊五」)
王仁三郎は善悪一如、善悪不離を説き、「悪の中にも善があり、善の中にも悪があり、善悪美醜混交しているのが世の中だ」(『道の大原』二章)という。人間は肉体と精霊で成り立つ。言霊学では、霊をヒ、またはチと読む。人は精霊を止める存在だから、霊(ヒ)止(ト)なのだ。体はカラ、カラタマだ。もともと肉体は精霊を入れるために作られた中身なしの容器である。だから殻、空と同義で、カラタマは「霊魂が空(から)」とか、「霊魂の殻」などの意味がある。また現身(うつしみ・うつせみ)のことを「空蝉」と形容したりするのも、生きがいを失った肉体は、いわば蝉のカラのようなものだからであろう。
capelaurig
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通常100万キロワットの原発では、周囲の海水より7度高い温排水を毎秒約70トン棄てている。これは一級河川の流量に匹敵。
九州電力の川内原発は川内川河口に2基で、その2基で排水量は計毎秒133トン、これは川内川の平均流量 毎秒108トンを上回っている。
九州電力の佐賀県の玄海原発では、九電の公表では「原発稼働時の温排水放出量は1,2号機で毎秒74トン、3,4号機で毎秒164トン」。
水口憲哉「温廃水と漁民」『科学』1985年8月、中野行雄・佐藤正典・橋爪健郎『九電と原発1』(南方新社、2009)p.47, 『東京新聞』2014年3月11日。
発電システムの熱効率
石油火力 39.8%
LNG火力 48.0%
石炭火力 41.2%
原子力 34.5%
資源エネルギー庁「原子力2003」より
ただしこれは2003年のもので、福島の事故以降、技術開発が進んでいるので原子力以外の熱効率はもっと上がっていると思われる。
capelaurig
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特選
・原発を止める決断こそ正義 - 乾草
秀句
・止めますと決断するは事故の後 - 原子力ガリレオ
・戦争に加担をしない決断を - 芒野
・ていねいでも盲しいる正義誤決断 - 海の民
・間違った決断いそぐ規制庁 - 乾草
・報復を止める決断今しよう - 芒野
「いいかげん」
特選
・いいかげん不可能と言え地震予知 - 原子力ガリレオ
秀句
・茹で蛙いいかげん目を覚ませ - 海の民
・いいかげん汚染を止めて脱原発 - 芒野
・科学的と云う言葉のいいかげん - 乾草
・選挙前減税言い出すいいかげん - 芒野
・いいかげんその決断こそ命取り - 海の民
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しました
「世の中には神はなにゆえ善ばかりをこしらえぬかと理屈をいうものがあるが、神は大工や左官でないから、指金は持ち給わぬ。善になるも悪になるも、みなそのものの力徳である。それで誠の道におもむいて神力をうけねばならぬ」人には霊能と体能がある。
人間は誰でも霊能(霊的性能)と体能(体的性能)というニつのあい反する性能を具備している。霊能とは、向上、正義、純潔、高雅、博愛、犠牲などという、最高の倫理的、審美的感情の源泉であり、体能とは、呑みたい、食いたい、着たい、寝たい、犯したいなどの欲望をおこさせ、はては人間をして堕落、放縦、排他、利己などの非道徳的行為に導く。ならば霊能が善、体能が悪と思えるが、善と悪とは対照的な符号に過ぎず、絶対的な善の基準がきまらぬかぎり、対照語である悪が、悪いとも不必要ともいえない。
霊能がなければ他の動物と変わりなく、人間としての価値を失う。体能がなければ自己保存もおぼつかなくなり一ヵ月をへぬまに人間はこの地上から滅び去るであろう。
「陰滅すれば陽減す」で、体能が滅びれば、霊能もまた滅びてしまう。霊能も体能もともに宇宙の大元霊から分れ出る二大元質で、甲乙軽重の差はないのだ。霊(善)と体(悪)が合してカを生ずる時、そのカ徳によって善悪美醜がまじり合う。つまりその時の力の配分によって、善悪美醜がきまる。同じ夫婦の子供でも、その時の互いの体や心理状態の都合もあり、霊の状態のよしあしもからんで、男ができたり、女ができたり、美人ができたり、不美人ができたりする。
神が力徳によって万物を造った限り、悪をしない人間を造ることは不可能である。
capelaurig
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ているようだが、放射線の線量が高い環境では、ロボットに使用するコンピューターを制御するCPU が作動しなくなるため、デブリの取り出しはできない。このため、30 年以上前に事故を起こしたチェルノブイリ原発事故や米国のスリーマイル島原発事故後もデブリは取り出せないで経過している。そのため、チェルノブイリでは原子炉を石棺で覆う対応をしている。
汚染水の保管場所が無いので放出するというが、廃炉が決まった福島第2原発の敷地は広大に貯留タンクを増設できる面積はある。また廃炉のため汚染された原子炉を解体しても、その汚染された数百トンの原子炉の鉄屑を引き取り保管する場所はないし、決まっていない。
そもそも癌の診断に使っている PET 検査で使用する FDG(放射性フッ素を付加したブドウ糖)は半減期が 110 分なので現地で製造する必要がある。日本で最初に PET 検査を導入した千葉大学は薬剤を製造する加速器を更新する時に、汚染された 40 トンの鉄屑の引き取り先が見つからず、敷地内に埋めて新加速器を設置した。こうした実情では、福島の廃炉はほぼ数百年単位
で困難なのである。
capelaurig
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一 霊魂の働きが複雑精妙であること。
二 幅広い自由意志を持つこと。
霊魂については「一霊四魂」で述べたが、人間が幅広い自由意志を持つとは、善人はなお善人に、また悪人はより悪人になるのも自由、逆に善人に立ち返ることも自由ということだ。だから人聞は、生まれながらにして創造的、自律的に悪を行う自由を内包している。
悪のできない人間を造ったとしても、それは神の代行者としての自由の資格を失った動物に過ぎぬ。猫でも黙って鰹節を盗んだ時には逃げ、鼠を取ってくると手柄顔して家人の前で食べる。彼らにも多少の善悪の観念はあろう。だが、罪の意識はあるまい。
罪の意識は、良心の有無と結びついており、良心がなければ、罪の意識は生まれぬ。猫に良心はない。彼らが肉や魚を盗んだとき、人間をみたらパッと逃げるのも、それは罪の意識ではなく、人間の体罰を恐れるからだ。ところが虫や魚になると、善悪の観念すらない。害虫は畑の作物を荒すが、悪いことをしているという意識はなく、逆にまた益鳥は害虫を食ってくれるが、善をなしたという意識もない。ただ生存するための行為でしかないのだ。
「神さまはなぜ罪を犯す人間をお造りになったのですか。人間の罪を悪となさるなら、初めから全智全能のお力で、罪を犯さない人間を作って下さればいいのに」というようなことを書いていたが、これは誰もが抱く疑問であろう。だがもともと悪を行えないように造られた人間が善をしたとしても、それはたんに本能的善、機能的善であって、はたして善の名に価するかどうか。
capelaurig
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王仁三郎は第6巻序文(大正12年)に「凡ての教法には大乗と小乗の区別がある、民衆に理解し易く説示するを小乗と曰い、神の教えを説く時は小乗でなければ駄目である。知識階級の人々は大乗を究めんとして、不知不識の間に外道に陥落し、昏迷と愚痴のみを取得する。天国に昇るものは、小乗を聞いて神霊界の消息を感知し得る。大乗教義は、上根者、宣伝使等の所業の教理で、一般学者の感得し能はざる神秘である。七大乗とは、法、心、解、浄、荘厳、時、具足大である。神霊界を知るには、勃、煩悩、衆生、見、命濁の五濁を清め、赤子の心境にて初めて神霊界の真義に歩を向ける。神明垂示の大通智勝を感受し、大荘厳の神理を味わい、神霊の寶音に接し無等正覚を得て、人生の本分を全うし、不老不死天国の生涯を生き乍ら楽しむ事が出来る案内書となる。」
つまり、開祖の卑近な例、解し易い言語である小乗を聞いて、大乗の教理を掴む事ですね。
capelaurig
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capelaurig
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純潔をぜひ守らなければならぬとあれば、神は人間を性的不能に造られたらいい。だがそれでは、人類は子孫を残すこととはできないし、生きる喜ぴすら半減するだろう。罰せられない保証さえあれば、悪の喜びを思うさま味わってみたいと、心の底で願っている人も少なくはあるまい。自分の自由意志で悪への誘いをはねのけ、あるいは悪のどろ沼から這い上がって善をなしとげてこそ、その喜びは大きいのだ。
神が代行者として人間を造ったように、人がその代行者としてロボットを作る。この場合、人はロボットに対して神の立場に立つ。今使われている単純な産業用のロボットではなく、選択の判断もできる複雑なロボットが完成されたとして、善悪を考えてみよう。有名なSF作家のアイザック・アシモフが作品の中で、「ロボット工学の三原則」というのを作っている。これは手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』に使われており、人工知能の専門的な本にも論じられている。
capelaurig
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汚染処理水を海洋放出するに当たってトリチウムだけの安全論が報じられているが、62 種以上の核種に関する情報は報じられていない。人体内の水は 5.7eV で酸素と水素が結合しているが、トリチウムは平均エネルギー5.7KeV
であり、千倍であり、取り込まれれば、細胞一個分には放射線が当たる。しかし、細胞内でDNA を形成している塩基の中に水素として入りβ線を放出するだけでなくヘリウム(3He)に変われば、塩基の化学構造式が変化し、二重螺旋構造を維持している水素結合力は無くなる。
トリチウムの DNA レベルでの関与を示すが、私の友人の名取医師は若い時の実験でDNA 内にトリチウムが入ることを報告している。DNA を構成しているアデニンの化学構造式の変化のように他の塩基の化学構造式も変化するため、遺伝子編集しているようなものである。トリチウムの排出基準も50年前に稼働した福島原発が20兆 Bq のトリチウムを放出していたので、政府は年間放出基準を1割増しの 22 兆 Bq/年としたのであり、それをリットル(L)に換算し、6万 Bq/L としたのであり、科学的な根拠は全くない。カナダの重水を用いる原子炉はトリチウムを大量に放出する CANDU 原子炉であったため、稼働後に健康被害が多発し、住民の実感として問題となり、調査した結果、トリチウムが原因と考えられたため、カナダのオンタリオ州の飲料水基準値は 20Bq/L とされている。原発稼働により世界中でトリチウムを出しているため、事故など起こさなくても、原発周辺の住民の健康被害が報告されているが、トリチウムの放出が関与していると私は考えている。
capelaurig
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一 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一原則に反する命令はその限りではない。
一、ロボットは、自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一、第二原則に違反しない場合に限る。
一応、それらの原則に反さなければ善、反したら悪と仮定しよう。人間でいえば第一第二原則が霊能、第三原則が体能に対応する。
さらにアシモフの三原則を拡張し、「ロボットはロボットに危害を加えてはならない。またロボットが危害を受けるのを黙視していてはならない」というのを付け加えるとしよう。
アシモフの小説の一場面。ロボットが人間を危害から助けださなければならなくなった。人間を救おうとすると、ロボット自身が破壊されてしまう状況だ。自分が破壊されると人間を救えぬ。見すごせば第一原則に違反する。どの原則を優先すべきかの判断力を失って、身動きができなくなる。単純なロボットであれば、間違いの少ない、完全に近いものはできる。だが単純なことしかできないから、使い道は限られてしまう。複雑なまわりの状況を判断して行動するロボットを作ろうとすれば、状況のさまざまのレベルから得た情報を総合して、判断させねばならぬ。
そこで判断の優先順位をいろいろ決める。欲をいえば、そのロボットにいちいち全部教えていたらたいへんだから、失敗やまわりの状況から自分で学習し主体的に行動する判断力があって欲しい。
capelaurig
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トリチウムも有機結合型トリチウムは生物濃縮を起こし、また人体の全ての物質の化学構造式に水素として入るので深刻なのである。Sr は Ca と、Cs は K と同様な体内動態であるが、有機結合型トリチウムは生物濃縮を起こし、また生体を構成している物質の化学構造式まで変える放射性物質なのであり、最も深刻な放射性物質である。六ケ所村の再処理工場が稼働すれば、トリチウム以外の汚染も懸念されるが、大型の原発が年間で放出するトリチウムを、1日で放出するため、規制値は設けていない。こんな出鱈目がまかり通っているのである。放出することは以前から計画されていたのであるから、寿命2年の動物実験などにより、トリチウムの安全性や危険性を調査すべきであったが、全く行われなかった。
capelaurig
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何度でも修正することが可能なら問題ないが、それは不可能だ。
その時点時点で良いと思って判断しても、全体の流れでは悪いかもしれない。その時点で悪い判断をしたと思っても、全体の流れでは良い判断なのかもしれない。ロボットを方向性として善を行うように作ることはできても、完全に求めるのは不可能だ。ロボットに自主的な判断力を与えず、全部人間が面倒を見るしかない。そうすると何のためにロボットを作ったのかというジレンマに陥る。
人間のすぐそばでロボットを働かせれば問題はないが、もし遠くで作業させる場合、人間とロボットが電波で通信することに仮定しよう。「判断に困れば人間に相談しろ」といって送り出しても、電波の妨害物や雑音が入ると、ロボットの判断が狂ってしまうおそれもある。
そうなると、人間がいくら「それをしてはダメだ」といっても、やってしまう。あるいは誰か他の人間が、そのロボットを自分のものにしようと偽の電波を送れば、そっちのいいなりになってしまう。
capelaurig
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6 に小柴昌俊氏が当時の小泉首相に出した要望書核を示す。核融合はトリチウムを大量に放出するため危険であると警告し、またトリチウムの健康被害の報告などが根拠となって核融合実験炉の話はなくなり、現在はフランスの国際熱核融合実験炉(ITER)で研究されている。人体を構成している物質の化学構造式まで変える放射性物質はトリチウムだけであり、最も深刻な影響をもたらすのである。医学の教科書は原子力政策を推進する立場の ICRP の疑似科学的物語で書かれており、医師も技師も物理学者も報道関係者も騙されているが、いい加減、自分の頭で考え、人間としての見識と正しい科学的知識を持って対応すべきである。このままでは、出鱈目な政治や行政の犠牲で日本人の健康が損なわれる暗い世界しか私には見えない。
capelaurig
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悪人だ、善人だと決めつけるのは人間の勝手、神の目には善人も悪人も同じ神の子だ。親はできの悪い子ほどかわいいというが、神は善人、悪人の分けへだてなどなさらない。ロボットを作る人間なら失敗作はあろうが、むしろ神は人間を巧妙に造り過ぎたのかも知れない。
「人間に邪曲のあるは造化力の 巧妙すぎしと悔やます大神」と王仁二郎は歌う。善悪美醜は時所位によってかわる。
釈迦が八O歳で入滅するとき、修行者スバッダに「私は二九歳で善を求めて出家し、ここに五O年余となった」と語っている。
釈迦は三五歳で仏になったから、その後は善を求めて求道生活をする必要はないはずだ。仏となった以前も以後も、生涯かけて善とは何かを探究し続けたのはなぜなのか。
聖徳太子はこれについて、「修行の結果得られた善はあらかじめ果報を期待して得られたものだから、なんらの果報を求めず、ひたすら身に修めていこうとする善にくらべて逢かに劣るもの」と解釈している。善悪美醜は時所位によってかわるからだ。
capelaurig
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また甲状腺癌の多発性肺転移例には I-131 カプセルを投与するが、米国核医学会の計算では163Sv に該当するとしている。更に私は Sr-89 を骨転移治療薬として日本で薬事法を通して使用していたが、一回の静注投与量は 30Svs であり、2年あまりの期間に7回投与した症例もあるが、死亡することはない。ICRP の教科書では、7Sv の全身被曝が致死線量とされているが、これは 100cal にすぎず、通常の食事の摂取カロリーで致死する馬鹿な話とる。放射線の人体影響の評価として Sv というインチキ単位を用いて議論しているが、インチキとしか言いようがない。健康被害の本態は内部被曝であり、深刻なため原爆の製造過程で、米国は内部被曝を1943年に軍事機密とした。このため、議論してはいけない・報じてしならないこととなり、その延長線上で ICRP の理論が組み立てられた。トリチウムは極めて低い係数としているが、こうした数値は全く実証的に検討されたものではなく、ICRP が勝手に取り決めたものなのである。Sv とは、目薬は眼に滴下するから効果があるが、この目薬量を経口投与して全身の投与量に換算しているようなインチキ単位なのです。
capelaurig
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