位牌は仏壇に置かれるものですが、本来は仏教のものではなく、中国の儒教に由来すると考えられています。
司馬遷の『史記』によると、殷の最後の暴君・帝辛(紂王)を周の武王が討った時、武王は名君であった亡父の西伯(文王)の「木主」を戦車に乗せていたとされます。木主は位牌のことで、これが位牌に関する最古の記録のようです。
浄土真宗では位牌を用いないのが普通ですが、地域や寺院による違いもあり、一概には言えません。位牌は魂の依り代とされ、これが無いと魂の帰る場所が無いため、仏壇には必須と考えられています。
位牌のことなどあまり考えたことはありませんでしたが、父が亡くなってから興味を持ち、いろいろ調べているところです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
司馬遷の『史記』によると、殷の最後の暴君・帝辛(紂王)を周の武王が討った時、武王は名君であった亡父の西伯(文王)の「木主」を戦車に乗せていたとされます。木主は位牌のことで、これが位牌に関する最古の記録のようです。
浄土真宗では位牌を用いないのが普通ですが、地域や寺院による違いもあり、一概には言えません。位牌は魂の依り代とされ、これが無いと魂の帰る場所が無いため、仏壇には必須と考えられています。
位牌のことなどあまり考えたことはありませんでしたが、父が亡くなってから興味を持ち、いろいろ調べているところです。
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中国では、昔は纏足(てんそく)といって、人為的に足の成長を止め、よたよた歩く小さな足が貴婦人の美だった。ホッテントットを持ち出すまでもなく、人種により、個人によっても美の好みは違う。
善悪もまた、時と所と位置によって逆転さえする。
宗 教、哲学、倫理学の立場からも、善悪の問題は常に追求されてきた。プラトン、カント、ショーペンハウアー、ニイチェと、それぞれの持つ善悪観は違う。キリスト教や仏教、神道、イスラム教などの説く善悪感も明確に違う。だから哲学や宗教の違いがまき起こす争いも、根強く絶えぬ。ヒンズー教徒は牛を食わず、イスラム教徒は豚を食べない。
時代の要求が、その立場によって、善悪の判断を狂わせてゆく。たとえば太平洋戦争に突入した時、国民は聖戦と信じさせられて勇躍、戦場に向った。聖なる戦いは悪に勝つはずであった。今日では、戦争そのものに聖も善もない。お国のために一人でも多く敵兵を殺すことは忠義であり誇りであったが、今日では「一人の人間の命は地球より重し」といわれる。現在戦っている中近東では、かつての日本と同じ倫理が通用することであろう。
州によって法律が違うアメリカでは、国内でも善悪の碁準が分れるということだ。ポルノ解禁の国もあれば、罪悪として罰する国もある。
capelaurig
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capelaurig
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『霊界物語』の中で村人と宗彦という宣伝使が語り合っている場面がある。
「今の法律は行為の上の罪ばかりを罰して、精神上の罪を罰することはせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使われてもやっぱりその肉体が罪人となるというのは、神界の上から見れば実に矛盾のはなはだしいものではありませんか」
「そこが人間ですよ。ともかく法律というものは人間相互の生活上、都合の悪いことはみな罪とするのですから。たとえ法律上の罪人となっても、神界においては結構な御用として褒めらるることもあり、法律上立派な行いだと認められていることが、神界において大罪悪と認められることもあるのです。それだから何ごとも神さまが現われてお裁き下さらぬことには、善と悪との立別けは人間の分際として絶対に公平にできるものではありません。
人間の法律や国家の制裁カというものは、有限的のものであって、絶対的のものでない。浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発してあまたの人命を致損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山をこしらえ、家を焼き、人を殺し、財産をすっかり掠奪してしまっても、人間の作った法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴えるところもなし、放りこむ刑務所もなし、裁判することもできぬようなもので、とうてい駄目です。ただ何事も神さまの大御心にまかすより仕方がありませんなあ」(『霊界物語』二O巻八章「心の鬼」)
capelaurig
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capelaurig
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すべて宇宙のいっさいは、顕幽一致、善悪一如で、絶対の善もなければ絶対の悪もない。絶対の極楽もなければ、絶対の苦難もない。歓楽のうちに艱苦があり、艱苦のうちに歓楽がある。また悲観を離れた楽観はなく、罪悪と対立した真善美もない。善悪不二というのは浄土教では「ぜんまくふに」禅宗では「ぜんなくふに」と読むが、本来、善悪の差別対立などないことを意味している。仏典の「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)。生死即涅槃(ねはん)。裟婆即浄土。仏凡本来不二」は、神の道からいえば「神俗本来不ニ」であろう。
山一つみても、頂上もあれば谷もある。木をみても、幹もあれば根もある。人間の体も、頭もあれば足もある。男があれば、女もある。どんな美女でも尻の穴があるから美を保てるので、もしなかったら、美どころか、命さえ保てない。善ばかり思っていたのでは、霊界のことよりできぬ。善悪、美醜上下、明暗すべて裏表・・・きれいごとばかり並べても、大地に住む限り、多少の悪と、隠された醜の部分はまぬがれぬ。
「多少の悪ぐらい、神きまは大目に見て下さる」と開き直ってはいけない。また事実そういう弊害もあったらしく王仁三郎は述べる。
「信者の中には善悪不二とか正邪一如という聖言を楯にとって、自分の勝手のよいように解釈している人もあるようだが、これは神が善悪不二といわれるのは中有界に迷える人間に対していわれるのであり、かつ神は善悪にかかわらず慈愛の心をもって臨ませられる見地からおおせられる言葉である。決して人間がうんぬんすべき言葉ではない」(『霊界物語』五二巻一七章「飴屋」)
capelaurig
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この本でも第七話「六〇年安保闘士と越山会の女王の“異床同歌”「アカシアの雨がやむとき」(歌・西田佐知子)としてとりあげられているが、一般にはこれが六〇年安保闘争の代表歌と見なされている。この時代を共にした知り合いとカラオケに行けば歌うのもこの歌である。ただ、この歌は六〇年安保闘争の最中には流れていたらしいが、この歌を僕らが口にするようになったのは六〇年安保闘争が終わり、俗にいう総括の季節に入ってからだった。
雨の日の多かった日々、僕らが歌っていたのは「若者よ」や「民族独立行動隊」の歌だった。後者については反米愛国闘争の匂いがいやだという人もいたが他にデモの最中歌う歌がなかったこともあってよく歌っていた。雨の中のデモではこの歌は高揚感を高めるに絶好のものだった。岸を倒せという掛け声に響き合っていたといえる。歌詞の内容というよりは歌のリズムが僕らの反抗的意識の表出にあっていたのだと思う。
capelaurig
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みろくの世にも悪は滅びない
みろくの世になると至善、至美、至真、天はあくまで青く、明るく、水は水晶のように澄みきって・・・と思う人もあろうが、そうばかりではない。やはり昼もあれば暗夜もある。月夜には水気が大地に下がって露ができ、植物の成育を助ける。だが月夜ばかりだと、水気が多過ぎてかえって害になる。そこで暗夜があって調節する。人間もまた、昼ばかりでは体を十分に休めることができぬ。光には影があり、時には光をさけて影にやすらう。肉体のある限り、みろくの世になっても影の部分、必要悪はなくならぬ。
今の世は、悪いことをしても世間をごまかし表を飾れば、立身出世もできるし、大もうけもできる。正直でくそまじめなばかりに虐げられ、苦しめられ、悲惨な境遇に泣く人がたくさんある。それは悪魔が君臨する世だからだ。
これからは、もうこんな不合理は許きれない。善いことをすればどんどん善くなり、悪いことをすれば片端から打ち砕かれ、悪の思惑の一つもたたぬようになる。それがみろくの世である。
capelaurig
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逆にいえば歌や流行り歌は社会意識を映す鏡としてあり、社会意識をとらえるものとして考えられることもある。歌やはやり歌の推移(変化、流れ)に社会(社会意識)の流れや変化を読み取るというというように。たが、社会関係、あるいはその意識としての歌と社会意識の関係は単純に関係づけられないということがある。歌や流行り歌を考えるときに絶えずあることだが、それは歌をどういうようなものとして認識しているかということであり、その難しさでもある。それはこの本を読んでいても終始頭から離れなかったことでもある。この著作を興味深く読ませてもらったし、多くの知見を得られてのだが、この問い頭からはなれなかった。
capelaurig
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仏教の五戒十重の五戒は、生きものを殺さない、盗みをしない、男女の間を乱さない、嘘をつかない、酒を飲まないだが、これを完全に守れるだろうか。
小乗仏教の僧は五戒を守っている人もいる。インドのジャイナ教の空衣派は空気を衣としているから、まっぱだかで、口に布を当てている。息を吸った時、誤って小虫を口に入れ殺さぬようにだ。うっかり足を出し、蟻を踏み殺したら一大事。息をするのも歩くのも大変だ。戒律を完全に守れば確かに聖者だろうが、それで神と向き合えたろうか。五戒に意識を縛られて、生活しているとはいえまい。
王仁三郎は「生存と生活は違う」 という。生活とは、神から与えられた命を完全に活かすことだ。多くの人が生存と生活を混同している。王仁三郎流にいえば、文化生活など、文化風をよそおった生存に過ぎない。大部分の人間がたくましく生存しているか、弱々しく生存しているかの違いだけで、はたして生活しているといえるかどうかを蚕は繭をつくって蛹となり、孵化して蛾となって子孫を残そうとの本能はあっても、蒸されて絹糸にされようなど思ってもいない。
蚕を殺さなければ人の身を包む絹布はできぬ。人は絹を着なくても生きてはいけよう。生きものの皮をはがさずとも、凍え死なない方法はある。だが魚を食うのも、米や野菜を食うのも、そのものの命を断つからには、不殺生戒をまぬがれぬ。大魚は小魚を食い、猫は鼠を食う。それが彼らの生活であり、この天職を果たさねば生きられない。
capelaurig
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歌と社会関係が直線的すぎると印象だ。吉本隆明が「はやり歌」を俺も作りたいということをつぶやいていたのを聞いたこともあるが、そのとき彼には歌謡曲(はやり歌)というのは詩と同じものだろうと推測した。歌は意識の表現という意味では詩と同じものである。それは意識の表出であるとともに、表現なのであり、言葉(言語とともに)に歴史的に生成して現在に至っているものだ。
昭和の「はやり歌」とは昭和という時代の中で。多くの人に歌われた歌である。そして、この時代の歌を特徴づけるのは社会化が進すんだということであり、歌の流れは、ある意味では高度化という形で変化していく社会的な意識の表出や表現だったのである。時代の変化とは社会の変化であり、社会意識の変化である。だから、歌の流れや変化を析出すれば社会(社会意識)の流れや変化を析出できるのだが、それは簡単ではないことはさきに述べた通りですね。
capelaurig
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戒律を完全に守る医者は嘘をつけない。癌患者には、お釈迦きん流に「病気ではあるが、癌であるかないか、そういうことには答えません」と告げる。少なくとも嘘はつかなくてすむだろう。患者はその返事を癌と同義語ととろうし、そのショックで患者が死ねば、不妄語(ふもうご)戒をまぬがれでも、不殺生戒を犯すことになる。
開けたる 御代の恵みを浴びながら 生存難に苦しめる世なり
生活は 世の人のため国のため 活きて働く人の業なり
衣食住 外に望みのなき人は 生存競争の衡(ちまた)にさまよう
capelaurig
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カラオケに出掛けていくことがある。そこで歌えるのは1970年代まで位の歌だが、どういうわけか、1940年代~1950年代の歌も歌える。どこで覚えたのか記憶はないが、身体に深く入っているのか、戦後の歌は歌える。1950年代の半ばまでのはやり歌としてカラオケにセットされている歌は多くはないが、歌えるのである。戦後の歌といえば一般には『りんごの唄』が想起される。これは戦後のはやり歌だった。敗戦は人々に様々な感慨をもたらしたことは疑いない。「ああ、今夜から電灯が明るくなるんだなと思うと、敗戦を喜ぶというのではなしにただ、なにはともあれほっとた」。淡谷のりこのこの敗戦の日の感慨は一般的なものとみなしていいのだろうと思う。
capelaurig
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大本信仰に関わるみろくの大神のお仕組みに直結する内容であり、正しい解釈が必要であります。
大正天皇には子種がなく、1899年公爵毛利元徳(もとのり)の八男が、伊藤博文の仲介により、公爵西園寺公望の養子となり西園寺八郎と名乗り、死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた。伊藤博文は権力者として、明治天皇から昭和天皇までデッチ上げたことになる。
1921年、第1次大本事件は宮中某重大事件で、聖師が鶴殿親子より皇室へ、問題なしと伝え、伊藤後の権力者山縣有朋が失脚した恨みから事件を起こした。(霊界物語第52巻、応対盗に詳しい)
大本内部でも鎮魂帰神法の改め、霊界物語の口述開始となり、教義と異なる谷口雅春、浅野正恭、浅野和三郎、岸一太らの離反となる。
第2次大本事件は全国組織の昭和神聖会発足により、ご落胤である聖師が表舞台に立ち、昭和天皇の皇位継承権が危うくなると判断した西園寺公望の犯行である。1935年6月御前会議で大本弾圧が決定された。弾圧のやり方は叩き潰す。日本宗教史上稀にみる醜いやり方である。細部にわたって公望は指示したとされ、1940年死去する。審神された天皇制の破綻が15年戦争の結果となる。
聖師は大本教義が本当に理解出来る信者は50名しか居ない、第3次は身内から起きると預言されており現実となった。お筆先にも、悪の御用は外部でなく出口の家の者にさせると書かれている。
capelaurig
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歌いながら戦後初期(敗戦期)のことを思い浮かべる。そしてあらためて、敗戦期に革命(社会変革)を目指した面々の失敗は現在の政治・経済・文化のあり方におおきな影響を持ち続けていると考える。これは予想もできないほど大きなことであり、世代としてそれを乗り越えようとしたのだが、手に負えなかったのだという感慨を持つ。戦後は社会が変わらざるを得ない条件を到来させたのだが、社会の革命(変革)を目指す部分はその対応に失敗したのである。これは戦後いち早くこのことに気づいたのは太宰治であり、彼は「革命はどこで行われているのでしょう。海の底では古い道徳が眠っているままだ」という風に述べていた。この本の敗戦期の「はやり歌」のところを読みながら勝手の想像をめぐらしていたのだが、著者が戦後の「はやり歌」に「炭坑節」(第一話)や「テネシワルツ」(第二話)を選んだことは驚いた。ここには「はやり歌」を社会の動向に関係づけてみていく、著者の意識が強く働いていたのだと想像したが、戦後初期の「はやり歌」はもう少し、イメージが違っていて戸惑いのようなことを感じた。
capelaurig
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第3次事件の背景には1963年頃の平和運動の停止があり、200名にも及ぶ出口家などの人員が整理され教団一つに詰め込まれ、役職が限られた事が大きい。京太郞などは梅松教会なる宗教法人を設立し今日に至る。1936年生まれの京太郎は日向良広に教育され、教団の乗っ取りを謀り、出口虎雄、杭迫軍二、山本荻江、宇佐美龍堂らと三代を追い詰め、1982年、道統を変更させる。
聖師がみろく様として、現世的には北朝の天皇として現れ、第1次事件で126日、第2次事件で6年8ケ月もの長期間拘禁された。
大本事件はお仕組みであり、悪霊との闘いでもある。
3度の事件の発端には、いずれも出生の秘密があり、大本信仰に直結する試練、考察の難しさがありますね。
capelaurig
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「炭坑節」の記憶は盆踊りに重なっている。盆踊りの記憶があるのはいつごろからだろうか。小学校の高学年からだろうか。年代的にいえば1950年頃ということになろうか。1950年といえば朝鮮戦争のはじまった時であり、屑鉄ひろいに夢中になっていた時期だった。当時の盆おどりは伝統的な色彩の濃いものだった。エロテックな匂いというか野趣もまだ残っていた。午後10時ころまでは子供たちも踊れる踊りだったが、午後10時を過ぎると子供たちは帰され、踊りもアベック(ペア)の踊りに切り替わっていった。深夜にまで続く盆踊りに子供は帰されるのだが、幾分か早熟だった僕らはこれに加わった。大人たちは子供たちを無理には返さなかったのである。この盆踊りの定番として「炭坑節」があった。同じように「東京音頭」もあった。「炭坑節」や「東京音頭」は子供も踊れる定番というべき存在で、アベック踊りの時間帯でもかかっていた。息抜きのように。もちろん、僕はこの「炭坑節」がどんな由来で成立し、盆踊りの歌になった。「三池炭鉱の上に出た あんまり煙突が高いのでさぞやお月様けむたかろう」と意味もなく、歌い踊っていた。これが盆おどりの定番になっていたのは各地でのことだったのだろうから「はやり歌」だったことは想像できる。当時の盆おどりでは「はやり歌」が取り入れられていたからである。例えば「トコトン節」は「アベック踊り」のものとしてあったように思う。
capelaurig
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『古事記』では、素盞鳴尊は、父伊邪那岐尊に命じられた大海原を治めきれず、ただ手もなく長い年月を泣きわめく。あげくに父神にとがめられ、地上を捨てて荒々しく高天原に上り、姉である司神天照大神に抵抗し、乱暴狼籍(らんぼうろうぜき)を働く。たまりかねて姉神は岩戸にこもり常暗の世を招くに至って、万神は智恵をかたむけ岩戸を聞き、素盞嗚尊を弾劾の上、追放する。何ともあきれはてた悪神なのである。しかし高天原を追われて出雲国に降った素盞嗚尊は、どうしたことか突如、詩的で英雄的な神に変神する。粗暴で無能で女々しくて何ひとつ取柄のなかった神が、ここでは恐ろしい八岐の大蛇を退治して悪の根を断ち、櫛名田(くしなだ)姫を救け、大蛇の尾から出た名刀を天照大神に献上する。勇気凍々、優れた智謀、果断な処置、自分を疑い追放した姉神へさらりと向ける崇敬の志。出雲の地に須賀宮を建て、妻を得た喜ぴを「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と美しい歌に託す詩情。いったいどちらの素盞鳴尊が実像なのか。
素盞鳴の 神世にいでてはたらかば がぜんこの世は浦安の国
伊邪那岐の 神の鼻より現れましし 素盞鳴の神先端の神
先端の 先端をゆく素盞鳴の 神のいでます世とはなりけり
素盞鳴と いう言霊は現代語の 先端を行く百破戦闘よ
蓑笠を つけて国々まわりつつ 霊魂しらべし神ぞとうとき
素盞鳴の 神は神代のエロの神 三十一文字で世をならしましぬ
capelaurig
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はやり歌の探索と論究としてこの本が展開しているのは新しい知見をもたらしてくれるものが多かった。その意味では面白くて感銘深いものだが、はやり歌は感受していたのはそれぞれちがうところがあり、それを想起させてくれた。読みをとめながら、時代のことを、あの時の自分を想起することもしばしばしばだったが、この本にはそういう魅力がある。
capelaurig
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素盞鳴尊は大国主命を蛇の室、翌夜はムカデと蜂の室に寝かせた上、野火を放ってあやうく焼き殺そうとする。そのやり方はまことに乱暴で意地が悪い。大国主命は姫や野鼠の助けを得て、これらの難問を無事に切り抜ける。素盞鳴尊は頭のシラミをとらしているうち、寝てしまう。大国主命は姫と共謀して、寝入った素盞鳴尊の髪を垂木(たるぎ)に結びつけ、巨岩で戸をふさぎ、生太万(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)と天(あめ)の詔琴(のりごと)(政治的、宗教的支配力の象徴)を盗み出し、須勢理姫を背おって逃げ出す。
天の詔琴が木にあたって鳴り響く。目ざめた尊は室を引き倒し、結びつけられた髪をとかして黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いつめ、遠く逃げゆく二人に叫ぶ。
「そのお前が持って出た生太万、生弓矢で八十神どもを追い放ち、国の支配者となって、わが娘須勢理姫を正妻となし、宇迦(うか)の山に立派な宮殿を造って住めよ、こやつめが」
髪の中に無数のムカデを飼っておくような、見るも恐ろしい素盞鳴尊。その婿を試す方法はいかにも荒っぽい。しかし最後のせりふにこもる深い情愛はどうであろう。可愛い娘と生命ともいうべき宝
を盗んで逃げる男に向って、「こやつめが」と投げる一言に、無限のいとおしみがあふれでいるではないか。
数々の試練をくぐり抜けて自分をあざむいた男に対して、その資質を審神し、娘との愛をもたしかめ、盗んだ宝を与えて、その未来を指示し祝福してやる。なんと行き届いた舅であろうか。
capelaurig
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そこで市場の管理や維持は誰がどのように行っているかということがでてきた。市場は市場を構成する利害者(市場構成者)の論理において管理や維持が行われているのだが、それは公共的な存在であるから関係者(構成者)の自治ということが一定程度、働いていると推察できた。だが、市場の存続の認可は行政権力にあり、その判断はそこに任された。そこが決定した。その場合に権力は市場を構成する人々の意思を尊重し、取り入れることができるのかという懸念がでてきた。結果は小池都知事の政治的な振る舞いに見られたように市場の移転に反対する人たちは政治的な欺瞞で煮え湯を飲まされたような結果になった。
capelaurig
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なぜ大本ばかりは、世間のいう悪神、崇り神を信仰するのか。出口直にかかった良の金神ばかりか、王仁三郎にかかる素盞鳴尊まで。王仁三郎は、素盞鳴尊が犯した罪について、言霊学上から独特の解釈を示す。
悪盛んにして天に勝つ。地上神界ですら、すでに国祖の威霊は封ぜられ、天地の律法は名ばかりの世であった。伊邪那岐大神の神命を受けて素盞鳴尊が地に下った時、合せ鏡である現界は手がつけられぬばかりに乱れていた。もともと軽い清らかなものは天になり、重く濁ったものが沈んで積み重なり地を造った。その成り立ちから体的なのだ。当然、肉体を持つ地上人類の体的欲望は激しい。
霊的性能が体的性能に打ち克つための、すなわち霊主体従の素盞鳴尊の神教など、血を吐くほどに叫んでも、体主霊従に堕した人々には通じない。その心痛は「八拳須(やつかひげ)心の前に至るまで」泣くほどであった。治まる時には治めずとも治まるが、治まらぬ時にはどんな神が出ても治まらぬ。
父伊邪那岐大神のお咎めに対して、素盞鳴尊は一言の弁明もせず、地上人類の暴逆や不心得をも訴えず、罪を一身にかぶって引退する覚悟であった。咎める伊邪那岐大神も、貴のみ子の苦衷を察せられぬはずはない。しかし人類を傷つけまいとされる尊の誠をくみとられ、「いま、わが子一人に罰を与え罪人としたならば、人類も悪かったと気づいてくれよう」との悲願をこめ、涙をのんで追放される。
八束髭 わが胸先に垂るるまで 嘆き玉いぬ天地のために
素盞鳴の 神は地上を知らすべき 権威持たせり惟神にして
capelaurig
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築地市場移転問題での小池都知事の振る舞いは印象的だった。彼女は結局のところ市場移転者の側に立ったが、神宮再開発で立ち振る舞うのだろうか。
公共的なものが、資本の欲動によって掘り崩されるようとするとき、それに抵抗し、それから公共的なものを守るとすればどうすればいいのか。何か力になるのか。何かが欠落している。それに対する解答として出されているのが「自治」論である。これは現在、多くの人々が民主主義の危機を感じ、語る問題にも関わることである。沖縄での辺野古基地建設をめぐって、県と国とが対立関係にあり、この場合に本来なら「地方自治」がもっと機能していいはずだとおもった。沖縄の地域住民の意思(民意)を国(政府)が踏みにじっていることは明らかだし、政府がその意味では非民主的で強権的な行為をしていることは明瞭だ。
capelaurig
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素盞鳴尊の心の潔白を証明するために、天の安河原での誓約の神事を申し出る。天照大神は素盞鳴尊のもつ剣をとって三つに折り、天の真奈井にすすぎ、かみにかんで吐き出す息から三柱の女神が生まれた。素盞鳴尊が天照大神の髪や左右の手にまいた珠をとって同じくかんで吹き放つと、五柱の男神が生まれた。天照大神は告げる。
「あとに生まれた五柱の男神は私のもっている珠から生まれたからわが子、先に生まれた三柱の女神は汝の剣から生まれたから汝の子である」
天照大神は五つ(厳)の男霊、すなわち厳(いづ)の御霊であり、女体に男霊を宿すから変性男子。素盞鳴尊は三つ((瑞)の女霊、すなわち瑞の御霊であり、男体に女霊を宿すから変性女子と判明する。
変性男子、変性女子は大本独特の筆先用語であり、神界の都合で国常立尊、のちには男霊である天照大神の霊魂の湿る出口直を変性男子といい、逆に豊雲野尊や女霊である素盞鳴尊の霊魂を宿した王仁三郎を変性女子という。
天照大神が素盞鳴尊の心を疑ったことについて、王仁三郎は述べる。
「元来、変性男子の霊性はお疑いが深いもので、わしの国を奪りにくる、あるいは自分の自由にするつもりであろう、こう御心配になったのであります。変性女子(王仁三郎)が高天原(綾部)へきて破壊してしまうといって、変性女子の行動に対して非常に圧迫を加えられる。また女子が大本全体を破壊してしまうというようなことが、お筆先にあらわれております。・・・大本教祖(出口直)も変性男子の霊魂であって、やはり疑いが深いという点もあります」
capelaurig
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安河に 誓約の業を始めたる 厳と瑞との神ぞ尊き
八洲河の 誓約になれる真清水は 罪ちょう罪を洗い清める
素盞鳴尊が地上を追われたのには、より深い原因があったことを、王仁三郎は『霊界物語』の中で一庶民の噂話にことよせ述べている。
「天の真奈井からこっちの大陸は残らず、素盞鳴尊の御支配、天教山の自転倒島から常世国、黄泉島(よもつとう)、高砂洲は姉神様がおかまいになっているのだ。それにもかかわらず、姉神様は地教山も黄金山も、コーカス山もみんな自分のものにしようと遊ばして、いろいろと画策をめぐらされるのだから、弟神様も姉に敵対もならず、進退これきわまって、この地の上を棄(す)てて月の世界へ行こうと遊ばし、高天原へ上られて、今や誓約とかの最中だそうじゃ。姉神様の方には、珠の御徳から現われた立派な五柱の吾勝命(あかつのみこと)、天菩火命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)という、それはそれは表面殺戮(さつりく)征伐などの荒いことをなさる神さまが現われて、善と悪との立別けを、天の真奈井で御霊審判(みたましらべ)をしてござる最中だということじゃ。
姉神様は玉のごとく玲瀧(れいろう)として透きとおり愛の女神のようだが、その肝腎の御霊からあらわれた神さまは変性男子の霊で、ずいぶん激しい我の強い神さまだということだ。弟神様の方は、見るも恐ろしい十握(とつか)の剣の霊からお生まれになったのだが、仁慈無限の神様で、瑞霊ということだ」(『霊界物語』一二巻二五章「琴平丸」)
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天照大神の行為そのものにも首をかしげたくなる。お別れの挨拶がしたいという弟神の心を察する前に、ソク武力を整える。天界と地界は合わせ鏡、手のつけられぬ地上の乱れの原因を知り、その立て直しの方策を考えるのに一度高天原を見たかった。
清くあるべき高天原の主宰神がまず犯された罪は重大である。
この体質は省みられず、帝国日本に引き継がれ、尾を引いた。口述の翌一二年関東を襲った大地震には朝鮮人暴動の疑いをかけ、数千人を殺している。その後も二度にわたる世界大戦や幾多の愚かな戦争のくり返しが、人類をどれほど悲惨な状況におとしいれてきたことか。さいわい神代では、素盞鳴尊の言霊と誓約によって、あやうく地上軍との武力衝突こそ避けられたが。
素盞鳴尊は「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば、自ら我勝ちぬ」(これで私の清明潔白なことは証拠立てられた。私の心の綺麗なことは私の魂から生れた手弱女によって解りましょう。従って、私の勝です)といい、勝ちのすきびに乱暴をする。これについて王仁三郎は、地上から従ってきた素盞鳴尊の従神たちの集団行為だという。主である素盞鳴尊があらぬ疑いをかけられた無念を、その潔白が晴れたとたんに爆発させたのだ。
素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、天の磐戸隠れの騒動を仕組んだのは、ウラナイ教の高姫ということが霊界物語に記されています。
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黒姫『コレコレ蠑螈別サン、高姫サン、静になさらぬか、丁ン助、久助その他の面々、千騎一騎のこの場合、気を確(しっか)り持ち直し、力限りに神政成就のため活動をするのだよ、何を愚図々々キヨロキヨロ間誤々々するのだい。これ位の事が苦しいやうなことで、どうして、ウラナイ教が拡まるか、転けても砂なりと掴むのだ、ただでは起きぬと云ふ執着心が無くては、どうしてどうしてこの大望が成就するものか。
変性女子の霊や肉体を散り散りばらばらに致して血を啜り、骨を臼に搗いて粉となし、筋を集めて衣物に織り、血は酒にして呑み、毛は縄に綯ひ、再びこの世に出て来ぬやうに致すのがウラナイ教の御宗旨だ。折角今迄骨を折つて天の磐戸隠れの騒動がおっ始まる所まで旨く漕ぎつけ、心地よや素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、今は淋しき漂浪(さすらい)の一人旅、奴乞食のやうになつて、翼剥は)がれし裸鳥、これから吾々の天下だ。
この場に及んで何を愚図々々メソメソ騒ぐのだ。高姫さま貴女も日の出神と名乗った以上は、何処迄も邪が非でも日の出神で通さにやなるまい。
憚(はばか)りながらこの黒姫は何処々々迄も竜宮の乙姫でやり通すのだ。蠑螈別さまは飽までも大広木正宗で行く処までやり通し、万々一中途で肉体が斃れても、百遍でも千遍でも生れ替はってこの大望を成就させねばなりませぬぞ。エーエー腰の弱い方々だ。この黒姫も気の揉める事だワイ、サアサア、シ’ャンと気を持ち直し、大望一途に立て通す覚悟が肝腎ぢや。
(大正一一・四・三 旧三・七 加藤明子録)
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の『自治民範』である。権藤成卿は農本主義者であり、戦前の昭和維新の運動に大きな影響を与えた。農村の自治という問題は食や農を土台にして国家をつくるというかんがえだが、権藤は社稷という理念でその問題を提起した思想家である。この権藤成卿の自治論を言及しているのが「第六章 食と農からはじまる「自治」」である。生家は農家だったし、子供(中学生)のころまでは農作業をよく手伝った。だから、農業やや農村のことを興味もあるし、関心はある。
しかし、これは戦後のことであって戦前はもっと大きな関心があったのだと思う。農業や農家は近代化の中で絶えず危機的に見舞われていたし、農業をどうするかは近代社会の大きな問題だった。この時、日本や中国では地主制(土地の所有制)をどうするかが、問題だった。それが農業革命のことだったのだが、自治による農業の持続というのはこうした中で魅力的な提起だった。
農本主義は農を基にした社会(国家)をという思想である。それは近代の産業化によって農業は解体が進むがこれに抗して産業と国を築くというものだ。近代農業は私的労働という性格が進むが、農業生産には共同的なものを必要とする。例えば水の管理などである。
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「神殿に糞をしたといって騒ぐけれども、あれはきっと、酒に酔って何か吐き散らしたまでのことでしょう。田のあぜや溝をこわしたというのも、耕せば田となる土地をあぜや溝にしておくのは惜しいと思つてのことでしょう。わが弟のしたことですから」だがかばい切れぬ事件が起こった。
清めぬいた忌服屋(いみはたや)では、天照大神のもとで織女たちが神に捧げる御衣を織っていた。その時、御殿の棟がこわされて、その穴から火のかたまりのようなものが落ちてきた。逆はぎにはがれた天の斑馬(ふちこま)ではないか。逃げまどう織女たちの絶叫、梭(ひ)に陰上(ほと)をついて死ぬ織女。なんと、天井の穴からのぞき見ているのは、弟素盞鳴尊の髭面ではないか。
あまりのことに思慮を失った天照大神は、天の岩屋戸に閉じこもってしまう。これによって高天原は常闇の世となり、荒ぶる神々はここぞと騒ぎまわり、禍という禍はことごとに起こった。
天の斑馬(ふちこま)を逆はぎにはいで落としたのは、明らかに素盞鳴尊自身である。こればかりは、弁護の余地さえなさそうだ。それにしても、安河原の誓約(うけい)では確かにやさしい魂をもつ素盞鳴尊が、なぜわざわざ姉の面前で、そのような残虐行為に出たものか、その矛盾がひっかかってならない。これについては、王仁三郎はなぜか口をとざして語らぬ。
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いろいろな領域での自治の問題が論じられている。多分、コモンとか自治ということにあらためて関心をひかれるかもしれない。我々の世代にとっては社会主義ということにこれらは組こまれてあったが、それが解体的ないま、それを見直すにもコモンとかと自治とかいうのはいい入口になるかもしれない。
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素盞鳴尊のとるべき道は一つ。姉神の面前でのつぴきならぬ怒りを買うのだ。万神の激怒をわが身一神にふりかえて処罰させる。それしかないではないか。ところが天照大神はしょせんは女神。素盞鳴尊の深い志を察して罰を与えるゆとりすらなく、天職も誇りも捨てて岩戸へこもってしまわれた。王仁三郎がこの事件について口ごもるのは、触れようとすれば非を皇室の祖神天照大神に重ねて帰せねばならない。
しかし王仁三郎は、天照大神と機について、重大なことを示唆している。
「ここで機を織るということは、世界の経論ということであります。経と緯との仕組をしていただいておったのであります。すると、この経綸を妨(さまた)げた。天の斑馬、暴れ馬の皮を逆はぎにして、上からどっと放したので、機を織っていた稚比売(わかひめ)の命は大変に驚いた。驚いた途端に竣に秀処(ほと)を刺して亡くなっておしまいになったのであります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生の誓」)
単に血だらけの馬を落として驚かす単純な悪戯などではない。素盞鳴尊が天照大神の経輸を妨害したと、王仁三郎はいっている。もしそうであれば、まさしく素盞鳴尊は天下の大罪人である。
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<特選>
あきれ果てまたあきれ果て抗議する
<秀句>
現実に人より原発優先す
八億の飢える現実目をこらせ
イスラエルいつまで続く攻撃ぞ
殺りくが続く現実見ぬ日本
シン・悪の枢軸日米イスラエル
ことば
<特選>
処理水という緩慢な殺人まかり通る
<秀句>
マスコミの言葉は軽し67位
ことばから抜けた魂取り戻せ
裁判官ことば通じぬ異邦人
ネットでは亡霊化する言葉たち
風評に勝った勝ったと勝利水
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汚染水放出を止めるには長期的な時間が必要だし、それがやむを得ないことだとも認識しながら、汚染水放出を長期に許してはならないという想いとのあいだには、矛盾というか不条理な事態を認識しながら、焦りに似た気持ち
に苛まれている。ストレスが溜まっていかざるを得ないが、これは脱原発の運動や行動が持久戦的であり、今に始まったことではない。これは「展望とまでは言わないでも、運動が現在の状態を抜け出して行く道はあるのかと。こんな自問の中で脱原発闘争を続ける、それが脱原発運動の背負わされた宿命であって、そこから答を見出す覚悟をすることにしか道は拓かれないだろう。
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瑞御霊(みずみたま) 千座(ちくら)の置戸を負わせつつ 世人の犠牲と降りましけり
筆先には、「機の仕組」について、しばしば説かれている。「にしきの機の下ごしらえであるから、よほどむつかしきぞよ。このなかにおりよると、魂がみがけるぞよ。みがけるほど、この中は静かになるぞよ。機の仕組であるから、機が織れてしまうまでは、なにかそこらが騒々しいぞよ。にしきの機であるから、そう早うは織れんなれど、そろうて魂がみがけたら、機はぬしがでに(一人で)織れていくぞよ」明治三三年旧八月四日(『大本神諭』「第二集)
にしきの機とは、綾錦の布を織ることをさすが、みろくの世に至る道程を、さまざまに織りなしていく人々の苦節を色糸にたとえ、象徴的に表現したものであろう。機は経糸と緯糸で織り成されるが、出口直と王仁三郎のふたつの魂の要素ともいうべきものが、経と緯の関係になぞらえる。
経糸 出口直 艮の金神 変性男子 厳の御霊
緯糸 出口王仁三郎 坤の金神 変性女子 瑞の御霊
対立し、ぶつかり合い、からみ合うふたつの個性や生きざまの鮮やかな対照がいつのまにやらそのまま組みこまれて、大本の教義を成していく。直にかかる神の啓示と王仁三郎にかかる神の教えが、火と水、男子と女子、父と母、天と地、小乗と大乗、ナショナルとインターナショナルというように、まったくあい反しながら、機の経糸、緯糸となって織りなされてゆくのである。
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汚染水のさしあたっての処置については海洋放出(投棄)以外のいくつかの構想や方法が提起されたが、コストの問題もあろうが、それは取り上げられず、一番安価な放出(投棄)を選んだ。これは記憶しておくべきことである。これらのことは放出にあたって最低限の事柄もやらなかったことだが、やはり、一番の問題は政府や東電が放射能汚染水を処理して安全な処理水と言い張ってその危険性を隠し、放出したことにある。
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この筆先には、経緯の役目の相違がはっきりと示されている。経糸は、いったんピンと張り終ると、後はびくとも動くことはできぬ。それが経糸の役目である。
国祖国常立尊の至正、至直、至厳なやり方に対して不満の神々が天の大神に直訴する。天の大神もついに制止しきれず、「もう少し緩和的神政をするよう」説得したが、国祖は聞き入れぬ。もしそこで聞き入れてゆるめれば、機の末は乱れきるのが目に見える。たとえ天の大神のお言葉を拒もうとも貫く、これが機の仕組の経糸のつらい役目なのだ。
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アルプス処理機で放射線を処理したと言ったところでそれは事故を起した当事者たる東電の検査であってそれを科学的であると信じよというのは無理がある。汚染性が危険であるか、安全であるかの科学的解明は第三者的な存在によるしかない。お手盛り的な検査しか出来ない当事者たちの検査を信用せよというのは馬鹿げているのだ。そこで政府はIAEAなどを持ち出したのだが、IAEAは放射性物質の危険や安全を検査する資格ある機関ではない。確かにIAEAは放射能対策国際機関である。しかし、IAEAは原子力企業などから便宜が与えられる機関であり、原発企業に同伴する、当事者であり、科学的な調査機関ではないのだ。ここまでは、以前からやられてきた放射能の危険ついての調査や検査の範囲からみても、疑念があるということだ。たしかに放射能汚染水の危険性にいては未解明である。未解明であるからといって汚染水の危険ついて疑念が消えたわけではないし、欺瞞的な処理ということで疑念は解消したわけではない。
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経と緯というのは、すべての物事の成り立ちのぎりぎり決着の表現であろう。いかなる文化も経と緯、時間と空間のないまじりから成る。「縦横無尽の活躍」というのも、自由自在な働きの根底が経と緯とで構成されていることを示す。
大本的表現をすれば、この錦の機を織り上げるのが神業であり、人間は一筋の糸として参加するため、この世に生まれてきたのである。この地球上で人聞が創造している文化(政治、経済もふくめ)は、それぞれ勝手にやっているようで、実は織られているのだ。短い糸をつなぎ、より合わせていつか時代の流れの色模様が染め上げられていく。
経と緯とがうまく整い、見事な布が織られていくことを「まつりあう」という。政治を、日本古来の言葉では「まつりごと」と称した。天と地、神と人、霊と体との均り合いが真にうまくとれることが政治の理想であろうが、神に対する祭りも同様である。その意味から見れば、現今の文化のいっさいは均衡を欠いており、人聞の我欲だけが一方的に突出して、歪んでしまっていはしないか。
筆先では、大本の機は日本の、世界の雛型となるべき錦の機という。少しのゆがみも許されぬ経糸はもちろん、我がなければならず、あってはならずで、打たれ打たれて織られていく緯糸の過程の苦きゆえに、魂に磨きがかかるのであろう。醜い我欲を捨て、織り手の心のままに澄んでいけば、錦の機は自然に完成していくと、筆先は繰り返し教えている。
たてよこの 神のよさしの綾錦 機のかがやく世とはなりけり
綾の機 織る身魂こそ苦しけ一れ 一つ通せば三つも打たれつ
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ただ、この環境汚染を通して具体化せれる内部被爆と放射線の危険については、これまで調査も研究もあまりなされてこなかった。核兵器であれ、原発であれ、放射能による被爆の問題は、外部被爆によるものが主とした研究され、そこをモデルにして析出されてきた。戦後のアメリカ軍が原爆による被害を研究してきたときに、外部被爆の点に主眼がおかれ、内部被爆のことは無視され、その研究は禁じられてことはよく知られている。放射線の残留や蓄積と内部被爆のことは隠され、無視されてきたのである。
ICRP(国際放射線防委員会)やIAEA(原子力国際機関)の放射能の危険についての研究と対策は外部被爆をモデル(対象)にたてられてきたのである。放射能(線)の危険の研究と対策は外部被爆のことが中心でこの内部被爆のことは軽視されてきたのである。いうなれば彼らの研究と対策は内部被爆のことは軽視され、隠蔽されてきたのである。これは核種と呼ばれる放射線についても、セシュムとか。ストロンチュムとか、トリチウムとかの特定核種の危険性をとりだしても、他の核種の危険性については放置されてきたのである。よく知られているように被爆の危険度が数値でも知らされた。
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「私がこもっているので、高天原は暗く、また世の中も暗いと思うのに、どうして天宇受売命は楽しそうに踊り、神々は笑うのか」天宇受売命は答えた。
「あなたよりも尊い神が出られましたので、みな大喜びで笑い遊んでいます」がたしかに岩戸の前には光り輝く女神がいる。それがさし出された鏡に写る御自身とは知らず、思わず戸より出てのぞかれたので、隠れていた天の手力男神がみ手をとって引き出し、布刀玉(ふとたま)命がしめ縄を張って「これより中に、もう戻らないで下きいと申し上げた。
岩戸は聞けこの世は明るく照りわたった。
まるで天照大神の日頃のお疑い深き嫉妬深さをみこして万神謀議の末、道具立ても抜け目なく、まんまと罠にはめて成功した。めでたしめでたしである。しかしこれが高天原随一の知恵者、思金神の出し絞った知恵というのか。それにしては幼稚な・・・そう思った時、逆に胸の暖まる心地がした。この物質世界でこそ人聞は有史以来、悪知恵を研ぎすまさねばならなかった。この程度の策略にころっとだまされる天照大神も、いっそ愛らしい無垢のお心ではないか。
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福島第一原発の事故で生じた子供甲状腺ガンのことが、事故による放射線とは関係がないと決めつけられてことはその一例である。汚染水の放出のあと大臣と称する男が福島の海で採れる魚を試食して安全性をアピールした滑稽な場面をみた。汚染水の何が問題なのか視座がないし、処理水と称しているものがどういうものか認識もない。汚染水と発言した大臣の言動が大騒ぎになって権力筋が、処理水と言い換える中に、本当は環境汚染と内部被爆のことを怖れてはいるのだとも推察した。
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「言霊の鏡に天照大御神のお姿がうつって、すべての災禍はなくなり、いよいよ本当のみろくの世に岩屋戸が開いたのであります。そこで岩屋戸開きが立派におわって、天地照明、万神おのずから楽しむようになつだけれども、今度は岩屋戸を閉めさせた発頭人をどうかしなければならぬ。天は賞罰を明らかにすとはこのことでございます。が、岩屋戸を閉めさせたものは三人や五人ではない、ほとんど世界全体の神々が閉めるようにしたのである。で、岩屋戸が開いたときに、これを罰しないでは、神の法にさからうのである。しかし罪するとすれば、すべての者を罪しなければならぬ。すべての者を罰するとすれば、世界はつぶれてしまう。
そこで一つの贖罪者を立てねばならぬ。すべてのものの発頭人である、贖主(あがないぬし)である。仏教でも基督(きりすと)教でもこういうのでございますが、他のすべての罪ある神は自分らの不善なりし行動をかえりみず、もったいなくも大神の珍の御子なる建速須佐之男命お一柱に罪を負わして、髭を切り、手足の爪をも抜き取りて、根の堅洲国へ追い退けたのであります」(『霊界物語』一二巻三O章「天の岩戸」)
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汚染水の放出の構想はかなり前から知らせれ、それに対する反対行動はあった。8月24日に放水が開始される時期が迫ってきても、放水反対闘争をどう闘ったいいのかよくわからないという事態に陥っていた。これまで脱原発闘争を担ってきた部分は集会を開き、声明を発するだろう。これは一種のスケジュル闘争であり、儀礼的なものである。これしかできないという意味ではよく分かることだし、批判さるべきことではない。しかし、ここからは長期にわたる汚染水の放出に反対する方向性というか、展望は出てこない。
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姉神をふくめた万神と地上人類の罪の贖主として甘んじて処刑を受けられた素盞 鴫尊こそ救世主、救いの大神として、王仁三郎は位置づける。もとより国祖は、この岩戸の開き方が気に入らない。筆先はずばり指摘する。「まえの天照皇大神宮どののおり、岩戸へおはいりになりたのをだまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇受売命どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり」明治三八年旧四月二六日(『大本神諭』第四集)
神代の昔から、こうした嘘や偽りで日の大神をだました上、力にまかせてひっぱり出し、それを手柄として自分たちの謀略を省みようともせぬ高天原の万神たち。神がこうだから、神に誠心がないから、それが地上世界へ写って人民が悪くなる。目的さえよければ手段を選ばぬ今の人民のやり方が、どれだけ世を乱すもととなっているか。
人民ばかりが悪いのではない。神、幽、現界を含めて三千世界を立替え立直す。まずその根本を正してこの世を造り直させよう。これがどうやら国祖の御意志らしい。
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