伊勢神宮の内宮では天照大神を祭ります。天照大神は皇祖神で太陽神でもありますが、明治天皇まで歴代の天皇は参拝しなかったと言われています。
実は、参拝したかもしれない天皇が一人だけいました。女帝の持統天皇です。『日本書紀』によると6年(西暦692年)に持統天皇は伊勢国の神郡に行幸しています。
この行幸に従った大臣・石上麻呂(『竹取物語』の「石上まろたり」のモデルと言われています)が『万葉集』の44番に和歌を残しており、大和国を「日本」と表記しています。
持統天皇は伊勢神宮の「式年遷宮」を始めたともされています。それまでは天皇の代ごとに都は移動していましたが、藤原京という恒久的な都を造営しました。結果的に藤原京は僅か16年で平城京に移り、式年遷宮の20年より短命に終わったのは歴史の皮肉です。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
実は、参拝したかもしれない天皇が一人だけいました。女帝の持統天皇です。『日本書紀』によると6年(西暦692年)に持統天皇は伊勢国の神郡に行幸しています。
この行幸に従った大臣・石上麻呂(『竹取物語』の「石上まろたり」のモデルと言われています)が『万葉集』の44番に和歌を残しており、大和国を「日本」と表記しています。
持統天皇は伊勢神宮の「式年遷宮」を始めたともされています。それまでは天皇の代ごとに都は移動していましたが、藤原京という恒久的な都を造営しました。結果的に藤原京は僅か16年で平城京に移り、式年遷宮の20年より短命に終わったのは歴史の皮肉です。
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capelaurig
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時は今、再び岩戸が閉められる。明治二五年に国祖は出口直にかかり、第二の岩戸開きを宣言した。それは立替え立直しと共通項でくくられるものであり、相互に内的関連性を持つといえよう。
ではどうした方法で第二の岩戸を聞くのか。神代の岩戸聞きの過ちを再び繰り返さぬためには、愛と誠で開くよりない。王仁三郎は示す。
「天の岩戸の鍵をにぎれるものは瑞の御霊なり。岩戸の中には厳の御霊かくれませり。天の岩戸開けなば、二つの御霊そろうてこの世を守りたまわん。さすれば天下はいつまでも穏やかとなるべし」(『道のしおり』「第三巻」上)
素盞嶋尊の願っている理想世界とは何か。尊が八岐の大蛇を退治し櫛名田姫を得、出雲の須賀に宮を作った時の歌に集約されている。
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」
この歌が和歌の始まりといわれる。一般的解釈は字句通り、雲の沸き立つ出雲の地に宮を建て妻を得た感動を歌ったものとされるが、王仁三郎はその歌に特別の密意を読みとっていた。
capelaurig
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神宮外苑の再開発で神宮の森の樹木が伐採されるという報道は気になった。伝えられるところでは樹齢100年の木を含む3000本の樹木が伐採されるという報道だった。神宮の森といえば鮮やかな銀杏並木がよく知られているが、これも手が入ると言われた。この計画には反対の声が出てきて修正を余儀なくされているという声も届いている。坂本龍一に続いて村上春樹も反対の声を上げていると伝えられる。
新聞には「神宮外苑の銀杏並木がきれいに紅葉している写真」が小さな囲み記事の中にあった、記事には再開発事業で伐採される計画の変更は縮小されるようだとあった。以前にこの計画を認可した新宿区側の裁判での発言をみたが、銀杏並木は残されるが、認可した新宿区の地域では3000本に及ぶ樹木の伐採は変わらないと言われている。
この開発事業は基本的には神宮外苑にある神宮球場と秩父宮ラグビー場を入れ替えて建て替えることにあるが、同時に高層ビルや高級ホテルなどをつくることにある。これはオリンピックとともにはじまったものだ。オリンピックは祝祭であるが、この祝祭は権力(国家)の威信を高めるものとして政治的には利用される。同時に資本は欲動を、つまりは経済的なもうけ事の契機にも利用せんとする。祝祭資本主義という言葉があるのだけれど、祝祭を契機に開発をという名目で資本の欲動を満たそうとするわけである。
capelaurig
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「伊邪那岐尊から統治をゆだねられたこの大海原、地上世界には八重雲が立ちふきがっている。どの国にもわき立つ邪気が日の神の光をさえぎるばかりでこの世は曇りきっている。秀妻の国の賊(八岐の大蛇)は退治したものの、さらにこの国を八重に閉じこめている心の垣 その八重垣をこそ、取り払わねばならぬ」
人類の歴史は、いわばいかに頑丈な垣根をめぐらすかに腐心してきた。神代の昔、すでに姉と弟の間にも越えがたい垣根がはばんで文明が開化すればするほど、われわれは多くの垣根を作って生きている。
国と国が、人類同志が、民族間、階級間、その上宗教の違いまでが生み出す心と心の垣。そのさまざまな八重垣を取り払い、焼き減ぼすのが、素盞鳴尊の目ざす火(霊)の洗礼、「みろくの世」ではないだろうか。
立替えを 世人のこととな思いそ 立替えするは己が御魂ぞ
みろくの世 早や来よかしと祈りつつ 岩戸の開くもく時を待つかな
三千歳の 天の岩戸も明烏(あけがらすみ) 時きわたりつつ世をきますなり
八束髭 手足の爪をはがれつつ 血をもて世をば清めたまいぬ
八束髭 生血と共に抜かれたる 瑞の御魂は戸川町の天弛の岐美(きみ)。
capelaurig
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特選
・十三年ふるさと離れて無一文 - 石
秀句
・金金金自民政治はこれに尽き - 芒野
・税金の行きつく先は選良の腹 - まごじい
・放射能で汚れた家売れず - 石
・政(まつりごと)金につぶされ国亡ぶ - 海の民
・金を見て運転許可と知事は言い - 原子力ガリレオ
「怒り」
特選
・クリスマス世界中から殺すなと - 芒野
秀句
・中学で防空訓練怒る民 - 海の民
・右左(みぎひだり)しがらみまみれハラ立った - 金狼と月
・住めないと聞いても怒る人は無し - 原子力ガリレオ
・浪江町に放射能汚染告げるむらさきつゆくさ - 石
・解放せよ東の入管西のガザ - ふ64
capelaurig
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大正天皇には子種がなく、1899年公爵毛利元徳(もとのり)の八男が、伊藤博文の仲介により、公爵西園寺公望の養子となり西園寺八郎と名乗り、死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた。伊藤博文は権力者として、明治天皇から昭和天皇までデッチ上げたことになる。
1921年、第1次大本事件は宮中某重大事件で、聖師が鶴殿親子より皇室へ、色盲については問題なしと伝え、伊藤後の権力者山縣有朋が失脚した恨みから事件を起こした。霊界物語第52巻、応対盗に詳しく、主犯は山縣有朋、共犯は原敬だと、聖師ご自身が告発している。
大本内部でも鎮魂帰神法の改め、霊界物語の口述開始となり、教義と異なる谷口雅春、浅野正恭、浅野和三郎、岸一太らの離反となる。
第2次大本事件は1932年全国組織の昭和神聖会発足により、ご落胤である聖師が表舞台に立ち、昭和天皇の皇位継承権が危うくなると判断した西園寺公望が主犯である。1935年6月御前会議で大本弾圧が決定され、弾圧のやり方は叩き潰す。日本宗教史上稀にみる醜いやり方である。細部にわたって公望は指示したとされ、1940年死去する。逆に審神された天皇制の破綻は15年戦争の結果となる。共犯である昭和天皇は、天皇として自信を持った2ケ月後の2・26事件で<朕が先頭に立ち、鎮圧する>と豪語したり、7ケ月後には京都府知事に<検挙事件によって府民の信仰心に及ぼした影響はないかとの新聞記事が出回る。そして昭和35年頃には綾部駅に下車した昭和天皇が蜷川知事に大本の方向を聞き、知事が反対方向を指差した逸話は有名である。
capelaurig
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オリンピックを契機にして周辺地域の再開発が提起され、様々の構想がでてきた。神宮球場と秩父宮ラグビー場の入れ替えての建て替え、高層ビルの建設などがその中心だが、これには様々の矛盾がある。それには再開発によって神宮外苑の保持してきた自然の景観も含めた場所としての価値(人々が公共的な場として親しんできたもの)が失われてしまうということである。樹木の伐採による環境の悪化はその代表的な主張である。公共的な場所として悪化ということである。再開発は名目的には利便的で、機能的な施設に作り替えることで、公共性を高めるということがうたわれている。公共的な場所を損なうというよりはたかめるのだという見解が主張されているのだが、それに批判的な声が出てきたのである。オリンピックを名目にしてきた開発構想はあまり疑われずに提示され推進されようとしてきたのだが、これに対する疑念が出てきたのである。
capelaurig
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A happy new year!
頓首。
capelaurig
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大本三代の御用が余りにも重すぎたかも知れない。生まれながらに木花姫の精霊の下った肉宮とされ、水晶の種と崇められ、最初の結婚も本人の意志とは関係なく、弾圧で父母は未決に収監され、2度目の夫・日出麿は厳しい拷問で正気を失った。1943年 日向良広との間に生まれた尾崎楯彦ちゃんが5才で病死。木庭氏の新月の光、聖師様の餞別に詳しい。
第3次事件の背景には1963年頃の平和運動の停止があり、200名にも及ぶ出口家などの人員が整理され教団一つに詰め込まれ、役職が限られた事も大きい。主犯の京太郞は梅松教会なる宗教法人を設立し今日に至る。1936年生まれの京太郎は日向良広に教育され、教団の乗っ取りを謀り、出口虎雄、杭迫軍二、山本荻江、宇佐美龍堂らと三代をプライバシーで追い詰め、1982年、共犯として三代は道統を変更させる。
聖師は天界のみろく様として、現世的には北朝の天皇として現れ、第1次事件で126日、第2次事件で6年8ケ月もの長期間拘禁された。
大本事件はお仕組みであり、悪霊との闘いでもある。
3度の事件の発端には、いずれも出生の秘密があり、大本信仰に直結する試練、考察の難しさがあるかもしれません。
capelaurig
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これは球場やラグビー場の老朽化の建て替えというが、この理由はすんなりと通ることのように見える。現在、入れ替えての建て替えとして構想されているが、現在の場所で改修すればいいのではとも考えられる。神宮球場や秩父の宮ラグビー場は伝統のるものであり、親しまれてきた存在である。子供とともに、あるときは一人で神宮球場にはよく通った。巨人ファンだが東京ドームの切符が手に入りにくい時代よく通ったのだ。神宮球場は古いし、不便なとろもあるが、風情あって、東京ドームとは違う良さもあった。この伝統と風情残して改修すればいいと思う。アメリカの野球場にはそういう多くのものがあり、甲子園球場もそうしたものとしてある。同じことは秩父宮ラグビー場についてもいえる。屋根付きの人工芝のラグビー場なんてラグビー競技にふさわしいか疑問だ。ラグビーという競技に人工芝はどうなのだろうかとい疑問もある。
capelaurig
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どんなに科学が進んでも、宇宙の謎を完全に解明することはできぬ。白い米を食って、赤い血をだし、黒い髪をはやし、黄色い糞をたれる。
出口王仁三郎は「鼠一匹を研究して論文をだしても博士になれる世の中だから、学者といっても、真に頼りないものである」(水鏡』「科学の力」)といい、「屁のような理屈を吐いて飯を食う醜のものしりあな恐ろしき」と嘆く。
アインシュタインや湯川秀樹も科学の限界について深く認識した。昨今力を得てきたニューサイエンスも、物質の限界にようやく気づき、霊性など目に見えないものを認識しはじめたきざしがある。
物理学者の中には、東洋の神秘主義の神秘的体験から得た世界観の中に探している答えがあるのではないかと、考える人が増えている。『タオ自然学』を書いたフリッチョフ・カブラなどはその例だが、別に物理学に限らず、生物学のライアル・ワトソンなどもニューサイエンスの旗手だ。
神とか霊界は非科学的な迷信だと信じる人は、科学を一枚岩のがっちりしたものだと、思い込んではいないだろうか。実際はパラダイムのつぎ合せ、寄木細工に過ぎないのに。たとえば現在、理論物理学の分野、特に素粒子のレベルで、幾つものパラダイムが併存している。長い間、物質の構成要素の最も小さいものとされてきた原子が、実は電子、陽子、光子といった素粒子によって構成されていることが分った。
capelaurig
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神宮外苑の施設の改廃も含めここに高層ビルや高級ホテルを建設することは公共の場として機能を高めることになるのだろうか。神宮外苑の再開発の中心は高層ビルや高級ホテルの建設であり、それに伴う自然景観の変更に伴う悪化である。3000本の樹木の伐採に反対というのはこの表現である。これは神宮外苑が公共の場として保持してきた自然環境の悪化であり、公共の場としての環境を変える高層ビルは必要なのか、ということである。神宮外苑は明治神宮に管理下であつたのだが、これが公共の場としてあり、その自然環境は風致地区という指定において保たれてきた。風致地区というのは自然環境を維持するためのエリアであり、建設物の高さは制限された。具体的には19㍍以上の建築物は制限されてきたのだ。この指定はオリンピックに伴う再開発のために解除されたが、それは高層ビルなど建設を可能にするためである。これは公共の場としての神宮外苑を守ってきたことの排除である。
capelaurig
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奇妙なことだが、物質はより根源的なエネルギーの代名詞だというのだ。物質もエネルギーも根は一株につながっているが、その正体を見届けた者はまだ一人もいない。そんなミクロの世界のことさえまだ闇の中だから、神や霊界の有無について、科学で答えがでるのはまだまだ先であろう。
現実の表層に浮かび上がる物質世界を説明するいかなる言葉も、今ではすっかり色褪せた。近代科学はじまっていらい確固不動の礎とみなされてきた物質は、結局、うたかたの夢のように明滅していくはかない幻想であり、実像そのものではあり得ない。このような認識は、同時に物質の背後にあって支えきっている別次元の深層界を想定せざるを得ないはめに陥った。そして、深層の岩盤をえぐり出そうとする苦渋に満ちた試みも、ようやく緒についたばかりである。
「半可通的学者の鈍才浅智をもって、無限絶対無始無終の神界の事柄にたいして喃々するは、竿をもって蒼空の星をがらち落とさんとするようなものである。洪大無限の神の力に比べては、鼠の眉毛に巣くう虫、その虫のまた眉毛に巣くう虫、そのまた虫の眉毛に巣くう虫の放った糞に生いた虫が、またその放った糞に生いた虫の、またその虫の放った糞に生いた虫の糞の中の虫よりも、小さいものである。ソンナ比較にもならぬ虫の分際として、洪大無辺の神界の大経論が判ってたまるものでない」(『霊界物語』五巻「総説」)
capelaurig
が
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公共性を高めることになるのか、どうか。樹木の伐採に反対する人はこの点に疑念を持っているのであり、それを伐採に反対ということで表現しているのである。いろんな形で開発や再開発が各地で行われている。大阪の万博会場の建設だってその一つだろう。事業者は資本の欲動ということを背後に持ちながら、公共的な発展という論理を表では主張する。オリンピックはそういう名目として利用するに恰好のものだった。
再開発や開発に公共性や社会の発展という論理が伴っており、それゆえにそれに対する疑念や異議申し立ては難しいところがある。高層ビルや建築物の建設のために風致地区の指定を外し、これまで保持してきた自然環境を悪化させてもいいのかという疑念当然のことだが、これを真っ当な主張とするにはいくつもの困難がある。開発や再開発が悪いのではない。開発や再開発にはいろいろとあって、その中身が問題なのだ。ただ、開発や再開発は前進的なもの、あるいは不可避的なものとして考えられてきたから、その中身を問うということは難しかったのである。こういう問題は開発という名目で展開されているいろいろのことに関係するが、原発もリニア建設も同じ問題に遭遇してきたのである。
capelaurig
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「昔の人間は直感すなわち、第六感が鋭かった。だが今日の科学は、最低の直感を基礎として立てられたものだから、だんだんその第六感をにぶらしめてきた。それは人類にとってたいへんな損失であり、どうしても今後の学問は科学的に人間の知慧を向上せしめるとともに、神より与えられた人間の直感力をいよいよ発達させて、両々相まって人類の福祉に貢献するよう、努力させねばならぬ」(『人類愛善新聞』昭和一O年八月二三日「直観力を養え」)。
また王仁三郎は「ナザレの聖者キリストは神を楯としパンを説き、マルクスパンもて神を説く」といい、また「大本は霊もて霊の道を説き、パンもてパンを説く教えなり」という。
・・・科学を基礎としなくては/神の存在経論を/承認しないと鼻高が/下らぬ屁理屈並べたて/己が愚をも知らずして/世界における覚者ぞと/構えいるこそおかしけれ/学びの家に通いつめ/机の上にて習いたる/畑水練生兵法/実地に間に合うはずがない/口や筆には何事も/いとあざやかに示すとも/肝腎かなめの行いが/できねばあたかも水の泡/夢か現か幻の/境遇に迷う亡者なり/肉の眼は聞けども/心の眼暗くして/一も二もなく知恵学を/唯一の武器と飾りつつ/進むみ霊ぞ憐れなり・・・
知るという 人はなにもの 天地の 妙(あや)しき神業(みわざ) かみならずして
霊と肉 一致和合のみおしえは 三五の道を おいて他になし
capelaurig
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capelaurig
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現代の科学技術は、核爆弾、自然の汚染、環境の破壊といった問題を生み出し、人類ばかりか地球上の全生命までも滅亡させかねない状態になっている。遺伝子操作の技術の進歩は、そのうち、人間そのものの遺伝子に手を加えてゆくであろう。こうして科学が神の領分にまで踏みこもうという事態になると、あらためて「人間とは何か」を根源から考え直す必要がある。
人工知能やロボットの研究により、他動物に比べすぐれているとされた人聞の思考能力は、人間自身がうぬぼれているほどのこともなく、機械で可能な部分がかなりあることに気づかされた。ここでもやはり「人間とは何か」が問題になってくる。
コンピュータの研究とは、「考える」ということを考えることである。私たちが「考える・理解する」大部分は、三段論法など単純な論理の組み合わせである。この根底にあるものは、要するに「そう決めたらこうなる」ということだ。これまで科学の「人間とは何か」との問いかけは、霊的な面を否定する方向に人間を導いてきた。だがいずれ、科学技術の頂点において神と出会う状況になれば、もっと根元的などんでん返しもあり得よう。
白米を 食いて黄色き糞をたれ 赤い血を出す 理知らぬ学者よ
洋人の よだれのかすを切売りし 飯を食ってる 現代の学者よ
capelaurig
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capelaurig
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一九二二年、王仁三郎はすでに、「二十一世紀の初期には通信機関が発達して、毛筆や鉛筆や万年筆の必要はなくなり、指先で空中に七十五声の文字を書けば相手に通じるようになる」(『霊界物語』一五巻二一章「帰顕」)と予言している。文字が言語を発する時代になるというのだが、当時は荒唐無稽に思われていたことでも、今では不可能な夢ではなくなった。だんだん思っていることがそのまま現実化していこう。
何かのことでワープロが使えなくなれば、再ぴ鉛筆でのろのろと執筆できるだろうかと不安だ。中毒のようなもので、ワープロを捨てられそうもない。
人間の生活面は技術の開発によって欲求が限りなくエスカレート、物が充ちあふれ格段の進歩を遂げたかに見えるが、根の部分はさほど変わっていない。それよりも、技術によって生み出されたものが生物すべてに有害だと気づいても、それを根絶することの方がより困難になってきた。たとえば公害の最たるもの、もともとあってなんら益のない核兵器の廃棄自体、さらに強力な兵器を発明するより至難であろう。悪と悟ってソク改めるだけの英知と決断が、もはや人類には残されていないのか。
既成宗教 科学の斧に頭より わらるる時の せまり来にけり
目に皺を 寄せて吐息をつきながら 悟らんとする人のおかしさ
capelaurig
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神宮外苑の再開に伴う樹木の伐採に反対する声を聞きながら、これを支える理念としては民主主義でいいのだが、それはあまり機能しないと思った。誰がその主体なのだろうと思った。地域住民がその主体であるが、それが主体になる一つとして自治ということは興味深い提起だと思う。地域住民の自治というのは古びた言葉かもしれないが、考え直してみていい言葉だと思う。
capelaurig
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宮崎県の幸島に群棲するニホン猿のうち、賢く若い一匹の猿がある日、ふと芋を海水で洗って食べた。翌日は別の若い猿がまねる。旧習依然たる老い猿たちを除き、次つぎ芋洗いを真似る若猿たちが増え続け、その習慣が定着するのに六年かかった。ところがある朝、最後の若猿・・・百匹目だったとして・・・が芋を洗った時から、突如変化がおこった。頑固保守猿たちが何思ったか、いっせいに芋洗い猿に変身したのだ。驚いたことに、まったく交流のない別の島々にいる猿の群までいっせいに芋を海水で洗って食べる習慣を持ち始めた。
この現象をどう理解すればいいのか。まったく飛躍的な情報が、一つの「種」のみに共通する「目に見えない場」を通じ、空間を超えて伝達、発現したのではないかという考え方がある。一九八一年、レパート・シェルドレイクは、この「目に見えない場」を「形態形成場」と名づけたが、それを「霊界」と呼ぴかえてもさしつかえあるまい。
一度目ざめた猿の知恵は次から次へと新しい局面を切り開き、現在ではタコ狩りを覚えるまでに至った。しかも、明らかに調理技術を身につけている。海辺の岩角にとりたてのタコをこすりつけ、すり跡に海水の塩味をしみこませる高等手法を編み出してしまったのだ。向島の猿族はこうした知的な営みに喜々としてたわむれ、今後どこまで発展するのか注目を集めている。それがまた、形態形成場を通じて、別のサル群にどう波及してゆくか、興味ある問題である。
capelaurig
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「中国はこの世のカオスである。中国に一つだけ確かなことは、誰にも明日の姿を予測できないことだ」という中国の作家の余華の言葉を近藤大介は『不思議な中国』中で紹介している。確かに、中国のことはよくわからない。そう思わせられることは多い。分らなさが不安感、ひいては恐怖感になると危険である。それを国家権力は利用するからだ。分からなさが恐怖の共同性になると戦争の要因になる。そんなこともあって中国脅威論に囚われたくも、組みしたくもないと思っている。だから、中国の分からなさを解消したいと思っている。特にウクライナ戦争が始まってからはそうだ。
capelaurig
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人間の場合、「百匹目の猿」のような飛躍的現象は、言語の使用などによって促進され、それこそ無数に存在する。人類の進歩は飛躍によってもたらされてきた。新しい発明が社会に普及したり、明治維新、ロシア革命などの現象もそうである。飛躍は必ずしも良い方向へ向うとは限らぬ。ファッシズムの拾頭と民衆への波及、兵器の発明とその拡大などといった好ましくない飛躍もある。
いずれの場合でもその先駆者は少数から始まり、ある程度の数に達した時に飛躍が生まれる。少数にとどまったまま飛躍にいたらず、途中で消えてしまったものも数多い。弁証法でいう「量から質への転化」はそのことを意味する。
艮の金神は「このままでいくと世界の大峠がきて、人民が三分になるぞよ」と警告した。第一次、第二次世界大戦で人類は幾つかの峠を越えたが、まだ地球を傾けるほどの「大峠」は越えていない。早く人類が意識を変革せぬ限り、それはくる。
出口直に憑かる艮の金神は三千世界の立替え立直しを叫び、人民が改心せねば「三分になるぞよ」 と予言する。その「立替え立直し」も、ある質的大変換が引き金になるであろう。
キリスト教の中には、最後の審判で神に救われる者以外は絶滅すると信じている宗派もある。人類滅亡のノストラダムスの予言など、人類の未来に絶望的な予言は数多いが、王仁三郎の考えは決して悲観的なものではない。
capelaurig
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鄧小平は文革後に毛沢東の独裁的な政治支配(個人崇拝的)な政治を修正するために国家主席の任期を制限(二期10年)にし、集団指導制を導入した。江沢民、胡錦涛と続いた政権はこれに従ったのだが、習近平はこの不分律の任期制を変え、国家主席の任期の制限を撤廃した。彼は鄧小平の毛沢東の政治の修正を再修正しているのである。
capelaurig
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「キリストは、『最後の審判をなすために再臨する』といったが、彼の最後の審判というのは、火の洗礼を施すということだ。彼は火の洗礼を施そうとして、その偉業が中途で挫折したため、再び来たって火の洗礼を完成させようと欲した」といい、火の洗礼とは人間を霊的に救済することだとしている(『水鏡』「霊界物語は最後の審判書なり」)。
そして「最後の審判は、閻魔大王が罪人を審くと同様なる形式において行わるると、考えている人が多いようだが、それは違う。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの標準を示されるこ
とである。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念のいかんによるのである。標準とは何か、霊界物語によって示されつつある神示そのものである。ゆえに最後の審判は、大正十年十月(霊界物語の口述を指す)より、すでに聞かれているのである」としている(『水鏡』「霊界物語は最後の審判書なり」)。
王仁三郎によれば、予言とは、「予め言う」予言ばかりではなく、「神が言を預かる」預言の意を含む。神は出口直の口を通して警告したが、あとは時節がくるまで、神自身の吐いた言葉を神が預かる。もし人類がどうしても改心できねば、万策つきて返きねばならぬ。だがそれに気づいて目ざめれば、人類の未来は希望に輝く。
capelaurig
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capelaurig
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立替えを 他人のことと勿(な)思ひそ 立替するは己が身魂ぞ
ゆめの世に 夢を見るちょう人の世も 神の御声に醒めざるはなし
「三千世界一どに開く梅の花」と、艮の金神は初発に宣言した。一八九二年旧正月のことである。これについて、王仁三郎は解釈する。
「今日の物質文明と大本の精神文明との準備がととのったということであり、三千世界一どに開くというのは、縦からも横からも全部天にあるものいっさいを指して、それがいっさい、地にあるもの、
一度に開くということだ。今までにためてあったすべての経綸が、まず形の上から現われてくる」
確かに艮の金神が宣言した当時からみれば、加速度的に発展した物質文明、地球上の華やかな変化は目をみはるに十分だ。だが精神文明の方はどうか。むしろ後退し、蹴行的状態である。王仁三郎は、梅の花は神の教えだと示す。神の教えが一気に人類の目をきます時がくるということであろう。
碁の名人が素人相手に対局したとする。名人の打った捨て石が、進むにつれてどうなって、どう利くかということは、予測もつかなぃ。「名人ともあろうものが、ばかな石を打つものだ」ぐらいに思うこともあろう。だが振り返ってみると、その一石が決め手となることさえあるのだ。
神の経論は近視眼的な我々には理解できなくてあたり前、完全な理想世界を築くには、政治も、経済も、宗教も、芸術も、形あるものないものすべてが必要であり、わけても科学は大きな役割をになうであろう。
capelaurig
が
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習近平には毛沢東への回帰と言っても、その理念的なところがはっきりしない。そういう分からなさがある。権威としても毛沢東を受け継ぎたいということであればよくわかるのだが、これは毛沢東が革命運動の中で得たもので習近平には不可能であるように推察される。
習近平は毛沢東流の権力論を受け継いでいるらしいとは推察されるが、その権力観はよくわからないところがある。これはプーチンの場合もいえたが国家観というか、政治権力観が分かりづらいのだ。プーチンも習近平も国家主義者だといえば幾分かはわかるのだが。毛沢東の専制的で独裁的な権力者としての振る舞いは認識されていて、習近平がそれを受け継いでいると思われている。一般化していえば毛沢東が独裁的で専制的な権力者として君臨したことには二つの根底があるように考察されている。その一つは中国的な専制権力を受け継いだとみられていることだ。もうひとつはマルクス主義の権力観(レーニンの権力観、プロレタリア独裁論)を保持し、実践してきたということだ。この二つは権力者としても毛沢東の像であるように思う。
capelaurig
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宇宙中継のおかげで、世界の人が一度に梅の花の聞くのを見ることも夢ではなくなった。今後の社会は物質から情報へ、情報から霊的なものへと質的変化をめざし、両方併存しつつ、霊的側面が優勢になることが望ましい。
いま目まぐるしく進むこの情報社会でこそ、梅の花、教えがパッと一度に咲きにおう時期がくる。その霊的変革によってのみ、三千世界は破滅から救われる。ある時期は速度を早めながら、破滅か光明かの選択を人類にきびしく迫りつつ、最後の百匹目へと確実に進みつつある。
みな人の 眠りにつける真夜中に 醒めよと来なく山ほととぎす
梅の花 一度に開く時来ぬと 叫ぴ給いし御祖畏(みおやかしこ)し
capelaurig
が
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初期の毛沢東がマルクス主義の受容を通して独裁権力を肯定する権力観を持ち、それが今日の習近平の権力観にも引き継がれているとして批判的に析出している。革命の過程で革命理論として機能したのか、どうかという点では疑問というか、違った考えを持っている。この階級独裁論は革命の過程では機能せず、革命成立後、初めて機能したのであり、文革を含めた混乱を結果させたのだと考えている。毛沢東は中国共産党の設立とそこへの参加以前は自治による革命(民主主義革命)を目指し、ロシア革命流の革命論(暴力革命、階級独裁論-プロレタリア独裁論)に否定的だったという指摘がある。民主主義者、民主主義革命者としての毛沢東との析出は革命家としての毛沢東にどのように影響し続けたのか興味深かった。
capelaurig
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人はこの世に生まれるなり、矢が弓を離れるように墓場に向って一直線につき進む、それが人生というもの。死に対する限り、我々もまた死刑囚とさして変わらぬ。生まれながらにして大自然から死刑を宣告されているのと同然で、ただ死ぬ時期と方法が彼らよりもっと漠然としているに過ぎない。
人により死刑台の高さはまちまちでも一年の時の経過はそれを一段上がるのと同じこと。なのに正月がくれば「おめでとう」、誕生日がくれば「おめでとう」という。何がめでたかろう。一休禅師の歌に「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とある通りだ。
死は金持、貧乏人を間わず、例外なく訪れる。まだまだ若いから関係ないと安心することもできない。飛行機が落ちれば、老いも若きも一蓮托生だ。病気などのように前ぶれのある時もあるが、足元から鳥が立つように突然に襲ってくることもある。人間は常に死に直面して生きている。エピクロスはいう。
「生涯を通じ、食うための手段をととのえることにあくせくしている人びとがある。われわれすべてにそそがれた誕生の薬は、また死への薬でもあったことを理解しないからだ」
「死以外のことに対してなら、身の安全を得ることもできよう。が死に関する限りわれわれ人間のすべてはいわば無防御の町に住んでいるのだ」
capelaurig
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農民社会であった中国の中での反権力、あるいは革命運動がマルクス主義の範形から外れた形で展開されてきたところを、中国革命の探索の中みたのだが、その辺は毛沢東の初期の学習にあるのではと思った。
毛沢東が中国共産党をコミンテルン支部として結成し、その理念や指導を受け入れながら、葛藤をしながら革命を進めたとみてきたことはよくしられる。当時の中国の革命家の多くはヨ―ロッパや日本の留学組であり、先進国の経験を中国に移入する形を取った。その多くは歴史と古い文明を持つ中国の反権力の歴史、農民社会の運動との落差というか、矛盾を内包するものだった。この時に毛沢東の取った対応は独特で、土着民の権力への抵抗運動を組織したと言われる。階級闘争と言ったところで先進国を範形としたうんどうは存在しない。そうした範形での運動は未発達に中での運動である。ここには革命の成功後の神話が加えられているのだとしても、それは事実だと認めてもいいところもある。その秘密は毛沢東が中国に歴史を研究したことにあり、それは先進国の理論や理念の学習に夢中で自国の歴史など見向きもしなかった留学帰りの革命家との違いだったように思う。
capelaurig
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いざとなれば、人間の生への執着はそのぐらい強い。ふだんはささほど思わぬのに、ちょっとどこかが痛み出すと、「あ、ひょっとすると癌? このまま死ぬかも・・・」などと怯(おび)える。ある高僧が癌の宣告を聞いて取り乱したという話も有名だ。
意識するしないにかかわらず、誰もが心の底に死への怯えを抱いている。それでいながら、さほど不安もなく生きていけるのは、主に二つの理由によろう。
一つは、「私に限って死はまだまだ先だ」という、誰もが持っている迷信だ。「目も歯も弱ったし、去年のギックリ腰以来どうも無理がきかん。だがまだまだしたいことが山ほどある。わしに限って、なかなかお迎えはこんぞ。かえってあんな元気そうに見える奴がポックリいくんじゃないか」などと、自分のことにはいやに楽観的だ。それにもう一つ、人間は明日への期待を作る名人だということ。
capelaurig
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特選
・地震学働いてるか能登地震 - 原子力ガリレオ
秀句
・キックバックピエロは踊る闇から闇へ - 海の民
・議員秘書罪をかぶって主安泰 - 乾草
・働くは社畜さんには誉れかな - 金狼と月
・誰がために働く反核反自民 - ふ64
・防災着花つけ働く岸田流 - 芒野
「判断」
特選
・テロ反対虐殺賛成恥を知れ - ふ64
秀句
・再稼働適正なのか志賀原発 - 原子力ガリレオ
・判断力無くしてナンボ与党達 - 金狼と月
・こっそりと被災地行かぬ判断す - 乾草
・毒まんじゅう判断ゆがめ原発震災 - 海の民
・特捜の権威地に落つ不起訴処分 - 芒野
capelaurig
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「日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるのや。所が、その神床が非常に汚れて塵埃が溜まっている。掃除をせねばならぬのだが、日本人自身にやらせると血で血を洗う騒ぎをくりかえすばかりで出来はせん。神様はマ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。つぎに座敷じゃ。世界の座敷は朝鮮と中国である。つぎに庭先の掃除が必要となってくる。世界の庭先とはソ連や米国にあたるのや」
ウクライナ戦争は、1988~1991年のソ連崩壊以降のさらなる分裂であり、2004年のオレンジ革命では、EUかエネルギー資源のロシアを取るかの闘争があり、2014年のユーロマイダン(尊厳・独立広場)革命後、ロシアはクリミア半島を編入した。
ロシア・中国は共に、共産主義を経験しており、長すぎた鎖国の江戸時代でボケてしまった日本は、いい加減な天皇制しかない。
大国(ロシアとアメリカ)の行方が世界に多大な影響を与える今日、形を変えた第三次世界大戦の様相を呈している。庭先の掃除、ソ連や米国にあたる。
capelaurig
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capelaurig
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「ひょっとすると、あの娘はおれに惚(ほ)れとるぞ。よし、明日はデートに誘ってみてやれ」とか。しかし待ちに待ったデートの時がきても、その楽しい現在は絶対につかめない。つかんだと思うと、過去という名でするすると逃げ出し、悲しい別れの時が迫ってくる。会うは別れの初めなのだ。
すばらしい肉体美の女性を妻にしても、その絶妙の曲線美は時々刻々と微妙に変化し、やがては梅干しなんとかという複雑な曲線美に変わる。絶世の美女といわれた小野小町でさえ、美しかった花が老いしなびてゆくのをみて「花の色は移りにけりないたずらに 我身世にふる眺めせしまに」と、自分の容色の衰えを嘆いているではないか。そして人間は、こまごました現実の欲求を果たすため、日々死の行程をあえぎあえぎ進む。
咲く花の 散りゆく見ればいとどなお 身のはかなさを偲ばるるかな
春の夜の 短き夢にも似たるかな 露の命の散るを思えば
秋風に 揺らるる萩の露のごと おちて消え行く人の玉の緒
花と匂い 玉と栄えし人の身の 消ゆるを見ればはかなかりけり
capelaurig
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政治革命を階級闘争のための革命に還元したことがある。資本家階級を打倒し、その復活を阻止するプロレタリア独裁権力というのは階級闘争論を絶対化し拡張したところから出てくるもので、本当は政治革命と社会革命の関係性を明らかにしてはいない。社会革命のためには政治権力を打倒し、獲得することが必要ということだが、社会革命のために政治革命はなぜ必要なのか、それはどのように関係するのか、何も明らかにしていない。これは政治革命と社会革命の関係での混乱を生みだすもとになった。
capelaurig
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だが王仁三郎は、「生、病、老、死、これを四苦といって、人生で一番苦しい。生まれる時の苦痛が一番ひどく、人はその苦しみによって自分の前生をすべて忘れてしまい、何もわからぬようになる。
次が病のくるしみ。これはたいていの人が大か小か味あわないものは少ない。次が年をとってゆく苦しみ、だんだん苦痛が軽く、死が一番、苦痛が小さい」(『水鏡』「四苦」)と語る。
一般に苦痛の度を反対に考えているが、もし王仁三郎の言が事実ならば、一番の苦痛は誰しも通り過ぎてきたことになる。だからといってそれはほんの気休めにすぎない。ふと我に帰った場合、生まれてから心臓が停止するまで、それだけが人生かと思えば、こんなむなしいものはない。しかし霊魂の命は尽きることなく、生まれてくる前に前世という生があり、死んでからも死後の世界という永遠の生があると知れば、人生の考え方がまるで違ってくるはずである。
死後の世界を信じず平気で生きている人のなんと多いことよ。宗教家にも霊界の存在を信じていない人は少なくない。それでいながら、葬式を待って人の死で食っている。
capelaurig
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革命後の権力とその展開としてこれはあつたのだと思う。文化大革命はその典型だったと思う。文化大革命は毛沢東の仕掛けた権力闘争(権力獲得のための闘争)といわれるが、それだけでは何かが不足していると思う。
capelaurig
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神や霊界の存在を信じて、人生にどんな無駄があるだろう。それを信じることで人生に本当の生甲斐を見つけられればこんなすばらしいことはない。
パスカルは「神は存在するという表の側をとって、その得失を計ってみよう。二つの場合を見積ってみよう。もし君が勝てば、君はすべてを得る。もし君が負けても、君は何も失いはしない。神は存在するという側に賭けたまえ」と述べる。賭けるのはいいが、正しい霊界の知識に欠けると邪悪な宗教もはびこり、それに迷わされて大火傷する。だからこそ、信じるにしても、神や霊界についての正しい判断力を身につけておく必要がある。
世の中に 死後の世界を知らぬほど 寂しきものはあらじと思う
人生に おける一大問題は 死後の世界の有無にかかわる
何時までも 魂の命はあるものを 消ゆるといいし醜(しこ)のものしり
あめ地に 神なきものとほこりつつ まさかのときに手を合す曲(まが)
生前に 死後の備えのなき人は 死期せまるとき無限の悔あり
人間は この世を去ればそれぎりと 思へる人の驚く霊界
霊界に 至りて人は驚かん 依然と命の続けるを見て
おおかたの 人のあわれは死してのち 天国あるを悟らぬことなり
はかなさは 人の命としりながら いのちの神を世人知らずも
人の世の 悲哀の際(きわ)み待ちくらす 醜僧侶のこころきたなき
み仏の 法を伝うる道忘れ さかしまごとを待つ坊主かな
capelaurig
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革命後の中国はプロレタリア独裁国家に向かったのはいいが、それは混乱を結果するしかなかった。それは毛沢東には自己の権力の存続に不安を抱かせたと思う。この不安は走資派の復活とそれとの階級闘争の継続というように考えられたのだ。毛沢東が幻想としてみたのが走資派だった。それは彼のプロレタリア独裁論が生み出したものでもあった。
毛沢東の初期段階でマルクス主義の受容とそこでの権力観(階級独裁論)を析出している。そこに中国の独裁的で専制的な権力の原点を見出している。習近平はそれを革命の継承として受け継いでいるだけではなく、毛沢東の再来を目指すとしていてその姿が露呈してきているように見える。こういう中で毛沢東の原点を探索するのは興味深いことだ。この探索は中国の権力を考える多くのヒントが散見している。
capelaurig
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