668年に高句麗が滅びた後、698年にその後継を自称する国が誕生しました。渤海(ぼっかい)国です。この国は旧敵の新羅や唐に対抗するため日本との修好を図ります。727年に日本に向けて派遣された大使・高仁義以下24人の一行は道に迷って蝦夷(えみし)の地に漂着し、大使を含む16人が殺されてしまいます。生き残った高斉徳以下8人が奈良の都に入り、聖武天皇に拝謁します。
高斉徳が持参した国書で、渤海の武王は自分の国について「高句麗の領土を回復し、扶余の遺俗を守る」と説明しています。渤海が滅びるまで200年以上に亘って日本との友好的な関係は続きました。
20世紀に日本の関東軍が満州国を建てた時、渤海の歴史が思い出された時期がありました。戦後は再び忘却されますが、また復活することもあるかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
高斉徳が持参した国書で、渤海の武王は自分の国について「高句麗の領土を回復し、扶余の遺俗を守る」と説明しています。渤海が滅びるまで200年以上に亘って日本との友好的な関係は続きました。
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テーマ:憲法の中の天皇 国民主権と象徴天皇
問題提起:9条改憲阻止の会
日時:11月27日(水)午後6時半から8時半まで(午後6時開場)
会場:アカデミー文京・学習室(文京シビックセンター地下1階)
9条改憲阻止の会は、9回にわたり憲法連続討論会を開き、「安倍改憲案」の問題点を明らかにしてきました。改憲案の根本的批判をするときには自らの憲法観や憲法論が問われているという強い思いを抱きました。「護憲」の立場をとるにしても「憲法」そのものについての認識が問われます。
日本国憲法は、基本的人権の尊重、国民主権、永久平和主義の3つを基本に成り立っているとされています。しかし憲法の第1条から8条までは、天皇についての条文が並びます。それはなぜなのか。誰でも疑問に思うことではないでしょうか。多くの人々は憲法が施行されるまでの過程で、憲法で「天皇」についてどのように扱うのか国際的な議論が行われ、政治的なかけひきの末に現在のような条文になったことを知っています。
国民主権のもとで憲法上「天皇」はどうあるべきか、論じられたことは少ないと思います。平成から令和への天皇の代替わりで儀式やパレードに注目が集まっています。
日本国憲法が施行されてからこれまで「憲法における天皇」についての議論は避けられてきました。「生前退位」が行われ、「女性天皇」についての議論が行われはじめている現在、「国民主権と天皇」の問題を議論しておくことが、知らない間に「天皇主権」に近づくことを防ぐことにつながると考えます。
capelaurig
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ケイさんは首相の後援会員である山口県内の知人から招待されたという。「安倍さんのファンだったので本当に光栄だった」。東京・紀尾井町のホテルニューオータニでの前夜祭で20分間で6曲程度を歌った。出演料はゼロだったという。
参加者は数百人規模と映った。「すごい雰囲気だった。50〜70代の立派な人が多かった。若い人も結構いた」。後援会側からもらった資料は「17時30分 事務所スタッフ集合」などと書かれ、首相の事務所スタッフが携わっていたという。
翌日の桜を見る会にも、同ホテルから首相の後援会員たちとともにバスで向かい、首相夫妻と記念撮影したという。来年の中止について「残念。予算などを見直しながら続けてもらいたかった」と語った。
また、今年の桜を見る会と前夜祭に参加したという下関市議も中国新聞の取材に「前夜祭の会場前の受付には安倍首相の事務所のスタッフがいた」と証言。ただ会費の5千円については「お金を渡したのは顔も知らない人だった。ホテルの従業員かどうかは分からない」と語った。
capelaurig
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