奈良時代に始まった日本と渤海の交流は平安時代の前期まで続きますが、926年に契丹が渤海を滅ぼしたことで終止符が打たれました。契丹は渤海の故地に「東丹国」という属国を作りました。戦前の日本が満州国を作り、アメリカが戦後の日本を作ったようなものです。
渤海が滅ぼされた3年後の929年、東丹国の使者が丹後国(京都府京丹後市)に到着しました。大使は裴璆(はいきゅう)と言い、渤海の大使として2度来日していた人物でした。朝廷は藤原雅量を丹後に派遣して事情を尋ねました。雅量は裴大使と親交があり、裴大使は気を許したのか、渤海国が契丹に滅ぼされたことを伝えただけでなく、契丹の残虐非道ぶりをも訴えました。朝廷は「二君に仕えたばかりか、新しい主人の悪口まで言うとは不義不忠である」として使者を追い返しました。
藤原雅量は裴大使に同情し、後に彼を回想した漢詩を残しています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
渤海が滅ぼされた3年後の929年、東丹国の使者が丹後国(京都府京丹後市)に到着しました。大使は裴璆(はいきゅう)と言い、渤海の大使として2度来日していた人物でした。朝廷は藤原雅量を丹後に派遣して事情を尋ねました。雅量は裴大使と親交があり、裴大使は気を許したのか、渤海国が契丹に滅ぼされたことを伝えただけでなく、契丹の残虐非道ぶりをも訴えました。朝廷は「二君に仕えたばかりか、新しい主人の悪口まで言うとは不義不忠である」として使者を追い返しました。
藤原雅量は裴大使に同情し、後に彼を回想した漢詩を残しています。
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コメント
コメント一覧 (8)
「敗戦時に内務大臣で、岸信介に近かった安倍源基は、A級戦犯容疑で一旦は逮捕されたものの…不起訴・釈放になった。初代の警視庁特高部長で、就任翌年(一九三三年)には、特高警察によって十九人が拷問死しているにもかかわらず…。戦後は…警察行政の中央集権的一元化実現に力を注ぎ、旧内務官僚出身者を中心とする自民党右派…で活躍」
「Eテレ」で「治安維持法十万人の記録、自由はこうして奪われた」という番組が流れていた。
大本の弾圧には触れていなかったが、気になる発言が放送されていた。現在においても政府が治安維持法の正当性を保持し続けていることである。
番組で、平成二十九年六月の衆議院法務委員会での金田勝年法務大臣の答弁が流された。金田氏は「治安維持法は当時適法に制定され、拘禁拘留は適法」との認識を示していた。では、判決で治安維持法が無罪となっても、同法による拘留で信者十人あまりが拷問死したことは、適法な中でのことであったということなのだろうか…、それはおかしい。
capelaurig
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特選
・ウソで明けウソで逃げ切るアベ日本 - 芒野
秀句
・坐り込み今年もめげず脱原発 - 落葉
・秋元でカジノぶっ飛ぶIR - 柚子こ
・モリカケにサクラ悪事のこの1年 - 草地
・経産省テントひろばで川柳会 - 原子力ガリレオ
・脱原発めざす同志は天国へ - 乾草
「勇気」
特選
・権力に抗う勇気もて#We Too - 草地
秀句
・悪い指示断わる勇気に栄誉賞 - 水蓮仏
・坐り込み「勇気」も大事脱原発 - 落葉
・官僚よ裸の王にNO!と言え - 芒野
・脱原発内なる勇気出してみよ - 原子力ガリレオ
・声を出す勇気の見本グレタさん - 乾草
capelaurig
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今井氏は加計学園問題について質問し、萩生田光一文部科学相の関与をうかがわせる文書を示し「文科省の方が書いた文書か」と追及した。今井氏によると、首相は「あなたが(文書を)作ったんじゃないの」とやじを飛ばした。発言に関して「誰が書いたか分からないということを申し上げた」と説明している。苦しい釈明だ。
世耕弘成自民党参院幹事長は首相のやじについて「謙虚で丁寧な姿勢でしっかりと答弁してほしい。常にカメラの向こうには国民の目があると意識することが重要だ」と指摘した。
首相は8日にも参院予算委員会で質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏に「共産党」とやじを飛ばした。またも相手を指さしながらだ。品格、見識がみじんも感じられない。
首相は過去にも国会で何度も感情をむき出しにしたり、やじや不規則発言をしたりして審議を紛糾させた。発言撤回や謝罪に追い込まれたこともある。にもかかわらずその姿勢は改まらない。常習性があると言ってもいい。
capelaurig
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首相の動向を追う「首相番」記者は官邸を出入りする官僚や議員らを日々確認している。首相や官房長官と会うのか。何を話したのか。首相に面会した場合は時刻と名前を記録する。朝日新聞の記事データベースをもとに首相動静の7年間を分析した。
目立つのは外交や安全保障に関連する人物との面会だ。26日午後も秋葉剛男・外務事務次官、高橋憲一・防衛事務次官らと面会した。
外務省の事務次官との面会を集計すると今年は12月25日までに159回にのぼった。首相は外交については直接報告を受け、指示を出していると言える。一方、内閣府や財務省の事務次官らの面会は年間20~30回ほど。総務省や文部科学省などのように1年に数回という省庁もある。官邸幹部は「首相は外交安保に専念して、内政は基本的に官房長官や各閣僚に任せている」と話す。
2006年から約1年間続いた第1次政権との「変化」も見えた。外務次官の場合、第1次政権で面会したのは40回。自衛隊の制服組トップ、統合幕僚長の場合は第1次政権ではゼロ。ところが、第2次政権では15年35回、17年64回を記録。外交や安全保障により力を入れるようになった様子がうかがえる。
capelaurig
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