『銀河鉄道999』のヒロイン、メーテルの名前の由来は『青い鳥』で有名なモーリス・メーテルリンクとされています。他の説明としてギリシャ語で「母」を意味する「メーテール」とも言われています。
ただ、1953年のミス・ユニバース(このとき日本の伊東絹子が3位になった)で優勝したフランスのクリスティアン・マルテルの姓もメーテルに似ています。英語の表記ではMaetel(メーテル)とMartel(マーテル)で一字違いになります。
同じ松本零士の『新竹取物語1000年女王』のヒロイン、ラー・アンドロメダ・プロメシュームはメーテルの母とされ、地球での名前は雪野弥生ですが、1960年のミス・ユニバース・ジャパンは古野弥生です。雪野弥生の名前の由来は特に説明がありません。彼女らの名前が松本零士の無意識に影響した可能性はありそうです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
ただ、1953年のミス・ユニバース(このとき日本の伊東絹子が3位になった)で優勝したフランスのクリスティアン・マルテルの姓もメーテルに似ています。英語の表記ではMaetel(メーテル)とMartel(マーテル)で一字違いになります。
同じ松本零士の『新竹取物語1000年女王』のヒロイン、ラー・アンドロメダ・プロメシュームはメーテルの母とされ、地球での名前は雪野弥生ですが、1960年のミス・ユニバース・ジャパンは古野弥生です。雪野弥生の名前の由来は特に説明がありません。彼女らの名前が松本零士の無意識に影響した可能性はありそうです。
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コメント一覧 (24)
「伏見の水で磨きをかけたせいか、えらい垢抜けしてのう、亀岡へ行ったおふやん(次女ふさ)も別嬪やったが、まだ一段と上や。気立てはよし、働き者やし、お前の嬶には過ぎたもんやがのう」
「え、誰と……」
「何を聞いとるのや。上田吉松の娘お世祢はんとやがな」
梅吉はべそをかいたような顔になった。首筋までかっと熱くなった。鄙にはまれな、といっていい末娘世祢の美しさは、主人に聞かされるまでもなく知っている。二年前、伏見へ去った時、無念がる村の若い衆も多かった。梅吉もその一人だった。
須賀は梅吉が不服とみたのか、突っけんどんな口調になった。
「お宇能はんに頼まれて、お前の気持ちを聞いてみたんやけど、別に無理にとは言いまへんで。あの娘なら、婿のなり手はなんぼでもあるさけ……」
なぜ長女の賀るをおいて三女の世祢に婿をとるのか、そんな疑念など湧くひまがなかった。梅吉はあわてて首を横にふり、口ごもり、今度は縦に幾度もうなずいていた。
佐野梅吉二十六歳。この穴太の地から三里北の川辺村字船岡、紺屋の次男坊である。兄弟八人、それぞれに身を固めるが、梅吉に限って十三の年に八木の角屋という醤油屋に丁稚にやられた。幼い頃からの癇癪もちで、すぐ前後の見さかいもなく喧嘩をする。懲戒の意味があった。だが角屋の主人は、梅吉の正直さ、律儀さを買って目をかけてくれた。時にはこらえようもなく癇癪がつのって朋輩と喧嘩することもあったが、まず大過なく十年の年期を勤め上げた。
この斉藤家に奉公してからは二年、牛小屋の二階での一人暮らしであったが、そろそろ妻のほしい年であった。
農閑期のうちにという理由で、挙式はむやみにいそがれた。年が明けて間なしであった。斉藤庄兵衛と妻女須賀が媒酌人となって、ひっそりと盃を交した。何故か重苦しい。
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王仁三郎:芋というのは、土の中で子供を殖やすものです。土の上に出ている葉は何時でも頭を下げて謙遜している。人に教えを説き模範にならねばならぬ幹部達に、芋にあやかり、人知れず徳を積み、施して行くという意味です。
裁判長:しかし芋をやる時、他の者に喰わせず一人で喰べよと言ったようだが。
王仁三郎:古語では、妻は吾妹(わがいも)と言います。自分の女房を人に喰わしたらいかんと、一寸しゃれたわけです。
ところが二審で王仁三郎は<一審で申したのはでたらめ、日本では、神様の祭りのあとの直会でお供物を分けて頂くのは昔からの習慣で、特別の意味はない。一審の裁判長はアナイでも言うてあげんと納得ゆかん人です。>と答えた。
断罪の決め手となる結社の組織が、リンゴ・大根・芋の持つ意味如何にかかるという、おかしな展開で
一審では政策的にこじつけて有罪とした。権力裁判の不見識を象徴している。
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花嫁は始終うつむいて、婿殿を見ようともせぬ。上の姉に気がねしとんのやろと梅吉は思った。
田舎の野放図もなく飲み明かす披露宴のなかばで、花嫁は宇能に手をとられて幾度か席をたった。足もともおぼつかぬほど緊張しきっているのか、世祢の頬は蒼ざめ苦しげにさえ見えた。
新婚生活という甘い雰囲気は、小百姓にははじめから望めない。長七畳・長八畳の二間に、義父母・義姉が雑居した。妻は従順であった。いじらしいばかり気を使う様子が察しられた。けれどどこかに距離を保っていた。日が浅いのだからと梅吉は思い直すが、世祢の身にまつわる孤独な淋しい陰は、日がたっても薄れない。
義父は婿を得て気がゆるんだのか、枕につくことが多くなった。一家の責任はすべて梅吉の肩にのしかかった。上田家は俺が再興してみせると、梅吉は気おい立った。
穴太では、上田・松本・斎藤・小島・丸山の五つの姓を御苗(五苗)といい、顔のよい家柄とされた。御苗以外の家柄を〝平〟と蔑視した。上田姓はさらに北上田・南上田・平上田にわかれる。梅吉のついだ上田家は、北上田であった。
上田家は藤原治郎左衛門正一を中興の祖とし、村の伝承によると、文明年間(一四六九~八七)に大和から落ちて来たとされる。正好・正忠・正武・為正・正輔・正安以上七世は、みな藤原治郎左衛門と称した。正安の代まで、西山の麓高屋という地に高殿を建て、高屋長者といわれて百余年住み、その後は愛宕山(穴太にあり、京都の愛宕山とは別)の小丘に砦をかまえこの一帯を領していたが、明智光秀のために没収されたという。
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上田家の産土である小幡神社所蔵の文書によると、「一巴上田、二巴斎藤、三巴藤原」と家紋のとり決めがされていたが、北上田系の家紋は藤原にちなんで三巴である。 宇能が上田家に嫁入った頃は、家から隣村の天川まで他人の土地を踏まずに行けたという。学者の家に生まれ、女性としては珍しい教養の持主である宇能を吉松が妻にし得たのも、上田家には、それに見あう家柄と財産があったからだ。それを吉松一代で見事に無にし、百五十三坪の宅地と破れ家、買い手のつかぬ三十二坪の悪田一枚残すのみとなった。
酒は飲まぬ。煙草はすわぬ。神経質なぐらい清潔好き、その上、正直で勤勉な吉松である。それでいて一家を貧困に追いやったのは、博奕好きという性癖に起因した。二六時中、賽をはなしたことがない。吉松は農事のひまを一刻も無駄にせず相手を探しては丁半、丁半。夜ふけてもやめぬ。相手がくたびれて眠りこけ、行燈と二人になっても丁半、丁半。強くない証拠に、昨日は一枚の田がとび、今日は一山が移転する。
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「心配すなや。お天道さまは空とぶ鳥さえ食わしとってや。魚や獣は明日のたくわえしとらんが、別に餓えて死にもせん。人間かて餓えて死ぬのは千人のうち何人、あとは食い過ぎて死ぬ。人間、四日や五日食わんでも死なんよう、あんじょうできとる。気楽なもんや」
「……」
「好きばかりでわしが博奕打っとんにゃないで。孫子のためにしょうがなしにや。上田家はこれまで、小作人らの働きで栄耀栄華に暮らしてきた。それだけに罪も深く、たくさんの人の怨みがこびりついとる。わしは先祖代々の深い罪障をとりに生まれてきた。大木はいったん幹から伐らんと良い芽が吹かん。上田家も一度は家屋敷まですっかりなくさんなん」
「それはあんたはんのお考えですか」
「いんや、産土の神さんのお告げや。博奕をなまけると、覿面に神さんが夢枕に立ってのう、ごつう怒ってんじゃ。そのかわり、わしの孫の代になってみい、きっと世界の幸福者になるわい」
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具視は孝明天皇を自分のお稚児としていた。孝明は岩倉に逆らえなかった。まあ男同士の愛。そして岩倉具視がそれ以上に愛したのが和宮親子内親王。そして東征大総督をかってでてまで幕府と政府軍の内戦を避けようとした熾仁親王。その真意は。愛し抜いた和宮を江戸の戦火から救い出すことなのだ。西郷隆盛を参謀として。しかしその心も知らずか、寅之祐、伊藤、岩倉らは和宮を切って捨てた。その傷心の熾仁親王の目の前に現れたのは、母かなの郷里の女、上田世祢、後の王仁三郎の母親であった。世祢は子供を宿していた。和宮との悲恋に次ぐ、世祢との悲恋の物語が始まる。熾仁親王は明治維新の責任をとって、1895年東京品川御殿で切腹する。
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メシヤの再臨は世界の九分九厘に成つて、此エルサレムの橄欖山上に出現されることと確信いたして居ります。既にメシヤは高砂島の桶伏山麓に再誕されて居りますよ。再誕と再臨とは少しく意義が違ひますからなア』
『救世主が最早再誕されたと仰有るのですか。大聖主メシヤたる可き神格者には九箇の大資格が必要ですが、左様な神格者は容易に得られますまい。先づ第一に、
一、大聖主は世界人類の教育者たること
二、其教義は世界的にして人類に教化を齎すもの成ること
三、其智識は後天的のものに非ずして自湧的にして自在なる可きこと
四、彼は所在賢哲の疑問に明答を与へ、世界の所在問題を決定し、而して迫害と苦痛を甘受す可きものなること
五、彼は歓喜の給与者にして、幸福の王国の報導者なる可きこと
六、彼の智識は無窮にして、理解し得べきものなる可きこと
七、其言説は徹底し、其威力は最悪なる敵をも折伏するに足るの人格者なる可きこと
八、悲しみと厄難は、以て彼を悩ますに足らず、その勇気と裁断は神明の如く、而して彼は日々に堅実を加へ、熱烈の度を増可きこと
九、彼は世界共通の文明の完成者、所在宗教の統一者にして、世界平和の確定と世界人類の最も崇高卓絶したる道徳の体現をなす可き人格を有すること 以上
ではその要件を満たす者は誰かということの質問を多くの人に聞かれているのです。救世主とは世界を救うために天から地へおりてきた人なのです。そして救世主であるからには必ず証拠を求められます。男女どちらでもいいと思いますが。
それに対して霊界物語64巻上の中で高砂島から来たブラバーザは救世主は再臨しているとし、話を続ける。
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バハーウラーは襟を正し、さも謹厳な態度で、ブラバーサの談話を耳を傾けて聞き初めた。
『私のメシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に諸種の準備を整へて居られます。そして其名はウヅンバラ・チヤンダーと謂つて、実に慈悲博愛の権化とも称すべき神格者です。世界人類に対して、必須の教育を最も平易に懇切に、施し玉ひつつあるのです。故に宗教家も教育家も、政治家も、経済学者も、天地文学者も軍人も職工も農夫も皆訪ね来つてそれ相応の教を受け、歓んでその机下に蝟集して居ます。如何なる難問にも当意即妙な答を与へられ、何れも満足して居ります。是が只今貴師の仰せられた第一の資格たる「大聖主は世界人類の教育者たるべきこと」の条項に匹敵するやうに思います。
『ツルク大聖主が伊都の御魂と顕はれ玉ふて、三千世界一度に開く梅の花の大獅子吼を遊ばしましたが、此御方は約りヨハネの再臨だと信じられて居られます。そして基督とも謂ふべき美都の御魂の神柱、ウヅンバラ・チヤンダーと云ふ聖主が現はれて、世界的の大教義を宣布し、凡ての人類に教化を与へたまひ、今や高砂島は言ふに及ばず、海外の諸国から各種の宗教団体の教主や代表者が、聖主を世界の救世主と仰いで参り、其教義の公明正大にして且つ公平無私なるに感化され、日に月に笈を負ふてその門下に集まつて来て居ります。今貴師の仰せになつた第二の大資格たる「その教義は世界的にして人類に教化を齎す可きものなること」の条項に合致するものでは有りますまいか』
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『我聖主ウヅンバラ・チヤンダー様は、小学校へ通ふこと僅かに三年で、しかも世界智識の宝庫とまで言はるる程の智識を有し玉ひ、天地万有一切の物に対して深遠なる理解を有し、三世を洞観し、天界地獄の由来より過去現在未来に渉りて、如何なる質問にも尠しも遅滞せず即答を与へ、且つ苦集滅道を説き道法礼節を開示し、泉の如く淆々として湧出するその智識には、如何なる反対者と雖も感服して居りますよ。天文に地文に、政治に宗教に、道徳に芸術に、医学に暦法に、詩歌に文筆に演説等、何れも自湧的に無限に其真を顕はし得ると云ふ稀代の神人であります。幼時より八ツ耳、神童又は地獄耳などの仇名を取つて居た方ですからなア。今も猶、神政成就の神策に関する神秘的神示を昼夜執筆されつつあります。世界各国の国語と雖も、未だ一度も学んだ事の無いお方が、凡ての国の言語が習はずして口から出て来るのですから、吾々はどうしても凡人だとは思ひませぬ。何人も聖主を指して生神だ生宮だと崇めて居りますよ。所謂貴師の仰せに成つた
「その智識は後天的のものに非ずして、自湧的なる可きこと」に合致するぢやありませぬか』
『ヘエー、何と不思議な方ですな。それこそ真正の大聖主メシヤですな』
『それから瑞の御魂の聖主は、あらゆる賢人哲人の疑問に対し、即答を与へて徹底的に満足せしめ、且つ世界に所在種々の大問題に対し決定を与へ、種々雑多の迫害と苦痛を甘受し、常に平然として心魂にも止めず、部下の罪科を一身に負担して泰然自若、日夜感謝の生涯を送つて居られるのです。如何なる迫害も苦痛も聖主に対しては、暴威を振ふ事は出来ないと見えます。是が第四の条件に匹敵せる大聖主の資格の一ではありますまいか』
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