澁澤龍彦は『時間のパラドックス』というエッセイで、次のように自問自答しています。
・・むしろ私がここでいいたいのは、わが国でも古代においては、その呪力を認められて、あれほど深い尊崇の対象となっていた宝石や玉が、どうして奈良時代以降、その加工技術も衰微して、急速に文化の歴史の表面から消えていったのだろうか、という素朴な疑問なのである。おそらく、それは時間の腐蝕作用に抵抗しようという、形而上学的志向に欠けるところがあったためにちがいあるまい。
・・たぶん、江戸時代の中ごろにいたって、ようやく物産学や本草学が勃興しはじめるようになるまで、彫刻や作庭の材料として以外、あるいは支那趣味の愛玩物として以外、鉱物としての石や玉への独立した関心は、日本人の心の中から、ほとんどまったく跡を絶ってしまっていたのではないだろうか。
なかなか面白い指摘です。勾玉は三種の神器に入っているのに、剣や鏡とは違う道をたどったようです。それでも関心は復活し、幸田露伴のように石を愛好する作家も出てきます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
・・むしろ私がここでいいたいのは、わが国でも古代においては、その呪力を認められて、あれほど深い尊崇の対象となっていた宝石や玉が、どうして奈良時代以降、その加工技術も衰微して、急速に文化の歴史の表面から消えていったのだろうか、という素朴な疑問なのである。おそらく、それは時間の腐蝕作用に抵抗しようという、形而上学的志向に欠けるところがあったためにちがいあるまい。
・・たぶん、江戸時代の中ごろにいたって、ようやく物産学や本草学が勃興しはじめるようになるまで、彫刻や作庭の材料として以外、あるいは支那趣味の愛玩物として以外、鉱物としての石や玉への独立した関心は、日本人の心の中から、ほとんどまったく跡を絶ってしまっていたのではないだろうか。
なかなか面白い指摘です。勾玉は三種の神器に入っているのに、剣や鏡とは違う道をたどったようです。それでも関心は復活し、幸田露伴のように石を愛好する作家も出てきます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (13)
capelaurig
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爾来じらい、我が国は神国として光輝ある国体を宣揚して来たのであるまするが、中世において仏教が伝来し我が国に非常な害毒を流しているのであります。
崇神天皇を蘇我の馬子が弑しいし奉たてまつるような大逆無道な事が起こりました。これは朝廷はじめ大臣連が仏教を信仰してしまって、我が国の皇祖皇宗の天津神、国津神を忘れるに到ったからであります。
現代においても、次第々々に国家が乱れ、赤化分子が暗躍を続ける有様ですが、これみな、国の守りである神々たちを忘れたる結果であることを証明しているのであります。
今日においても、国家に事ある時にお告げのあることは日支事変の際においてさえ、実証を挙げる事が出来、歴史の上から実に一点の疑いもないのであります。
先ずその一番手早い例を申し上げますならば、この皇道大本がかくの如き大きな団体になったのも神慮なんであります。出口さんが始めて私どもの所にお出でになったのは明治三十一年で、今年でちょうど三十六年目になります。
その時分に御努力をされて今ようやく御神力によって芽を出し、支那の紅卍字会などと連合し、国家の為、国際的にも色々重大な仕事をするようになりましたが、若い当時、出口さんが霊学や神道を研究されたのも、神様から知らず知らずにさされていたので、出口さんが神様に一心に仕えられたというほかはないのであります。
capelaurig
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出口 それから私のところに来て今後の世界、日本はどうなるというような事を聞かせという人があるけれども、霊界物語にすべてがわかるように、特に信仰してる人にはわかるように書いてある、日本はこれからどうなる。世界の動きはどうなるという事も、ちゃんと示してある。大正十年から示してあるのに、今日においても皆に分かっていない、早く次を出して下さいと言っている人もあるが、出す必要はない。みな食傷してしまっている。
物語には滑稽こっけい、諧謔かいぎゃくもあるけれども、それは一つの色をつけているのであって、そういうところにかえって余計書いてある。
読み方がまだまだ足らぬ。
物語は決して予言書ではない、確言書である。三十万年昔の事であるが、これから先、三年、五年のうちにそれがみんな出て来る。
今のうちにしっかり読んでおかぬと、まさかの時に役に立たない。
記者 鎮魂帰神はただ今お止やめになっていられますが、またいつかの時期に……
出口 あれはうるさいでネ…魂の研けた者で、よく解したものがやるのはいいが、そんなに研けた者はいない。そのくせ、やらすと邪霊がかかってさっぱりいけない。みな邪霊のかかりそうな顔ばっかりだ。
(出口氏ほか一同大笑)
本当や。……
記者 何か条件をつけて、ある程度のお許しを頂くといいのですが、修業者などがよく聞きたがっています
出口 条件をつけるにも、条件をつける資格がないやないか。
記者 霊界物語を拝読さして頂くのが鎮魂でないでしょうか?
出口 それはそうだけれど、まだ本当に霊界物語を解していないからいけない。もちっと研究会でも開いて勉強せねばいけない。
capelaurig
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心理学の実験で、被験者が暗室に入り、30分も経たない内に、怒り出します。本人は納得して入ったのに、何で閉じ込めたのかと。。
霊的体験に慣れていない人には無理のようです。
capelaurig
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出口 自分と相談してみればよくわかる、審神さにわの出来る者があると思うか? あの浅野氏[※]にしたって、悪霊がかかって来ると、一生懸命談判をやっている。朝から晩まででもウンウン言ってやっている。
そこへ私が行って「オイオイ先生エエカゲンにしたらどうや」と言うて背中を叩いてやると、おさまってしまう(笑声)古い信者は経験しているだろう。神懸りをやらすのは狂人きちがいに刃物を持たすようなものだ。
長沢 私の考えでは、学術というものは進歩変化のつきないもので、一貫した真理とは云えませぬ。大略は学理によって解決出来ますが、解釈の出来ないことがあります。それを幽冥の研究、或いはお示しにより、学理の疑問を解釈して行きます。
今日まで非常に苦しんだのは何であるかと申しますと、学理が実際と一致しない事でありましたが、最近では一致する事が多々あります。そうしますと人に説明するに学理の方がしよいものですから、学理の研究も一通りは必要であります。
出口 悪霊がかかって魂を犯されると自分が一番えらいもんになって来る。そうして団体を破壊してしまう。
あちらに大将、こちらにも大将が現れて、全く統一を失う、そこへ訳のわからん面白い事でもやり出すと、みんなグルになってやり出す。
相当な学問もあり、智識のある人と言っても、浅薄なものだ、何にしても、受け売りの学問は駄目だ。
capelaurig
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もっとも訳のわからんヤクザ神がかかって来た時には霊縛れいばくをかけるのですが、するとバタンバタンと苦しみます。それから何者かを訊ただします。
この時、審判する方に力がないと始末におえません。縛ると言っても霊の力で縛り上げるのですから、余程こちらに霊の力が要ります。また神様に御願いして悪神を退散して頂く場合もあります。御嶽教みたけきょうの神寄せにしても随分怪しげなものが多々あります。法華の神寄せにしてみましても、正神よりも邪神に使われている場合をよく見受けます。
これは祈っている者の心が清くない事を物語っているのですが、この神懸りの場合に正邪の分かれて来るのは何であるかと申しますと、その信仰であります。
仏道と神道の根本原理を極めてみますと、仏教というものは、釈迦のお経に出ている寂滅為楽じゃくめついらく是生滅法ぜしょうめっぽうを以て眼目としているのであります。
滅亡するを以て楽しみとするというのですから、神様の方の道と根本的に違って来ます。
神様の道では漂える国を造り固めなすというので、この地球を固めるに伊邪那岐命いざなぎのみことが夜見よみの国からお出でになった章などには、明らかに地球を完成するに苦心された事が示されてあります。
また天照大神は、青人草を恵みいつくしみ給わんがために、この地球をお造り下すったのです。
capelaurig
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人間同志は栄え楽しみをもってこそ、欲も起これば働きもする。それを仏教のように寂滅為楽なら死んでしまうより致し方がない。この一例として妻帯肉食を禁じていた事実があります。今日ではあまり励行もしていねば、そんな馬鹿げた真似はしていないようですが、これを以て仏の御胸にかなうものとしている事は、大きな誤りとせねばなりません。
この地球上にある生物が男女の交接を絶ったならばどうでしょう。百年を待たずして滅亡するの他ありません。正邪の判別はここにおいて厳然としています。
人間は天あめの益人ますびとと言って、どんどん繁栄して行かねばなりません。それを色々な規則を設けて絶やすようにするとしたならば、それは罪悪の二字を使用しなければ致し方ないではありませんか? 自然を破壊するような教えは根本的に誤っているのでありまして、かような信仰の下にする神懸りに正神の降る事は到底覚束おぼつかない事は当然であります。
capelaurig
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学問も 知性もいらぬ 二世議員 (S.T)
学問に 菅を拒否する 自由あり (柚っ子)
学閥を つくって学問 何を問う (落葉)
平和学 ひろめて欲しい 永田町 (乾草)
学問は 力の邪魔と 排除する (失名)
特選
できるのか 戦後の反省 学術会議 (原子力ガリレオ)
「水」の秀句
汚染水 処理水として 海洋放出 (原子力ガリレオ)
水清き 故郷の山は 汚染され (失名)
水道の 民営化たくらむ やからあり (乾草)
環境を 守る責任 水に流すな (ふ64)
生命皆 水あってこその 地球哉 (落葉)
特選
汚染水 放流するな 菅流せ (柚っ子)
capelaurig
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