新型コロナウィルスの話はどうなっているのでしょうか。何ともよく分からない状況が続いています。
マスクを着けている人はまだ多いですが、どうも緊張感が緩んできているように感じます。私の会社でも食事会の誘いが来て、正直びっくりしました。結局行きませんでしたが、人が集まるイベントも復活する傾向が出てきています。
ヨーロッパでの大流行もあり、とても東京オリンピックなど開催できるとは思えないのに、日本のマスメディアは北朝鮮並みの言論統制が敷かれているようです。菅政権になってから更に悪化していると感じられます。
私も家族の問題もあって少々疲れ気味ですが、今後も頑張り過ぎない程度に頑張っていこうと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
マスクを着けている人はまだ多いですが、どうも緊張感が緩んできているように感じます。私の会社でも食事会の誘いが来て、正直びっくりしました。結局行きませんでしたが、人が集まるイベントも復活する傾向が出てきています。
ヨーロッパでの大流行もあり、とても東京オリンピックなど開催できるとは思えないのに、日本のマスメディアは北朝鮮並みの言論統制が敷かれているようです。菅政権になってから更に悪化していると感じられます。
私も家族の問題もあって少々疲れ気味ですが、今後も頑張り過ぎない程度に頑張っていこうと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (16)
また、従って、あんな暑い国にフーフー言って苦しんでいるよりか、一層死んだ方が極楽だ。しかし印度ではそうであるが、日本では決してそうは行かない。
日本は四季の国だから、そんな死ぬよりか生きておった方がずっと楽しみだ。釈迦の寂滅為楽は印度の事であって、日本の事ではない。
坊主はこれをごっちゃにして有難がっている。
長沢 儒教でも仏教でも、その結果を見るとわかる。
印度の国は産物も多く発達していなければならないのに、あの通り英国に占領されてしまい、完全に滅びの歴史をなめ、戦争もせずに哀れな民族となっている。
また支那も戦争ばかり繰り返し、何ら国家としての治安なく、流浪の民族となってしまった。
更に仏教王国であるかのような支那、大満蒙もしかりであります。
この他、朝鮮、シャム等、仏教を信ずる国は滅亡し、仏教そのものも滅びを招くところであったが、ひとり日本に渡来して仏教は救われたようなものであります。
今日、仏教は宗教として何ら必要はなく、むしろ宗教としての価値はないのであります。ただ髑髏屋をやっているだけであって、これをやめると仏教は駄目なのであります。
また信者にしても釈迦の経典、キリスト教の新約聖書などを理解している人は少ないようです。
capelaurig
が
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御経がわからんから、そんな馬鹿な事が出来るのだ。出棺式と言っても、出棺式の御経でなく、死んだと言っても死んだ時の御経でない、兎に角、坊主は御経を知らんから有り難がっているのだ。わからないから阿保らしいと言うてやめると食えんからくっついている。
大本は純粋の皇道で、世界一家を建造する宗教である。頭に神が宿るのでありますが、仏教はそうではなく、時にのぞんで方便を使い、所によって違うように説かれています。
出口 今のうちはまるきり反対の教えでも、みな引き寄せておいて大きな力になったら、本当の皇道で仕事をする、ドイツのヒットラーにしてもだ、始めは全然反対の団体も結構々々と言うてよせて、あんな大きな党を結成した。
長沢 今日の世はまるきり何もかも一変して来ました。以前には皇道を唱えられないような時代もありました。
出口 皇道なんか唱えたら大正十年のように妙な眼を向けたもので、とても唱えられなかった。
capelaurig
が
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今度陸軍で皇道会というものを起こすそうですが、皇道主義は神様の事を充分腹に入れておらねば、皇道という事はわかるものではありません。皇道主義にとって神の一字は皇道の一大原素となって来なければなりません。
日本の皇室の万世一系は何であるか。邇々岐尊ににぎのみことが御降りの時、天照大神の御神勅によることはいうまでもありませんが、神の存在を否定して万世一系は解釈することは出来ないのであります。
それから仏教では生物が土から生えたように人も土から出たのだと言っています。
須弥仙しゅみせんという山があって太陽がその山にかくれた時に夜が来、山から出た時に昼となると言っている。しかし世界のどこをさがしてもそれにあてはまるような山はありはしない。
それからキリスト教では天帝が地球を造るのに六日間で造り、やれやれというので一日休んだのが日曜日で、それが今日まで残って七日目に日曜が一日あって休むと言っております。
capelaurig
が
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10代 スポーツ
20代 創造
30代 実務
40代 営業
50代 管理
60代 経営
70代 宗教
80代 終活
90代 ボケ ですかね?
capelaurig
が
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「神の直系の尊い御子」と、これは神の直系としてものすごく世界に対する責任が重いのですね。同じことをしても問われる責任が重いのです。
さらにこのように語ります。
ユダヤということは、神命奉仕者ということで、神様から選ばれたのだから神の選民なのだ。
イスラエルというのはユダヤと同じ事。天孫民族とは全然違う。
日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。
ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は悪いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。
イスラエルの十二の支族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。
(昭和十九年六月九日)
(参照)『霊界物語』第六十四巻上・第四章「訪問客」。「神諭」大正八年三月七日旧二月六日
つまり神の直系としての日本人と ユダヤ十二支族の一番いい流裔としての日本人があるということでしょう。
capelaurig
が
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御嶽教などの神懸りになるととても滑稽な事があります。
神懸りが始まると先ず
「名は何という? 国はどこ」
「天地開闢かいびゃく国の底津の神じゃぞよ」
「それなら天地開闢以来の天地の過程につき話してみよ。汝は開闢と言うが何故に開闢というか理由を申し立てよ」
「知らない」
国の底津の神は真っ赤な偽りで畳に頭をすりつけて謝罪して、終いにはどたんと後ろに倒れて逃げてしまう。
法華経のも同じ事で「お前はどこの者で何という名か」と警察の司法官が調べるようにして行くと、とうとう正体を現す。始めのうちはヤクザ神でも法螺を吹いて来るが、すぐ化けの皮をはいでしまう。
出口 御嶽教でも法華経でも中山そう伝の神寄せでも、みんなそんなもんだ。
capelaurig
が
しました
「この方は大阪の商人でお出でになる。今度商用でこちらへ来ているが、どうも身体がすぐれないので、あちらこちらの医者にかかったがちっとも効がない。どうかよろしく御祈祷を願います」と出口さん病人になってそこへ座るや否や、坊主の体が三、四尺天井へあたるほど上がった。それから足の根をつけてから出口さんがそれに向かって仲言ちゅうげんするのに
「汝は何者であるか、愚民を欺している不届き千万な奴じゃ。これにてやめればよい? やめなければただでは置かんがどうじゃ」
坊主は頭を畳にすりつけて「今後は致しませんから、どうか御許し願います」、それでその場はすんだが、この法華坊主を信仰している博奕打ちが大勢おりましたが、それらが非常に怒り出口さんを叩き殺すと言って手に手に凶器を持ち、帰り路に待っていました。
幸いに危険な目に合わず帰りましたが、なかなか奇譚でした。
出口 あの晩には沢山棒を持ったゴロツキが、辻に並んでおった。
この江尻は遊郭街であるが、ある家の二階へだまって上がり、それから裏口から田圃を伝って帰って来た。
長沢 それがまたどうも不思議で、遊郭の人も一人も知らずにいました。
capelaurig
が
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そこには橋本屋と書いてあったが、六時頃になるとそこの嫁さんらしいのが戸を開けて「貴方は御先達さんですか」と聞くので「私は淫乱上人だ」と言ってやったら「はア淫乱上人さんですか、まあ上がって下さい」と言うので「一人や二人の女郎ではいかぬから、一度に二十人くらいあげてくれ、その代わり五十銭にまけて貰わにゃいかぬ」とかけあってやると「ヘエしょうがありまへん、昼まではお客もありませんから、まけておきます」という。
それで二階へ上がって二間も三間も障子をはずして女郎を二十人くらい上げた。兎に角、昼までどうしようとこうしようとこっちの勝手だから、女郎の一人々々をつかまえて、お前はこういう男を一心に思っている、お前は逃げようとしている、お前は誰を騙そうとしている、と冗談をいうと、みなそれが当たってワンワンと泣き出すやら騒ぐやら、部屋中が大騒ぎだ。
capelaurig
が
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そこの家は稲荷さんを信仰していたのだが、庭にお宮ほどの大きな稲荷さんが祀ってあった。私が行く前に金光教の布教師が来て占ったのに「一週間目に不思議な人がやって来る、そして家の事についても解決をつけてくれる」と言った。
その家のゴタゴタというのは、親爺さんが稲荷さんを祀り、おばさんが金光教で絶えず、どちらが良い悪いと争っていたのである。そこへ私が行って話をしてやったのが、意外に強く響いて女郎はみな揃って入信する事になった、綾部へ帰ってからも女郎から手紙が来てしょうがなかった。
その後一度来てみてくれというので、行ってみたところが、大きな教会を新しく建てて私に居てくれと言っていたが、私は綾部の方へ帰らねばならないので、私の代わりに大野熊次郎という人に居らすことにしたが、その後いろいろな事がゴタゴタ続いて、折角開かけた教会もいつの間にかつぶれてしまった、始めに淫乱上人と言った言霊が祟って、ひっくり返ってしまったのだ。……
そんな奇跡はいくらでもあるが、そんなことばかりやっていると肝腎の教理を聞く者がなくなるからやめたのだ。
まア今日はこのくらいにしておこうか。
記者 どうも有り難うございました。
capelaurig
が
しました