今の季節は冬を代表する星座であるオリオン座がよく見られます。中心の三つ星は三島由紀夫の『豊饒の海』の主人公たちや出口王仁三郎にあったという黒子を思い出させますが、今日は別の話です。
面白い現象として、この三つ星は天の赤道に位置しているため、いつも真東から上って真西に沈んでゆきます。真東から上るときは縦一文字に並び、真西に沈むときは横一文字に並ぶという特徴もあります。
「真東から上るときに縦一文字に並ぶ」という特徴は、日本神話でイザナギノミコトが黄泉の国から帰った後に日向でミソギをした時に生まれた住吉三神、上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命を思わせ、この三神に結びつける学説もあります。あくまでも学説であり、そのような伝承はありませんが、可能性はあると思われます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
面白い現象として、この三つ星は天の赤道に位置しているため、いつも真東から上って真西に沈んでゆきます。真東から上るときは縦一文字に並び、真西に沈むときは横一文字に並ぶという特徴もあります。
「真東から上るときに縦一文字に並ぶ」という特徴は、日本神話でイザナギノミコトが黄泉の国から帰った後に日向でミソギをした時に生まれた住吉三神、上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命を思わせ、この三神に結びつける学説もあります。あくまでも学説であり、そのような伝承はありませんが、可能性はあると思われます。
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コメント一覧 (14)
天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日(高皇産霊)
次に神御産巣日(神皇産霊)神、此の三柱の神は並独神(みなひとりがみ)成り坐して、身を隠したまひき。
高皇産霊、神皇産霊の神名に使われる産霊の産は産む、蒸すの意であり、霊は霊、日、命の意がある。単なる連結ではなく、まったく相反するものが結び合うことで、新しい生命を生み出すという力だ。
例えば陽極と陰極の結びで電気が生まれ、酸素と水素の結びで水が生まれる。男と女の愛の結びによって子供が生まれる。宇宙間に発生した霊(チ)素と体(カラ)素が結んで霊体(チカラ)素、いわゆる力が生まれる。このつ一つの霊力体が万物活動の原動力になる。
天之御中主神はいわゆる大元霊を指し、高皇産霊(高御産巣日)は言霊から作られた霊素で霊系の祖神、神皇産霊(神産巣日)神は同じくウの言霊から作られた体で体系の祖神になる。
capelaurig
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高皇産霊神も神皇産霊神も、天之御中主神の活動に合わせて発生する霊体二元の働きを表現した神名である。三神でありながら一神、一神でありながら三神という三位一体の関係にあり、造化三神と言われる。また三つの身魂、すなわち瑞の身魂という。
さらにウの言霊は活動を続ける。上に昇りつめてアの言霊を生み、さらには下にくだってオの言霊を生む。ここに天の言霊であるア、オ、ウ、エ、イの五大父音が生まれる。五十音の五大母音にあたる。
さらに七十五声の一言霊が生まれ、それぞれが相和して鳴り響く。言霊のビッグパンであ
る。これにより宇宙間に精気が発生し、精気から電子が生まれ、電子が発達して電気が発生し、動・静・解・凝・引・弛・合・分の八力が完成する。
こうして霊界が形成されるが、幽の顕の段階で、まだ現界はできていない。
capelaurig
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この先語られる神代史はまさに記紀神話を裏返し、問い直す対抗神話といえる。
『古事記』では、素盞鳴尊は、父伊邪那岐尊に命じられた大海原を治めきれず、ただ手もなく長い年月を泣きわめく。あげくに父神にとがめられ、地上を捨てて荒々しく高天原に上り、姉である司神天照大神に抵抗し、乱暴狼籍(らんぼうろうぜき)を働く。たまりかねて姉神は岩戸にこもり常暗の世を招くに至って、万神は智恵をかたむけ岩戸を聞き、素盞嗚尊を弾劾の上、追放する。何ともあきれはてた悪神なのである
しかし高天原を追われて出雲国に降った素盞嗚尊は、どうしたことか突如、詩的で英雄的な神に変神する。粗暴で無能で女々しくて何ひとつ取柄のなかった神が、ここでは恐ろしい八岐の大蛇を退治して悪の根を断ち、櫛名田(くしなだ)姫を救け、大蛇の尾から出た名刀を天照大神に献上する。勇気凍々、優れた智謀、果断な処置、自分を疑い追放した姉神へさらりと向ける崇敬の志。
出雲の地に須賀宮を建て、妻を得た喜ぴを
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と美しい歌に託す詩情。いったいどちらの素盞鳴尊が実像なのか
capelaurig
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伊邪那岐の 神の鼻より現れましし 素盞鳴の神先端の神
先端の 先端をゆく素盞鳴の 神のいでます世とはなりけり
素盞鳴と いう言霊は現代語の 先端を行く百破戦闘よ
蓑笠を つけて国々まわりつつ 霊魂しらべし神ぞとうとき
素盞鳴の 神は神代のエロの神 三十一文字で世をならしましぬ
八雲たつ いづも八重垣つまごみにの 歌の心を知れる人なし
素盞鳴の 神の始めし敷島の 歌は善言美詞(みやび)のはじめなりけり
素盞鳴の 神にならいて吾今に、歩みつづくる敷島の道
海原を 知らせと神のメッセージ いまにまったき素盞鳴の神
さらにまた年をへて、違った素盞鳴尊の顔がある。根の堅州国に住んでいた時のこと、大国主命は悪逆非道の兄弟八十神から逃れて、その祖である素盞鳴尊のもとへ逃げこむ。そこで尊の娘須勢理姫と一目で恋におちる。
素盞鳴尊は大国主命を蛇の室、翌夜はムカデと蜂の室に寝かせた上、野火を放ってあやうく焼き殺そうとする。そのやり方はまことに乱暴で意地が悪い。大国主命は姫や野鼠の助けを得て、これらの難問を無事に切り抜ける。素盞鳴尊は頭のシラミをとらしているうち、寝てしまう。大国主命は姫と共謀して、寝入った素盞鳴尊の髪を垂木(たるぎ)に結びつけ、巨岩で戸をふさぎ、生太万(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)と天(あめ)の詔琴(のりごと)(政治的、宗教的支配力の象徴)を盗み出し、須勢理姫を背おって逃げ出す。
capelaurig
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「そのお前が持って出た生太万、生弓矢で八十神どもを追い放ち、国の支配者となって、わが娘須勢理姫を正妻となし、宇迦(うか)の山に立派な宮殿を造って住めよ、こやつめが」
髪の中に無数のムカデを飼っておくような、見るも恐ろしい素盞鳴尊。その婿を試す方法はいかにも荒っぽい。しかし最後のせりふにこもる深い情愛はどうであろう。可愛い娘と生命ともいうべき宝
を盗んで逃げる男に向って、「こやつめが」と投げる一言に、無限のいとおしみがあふれでいるではないか。
数々の試練をくぐり抜けて自分をあざむいた男に対して、その資質を審神し、娘との愛をもたしかめ、盗んだ宝を与えて、その未来を指示し祝福してやる。なんと行き届いた舅であろうか。
capelaurig
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大本では、素盞鳴尊を瑞の御霊の救世主神であり、購い主として仰ぐ。これは明治政府の宗教政策により作為された皇室の祖神天照大神を仰ぐ、神道系宗教に見られない神観である。霊界物語では一巻から六巻まで、艮の金神国常立尊を主軸にして、神代が展開する。だが一五巻からは、完全に主軸が素盞鳴尊に移動するのである。
なぜ大本ばかりは、世間のいう悪神、崇り神を信仰するのか。出口直にかかった良の金神ばかりか、王仁三郎にかかる素盞鳴尊まで。
王仁三郎は、素盞鳴尊が犯した罪について、言霊学上から独特の解釈を示す。
悪盛んにして天に勝つ。地上神界ですら、すでに国祖の威霊は封ぜられ、天地の律法は名ばかりの世であった。伊邪那岐大神の神命を受けて素盞鳴尊が地に下った時、合せ鏡である現界は手がつけられぬばかりに乱れていた。もともと軽い清らかなものは天になり、重く濁ったものが沈んで積み重なり地を造った。その成り立ちから体的なのだ。当然、肉体を持つ地上人類の体的欲望は激しい。
霊的性能が体的性能に打ち克つための、すなわち霊主体従の素盞鳴尊の神教など、血を吐くほどに叫んでも、体主霊従に堕した人々には通じない。その心痛は「八拳須(やつかひげ)心の前に至るまで」泣くほどであった。治まる時には治めずとも治まるが、治まらぬ時にはどんな神が出ても治まらぬ。
capelaurig
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