どの国でも神話と歴史の境目は明確ではありませんが、日本神話の場合は神武天皇以後が歴史、その前が神話ということになっています。神話は創世、高天原、出雲、日向の4段階に分かれます。
日向神話の位置は微妙で、舞台が地上に移り、時間が流れ始めることから、歴史の始まりと見ることも出来ます。
神武天皇の伝説も微妙な位置にあり、神話に分類する考え方もあります。これは第2代の綏靖天皇から9代の開化天皇までが記紀ともに具体的な物語を欠く「欠史八代」であること、第10代の崇神天皇が神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」の別名を持つことが関係しています。
欠史八代の漢風諡号で目立つのは第5代の孝昭天皇から第8代の孝元天皇まで「孝○天皇」が続くことです。これは前漢と後漢の皇帝の諡号に影響を受けたものか、またも微妙な続き方、途切れ方です。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
日向神話の位置は微妙で、舞台が地上に移り、時間が流れ始めることから、歴史の始まりと見ることも出来ます。
神武天皇の伝説も微妙な位置にあり、神話に分類する考え方もあります。これは第2代の綏靖天皇から9代の開化天皇までが記紀ともに具体的な物語を欠く「欠史八代」であること、第10代の崇神天皇が神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」の別名を持つことが関係しています。
欠史八代の漢風諡号で目立つのは第5代の孝昭天皇から第8代の孝元天皇まで「孝○天皇」が続くことです。これは前漢と後漢の皇帝の諡号に影響を受けたものか、またも微妙な続き方、途切れ方です。
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コメント
コメント一覧 (16)
八束髭 わが胸先に垂るるまで 嘆き玉いぬ天地のために
素盞鳴の 神は地上を知らすべき 権威持たせり惟神にして
素盞鳴の 神の恵みに村肝の 心せまりて涙こぼるる
capelaurig
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素盞鳴尊は地上を去るにあたり、姉天照大神に別れを告げるべく高天原へ上る。地上は統治者を失って、大変な騒ぎである。天照大神はその騒ぎに、弟神が高天原を奪りにくると疑い、もろもろの武備を整え、おたけび上げて待ち受ける。
「私に邪(きたな)い心はない。ただ事情を申し上げたいばかりに参ったのだ」と告げても、疑いはとけぬ。
素盞鳴尊の心の潔白を証明するために、天の安河原での誓約の神事を申し出る。天照大神は素盞鳴尊のもつ剣をとって三つに折り、天の真奈井にすすぎ、かみにかんで吐き出す息から三柱の女神が生まれた。素盞鳴尊が天照大神の髪や左右の手にまいた珠をとって同じくかんで吹き放つと、五柱の男神が生まれた。そこで天照大神は告げる。
「あとに生まれた五柱の男神は私のもっている珠から生まれたからわが子、先に生まれた三柱の女神は汝の剣から生まれたから汝の子である」
この御霊調べの結果、天照大神は五つ(厳)の男霊、すなわち厳(いづ)の御霊(みたま)であり、女体に男霊を宿すから変性男子。素盞鳴尊は三つ((瑞)の女霊、すなわち瑞の御霊であり、男体に女霊を宿すから変性女子と判明する。
capelaurig
が
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天照大神が素盞鳴尊の心を疑ったことについて、王仁三郎は述べる。
「元来、変性男子の霊性はお疑いが深いもので、わしの国を奪りにくる、あるいは自分の自由にするつもりであろう、こう御心配になったのであります。ちょうどこれに似たことが、明治二五年以来のお筆先に非常にたくさん書いてあります。変性女子(王仁三郎)が高天原(綾部)へきて破壊してしまうといって、変性女子の行動に対して非常に圧迫を加えられる。また女子が大本全体を破壊してしまうというようなことが、お筆先にあらわれております。・・・大本教祖(出口直)も変性男子の霊魂であって、やはり疑いが深いという点もあります」(『霊界物語』一二巻二九章「子生(みこうみ)の誓」)
王仁三郎は、皇室の祖神とされる天照大神を批判し、その対抗神である素盞鳴尊を愛の神として捉えている。善と悪とは相対的であり、一方を善とすれば、他方は悪となる。今日まで、皇室の祖神天照大神は善の象徴として考えられていたが、はたしてそうだろうか。
capelaurig
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安河に 誓約の業を始めたる 厳と瑞との神ぞ尊き
八洲河の 誓約になれる真清水は 罪ちょう罪を洗い清める
疑いと武力が紛争の種
素盞鳴尊が地上を追われたのには、より深い原因があったことを、王仁三郎は『霊界物語』の中で一庶民の噂話にことよせ述べている。
「天の真奈井からこっちの大陸は残らず、素盞鳴尊の御支配、天教山の自転倒島から常世国、黄泉島(よもつとう)、高砂洲は姉神様がおかまいになっているのだ。それにもかかわらず、姉神様は地教山も黄金山も、コーカス山もみんな自分のものにしようと遊ばして、いろいろと画策をめぐらされるのだから、弟神様も姉に敵対もならず、進退これきわまって、この地の上を棄(す)てて月の世界へ行こうと遊ばし、高天原へ上られて、今や誓約とかの最中だそうじゃ。姉神様の方には、珠の御徳から現われた立派な五柱の吾勝命(あかつのみこと)、天菩火命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)という、それはそれは表面殺戮(さつりく)征伐などの荒いことをなさる神さまが現われて、善と悪との立別けを、天の真奈井で御霊審判(みたましらべ)をしてござる最中だということじゃ。
姉神様は玉のごとく玲瀧(れいろう)として透きとおり愛の女神のようだが、その肝腎の御霊からあらわれた神さまは変性男子の霊で、ずいぶん激しい我の強い神さまだということだ。弟神様の方は、見るも恐ろしい十握(とつか)の剣の霊からお生まれになったのだが、仁慈無限の神様で、瑞霊ということだ」(『霊界物語』一二巻二五章「琴平丸」)
capelaurig
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これが口述されたのは大正一一年三月一一日、大日本帝国はシベリアに出兵、軍備を強め、仮想敵国を作って牙をとぐ頃。しかも王仁三郎は第一次大本事件で投獄され、開祖出口直の墓はあばかれ、神殿はこわされ、不敬罪に関われている最中である。よくもまあ、これが酷(きび)しい検聞の目をくぐり抜けたものである。
視点をかえて見れば、天照大神の行為そのものにも首をかしげたくなる。お別れの挨拶がしたいという弟神の心を察する前に、ソク武力を整える。天界と地界は合わせ鏡、手のつけられぬ地上の乱れの原因を知り、その立て直しの方策を考えるのに一度高天原を見たかった・・・そう思いやることがなぜできなかったろう。
今日でも「疑い」が、大は仮想敵国をつくり上げる国際問題から小は家庭のいざこざまで、どれほど多くの紛争の種を撒(ま)いていることか。それを清くあるべき高天原の主宰神がまず犯された罪は重大である。
capelaurig
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素盞鳴尊は「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば、自ら我勝ちぬ」(これで私の清明潔白なことは証拠立てられた。私の心の綺麗なことは私の魂から生れた手弱女によって解りましょう。従って、私の勝です)といい、勝ちのすきびに乱暴をする。これについて王仁三郎は、地上から従ってきた素盞鳴尊の従神たちの集団行為だという。主である素盞鳴尊があらぬ疑いをかけられた無念を、その潔白が晴れたとたんに爆発させたのだ。
素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、天の磐戸隠れの騒動を仕組んだのは、ウラナイ教の高姫ということが霊界物語に記されています。
capelaurig
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高姫、黒姫、蠑螈別を始め、一座の者共は折から聞ゆる宣伝歌の声に頭を痛め、胸を苦しめ、七転八倒、中には黒血を吐いて悶え苦しむ者もあった。宣伝歌は館の四隅より刻一刻と峻烈に聞え来たる。
黒姫『コレコレ蠑螈別サン、高姫サン、静になさらぬか、丁ン助、久助その他の面々、千騎一騎のこの場合、気を確(しっか)り持ち直し、力限りに神政成就のため活動をするのだよ、何を愚図々々キヨロキヨロ間誤々々するのだい。これ位の事が苦しいやうなことで、どうして、ウラナイ教が拡まるか、転けても砂なりと掴むのだ、ただでは起きぬと云ふ執着心が無くては、どうしてどうしてこの大望が成就するものか。
変性女子の霊や肉体を散り散りばらばらに致して血を啜り、骨を臼に搗いて粉となし、筋を集めて衣物に織り、血は酒にして呑み、毛は縄に綯ひ、再びこの世に出て来ぬやうに致すのがウラナイ教の御宗旨だ。折角今迄骨を折つて天の磐戸隠れの騒動がおっ始まる所まで旨く漕ぎつけ、心地よや素盞嗚尊は罪もないのに高天原を放逐され、今は淋しき漂浪(さすらい)の一人旅、奴乞食のやうになつて、翼剥は)がれし裸鳥、これから吾々の天下だ。
この場に及んで何を愚図々々メソメソ騒ぐのだ。高姫さま貴女も日の出神と名乗った以上は、何処迄も邪が非でも日の出神で通さにやなるまい。
憚(はばか)りながらこの黒姫は何処々々迄も竜宮の乙姫でやり通すのだ。蠑螈別さまは飽までも大広木正宗で行く処までやり通し、万々一中途で肉体が斃れても、百遍でも千遍でも生れ替はってこの大望を成就させねばなりませぬぞ。エーエー腰の弱い方々だ。この黒姫も気の揉める事だワイ、サアサア、シ’ャンと気を持ち直し、大望一途に立て通す覚悟が肝腎ぢや。
(大正一一・四・三 旧三・七 加藤明子録)
capelaurig
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高天原の神々は、天照大神に素盞鳴尊の従神たちの暴逆を訴える。だが天照大神は、誓約によって弟神の潔白が明らかになった今、激しく後悔されたであろう、だから今度は、しきりに弁護する。
「神殿に糞をしたといって騒ぐけれども、あれはきっと、酒に酔って何か吐き散らしたまでのことでしょう。田のあぜや溝をこわしたというのも、耕せば田となる土地をあぜや溝にしておくのは惜しいと
思つてのことでしょう。わが弟のしたことですから」
だがかばい切れぬ事件が起こった。
清めぬいた忌服屋(いみはたや)では、天照大神のもとで織女たちが神に捧げる御衣を織っていた。その時、御殿の棟がこわされて、その穴から火のかたまりのようなものが落ちてきた。逆はぎにはがれた天の斑馬(ふちこま)ではないか。逃げまどう織女たちの絶叫、梭(ひ)に陰上(ほと)をついて死ぬ織女。なんと、天井の穴からのぞき見ているのは、弟素盞鳴尊の髭面ではないか。
あまりのことに思慮を失った天照大神は、天の岩屋戸に閉じこもってしまう。これによって高天原は常闇の世となり、荒ぶる神々はここぞと騒ぎまわり、禍という禍はことごとに起こった。
天の斑馬(ふちこま)を逆はぎにはいで落としたのは、明らかに素盞鳴尊自身である。こればかりは、弁護の余地さえなさそうだ。それにしても、安河原の誓約(うけい)では確かにやさしい魂をもっ素盞鳴尊が、なぜわざわざ姉の面前で、そのような残虐行為に出たものか、その矛盾がひっかかってならない。これについては、王仁三郎はなぜか口をとざして語らぬ。
capelaurig
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