欠史八代のうち、5代孝昭から8代孝元まで4代続けて「孝」から始まるのは目をひきますが、あまり言及されないようです。私はやはり、この諡号は漢の皇帝を意識していると考えます。前漢・後漢ともに初代(高皇帝劉邦、光武皇帝劉秀)を除いて歴代皇帝の諡号はすべて「孝」から始まります。
第9代の開化天皇で「孝」が途切れるのは、この天皇から魏の時代に入るからでしょう。そう考えると古事記から推定される10代崇神天皇の没年(258年)にうまくつながります。
2代綏靖、3代安寧、4代懿徳の諡号は以前に考察した通り、後漢の安帝の摂政だった皇太后綏、安帝の後を継いだ少帝懿に因んだものでしょう。漢風諡号を考えた淡海三船はこうした形で歴代天皇の真の年代を暗示したと考えられます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
第9代の開化天皇で「孝」が途切れるのは、この天皇から魏の時代に入るからでしょう。そう考えると古事記から推定される10代崇神天皇の没年(258年)にうまくつながります。
2代綏靖、3代安寧、4代懿徳の諡号は以前に考察した通り、後漢の安帝の摂政だった皇太后綏、安帝の後を継いだ少帝懿に因んだものでしょう。漢風諡号を考えた淡海三船はこうした形で歴代天皇の真の年代を暗示したと考えられます。
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コメント
コメント一覧 (13)
「人間に邪曲のあるは造化力の 巧妙すぎしと悔やます大神」と王仁二郎は歌う。
-善悪美醜は時所位によってかわる
ところで何が善で何が悪なのだろう。釈迦が八O歳で入滅するとき、修行者スバッダに「私は二九歳で善を求めて出家し、ここに五O年余となった」と語っている。
釈迦は三五歳で仏になったから、その後は善を求めて求道生活をする必要はないはずだ。にもかかわらず、仏となった以前も以後も、生涯かけて善とは何かを探究し続けたのはなぜなのか。
聖徳太子はこれについて、「修行の結果得られた善はあらかじめ果報を期待して得られたものだから、なんらの果報を求めず、ひたすら身に修めていこうとする善にくらべて逢かに劣るもの」と解釈している。しかし釈迦の求めた善とはどんなものなのか、私にはよくわからない。なぜならば、善悪美醜は時所位によってかわるからだ
capelaurig
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中国では、昔は纏足(てんそく)といって、人為的に足の成長を止め、よたよた歩く小さな足が貴婦人の美だった。ホッテントットを持ち出すまでもなく、人種により、個人によっても美の好みは違う。
善悪もまた、時と所と位置によって逆転さえする。
宗 教、哲学、倫理学の立場からも、善悪の問題は常に追求されてきた。プラトン、カント、ショーペンハウアー、ニイチェと、それぞれの持つ善悪観は違う。キリスト教や仏教、神道、イスラム教などの説く善悪感も明確に違う。だから哲学や宗教の違いがまき起こす争いも、根強く絶えぬ。ヒンズー教徒は牛を食わず、イスラム教徒は豚を食わない。
また時代の要求が、その立場によって、善悪の判断を狂わせてゆく。たとえば太平洋戦争に突入した時、国民は聖戦と信じさせられて勇躍、戦場に向った。聖なる戦いは悪に勝つはずであった。今日では、戦争そのものに聖も善もない。お国のために一人でも多く敵兵を殺すことは忠義であり誇りであったが、今日では「一人の人間の命は地球より重し」といわれる。しかし現在戦っている中近東では、かつての臼本と同じ倫理が通用することであろう。
capelaurig
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・・・ただ何事も神の手に/任せまつるにしくはない/善悪同体この真理/胸に手を当てつらつらと/直日に見直し聞き直し/人の小さき智恵もちて/善悪正邪の標準が/分かろう道理のあるべきや/この世を造りし大神の/心に適いしことならば/いずれ至善の道となり/その御心に適わねば/すなわち悪の道となる/人の身にして同胞を/裁く権利は寸牽も/与えられない人の身は・・・
法律上の善悪
法律上の善悪というのは社会の運営には必要でも、心の内面の善悪とは一致しない。王仁三郎によれば、法律上の善とは「仮の善」で、最低の道徳を基本にしたもの。法律にそむかねば善かといえば決してそうではないし、法治国家の良民というわけでもない。
それについては『霊界物語』の中で村人と宗彦という宣伝使が語り合っている場面がある。王仁三郎の善悪観がよく出ていると思う。
「今の法律は行為の上の罪ばかりを罰して、精神上の罪を罰することはせないのですが、万一霊魂が罪を犯し、肉体が道具に使われてもやっぱりその肉体が罪人となるというのは、神界の上から見れば実に矛盾のはなはだしいものではありませんか」
capelaurig
が
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また人間の法律や国家の制裁カというものは、有限的のものであって、絶対的のものでない。浅間山が噴火して山林田畑を荒し、人家を倒し、桜島が爆発してあまたの人命を致損し、地震の鯰が躍動して山を海にし、海に山をこしらえ、家を焼き、人を殺し、財産をすっかり掠奪してしまっても、人間の作った法律で浅間山や地震や桜島を被告として訴えるところもなし、放りこむ刑務所もなし、裁判することもできぬようなもので、とうてい駄目です。ただ何事も神さまの大御心にまかすより仕方がありませんなあ」(『霊界物語』二O巻八章「心の鬼」)
法律は 世人を救うものでなし ただ罪人を罰するのみなり
capelaurig
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capelaurig
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すべて宇宙のいっさいは、顕幽一致、善悪一如で、絶対の善もなければ絶対の悪もない。絶対の極楽もなければ、絶対の苦難もない。歓楽のうちに艱苦があり、艱苦のうちに歓楽がある。また悲観を離れた楽観はなく、罪悪と対立した真善美もない。善悪不二というのは浄土教では「ぜんまくふに」禅宗では「ぜんなくふに」と読むが、本来、善悪の差別対立などないことを意味している。仏典の「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)。生死即涅槃(ねはん)。裟婆即浄土。仏凡本来不二」は、神の道からいえば「神俗本来不ニ」であろう。
山一つみても、頂上もあれば谷もある。木をみても、幹もあれば根もある。人間の体も、頭もあれば足もある。男があれば、女もある。どんな美女でも尻の穴があるから美を保てるので、もしなかったら、美どころか、命さえ保てない。善ばかり思っていたのでは、霊界のことよりできぬ。善悪、美醜上下、明暗すべて裏表・・・きれいごとばかり並べても、大地に住む限り、多少の悪と、隠された醜の部分はまぬがれぬ。
だからといって、「多少の悪ぐらい、神きまは大目に見て下さる」と開き直ってはいけない。また事実そういう弊害もあったらしく王仁三郎は述べる。
「信者の中には善悪不二とか正邪一如という聖言を楯にとって、自分の勝手のよいように解釈している人もあるようだが、これは神が善悪不二といわれるのは中有界に迷える人間に対していわれるのであり、かつ神は善悪にかかわらず慈愛の心をもって臨ませられる見地からおおせられる言葉である。決して人間がうんぬんすべき言葉ではない」(『霊界物語』五二巻一七章「飴屋」)
capelaurig
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みろくの世にも悪は滅びない
みろくの世になると至善、至美、至真、天はあくまで青く、明るく、水は水晶のように澄みきって・・・と思う人もあろうが、そうばかりではない。やはり昼もあれば暗夜もある。月夜には水気が大地に下がって露ができ、植物の成育を助ける。だが月夜ばかりだと、水気が多過ぎてかえって害になる。そこで暗夜があって調節する。人間もまた、昼ばかりでは体を十分に休めることができぬ。光には影があり、時には光をさけて影にやすらう。肉体のある限り、みろくの世になっても影の部分、必要悪はなくならぬ。
今の世は、悪いことをしても世間をごまかし表を飾れば、立身出世もできるし、大もうけもできる。正直でくそまじめなばかりに虐げられ、苦しめられ、悲惨な境遇に泣く人がたくさんある。それは悪魔が君臨する世だからだ。
これからは、もうこんな不合理は許きれない。善いことをすればどんどん善くなり、悪いことをすれば片端から打ち砕かれ、悪の思惑の一つもたたぬようになる。それがみろくの世である。
capelaurig
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