ヒコホホデミ(神武天皇)が日向から大和へ東征をしたという伝説において、最初に立ち寄ったとされるのが豊後の宇佐です。ここで地元のウサツヒコ・ウサツヒメはヒコホホデミの一行を歓迎し、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造ってもてなしたと言われます。この宮について考古学者の森浩一は次のように記しています。
一柱騰宮は、現在の記紀の注釈では「建物の構造不明」とされている。だがこれについては、倭人文化とさまざまな点での共通性がいわれている、中国・雲南省のてん(さんずいに「眞」)池のほとりにある石寨山古墳郡から出土した青銅製の建物模型が注目される。(中略)壁をもたない一柱ないし二柱の建物が中国の稲作地帯にあったことは、事実とみてよかろう。こうしてみると、なお問題は残るにしても、一柱の建物が記紀の撰者たちの創作であったとはとても考えられない。何らかの伝承があったのであろう。
(朝日文庫『日本神話の考古学』より)
「騰」は「升」と同じ意味を持つ漢字であることも興味深いです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
一柱騰宮は、現在の記紀の注釈では「建物の構造不明」とされている。だがこれについては、倭人文化とさまざまな点での共通性がいわれている、中国・雲南省のてん(さんずいに「眞」)池のほとりにある石寨山古墳郡から出土した青銅製の建物模型が注目される。(中略)壁をもたない一柱ないし二柱の建物が中国の稲作地帯にあったことは、事実とみてよかろう。こうしてみると、なお問題は残るにしても、一柱の建物が記紀の撰者たちの創作であったとはとても考えられない。何らかの伝承があったのであろう。
(朝日文庫『日本神話の考古学』より)
「騰」は「升」と同じ意味を持つ漢字であることも興味深いです。
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コメント一覧 (16)
宇宙間のすべてが真の神の霊力体で作り出され、分霊、分力、分体を受けている。これは汎神論である。ただ王仁三郎の汎神論で注意すべきは、「石ころ即仏」、「木の葉即仏」ではく、石ころも木の葉も真の神の一部分だということである。
ここに一冊の本がある。つらぬかれているテーマは一つだ(一神観)。だが開けば何百ページに分かれ、それぞれに意味がある。(多神観)
そしてどのページも本の一部分だ(汎神論)。ただし本そのものではない。
地の上に 数多の国はありながら 信ずる神は一つなりけり
一はしら 神のいさおを八百万 わかちてとける大本の道
八百万 神はいませど伊都能売(いづのめ)の 神の分かちし霊魂なりけり
西東 南も北も天地も わが身も神のふところにあり
capelaurig
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capelaurig
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なでるとか、くすぐるとか(多神観)。そして指もまた太郎の一部分である(汎神論)。ただし太郎そのものではない。このように王仁三郎の多神観も汎神論も、真の神の本質を説明する便宜のためであり、本質的にはあくまで一神観である。
「反可通学者は、日本の神道は多神教だからつまらない野蛮教だといっているが、かかる連中はわが国の神典を了解せないからの誤りである。独一真神にして天之御中主神と称え奉り、その他の神名はいずれも天使や古代の英雄に神名を附せられたまでであることを知らないからである。
真神は宇宙一切の全体であり、八百万の神々は個体である。全体は個体と合致し、個体は全体と合致するものだ。故にわが神道は一神教であるのだ」(『筆のしずく』五)
capelaurig
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「神は万物普遍の霊にして、人は天地経論の主体なり。神人合一してここに無限の権力を発揮す」
第一段は神について。万物に普遍している霊が神だというのだから「巻けば一神、開けば多神」という王仁三郎の神観に立つ時、万物に普遍した霊は、総根源たる真の神から分け与えられたものだということを、理解しておく必要がある。
第二段は人について。天は地上に対する宇宙、現界に対する霊界を意味するから、天地とは霊界現界を合わせた全宇宙である。経論とは、「唯天下至誠、為能経論天下之大経、立天下之大本、知天地之化育」(『中庸』)、「上下心を一つにして、きかんに経論を行なうべし」 (「五箇条の御ご誓文」一八六八(慶応四)年とあるように、天下国家をととのえ治めるための雄大な構想の意味がある。つまり人は字宙全体を立派にととのえ治めるために構想し実践すべき主体であり、これほど人間としての存在を高く評価した哲学は他にあるまい。
第三段は神と人との関係について。大本教旨にある「神人合一して」は、「霊体一致して」と表現される場合もあるが、この方がより広い意味を持つ。神は霊であり、人はその霊を容れる体だ。いくら霊で自の前のグラスを取ろうと念じても、体が協力せねば取ることができぬ。
だが霊の働きが停止すれば、ただこんこんと眠る植物人間になるよりあるまい。霊と体と合して初めて力が出るように、神と人とが一体になってこそ、初めて無限の力を発揮できるのだ。
真神は 万物普遍の霊にして 人は天地の経論者なる
大神の みたまをうけし人の身は 天地経論の主宰者なりけり
主の神は 万物普遍の霊なれば 人を造りて世を聞きましぬ
capelaurig
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天にかがやく月日の玉を/取ってみようと野心をおこし/天教地教の二つの山を/足の台にして背伸びをしたら/雲が邪魔して一寸にや見えぬ/見えぬはずだよ盲目の企み/そこでちょっくり息してみたら/雲が分かれて銀河となった/左手に太陽わしづかみ/右手に月をばひんにぎり/顔にあてたら目ができた/顔にあてたら目ができた
さらに王仁三郎は歌う。
日地月丸めてつくる串団子 星の胡麻かけくらう王仁口
日地月星の団子も食いあきて いまや宇宙の天海を呑む
capelaurig
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神は「隠身」、つまり肉体を持たぬ存在だ。そこで神は全智全能なるが故に、人を地上に下して、自分の代行者として天地経輸の働きをになわせた。いわば人は地上における神である。この現界においては、人が主体なのだ。神と人とがあいまって初めて、神の全智全能の威力を発揮できる。
capelaurig
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患者増え 急ぎ宣言 菅あわて (柚っ子)
再稼働 急ぐ関電 許すまじ (乾草)
急ぐのに 自宅待機 コロナ陽性 (原子力ガリレオ)
急がばや 平和憲法 危機ならば (落葉)
再稼働 急ぐ関電 資格なし (ふ64)
特選
急ぎます 空気を運ぶ 新幹線 (田内)
言葉の秀句
規制委は 言葉たくみに 言いのがれ (原子力ガリレオ)
バーはしご 言いわけ通らぬ 某議員 (乾草)
安倍と菅 言葉の軽さ 引き継いだ (柚っ子)
何とでも 言えるが 危うし言葉とは (落葉)
安全の 言葉の意味が こわれます (田内)
特選
ガースーに 贈る言葉は 即辞任 (ふ64)
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