戊寅元暦は中国の唐で最初に使われた暦です。西暦紀元前(BC)16万3723年(戊寅の年)を上元(暦の計算の起点)とするのでこの名前があります。
この大昔の年は計算上の起点に過ぎませんが、日本神話の天孫降臨の年代を定めた人物はこの計算を参考にしたようです。BC16万3723年はBC667年(神武東征開始の年)から16万3056年前で、この差を11倍すると179万3616年になり、前回に投稿した巨大な年数と1140年の差があります。1140年といえば大変な差のようですが、16万年に比べれば百分の一以下の差に過ぎません。
BC771年(神武天皇誕生の60年前、即ち干支一巡前)からは16万2952年前で、この差を11倍すると179万2472年となり、差はゼロになります。なぜ11倍なのかは謎ですが、日本書紀が完成した720年当時、唐は100年の歴史しかなく、日本は神武天皇から1000年以上、唐の10倍以上の歴史があると考えられ、それが根拠になったのかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
この大昔の年は計算上の起点に過ぎませんが、日本神話の天孫降臨の年代を定めた人物はこの計算を参考にしたようです。BC16万3723年はBC667年(神武東征開始の年)から16万3056年前で、この差を11倍すると179万3616年になり、前回に投稿した巨大な年数と1140年の差があります。1140年といえば大変な差のようですが、16万年に比べれば百分の一以下の差に過ぎません。
BC771年(神武天皇誕生の60年前、即ち干支一巡前)からは16万2952年前で、この差を11倍すると179万2472年となり、差はゼロになります。なぜ11倍なのかは謎ですが、日本書紀が完成した720年当時、唐は100年の歴史しかなく、日本は神武天皇から1000年以上、唐の10倍以上の歴史があると考えられ、それが根拠になったのかもしれません。
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コメント
コメント一覧 (14)
人聞の生活面は技術の開発によって欲求が限りなくエスカレート、物が充ちあふれ格段の進歩を遂げたかに見えるが、根の部分はさほど変わっていない。それよりも、技術によって生み出されたものが生物すべてに有害だと気づいても、それを根絶することの方がより困難になってきた。たとえば公害の最たるもの、もともとあってなんら益のない核兵器の廃棄自体、さらに強力な兵器を発明するより至難であろう。悪と悟ってソク改めるだけの英知と決断が、もはや人類には残されていないのか。
既成宗教 科学の斧に頭より わらるる時の せまり来にけり
目に皺を 寄せて吐息をつきながら 悟らんとする人のおかしさ
日本人は撤退とか終戦が苦手だ。侵略とか宣戦以上のエネルギーが必要なのだ。コロナもオリンピックもしかりですね。。
capelaurig
が
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宮崎県の幸島に群棲するニホン猿のうち、賢く若い一匹の猿がある日、ふと芋を海水で洗って食べた。翌日は別の若い猿がまねる。旧習依然たる老い猿たちを除き、次つぎ芋洗いを真似る若猿たちが増え続け、その習慣が定着するのに六年かかった。ところがある朝、最後の若猿・・・百匹目だったとして・・・が芋を洗った時から、突如変化がおこった。頑固保守猿たちが何思ったか、いっせいに芋洗い猿に変身したのだ。驚いたことに、まったく交流のない別の島々にいる猿の群までいっせいに芋を海水で洗って食べる習慣を持ち始めた。
capelaurig
が
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一度目ざめた猿の知恵は次から次へと新しい局面を切り開き、現在ではタコ狩りを覚えるまでに至った。しかも、明らかに調理技術を身につけている。海辺の岩角にとりたてのタコをこすりつけ、すり跡に海水の塩味をしみこませる高等手法を編み出してしまったのだ。向島の猿族はこうした知的な営みに喜々としてたわむれ、今後どこまで発展するのか注目を集めている。それがまた、形態形成場を通じて、別のサル群にどう波及してゆくか、興味ある問題である。
人類の未来に行きづまりを感じている人にとっては、「百匹自の猿」の話はあらたな希望の光を投げかけるものであろう。最近では、さまざまな人々が「百匹目の猿」をたとえとして持ち出している。
capelaurig
が
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いずれの場合でもその先駆者は少数から始まり、ある程度の数に達した時に飛躍が生まれる。少数にとどまったまま飛躍にいたらず、途中で消えてしまったものも数多い。弁証法でいう「量から質への転化」はそのことを意味する。
艮の金神は「このままでいくと世界の大峠がきて、人民が三分になるぞよ」と警告した。第一次、第二次世界大戦で人類は幾つかの峠を越えたが、まだ地球を傾けるほどの「大峠」は越えていない。早く人類が意識を変革せぬ限り、それはくる。
出口直に憑かる艮の金神は三千世界の立替え立直しを叫び、人民が改心せねば「三分になるぞよ」 と予言する。その「立替え立直し」も、ある質的大変換が引き金になるであろう。
capelaurig
が
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「キリストは、『最後の審判をなすために再臨する』といったが、彼の最後の審判というのは、火の洗礼を施すということだ。彼は火の洗礼を施そうとして、その偉業が中途で挫折したため、再び来たって火の洗礼を完成させようと欲した」といい、火の洗礼とは人聞を霊的に救済することだとしている(『水鏡』「霊界物語は最後の審判書なり」)。
そして「最後の審判は、閻魔大王が罪人を審くと同様なる形式において行わるると、考えている人が多いようだが、それは違う。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの標準を示されることである。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念のいかんによるのである。標準とは何か、霊界物語によって示されつつある神示そのものである。ゆえに最後の審判は、大正十年十月(霊界物語の口述を指す)より、すでに聞かれているのである」としている(『水鏡』「霊界物語は最後の審判書なり」)。
capelaurig
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これからも、人類の生み出した邪気を清めるために大天災大地災はあるかもしれないし、第三次世界大戦がないともいえない。それが人類の越えねばならない大峠だとすれば、すでに峠越えは始まっている。しかし王仁三郎は、その峠の先に人類の明るい未来を見る。立替え立直しとは、世界全体のことばかりではなく、実は自分自身の問題でもある。
立替えを 他人のことと勿(な)思ひそ 立替するは己が身魂ぞ
ゆめの世に 夢を見るちょう人の世も 神の御声に醒めざるはなし
capelaurig
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日本人は日本人を 善悪正邪に拘はらず賞賛すれば良民と 認めて呉れるが苟 ( いやし )くも欠点挙げて論ずれば 眼をば怒らせ肩を張り非国民種と扱はる 是は果たして日本人の清き態度と云はれうか」と本質を突いています。そしてこう説きます。
天地を広く開拓し 自国の短所を取り除き他国の長所を採用し 六合 ( くに )を斉 ( ひとし )うすべきなり決して内訌 ( ないこう )や小 ( こ )競 ( ぜり )合 ( あひ ) なすべき時代に非ざらめ我が欠点は喜んで 根本的に改善し
民は君をば本として 誠を啓 ( ひら )き人類を愛撫し国利を興さしめ世界共通の幸福を一つにするは日本人の天地自然の道ぞかし」
と。日韓の小競り合いは日本の傲慢と強情が引き起こしたものであることを引き受けねばなりません。誰の為ともなく咲く春の花のように、日本人である我々は損得勘定を捨て、ただひたすら徳の美花を咲かせよ、と説いているのです。
capelaurig
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