この年齢になると、やはり自分の人生を考えます。生涯を振り返り、自分が結婚しなかったことは親不孝だったのだろうか、と思ったりします。
自分としては縁がなかっただけで、特に罪悪感を覚える必要はないように思うのですが、子供がいないと人は未来への視点を持てないのかもしれません。過去から自分に至る系図は誰でも持っていますが、自分から未来に至る系図は誰もが持つとは限りません。
子孫を残さなくても、アイザック・ニュートンは偉大な科学的業績を残しました。私はキリスト教徒ではありませんが、イエス・キリストは偉大な宗教的業績を残したのかもしれません。
キリストやニュートンには足元にも及びませんが、私もささやかな仕事で社会に貢献できていたら幸いと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
自分としては縁がなかっただけで、特に罪悪感を覚える必要はないように思うのですが、子供がいないと人は未来への視点を持てないのかもしれません。過去から自分に至る系図は誰でも持っていますが、自分から未来に至る系図は誰もが持つとは限りません。
子孫を残さなくても、アイザック・ニュートンは偉大な科学的業績を残しました。私はキリスト教徒ではありませんが、イエス・キリストは偉大な宗教的業績を残したのかもしれません。
キリストやニュートンには足元にも及びませんが、私もささやかな仕事で社会に貢献できていたら幸いと思います。
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コメント
コメント一覧 (14)
「今日の物質文明と大本の精神文明との準備がととのったということであり、三千世界一どに聞くというのは、縦からも横からも全部天にあるものいっさいを指して、それがいっさい、地にあるもの、
一度に開くということだ。今までにためてあったすべての経綸が、まず形の上から現われてくる」(『真如の光』昭和六年二月一五日号「時代に生きて働け」)
確かに艮の金神が宣言した当時からみれば、加速度的に発展した物質文明、地球上の華やかな変化は目をみはるに十分だ。だが精神文明の方はどうか。むしろ後退し、蹴行的状態である。王仁三郎は、梅の花は神の教えだと示す。神の教えが一気に人類の目をきます時がくるということであろう。その時期はいつか、どんな方法でか、私たちには分らぬ。
碁の名人が素人相手に対局したとする。名人の打った捨て石が、進むにつれてどうなって、どう利くかということは、予測もつかなぃ。「名人ともあろうものが、ばかな石を打つものだ」ぐらいに思う
こともあろう。だが振り返ってみると、その一石が決め手となることさえあるのだ。
神の経論は近視眼的な我々には理解できなくてあたり前、完全な理想世界を築くには、政治も、経済も、宗教も、芸術も、形あるものないものすべてが必要であり、わけでも科学は大きな役割をになうであろう。
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「私は昔から淋しいと思った事が無い。心細く淋しいといふ感が 起るのは、霊性に塞がつて居る部分があるのである。囚はれて 居るからである。何物にも囚はれない自由豁達な心で居れば決して淋しいものでは無い。囚わるる心には悪霊がやがて感応し て来る(中略) 霊性の一部が塞がって居る人は、霊界物語を読まぬからだ。重要なる神様の御用を承はって居る人は、殊更物語 を拝読して置かぬと霊性が塞がっておっては、本当の御用は出来ない。」 月鏡 《淋しいといふこと》
「(前文略)悪魔の活躍は日に日に猛烈になって来る。君国の為に、人類の為に、最善を盡したいと王仁はもがいて居れど、皆は呑 気である。神書の読みようが足らぬから、王仁の使命と仕事に理解がない。霊界物語の続きを早く出して呉れとの請求があるが、幾何出しても読みようが足らないで、神意が理解出来ないような事では神様が出して下さらぬ。せっせと読み、御神意を理解し、其思召に添ふやうに働きをせなくてはならぬ。」
玉鏡《宣信徒》
capelaurig
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いま目まぐるしく進むこの情報社会でこそ、梅の花、教えがパッと一度に咲きにおう時期がくる。その霊的変革によってのみ、三千世界は破滅から救われる。ある時期は速度を早めながら、破滅か光明かの選択を人類にきびしく迫りつつ、最後の百匹目へと確実に進みつつある。
みな人の 眠りにつける真夜中に 醒めよと来なく山ほととぎす
梅の花 一度に開く時来ぬと 叫ぴ給いし御祖畏(みおやかしこ)し
『霊界物語』五巻「総説」・一O巻「総説歌」・一五巻二一章「帰顕」、『水鏡』「科学の力」・「霊界物語は最後の審判書なり」、『人類愛善新聞』昭和一O年八月二三日号「直観力を養え」、『真如の光』昭和六年二月一五日号「時代に生きて働け」
capelaurig
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凶暴な殺人者でも、死刑を宣告されると、震えおののくという。彼らは独房の中で考える時間だけはたっぷり持っているから、死への恐怖をそれだけじっくりと味あわねばならぬ。
人はこの世に生まれるなり、矢が弓を離れるように墓場に向って一直線につき進む、それが人生というもの。死に対する限り、我々もまた死刑囚とさして変わらぬ。生まれながらにして大自然から死刑を宣告されているのと同然で、ただ死ぬ時期と方法が彼らよりもっと漠然としているに過ぎない。
人により死刑台の高さはまちまちでも一年の時の経過はそれを一段上がるのと同じこと。なのに正月がくれば「おめでとう」、誕生日がくれば「おめでとう」という。何がめでたかろう。一休禅師の歌に「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とある通りだ。
capelaurig
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「生涯を通じ、食うための手段をととのえることにあくせくしている人びとがある。われわれすべてにそそがれた誕生の薬は、また死への薬でもあったことを理解しないからだ」
「死以外のことに対してなら、身の安全を得ることもできよう。が死に関する限りわれわれ人聞のすべてはいわば無防御の町に住んでいるのだ」
capelaurig
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幼子(おさなご)は 皆大志あり 平和乞い (落葉)
大事故も 業者うるおす 80兆 (遊児郎)
大嘘で 記憶にないと 広報官 (柚っ子))
大それた 願いにあらず 平和の世 (落葉)
テントひろば 原発通さぬ 大山脈 (ふ64)
特選
大事(おおごと)に させぬつもりが 大炎上 (孫じい)
「発言」の部
秀句
その発言 記憶にないと 記録する (游児郎)
つい本音 ぽろっとこぼし 辞任劇 (乾草)
脱原発 言いつつ巧みに 再稼働 (孫じい)
森発言 話が長いは それあなた (柚っ子)
買い物の 発言権は 妻にあり (原子力ガリレオ))
特選
世を変える 一人の小さな つぶやきが (ふ64)
capelaurig
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