天武天皇の末年、686年に1年間だけ使われた「朱鳥」という元号があります。『日本書紀』によると本来は「あかみとり」と読むらしいのですが、訓読みの元号は他に例がなく、「しゅちょう」と読まれることが多いようです。
改元の理由は書かれていませんが、天武天皇の病気が重くなってからの改元であり、病気平癒を祈願する改元と考えられています。天皇の宮である飛鳥浄御原宮もこのときに名付けられたとあり、「きよみはら」と「あかみとり」の類似からもそれが推測されます。
この時代は元号の制度が安定しておらず、『日本書紀』に載っていない「朱雀」「白鳳」という元号も一部に見られ、朱雀は朱鳥、白鳳は白雉の別名だという説もあってはっきりしません。元号が安定するのは701年に始まる「大宝」からであり、以後は中断することなく現在の「令和」に至っています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
改元の理由は書かれていませんが、天武天皇の病気が重くなってからの改元であり、病気平癒を祈願する改元と考えられています。天皇の宮である飛鳥浄御原宮もこのときに名付けられたとあり、「きよみはら」と「あかみとり」の類似からもそれが推測されます。
この時代は元号の制度が安定しておらず、『日本書紀』に載っていない「朱雀」「白鳳」という元号も一部に見られ、朱雀は朱鳥、白鳳は白雉の別名だという説もあってはっきりしません。元号が安定するのは701年に始まる「大宝」からであり、以後は中断することなく現在の「令和」に至っています。
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コメント
コメント一覧 (14)
いざとなれば、人間の生への執着はそのぐらい強い。ふだんはさほど思わぬのに、ちょっとどこかが痛み出すと、「あ、ひょっとすると癌? このまま死ぬかも・・・」などと怯(おび)える。ある高僧が癌の宣告を聞いて取り乱したという話も有名だ。
capelaurig
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一つは、「私に限って死はまだまだ先だ」という、誰もが持っている迷信だ。「目も歯も弱ったし、去年のギックリ腰以来どうも無理がきかん。だがまだまだしたいことが山ほどある。わしに限って、なかなかお迎えはこんぞ。かえってあんな元気そうに見える奴がポックリいくんじゃないか」などと、自分のことにはいやに楽観的だ。それにもう一つ、人間は明日への期待を作る名人だということ。
誰もが、大なり小なり、明日への期待を作って生きている。「今は借金で苦しいが、明日になったら二千万円の宝籤(たからくじ)が当たるかも」とか、
「ひょっとすると、あの娘はおれに惚(ほ)れとるぞ。よし、明日はデートに誘ってみてやれ」とか。しかし待ちに待ったデートの時がきても、その楽しい現在は絶対につかめない。つかんだと思うと、過去という名でするすると逃げ出し、悲しい別れの時が迫ってくる。会うは別れの初めなのだ。
capelaurig
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咲く花の 散りゆく見ればいとどなお 身のはかなさを偲ばるるかな
春の夜の 短き夢にも似たるかな 露の命の散るを思えば
秋風に 揺らるる萩の露のごと おちて消え行く人の玉の緒
花と匂い 玉と栄えし人の身の 消ゆるを見ればはかなかりけり
capelaurig
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だが王仁三郎は、「生、病、老、死、これを四苦といって、人生で一番苦しい。生まれる時の苦痛が一番ひどく、人はその苦しみによって自分の前生をすべて忘れてしまい、何もわからぬようになる。
次が病のくるしみ。これはたいていの人が大か小か味あわないものは少ない。次が年をとってゆく苦しみ、だんだん苦痛が軽く、死が一番、苦痛が小さい」(『水鏡』「四苦」)と語る。
capelaurig
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死後の世界を信じず平気で生きている人のなんと多いことよ。宗教家にも霊界の存在を信じていない人は少なくない。それでいながら、葬式を待って人の死で食っている。
capelaurig
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神や霊界の存在を信じて、人生にどんなむだがあるだろう。それを信じることで人生に本当の生甲斐を見つけられればこんなすばらしいことはない。
capelaurig
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世の中に 死後の世界を知らぬほど 寂しきものはあらじと思う
人生に おける一大問題は 死後の世界の有無にかかわる
何時までも 魂の命はあるものを 消ゆるといいし醜(しこ)のものしり
capelaurig
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