60年近くに及んだ日本の南北朝時代については、南朝と北朝のどちらが「正統」であるかという議論がありました。北朝が勝利したため当初は北朝が正統と考えられていましたが、水戸光圀の「大日本史」が南朝を正統と認め、現在の皇統譜はこれに従った形になっています。
ところが源平合戦で平氏が擁した安徳天皇と源氏が擁した後鳥羽天皇については、こうした議論はなかったようです。現在の皇統譜でも1183年から1185年まではこの二人の天皇が並立していたとされています。
都落ちした平氏は安徳天皇と共に三種の神器も保持しており、その意味では南朝に似ていますが、南朝の神器が平和裏に北朝に引き渡されたのとは異なり、平氏の神器は壇ノ浦に沈みました。このあたりが議論を難しくしたのかもしれません。神器の捜索で剣は見つかりませんでしたが、この剣は形代(かたしろ)で本物は熱田神宮にあるため、新たな形代を神器にしたようです。
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