これは二人の対談による本ですが、内田という人は私に世界観が近いようで、前から関心を持っていました。二人は「第三期宗教ブーム」の1975年起源説を唱えていますが、内田氏の説明が面白いです。
69年まではわりと明るかったんですよ。70年の声を聞いてからですよ、暗くなったの。(中略)暗くなってきたのは「あっち」と「こっち」に分裂してからだと思います。日本人が共通の価値観を共有できなくなった。アメリカ型の「成功」を求める人たちと、「そういうのはオレ的には全然」という人たちに分かれた。
二人は「カウンセラーは信用できない」という点でも一致します。私もお世話になったことがあるのでよく分かります。全員が自由で自立できるわけではないのです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
69年まではわりと明るかったんですよ。70年の声を聞いてからですよ、暗くなったの。(中略)暗くなってきたのは「あっち」と「こっち」に分裂してからだと思います。日本人が共通の価値観を共有できなくなった。アメリカ型の「成功」を求める人たちと、「そういうのはオレ的には全然」という人たちに分かれた。
二人は「カウンセラーは信用できない」という点でも一致します。私もお世話になったことがあるのでよく分かります。全員が自由で自立できるわけではないのです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (12)
内務省当局の見解は<皇道大本なる団体は、国体変革の目的を有する結社と見做して何等不当にあらず>という漠然としたもの。結社組織の証拠をでっち上げるのは検事の仕事だった。不遡及の原則で結社の時期を治安維持法の制定前、大正14年以降にする為、昭和3年3月3日のみろく大祭後の供え物から王仁三郎が大根や里芋を幹部に与え、密意を伝えたという。開教以来一貫した宗教の祭典に、新たな結社組織の事実はない。二審において無罪となる。1次弾圧に続いて不敬罪を持ち出す。<現世の君より外にきみなしとおもう人こそ愚なりけり><日の光り昔も今も変わらねど東の空にかかる黒雲>などを、皇室への呪詛とした。事実をよく調べず、自己流の解釈、身勝手な理屈である。不敬罪自体、一方的認定によって成立する仕組みであった。西園寺公望の秘書原田日記には<政治家達に盛んに手紙を出し、満州における紅卍字会と、軍の統制を乱し、不敬罪と治安維持法を適用される犯罪事実がある。>とした。王仁三郎は<大本弾圧の根本は主神を祀っていたからだ>と語っている。昭和天皇は事件後の昭和11年京都府知事に<検挙事件によって府民の信仰心に及ぼした影響はないか>とただしたという。
明治憲法が国家至上主義にたち、臣民の義務に背かない範囲でしか信教の自由は認めない。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
裁判長:この事件は結社の組織罪が問題だ。たとえお前が死んでも結社を認めさえしなかったら、部下達は助かったかもしれぬ。お前の答弁を聞いていると、自分が助かりたいやり方に聞こえる。宗教家としてよいのか?
王仁三郎:禅宗の問答に<人虎孔理に墜つ>と言って、穴に落ち込んだ人がどうすべきかという問答がある。人間より虎の方が力が強いから、逃げてもじっとしても跳びかかって殺される。一つだけ生きる道がある。こちらから喰わしてやらねばならぬ。後に愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ。
裁判長:その点はもうそれで宜しいと追求を打ち切った。
大本を弾圧した権力を虎にたとえ、教団や王仁三郎自身を虎穴に落とされた人にたとえて、予審で無理矢理、署名捺印された状況・弾圧に対する自己の態度を述べた。
王仁三郎は検事や予審判事が<皇室を倒して日本を統一するのだろう?>というから、<そんな小さい事を言ってくれるな、地球を統一して大宇宙から観れば、日本に例えれば日本の一番貧乏な家位のものだ。私は全大宇宙を腹に呑んでいるのだから>と答えてやった。<日地月星のだんごも食い飽きて、いまは宇宙の天界を呑む>と歌っており、当局の必殺の攻撃も意に介さない見識と抱負が伺える。
当局はクーデターの危機感から弾圧したのに、公判では教義に焦点を絞り、治安維持法で国体変革の教義と結社の事実を証明しようと焦った。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
「治国別さま、あなたは未だ精霊でいらっしゃいますのですな。実の所は天国に復活なされた方と存じまして、其考へで待遇致しましたので嘸お困りでございましただろう。」
「ハイ、実の所はイソの館から大神様の命を奉じ、月の国ハルナの都に蟠まる八岐大蛇の悪霊を言向和すべく出陣の途中、浮木ケ原に於て、吾不覚の為ランチ将軍の奸計に陥り、深き暗き穴に落され、吾精霊は肉体を脱離して、八街に迷い込み、大神の化身に導かれ、第三天国の一部分を覗かして頂き、又もや木花姫の御案内に拠って、ここ迄昇って来た所でございます。何分善と真が備はらず、智慧証覚が足らない者でございますから、天人達の言語を解しかね、大変に面喰ひましたよ。丸で唖(おし)の旅行でしたワ。」
capelaurig
が
しました
王仁三郎:リンゴ三つですから、三リンです。仏の教えで身輪・口輪・意輪の三輪で、身体・口・心の戒律の事で、宗教家として守ろうとして。リンゴ三つ取りました。
裁判長:それでは、妻に大根をやった意味はどうかね?
王仁三郎:仏の教えに大根大機の菩薩、六度百行首榲限定を与うとある。人に二十二根あり、大本では代々女が教主で、役員信者に大根大機で利益せねばならぬという意味です。もう一つの意味は、私は入り婿で女房にあたられる亭主は嫌なもの、大根はなんぼ食べても腹が痛まぬし当たらぬもので、女房にちとあたらぬようにして呉れという事です。
法廷に笑いが漏れ、裁判長は<漫才みたいなことを言うな>と怒りっぽく注意した。
裁判長:幹部20名に親芋を一つずつやった意味はどうなのか?
王仁三郎:芋というのは、土の中で子供を殖やすものです。土の上に出ている葉は何時でも頭を下げて謙遜している。人に教えを説き模範にならねばならぬ幹部達に、芋にあやかり、人知れず徳を積み、施して行くという意味です。
裁判長:しかし芋をやる時、他の者に喰わせず一人で喰べよと言ったようだが。
王仁三郎:古語では、妻は吾妹(わがいも)と言います。自分の女房を人に喰わしたらいかんと、一寸しゃれたわけです。
ところが二審で王仁三郎は<一審で申したのはでたらめ、日本では、神様の祭りのあとの直会でお供物を分けて頂くのは昔からの習慣で、特別の意味はない。一審の裁判長はアナイでも言うてあげんと納得ゆかん人です。>と答えた。
断罪の決め手となる結社の組織が、リンゴ・大根・芋の持つ意味如何にかかるという、おかしな展開で
一審では政策的にこじつけて有罪とした。権力裁判の不見識を象徴している。
capelaurig
が
しました